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        _/  _/    _/  _/           Japan On the Globe (102)
       _/  _/    _/  _/  _/_/      国際派日本人養成講座
 _/   _/   _/   _/  _/    _/    平成11年8月28日 12,359部発行
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_/_/     地球史探訪:エルトゥールル号事件のこと
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_/_/           ■ 目 次 ■
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_/_/      1.テへランに孤立した邦人
_/_/      2.日本・トルコ関係史に無知な朝日
_/_/      3.駐日トルコ大使のコラム
_/_/      4.島民挙げての救援活動
_/_/      5.明治日本人のオープンマインド
_/_/      6.「当然のことをしたまでです」
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       エルトゥールル号事件のこと
                        (国民同胞平成10年3月号より転載)
                                占部賢志(福岡県、高校教諭)
                                
■1.テへランに孤立した邦人■

   昭和60(1985)年3月18日の朝日新聞朝刊に「イラン上空
  飛行すれば攻撃/イラクが民間機に警告」という見出しが躍った。
  当時はイラン・イラク戦争(1980-1988)の真っ只中であり、長
  びく戦闘にしびれを切らしたイラクのサダム・フセインは、つい
  に総攻撃体制に入ったのである。
 
   その一環として、あろうことか、テへラン上空を航行する航空
  機はいづれの国のものであろうと撃墜するという方針に出たので
  ある。期限は日本時間の3月20日午後2時。

   明けて19日の朝刊トップは「邦人に動揺広がる/脱出路探し
  に必死」と大書。外国航空の特別便が一部運航することにはなっ
  たものの、自国民優先のため日本人ははじき出されてしまい、邦
  人一行の不安におののくさまを伝えた。

   外務省は救援機派遣を日本航空に依頼したが、 「帰る際の安
  全が保障されない」として日本航空側はイラン乗り入れを断念し
  たという。事態はますます深刻度を増した。同日タ刊には「テへ
  ラン 邦人300人以上待機」という見出しを掲げ、現地に釘付
  けとなった邦人の孤立状況が続報された。
  
■2.日本・トルコ関係史に無知な朝日■

   こうして、もはや万事休すと思われた土壇場、翌20日の朝刊
  に「テへラン在留邦人希望者ほぼ全員出国/トルコ航空で215
  人」という朗報が載った。
  
   何とトルコ航空機がテへランに乗り入れ、邦人215人を救出
  してくれたのである。
  
   まさに間一髪であった。掲載された写真には無事脱出できた子
  供たちを含む邦人家族の喜びの顔が写っている。

   さて、ここで考えなければならないのは、なぜトルコが危険を
  冒してまで邦人を助けたのかということであるが、この疑問に対
  して朝日新聞の記事はこうである。
  
   すなはち「日本がこのところ対トルコ経済援助を強化している
  こと」などが影響しているのではないかと、当て推量を書いてお
  しまいなのである。
  
   自国の歴史に無知とはこういうことを言う。日本とトルコには
  歴史的に深いつながりがあるのだ。この記事を書いた記者が知ら
  ないだけである。
  
   無知だけならまだしも、金目当ての行為であったかのように書
  くとは冒涜もはなはだしい。トルコは長いあいだ日本に対する親
  愛の情を育ててきた国である。

■3.駐日トルコ大使のコラム■

   その証左として、昨(平成9)年一月の産経新聞に載った駐日
  トルコ大使ネジャッティ・ウトカン氏のコラムを紹介する。

   これを読むだけでも、トルコが何故日本に親愛の情を寄せるに
  至ったかの消息が明らかになろう。それは日露戦争をさらに遡る
  明治二十三年の出来事に端を発している。
     
     勤勉な国民、原爆被爆国。若いころ、私はこんなイメージを
    日本に対して持っていた。中でも一番先に思い浮かべるのは軍
    艦エルトゥルル号だ。1887年に皇族がオスマン帝国(現ト
    ルコ)を訪問したのを受け1890年6月、エルトゥルル号は初の
    トルコ使節団を乗せ、横浜港に入港した。三ヵ月後、両国の友
    好を深めたあと、エルトゥルル号は日本を離れたが、台風に遭
    い和歌山県の串本沖で沈没してしまった。
    
     悲劇ではあったが、この事故は日本との民間レべルの友好関
    係の始まりでもあった。この時、乗組員中600人近くが死亡
    した。しかし、約70人は地元民に救助された。手厚い看護を
    受け、その後、日本の船で無事トルコに帰国している。当時日
    本国内では犠牲者と遺族への義援金も集められ、遭難現場付近
    の岬と地中海に面するトルコ南岸の双方に慰霊碑が建てられた。
    エルトゥルル号遭難はトルコの歴史教科書にも掲載され、私も
    幼いころに学校で学んだ。子供でさえ知らない者はいないほど
    歴史上重要な出来事だ。
      
   ここに挙げられたエルトゥールル号遭難に際して、台風直撃を
  受けながらも約70人のトルコ人を救助した地元民とは、和歌山
  県沖に浮かぶ大島の村民である。

■4.島民挙げての救援活動■

   当時、通信機関も救助機関もない離島のこととて、救助は至難
  を極めたという。怒涛に揉まれ、岩礁にさいなまれ、瀕死のトル
  コ人達に対して、大島村民は村長沖周の指揮のもと、人肌で温め
  精魂の限りを尽くして救助に当たった。

   さらには非常事態に備えて貯えていた甘藷や鶏などの食糧の一
  切を提供して精をつけ、彼らの生命の回復に努めたのである。

   この事件の詳細な消息は、陣頭指揮をとった沖村長がみずから
  まとめた「土耳其軍艦アルトグラー號難事取扱二係ル日記」に克
  明に記されている。知る人も知ろうとする人も少ないだけである。

   ちなみに、エルトゥールル号遭難4年前の明治19(1886)年に
  は、同じく紀州沖でイギリス貨物船ノルマントン号事件が起こっ
  ている。こちらの方は現在も小中高の歴史教科書に掲載されてい
  て、多くの子供たちも周知の史実である。

   難破して沈没する船を放置して船長のドレイク以下外国人船員
  は全員がボートで脱出、乗り合わせていた日本人乗客25名は見
  捨てられ、全員船中に取り残されて溺死するという無残な結末と
  なった。
  
   にもかかわらず、領事裁判権を持つイギリス領事は船長に無罪
  判決を下した。のち日本政府は船長を殺人罪で告訴したが、3ヵ
  月の禁鍋程度で賠償は一切却下。まさに不平等条約の非情さを天
  下に知らしめた事件である。

   それからまもなくエルトゥールル号の遭難事件は起こった。大
  島の村民もノルマントン号事件に見られた残酷な仕打ちは知って
  いたであろう。それでも前述のように異国の人々の救助に献身し
  たのである。
  
■5.明治日本人のオープンマインド■
  
   いったいこの精神の高さはどこから来るのか。この点に関して、
  トルコ大使に就任した遠山敦子氏と東京大学教授の山内昌之氏は、
  こう述べている。 (中央公論社「世界の歴史」第二十巻月報)
      
    山内: 明治時代の初等教育の普及率は大変な高さですね。小
    学校の就学率は、明治30年代で90パーセントを突破します。
    1891(明治24)年には非識字者は26.6パーセントでした
    が、明治の最後の年になると字が読めない人の率は2.9パー
    セントに低下しています。 (中略)これが明治日本の成功の
    大きな理由だと思います。そして、そこにエルトゥールル号救
    助の際の献身的な行為が生み出されてくる。
  
    遠山: そのとき、救助にあたった村民たちがエルトゥールル
    号の乗組員を人肌で温めて蘇生させたとか、村中の二ワトリを
    かき集めてご馳走したとか、エルトゥールル号事件には、私は
    大変感動しておりまして・・・。言葉は通じないけれど、1890
    年にすでに日本の国民は、地方でもオープンマインドをもって
    いて、いざというときには人類愛というか人間愛を発揮できた
    んですね。
    
    山内: そこに困っている人たちがいる、遭難している人たち
    がいたら助ける、そこに理屈は何もない。この無償の行為に強
    く心がうたれますね。やはり初等教育の普及といったことが背
    景にあって、知らず知らずに人間愛が生まれてくる。これがや
    はり文明というものだと思います。
      
   この対談で山内氏は初等教育の普及が育んだ人間愛について言
  及しているが、たしかに沖村長とともに救援活動に最も功労があ
  ったと言われる樫野区長の斉藤半右ヱ門は、当時樫野小学校創立
  期の学務委員として初等教育確立に尽カした人物である。救援活
  動の過労と心労のためか翌年死去したが、誠実な人であったとい
  う。
  
   ただし、筆者は近代教育が与えた影響は否定しないが、むしろ
  側隠の情は近代以前から地下水のごとく育まれていたと見るべき
  ではないかと想像する。そうした精神的基盤があったればこそ、
  わが国の近代初等教育に生命が宿ったと見る者である。
  
■6.「当然のことをしたまでです」■
  
   いずれにせよ、一世紀を経た昭和60年に身の危険をも顧みず
  トルコがテへランに孤立した日本人を救出したのは、エルトゥー
  ルル号事件に対する恩義を背景として培われた親日の行為だった
  と見てはじめて得心がゆく。
  
   じつは、このエルトゥールル号事件のことを授業の教材にすべ
  く、昨年七月にトルコ大使館から貴重な資料を送っていただいた。
  
   その際、邦人救出に対して感謝の旨を伝えると、大使は通訳を
  通じて「いやぁ大したことではありません。当然のことをしたま
  でですよ」とこともなげに謙遜されたが、忘れ難い言葉である。
  
   かくてこれらの資料のほか和歌山県の串本町や、この事件の顛
  末を調査研究された和歌山県立串本高校の森修先生(故人)の遺
  族の方などから送っていただいた資料をもとに、昨秋「日本・ト
  ルコ関係史−エルトゥールル号事件の顛末−」と題する主題学習
  にこぎつけることができた。
  
   今どきの高校生であっても、こうした史実に学ぶと、例えば
  「明治の人々は、見ず知らずの外国人に広く優しい心で接してい
  る。トルコの人も今も変わらず日本人を思っていてくれてジーン
  とした」と率直な感動を示すものである。
  
   一方、経済援助に対する見返り行為だと憶断する朝日新聞の記
  事に対して、「自分が日本人であることが恥ずかしくなった。感
  謝することが大事だと思う。経済的にではなく、気持ちで恩返し
  したい」と胸のうちを吐露する生徒もゐて頼もしい。
  
               ★★★
  
   歴史教育とは、闇に隠されてしまった史実をも虚心に掘り当て、
  今の世に鎮魂と顕彰の記念碑を打ち立ててゆく地道な作業である。
  目下、春を迎へて如何なる史実をどのように取り上げるか、思案
  と勉強の最中である。
  
■ 関連記事 ■
  JOG(7) 国際派日本人に問われるIdentity
     昭和四十四年に、山口康助氏(現・帝京大学教授)がトルコの
    古都ブルサに泊った時、ある古老が片言の日本語を混えて、
    「ジャポン! ニチロ、アラガート(日本の人たちよ! 日露戦
    争に勝ってくれて有難う)」と、呼びかけてきました。続いて
    古老は、日本が日露戦争に勝った時、トルコ人は狂喜して、息
    子や孫に「トーゴー」「ノギ」の名前をつけ、イスタンブール
    の街には、「東郷通り」「乃木通り」ができた事など、語った
    そうであります。

_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/★★読者の声★★_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
                                    みなみさん(新潟市)より

   先日の「エルトーゥルル」号のおはなしですが、じつは、トル
  コと日本の友好をしめすものとして両国から切手が発行されてお
  りますのでご参考までにご紹介いたします。                                    

                                    来島規子さんより

   インターネットで、トルコへの救援物資の送付のことを知り、
  うちの会社でも送ろうということになっていたのですが、主人が
  「トルコと日本にはこんな歴史的繋がりがあるから、今回の地震
  の被害を支援するのも意義深いものがある」と言って、このエル
  トゥールル号事件のことを教えてくれました。
  
   歴史とは面白く、また朝日の記事でもわかるように、過去の歴
  史を知らないと視野の狭い発言になってしまうことがあるんです
  ね。
  
   そして、たまたま主人と話していて分かって驚いたんですが、
  この記事を書かれた占部先生に、私は高校時代2年間世界史を教
  えて頂いたのです。先生の授業は、出来事だけでなくいろんなエ
  ピソードも聞けて、特に日露戦争あたり、広瀬中佐や東郷平八郎
  の話をされたことや、歌を歌って下さったこと(広瀬中佐や義和
  団事件etc)など印象深く覚えています。暗記するための歴史で
  なく、記憶に残る歴史の授業をこれからもぜひなさって下さい。

★編集部より
   ありがとうございました。占部先生には、お伝えしておきます。
  こういう生きた歴史の授業があると日本の青少年ももっと元気が
  でるのでしょうね。

   また、トルコ救援の募金活動を行う子供たちに読ませたいと、
 ボーイスカウトの指導者の方からうれしいお便りをいただきました。


                 (財)中近東文化センター 松野哲一郎さんより
     Google で検索したところ102号で117年前のトルコの軍艦エ
    ルトゥールル号の遭難について占部賢志様の記事を掲載されて
    いる事を今日知りました

     実は、弊附属博物館(東京都三鷹市)では和歌山県串本町、
    日本トルコ協会と共催で日本とトルコ 友好のかけ橋 エルトゥ
    ールル号回顧展 を開催してい ます(来年2月17日まで)。
    10月28日にはイラン・イラク戦争時のトルコ航空による日本人
    救出劇のシンポジウムを行いました。

     当時の機長と客室乗務員、駐イラン野村大使、東京銀行イラ
    ン駐在員・毛利氏、トルコのオザイル首相にトルコ航空機によ
    る救援を直談判した伊藤忠・森永氏をお招きして、生々しいお
    話をしていただきました。

     私の印象に残ったことは、当時の客室乗務員の方(当時最も
    若かった方)が「日本人に対してどういう印象でしたか」とい
    う質問に対して(質問者=司会者=弊財団研究所長はトルコで
    の小学校の教育効果を期待?)「日本人が乗った後はまるで全
    く使わなかったようにきれいです。このような国民は日本人だ
    けです。私もフライトで日本に来るのが一番楽しみです。清潔
    で親切で・・・(以下忘れました)」

     この企画展のねらいは、「なぜトルコ人は日本が好きなのか」
    ということを日本人に分かってほしい、ということです。トル
    コへの旅行者は近年きわめて多いらしいです(旅行会社の方の
    ご意見)。そしてトルコにいらっしゃった方は「トルコは親切
    だ」という印象を持って帰られるようです。

     でも「なぜ?」と考えられる方はおそらくいらっしゃらない
    でしょう「トルコ人はもともと親切な国民だ=(日本人もそう
    だから納得できる)」でも、そもそものきっかけを知っていた
    だきたくて今回の企画を立てました。

     当方は中近東の考古学を研究する研究所で、現在はトルコの
    ど真ん中の カマンで23年間発掘調査をしています(民間研究
    所で石油会社の出光の支援を受けています)。ここでは地元の
    子供たちにこの遺跡について毎週一回解説をしています。発掘
    の作業も地元の方々に協力していただいています。そのおかげ
    でこの発掘現場では「盗掘」がありません。地元の方々が「自
    分の遺跡」と思っているので盗掘しようと思わないのでしょう。
    ここにも日本人の心意気を示していると自負しています。

    エルトゥールル号回顧展

    財団法人中近東文化センター附属博物館

■「エルトゥールル号事件のこと」に寄せられたお便り

                                               ミキさんより
     年末年始にかけて、8日間の旅をしました。トルコで現地ガ
    イドさんから、トルコ人は大変親日的だと聞きました。その理
    由は、昔、トルコの海軍の船が、和歌山の串本沖で遭難したが、
    救助された。また亡くなった方は、丁寧に葬むられた。助けた
    られたトルコ人は数人ではあったが、無事に母国に送られたそ
    うです。

     この逸話を、トルコでは、小学校で教えているそうです。だ
    から、トルコの子供たちも、大人も親日的だそうです。そう言
    えば、串本では今も慰霊祭が行われ、また記念館がありました。

     トルコに旅行する日本人は多いので、イスタンブールでは、
    日の丸の旗が、ホテルやレストランでもかかっていました。

     トルコ全土では、国旗があらゆるところで、はためいていま
    した。

     その赤色地の旗は、戦争で祖国の為に亡くなった、兵士の血
    の色だそうです。歴史の中で、戦争で自立を脅かされた苦難が
    あるが故に、しっかりとこの国旗を常に掲げる習慣があるので
    す。今最も、きな臭い隣国がある所為ですが・・国旗掲揚を学
    校で問題にする日教組は、トルコに、1度旅してきたらどうで
    しょう。平和ボケなんでしょう。

     それにしても、外国で見る日の丸は、なんと美しく、心強い
    ものでしょう。先年、トルコで地震があった時も、日本人のボ
    ランティアが、一番多く来てくれたそうで、大変恩義に感じて
    いるそうです。
    
     だから、トルコ政府は日本への恩返しの為に、イラン・イラ
    ク戦争の時、日本人のイランやイラクの紛争地からの脱出の飛
    行機を出した。トルコのイスタンブールから、緊急に飛行機を
    飛ばして日本人を救助してくれたそうです。日本からは飛行機
    でも、12時間もの遠い距離なので間に合わなかったからです。

     またトルコの人は絨毯も革製品も、トルコ石の店でも、大変
    日本語が上手です。現地のガイドさんも大学の、観光学科で学
    んだそうですが、大変勉強されています。日本のことも、詳し
    くて、大変驚きました。このトルコで一番大きな旅行社では、
    70人もの日本語のできるガイドさんが、居るそうです。

     商売でも、まるで吉本の漫才ののりで交渉しました。立ち寄っ
    た、トルコ絨毯の店では日本語で「チャーリーとチョコレート
    工場」のチャーリーにそっくりな人が、畳み掛けるが如く、面
    白おかしく口上を述べて、後は値段の交渉でした。本当に日本
    語を上手に操り、かなり勉強していました。親日的で商売上手
    な国なんだと思いました。外国で、改めて日本を振り返ったも
    のでした。
    
■ 編集長・伊勢雅臣より

     世界各地に日本との絆を大事にしてくれている人々がいるの
    ですね。

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