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http://blog.jog-net.jp/201309/article_6.html

[トップページ] [平成11年下期一覧][Media Watch][070.15 「従軍慰安婦」問題][221 韓国][319 国際謀略]


         _/    _/_/      _/_/_/  Media Watch: 「従軍慰安婦」問題(上)
        _/  _/    _/  _/          〜日韓友好に打ち込まれた楔〜
       _/  _/    _/  _/  _/_/               13,135部 H11.09.25
 _/   _/   _/   _/  _/    _/  Japan On the Globe(106) 国際派日本人養成講座
  _/_/      _/_/    _/_/_/   _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/

■1.米軍がレポートする慰安婦の実態■

   米軍情報部は、北ビルマのミチナ慰安所で収容された慰安婦か
  らの聞き取りをもとに、以下のような報告書を残している。
  
     女性たちはブローカー(および経営主)が、300〜1000円の
    前借金を親に払って、その債務を慰安所での収入で返還してい
    る。経営者との収入配分比率は40〜60%、女性たちの稼ぎは月
    に1000〜2000円、兵士の月給は15日〜25円。[1,p270]

     慰安婦たちは、通常、個室のある二階建ての大規模家屋に宿
    泊して、・・・・寝起きし、業を営んだ・・・・彼女たちの暮らしぶり
    は、ほかの場所と比べれば贅沢ともいえるほどであった。
    
     慰安婦は接客を断る権利を認められていた・・・・負債の弁済を
    終えた何人かの慰安婦は朝鮮に帰ることを許された[1,p275]

   また、ビルマのラングーンで慰安婦をしていた文玉珠さんの手
  記では、その生活ぶりを次のように語っており、米軍のレポート
  を裏付けている。

     支那マーケットにいって買物した。ワ二皮のハンドバッグと
    靴をわたしのために買った。母のためにもなにか買った。
    
     将校さんたちに連れられてジープに乗って、ぺグーの涅槃像
    をみに行った・・・・ヤマダイチロウ(日本兵の恋人)と大邱の母
    の無事を祈って帰ってきた。[1,p276]
  
   ちなみに文玉珠さんは、平成4年に日本の郵便局を訪れ、2万
  6145円の貯金返還の訴訟を起こして敗れている。千円もあれば故
  郷の大邱に小さな家が一軒買えると体験記で述べているが、現在
  の貨幣価値なら、4〜5千万円程度の金額を、3年足らずで貯め
  たことになる。[2,p301]
  
   「従軍慰安婦」というと、海外では"military sexual slavery
  (軍用性奴隷)"などと呼ばれるように、日本軍によって郷里から
  強制連行され、戦地では何の自由もなく、もちろん無給で、ひた
  すら兵士にもてあそばれた、というイメージが定着している。し
  かし、この米軍の報告書では、まったく違う実態が報告されてい
  る。一体、どちらが真実に近いのか?

■2.慰安婦問題の経緯■

 まず慰安婦問題の経緯を時系列的に見渡しておこう。

  1) 昭和58(1983)年、吉田清治が、著書「私の戦争犯罪・朝鮮
    人連行強制記録」の中で、昭和18年に軍の命令で「挺身隊」と
    して、韓国斉州島で女性を「強制連行」して慰安婦にしたとい
    う「体験」を発表。朝日新聞は、これを平成3('91)年から翌
    年にかけ、4回にわたり、報道。

  2) 同3年8月11日、朝日新聞は、「女子挺身隊」の名で戦場
    に連行され、売春行為を強いられた「朝鮮人従軍慰安婦」の一
    人が名乗り出た、と報道。

  3) 同4年1月11日、朝日新聞は、一面トップで「慰安所、軍
     関与示す資料」、「部隊に設置指示 募集含め統制・監督」
     と報道。この直後の16日から訪韓した宮沢首相は首脳会談
     で8回も謝罪を繰り返し、「真相究明」を約束。

  4) 同5年8月4日、河野官房長官談話、政府調査の結果、「甘
     言、弾圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例
     が数多くあり、更に、官憲等が直接に荷担したこともあっ
     た」と発表。

   この河野談話によって日本政府は、慰安婦が軍によって強制徴
  集されたことを公式に認めてしまったことになる。これを契機と
  して、中学高校のほとんどの歴史教科書に、「従軍慰安婦」が記
  述されることになっていった。

   今日では、各方面の調査が進み、以上の報道、発表がどれだけ
  の事実に基づいていたのかが明らかになってきた。以下、この4
  点を検証する。

■3.吉田清治の慰安婦狩り■

   まず1)、吉田清治の「私の戦争犯罪・朝鮮人連行強制記録」
  では、韓国斉州島での、慰安婦強制連行を次のように、描写して
  いる。

     若くて大柄な娘に、山田が「前へ出ろ」とどなった。娘がお
    びえてそばの年取った女にしがみつくと、山田は・・・・台をまわ
    って行って娘の腕をつかんで引きずりだした・・・・女工たちはい
    っせいに叫び声を上げ、泣き声を上げていた。隊員たちは若い
    娘を引きずり出すのにてこずって、木剣を使い、背中や尻を打
    ちすえていた。・・・・女工の中から慰安婦に徴用した娘は十六人
    であった。

   当時は、戦地での強姦事件を防ぐために、公娼業者に戦地で開
  業させていた。戦地であるから、業者の指名、戦地への移動、営
  業状態の監督などは、軍の関与が当然あった。これらは当時、合
  法であった公娼制度の戦地への延長で、特に問題はない。
  
   「従軍慰安婦」問題とは、本人の意思に反した「強制連行を、
  軍が組織的に行ったか、どうか」の問題なのである。したがって、
  吉田の言うような強制連行が事実であったら、これは日本の国家
  的犯罪となる。
  
■4.日本人の悪徳ぶりを示す軽薄な商魂の産物■

   吉田の記述は済州島の城山浦にある貝ボタン工場という設定だ
  が、この記事に疑問をもった済州新聞の許栄善記者が現地で調査
  し、以下のような記事を書いている。
  
     島民たちは「でたらめだ」と一蹴し、この著述の信想性に対
    して強く疑問を投げかけている。城山浦の住民のチョン・オク
    タン(八五歳の女性)は「250余の家しかないこの村で、15
    人も徴用したとすれば大事件であるが、当時はそんな事実はな
    かった」と語った。
    
     郷土史家の金奉玉は「1983年に日本語版が出てから、何年か
    の間追跡調査した結果、事実でないことを発見した。この本は
    日本人の悪徳ぶりを示す軽薄な商魂の産物と思われる」と憤慨
    している。
    
   現地調査を行った秦郁彦日大教授は、許栄善女史から、「何が
  目的でこんな作り話を書くのでしょうか」と聞かれ、答えに窮し
  たという。[1,p232]

   この吉田清治を、朝日新聞は、宮沢首相の訪韓前後1年の間に、
  4回も紙面に登場させたのだが、秦教授の調査の後は、ぷっつり
  と起用をやめた。今日では、慰安婦問題の中心的糾弾者である吉
  見義明中央大教授すら、吉田清治の著作は採用しなくなっている。

■5.名乗り出た慰安婦■

   次に2)の自ら名乗り出た慰安婦について。平成3年8月11
  日付け朝日新聞は、社会面トップで「思い出すと今も涙」「元朝
  鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く」とのタイトルで、「日
  中戦争や第二次大戦の際、女子挺身隊の戦場に連行され、日本軍
  人相手に売春行為を強いられた朝鮮人従軍慰安婦のうち、一人
  が」名乗り出たと報じた。

   しかし、この女性、金学順さんは、「女子挺身隊」として連行
  などされていない事を、8月14日の記者会見で自ら語っている。
  ある韓国紙はそれを次のように報じた。[2,p291]
  
     生活が苦しくなった母親によって14歳の時に平壌のあるキ
    ーセン検番(日本でいう置屋)に売られていった。三年間の検
    番生活を終えた金さんが初めての就職だと思って、検番の義父
    に連れていかれた所が、華北の日本軍300名余りがいる部隊
    の前だった」「ハンギョレ新聞」'91年8月15日付

   当時、内地でもよくあった気の毒な「身売り」の話なのである。
  国家による組織的な強制連行とは関係ない。

   そもそも「女子挺身隊」とは、昭和18年9月に閣議決定され
  たもので、金学順さんが17歳であった昭和14年には存在して
  いない制度である。さらに「女子挺身隊」とは、販売店員、改札
  係、車掌、理髪師など、17職種の男子就業を禁止し、25歳未
  満の女子を動員したものであり、慰安婦とは何の関係もない。

   さらに「従軍慰安婦」という言葉自体が、当時は存在しなかっ
  た。従軍看護婦は、軍属(軍隊の一部)であり、従軍記者、従軍
  僧は、法令により定められた身分で指定された部隊につく。慰安
  婦は公娼業者が雇ったもので、それはたとえば、県庁の食堂に給
  食業者を入れていた場合、その業者の被雇用者は、県の職員では
  なく、身分も契約も県とは関係ないのと同じ事だ。「従軍慰安
  婦」とは、従軍看護婦などとの連想で、あたかも部隊の一部であ
  ると読者に思い込ませるための造語である。

   金学順さんは、その後、日本国を相手とした訴訟の原告の一人
  となるが、それを支援しているのが太平洋戦争犠牲者遺族会であ
  り、この記事を書いた朝日の槙村記者は、会の常任理事の娘と結
  婚している。当然、韓国語も達者であり、金学順さんの話した内
  容はよく知っていたはずである。
  
   金学順さんが「売られた」という事実を隠し、「女子挺身隊と
  して連行された」というこの記事は槙村記者による、意図的な捏
  造記事である。その後の訂正記事も出していない。
  
■6.強制連行された慰安婦はいたか?■

   韓国で慰安婦問題の取組みの中心となっている「挺身隊問題対
  策協議会」は、元慰安婦として登録された55名のうち、連絡可
  能な40余名に聞き取りをした。論理的に話が合うか、など、検
  証をしつつ、その中から信頼度の高い19人を選んで、証言集を
  出版した。
  
   今まで何らかの機会に、強制連行されたと主張しているのは、
  9人だが、信憑性があるとしてこの証言集に含められたのは、4
  人のみ。さらにそのうちの二人は富山、釜山と戦地ではない所で
  慰安婦にされたと主張していて、「従軍慰安婦」ではあり得ない。
  残る二人が、金学順さんと、冒頭の4〜5千万円相当の貯金をし
  たという文玉珠さんなのだが、この証言集では、強制連行された
  とは述べていない。
  
   結局、韓国側調査で信憑性があるとされた証言のうち、従軍慰
  安婦として強制連行されたと認められたものは、ひとつもない、
  というのが実態である。[2,p275]

■7.軍の関与とは■

   次に宮沢首相の訪韓直前に発表され、公式謝罪に追い込んだ
  3)の「慰安所、軍関与示す資料」の朝日新聞記事はどうか。
  
   発見された文書とは昭和13年に陸軍省により、「軍慰安所従業
  婦等募集に関する件」であり、その中では、
  
     民間業者が慰安婦を募集する際、@軍部諒解の名儀を悪用、
    A従軍記者、慰問者らを介した不統制な募集、B誘拐に類する
    方法を使って警察に取調べられるなどの問題が多発しているの
    で、業者の選定をしっかりし、地方憲兵警察と連繋を密にせよ
    [2,p267]
  
  と命じている。すなわち「関与」とは、民間の悪徳業者による
  「強制連行」を、軍が警察と協カしてやめさせようとした事なの
  である。
  
   この内容を「慰安所、軍関与示す資料」、「部隊に設置指示 
  募集含め統制・監督」とタイトルをつけて、一面トップで報道し、
  さらに次のような解説を載せた。
  
    従軍慰安婦。1930年代、中国で日本軍兵士による強姦事件が多
    発したため、反日感情を抑えるのと性病を防ぐために慰安所を
    設けた。元軍人や軍医などの証言によると、開設当初から約八
    割は朝鮮人女性だったといわれる。太平洋戦争に入ると、主と
    して朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した。その人数は八万
    とも二十万ともいわれる。
  
   これらをあわせ読めば、ほとんどの読者は、「日本軍が組織的
  に強制連行に関与した」と思い込むであろう。まことに巧妙なひ
  っかけ記事である。

   この記事が、狙い済ましたように、宮沢首相訪韓のわずか5日
  前に発表されたことから、絶大な効果を発揮した。ソウル市内で
  は抗議・糾弾のデモ、集会が相次ぎ、日の丸が焼かれる中で、宮
  沢首相は事実を確認する余裕もなく、8回も盧泰愚大統領に謝罪
  を繰り返した。(続く)

■ 参考 ■
1. 「慰安婦の戦場の性」、秦郁彦、新潮選書、H11.6
2. 「闇に挑む!」、西岡力、徳間文庫、H10.9
3. 「慰安婦強制連行はなかった」、太子堂経慰、展転社、H11.2
4. 「歴史教科書への疑問」、日本の前途と歴史教育を考える
  若手議員の会編、展転社、H9.12.23
5. 「日本人が捏造したインドネシア慰安婦」、中嶋慎三郎、
  祖国と青年、H8.12
6. 産経新聞、H11.08.27 東京朝刊 4頁 国際2面
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/★★読者の声★★_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
                      DAI HIROSEさんより

 昨年、東南アジアを旅行し、バングラデシュのセント・マーテ
  ィン島という小さな島(ビルマの横に位置します)に宿泊したとき
  のことでした。本当に人懐っこい住人らに囲まれて食事をご馳走
  してもらい、その後村を紹介してもらい、村長と会話する機会が
  会った。かなり年をめいた人であった。英語で会話だったので 
  正確な会話を表現できないが彼等はこのように日本を語った。

   「日本は良い国だ。我々は日本が好きだ。戦争中にイギリスか
  ら我々を解放してくれた。イギリス人は我々を動物のように扱い、
  こき使ったが、日本人は優しかった。暴力などなにもしなかった。
  島民は日本の軍人と協力して、平和に過ごしていたんだ」


   私は本当に驚いた。彼等が戦争時の日本を肯定してたからだ。
   ある場所で心無いものがひどいこともしたのは事実であろうが、
  このように50年以上過ぎた今でも好意を持ってくれるほど、う
  まく共存していたのはも事実であろう。彼等島民を日本に連れて
  いって生きた証人として発言してもらい、戦時中の日本を絶対悪
  のように扱うマスコミの糾弾したいものだ。彼等が発言できる間
  に日本の誤った歴史認識を変え、日本、アジア、そして地球全体
  を誇れる国民になれるだろうか。

   アジアを旅行し、本当によかったと思う。

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