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     _/    _/_/      _/_/_/    The Globe Now: 蘇るアフリカの大地(下)
        _/  _/    _/  _/                   〜緑の革命〜
       _/  _/    _/  _/  _/_/                           21,697部 H12.02.20
 _/   _/   _/   _/  _/    _/  Japan On the Globe(126)  国際派日本人養成講座
  _/_/      _/_/    _/_/_/   _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/

■1.奇跡が起こった■

     ガーナで開始されることになった緑の革命の地域ディレクタ
    ーとして、ボーログ博士の弟子で韓国出身の洪鐘雲博士が、赴
    任中のインドから呼び寄せられた。洪博士はガーナの首都アク
    ラに単身赴任し、そこから車で13,4時間かけて各地の実験
    農場を何十度も訪れることになった。

     実験農場のひとつブサ村は絶望的なところだった。赤い土壌
    は風化し侵食され、35度を超す灼熱の中で実をつける力もない
    ソルガム(モロコシ)が、次々に立ち枯れていく。農民達も絶
    望にうちひしがれていた。

     博士は一軒一軒の農家を戸別訪問して、実験用の土地の提供
    を求めた。しかし外国人の説得にはじめから理解を示す農民な
    ど一人もいない。洪博士は粘り強く他の国々での成功事例を語
    り、一緒にやりましょうと説得した。

     先進国の指導や政府機関による命令ではなく、あくまで対等
    の立場で、ともに汗を流す仲間としての説得だった。やがてそ
    の努力が実って合計40軒の生産実験農場が開設された。

     そしてわずか5カ月後に奇跡が起こった。これまでのメイズ
    (トウモロコシ)の平均収穫量は1ヘクタール当たり1.2トン
    だったのがなんと2倍以上の2. 5トンになった。ソルガムは、
    0.5トンが2.5トンにもなった。

■2.「緑の革命」の新農法■

    「緑の革命」の新農法とは、実は拍子抜けるほど簡単なやり方
    であった。まず土地を整地する。次の種まきは、それまでただ
    ばらまいていたのを、縄を使って引いた筋に沿って行う。木の
    棒で5センチずつ離して2つずつ、深さ8センチほどの穴を開け
    る。片方の穴に、新しく開発されたハイブリッド種子を二つづ
    つ、もう片方にスプーン1杯程度の化学肥料を注ぎ込む。種子
    と肥料の費用は1ヘクタール当たり年間わずか68ドルである。

     高度の耕作機械など使わずに、現地で入手しうる道具と材料
    だけで実行できる点が緑の革命のポイントであった。しかし、
    それらの裏には、高度の科学的な裏付けがある。

     筋に沿ってきちんと種まきをしておくと、草取りがどんなに
    楽になるか、農民達は初めて知った。これだけで収穫に差が出
    ることも理解した。
    
     化学肥料も、ごく微量だが、弱り切った土壌の生命力を回復
    させた。薬など飲んだことのない人に、一錠の薬が想像以上の
    効果を発揮するようなものであった。
    
     新農法を導入した耕地と、それに隣接した従来の耕地を比べ
    てみれば、その差はだれの目にも一目瞭然だった。旧来の耕地
    では、ひょろひょろと丈ばかり高く、茎は細くて葉もろくにつ
    いていない。新農法の耕地では、茎はどっしりと太く、葉も生
    い茂って見るからに重厚感がある。実のつき方もはるかに多い。

     口コミで新農法の評判はみるみる広がっていった。毎日のよ
    うに近隣の村々から続々と見学者がやってくる。「早くやれば
    よかった。来年はきっとやるぞ」。そんな声があちこちで聞か
    れた。

■3.われわれはサンタクロースではない■

     実験農場が開かれてから1年たったころ、そのひとつオジョ
    ビ村で、今後の計画を練るためのミーティングが村の集会所で
    開かれた。洪博士や大勢の農民を前にスプラン村長はこうスピ
    ーチした。

         生産実験農場もどんどん増えていくことだろう。そうな
        ると、これからはトラクターや肥料、種子を買う資金もも
        っと必要となる。プロジェクトとしても、この点を配慮し、
        物資、資金の援助も考えてもらいたい。

     スピーチが終わった途端、洪博士が立ち上がって言った。

         われわれはサンタクロースではない。皆さんに物を与え
        るためにやってきたのではない。機械や設備を与えるだけ
        の援助が、結果的に失敗した実例をこれまでわれわれはた
        くさん見てきている。われわれがしようとしているのは、
        そんなことではない。
    
         皆さんと一緒に働き、一緒に汗を流すこと。そしてやが
        て皆さんの力でこの国を自立させる。その手助けをするこ
        とが、最大の援助・協力なのです。

     だれからともなく拍手が起こり、たちまち全員に広がった。
    洪博士の言葉は、笹川良一の「魚を与えるよりも魚を釣る方法
    を教える」という精神と見事に合致していた。

     実験農場では、農民に必要な種子や肥料を提供するが、その
    費用は収穫後に穀物から現金で返済させる。無料で与えるので
    はなく、返済の責任を課すことで、自助の自覚を持たせること
    が大切だった。この方針は農民の自覚を促し、増収に勇気づけ
    られた事もあって、100%近い返済率となった。

■4.青年達の希望■

     たまたま軍事演習のためにある実験農場の近くを通りかかっ
    たローリングス議長は、その素晴らしい生育ぶりに驚いて、国
    家プロジェクトとして推進するよう鶴の一声を下した。SG20
    00プロジェクトはガーナの国家事業として、国の全面的支援に
    より推進されることになった。

     参加を希望する農家も加速度的に増え、実験開始4年後の90
    年にはついに全国で10万戸に達する勢いとなった。これでは
    とても洪博士らだけでは指導員が足りない。ガーナの農業省は
    指導員養成を開始し、希望者を公募すると、多くの農村青年が
    窓口に殺到した。採用されたある青年は語る。

         これまで村の若者にはまったく希望はなかった。農業は
        天候に左右されて収穫は少なく、前途に何の見込みもない。
        結局、仕事口を求めて、都会に出ることになるが、教育も
        受けていないので、ほとんどが失業してしまう。
        
         しかしこれでやっと望みが出てきた。村にいて農業をし
        ても食べていける。これからのガーナは食糧輸出国になる
        だろう。そのために役立てるなら、これ以上うれしいこと
        ない。

     指導員は全国で600人に膨れ上がった。機動力を持たせるた
    め、彼らにオートバイや自転車を使用させることになった。も
    ちろん自立自助の原則のために、政府支給ではなく、彼らに融
    資して買わせたのである。
  
     青年普及員たちにとってピカピカの自転車やバイクはまさに
    「ステータスシンボル」になった。銀輪をきらめかせながらあ
    ちこちの農場を巡回し、新農法の指導に従事した。

■5.たゆみない工夫■

     SG2000プロジェクトは、農民とともに汗をかくという方針
    の下で、現地のニーズに合致したきめこまかな技術革新を成し
    遂げていった。

     プロジェクトの技術者たちは、従来のメイズがガーナ人の主
    食でありながら、人間の必要な2種類のアミノ酸が不足してい
    るので、この点を改良した新品種「オバタンバ(良い母)」を
    開発した。これが全国に普及し、ガーナ人の栄養状態改善に大
    きく貢献することになった。
    
     さらに集荷後の貯蔵も工夫された。これまでカビ、病虫害、
    ネズミなどによる収穫後の損失は、総生産量の30%以上にも達
    していた。そのため農民は作物の収穫直後、市場価格のもっと
    も低い時に、売却することを余儀なくされていた。
    
     これまで先進国の援助で作られた穀物貯蔵庫は、コンクリー
    トやジュラルミンなど金属を多用したものが多く、高温多湿の
    現地には適合しない。SG2000では、木材で高床式の簡単な貯
    蔵庫を開発した。これはネズミの侵入を防ぎつつ、穀物を急速
    に乾燥させ、腐敗を防ぐことに効果的だった。これにより農民
    達は市場価格を見ながら、有利な時に作物を売れるようになった。
    これは当然、市場価格の安定をもたらし、消費者にとっても有
    益である。
    
     その後、現地指導員たちの工夫で、メイズとハト豆を交互に
    植える交互栽培も開発された。一回の同じ化学肥料で同時に二
    つの作物を栽培し、さらに先に収穫したメイズの草と茎を立ち
    枯れさせて、その後に取り入れられるハト豆のための有機肥料
    にするのである。
    
     このように農民たちは自立自助の精神に基づいて、自分たち
    の工夫で、農法を改善していくことも覚えていった。

     ガーナで始まった緑の革命は、その後、他の国々に大きく広
    がりを見せた。1996年時点で、ガーナをはじめ、タンザニア、
    ベニン、トーゴ、ナイジェリア、エチオピア、モザンビーク、
    ギニア、マリ、ブルキナファソ、ウガンダ、エリトリアの12
    カ国で実施されている。

     1984年に餓死者2百万人という大飢饉を起こしたエチオピア
    においても、93年からSG2000の緑の革命が開始され、わずか
    2年後の95年には、前号の冒頭に記したように、自給自足の体
    制ができた。

■6.かつてない幸福■

     1989年12月10日、洪博士が最初に実験農場を設置したプサ村
    で収穫感謝祭が行われた。早朝から3千人もの住民が村の広場
    を埋め尽くした。広場の中央正面には収穫されたソルガムを入
    れた袋が、10メートルの高さに三角形に積み上げられている。
    広場にはコの字型に数十の小屋が建てられ、それぞれにはメイ
    ズやイモ、野菜、果物などが山ほど積まれていた。

     正午に式典が開始され、オビンベ農相をはじめ、地元の州知
    事、村長などが次々と喜びのスピーチをした。そこへ普及員た
    ちによる500台の自転車とオートバイのパレードが到着した。
    どっと歓声がわき、たちまち踊りの輪が回り出した。

     一人のガーナの農業技術者が、取材していた山本記者に語っ
    た。
    
         食料がありあま余っている日本人には、豊作の喜びなど
        とても想像できないかもしれない。これでやっと助かる、
        誰もが生きていける、何とか幸せになれる、、、このわれ
        われの感謝の気持ちはとうてい分かってもらえまい。
        
         だが今、われわれはSG2000プロジェクトによって、か
        つてない幸福を味わっている。

     一つの小屋ではギョウザに似た地元料理をプロジェクトメン
    バーに勧めながら、中年の女性アマ・アシフェが語る。

         これまで農産物からの年収はざっと1万セディ(約2万
        円)で、生活は苦しく、食べることだけで精いっぱいだっ
        た。でも今年は2万5千セディになった。これで家の窓に
        ガラスを入れることができたし、夢だったラジオも買うこ
        とができた。このまま続けば、子供も上の学校に行かせる
        ことができる。いつかは新しい家もできるかもしれない。

     SG2000プロジェクトの視察団が、笹川陽平団長を先頭に会
    場を一巡した。広場を埋めた村民から、歓声と拍手が巻き起こ
    った。
    
        ミスター・ササガワ、メダーセ・アイ(どうもありがと
        う)
        ンボ! アイヤ・アズイ(やったぞ、やったぞ)
        
     手作りの人形や毛布などが、視察団に送られた。頭からヒョ
    ウの毛皮をかぶった呪術師が、踊りながら笹川団長に近づき、
    うやうやしく民族服と動物の毛皮を差し出した。家宝の毛皮だ
    という。

■7.日本よ、ありがとう■

     山本氏が日本からの新聞記者人であることを知ると、一人が
    言った。
    
         日本よ、ありがとう、というおれたちの気持ちを、ぜひ
        日本に伝えてくれ
    
     山本記者は思わず胸を熱くした。そしてこの時すでに故人と
    なっていたSG2000の創始者笹川良一の努力を、一人の日本人
    の功績として、記録にとどめておきたいと思った。氏は次のよ
    うに書かれている。
    
         卒寿(90歳)を過ぎた高齢にもめげず、アフリカ西南
        部の灼熱の荒野を東奔西走、作業着姿で関係者にぶつかり、
        農民と会話し、歯に衣着せぬ口調で一国のリーダーを平然
        と詰問する姿に、私は”日本が狭すぎる男”の典型を見る
        思いがした。・・・ 
    
         人間の真価が棺を覆って明確となるように、氏の死後、
        その遺産は大方の予想をはるかに下回って、凡百の資産家、
        実業家にさえおよばなかったという事実は、氏の金銭への
        活淡ぶりを如実に物語るものだろう。
        
         このような清廉さが、「緑の革命をアフリカ大陸に」と
        いうロマンに満ちた遠大なプロジェクトを遂行させた、と
        見るほかはあるまい。

■リンク■
a. JOG(121) 笹川良一(上)〜獄中の東条英機を叱咤した男〜

b. JOG(122) 笹川良一(下)〜獄中の東条英機を叱咤した男〜 

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
1. ★★★ 「よみがえれアフリカの大地 笹川グローバル2000
  の軌跡」、山本栄一、ダイヤモンド社、H9.4
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ おたより _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
■125,126号「蘇るアフリカの大地」について
                          岩下さん

     本当に感激しました。この体当たりの支援こそ、本来あるべ
    き支援の姿だとつくづく考えさせられました。是非、選挙のこ
    としか考えていない政治屋に、政治家とはこういうことを考え
    る人だと教えてやって下さい。
    
     豊かな日本に生まれた幸福をかみしめるとともに、少しでも
    我々の税金が有効に活用されん事を祈りたいと思います。

                           kawaiさん
  
     計4回に亘る笹川さんの半生を拝読しました。大方の日本人
    は、笹川さんを右翼、政商、利権屋の類いとしか見ていなかっ
    たと、あまりの落差に驚愕しているでしょう。私も、ある程度
    の理解はあったものの、改めて彼の残したものの大きさ、日本
    人としての大切さを再確認せねばと、落涙しつつ思い起こして
    おります。
    
■編集長・伊勢雅臣

     笹川良一氏ほど、一部マスコミから偏見をもって報道をされ
    た人は珍しいでしょう。それは氏の戦犯救出やアフリカ支援が、
    大きな実績をあげたことを認めれば、自らの平和・人権思想の
    空虚さが暴かれてしまうことを恐れたためだと思われます。

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