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-----Japan On the Globe(186)  国際派日本人養成講座----------
          _/_/   
          _/     The Globe Now: 貧者の一燈、核兵器
       _/_/                                〜中国軍拡小史
_/ _/_/_/        9回の対外戦争と数次の国内動乱を乗り越えて、
_/ _/_/        核大国を目指してきた中国の国家的執念。
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■1.ズボンをはかなくとも核武装を■

         中国はどんなことがあっても核兵器を作り出すだろう。
        そのためにはおそらく何年もかかるであろうし、大量生産
        を始めるにはもっとかかるかもしれない。しかし中国はた
        とえズボンをはかなくとも、完成された兵器を製造するで
        あろう。
        
     1963年に、外交部長だった陳毅が日本のジャーナリストと会
    見した際に述べた言葉である。「ズボンをはかなくとも」とい
    う表現は、日本語なら「よれよれの着た切り雀になっても」と
    いう所だろうか。
    
     それはともかく中国は1949年以来、朝鮮戦争をかわきりに台
    湾2回、インド、チベット、ソ連、ベトナム3回など9回もの
    戦争を行い、さらに大躍進、文化大革命、天安門事件など国内
    の大動乱を経つつも、この言葉通り、一途に核武装の道を歩ん
    できた。その核軍拡の歴史は現代中国を理解するための重要な
    鍵である。
    
■2.毛沢東の核武装決断■

     中国が核武装を決意したのは、建国後5,6年後の1955〜56
    年という非常に早い時期である。朝鮮戦争(1950〜53)、インド
    シナ戦争(〜54)、台湾海峡での国民党政府軍との戦争(54〜55)
    と、立て続けに戦争を行い、しばしば米国の核兵器に威嚇され
    た。朝鮮戦争ではマッカーサーが中国に対して原爆使用を提案
    し、トルーマン大統領に解任されている。毛沢東は米国のよう
    な大国に対して、対等な発言権を持つには核兵器が必要である
    ことを明確に認識していた。
    
     当時の人民解放軍はゲリラ戦中心の前近代的な装備だったが、
    これを全面的に近代化するには、当時の国家予算の何割もの金
    が必要であり、それでも米国には対抗できない。これに対して
    核兵器開発なら1割程度でできる。ここから通常兵力は前近代
    的なまま、核兵器に国防予算を集中する、という思い切った政
    策がとられるようになった。
    
     毛沢東は人口を全国に散在させ、人民公社で自給自足化する
    ことで、原爆によって人口の半分が死んでも、侵略してきた敵
    を各地域での人民戦争で消滅させうると考えた。そして鉄鋼や
    食糧生産などの「大躍進」政策がとられたのだが、これが失敗
    し、2、3千万人が餓死するという結果を招いた。[a]

     この頃、日本では朝鮮戦争による特需景気で経済復興が進み、
    日米安保条約のもとで、55年からは神武景気、60年には所得倍
    増計画がスタートした。

■3.ケンカ好きのシャモのよう■

     ソ連は当初中国の核開発を支援すると約束していたが、フル
    シチョフは「原爆によって中国の人口の半分は死んでも半分は
    生き残る」という毛沢東の発言に刺激され、58年の台湾・金門
    島砲撃では「ケンカ好きのシャモのように戦争に熱中してい
    る」と非難して、核兵器開発援助をうち切った。「世界戦争は
    人類の破滅」であり、中国のような「好戦的な」国家が核兵器
    を持つ事の危険性をフルシチョフは危惧したのだった。
    
     しかし、中国はソ連との同盟関係をほごにしても、さらに社
    会主義陣営を離脱しても、自前の核兵器開発を選択した。冒頭
    の「ズボンをなかなくとも」との発言はこの時のものである。
    
     64年10月16日、最初の核爆発実験を行った。過去に行わ
    れた米国、ソ連、英国、フランスによる第一回核実験はすべて
    プルトニウム239型であったが、中国は始めから難度の高いウ
    ラン235型で成功した。
    
     ウラン235型原爆は、水爆の引き金に適している事、そして
    原子力潜水艦に必要な小型軽量の原子炉には濃縮ウラン生産が
    必要なことから、当初から水爆開発と原潜建造を目指していた
    事が分かる。
    
     ちょうどこの時、日本は東京オリンピックの真っ最中であり、
    その直前には新幹線が開通していた。OECDに加盟して、先
    進国の仲間入りを果たした。

■4.「人質」戦略と「昭和元禄」■

     66年から始まった文化大革命は、67年には中国全土で内戦状
    態に至るまで燃えさかった[b]が、その間にも核兵器開発は着
    々と進められた。66年10月、準中距離弾道ミサイル(MRBM、
    射程千キロ)による核弾頭の爆発実験を行った。70年4月には
    人工衛星・東天紅を打ち上げ、中距離弾道ミサイル(IRBM、射
    程2〜3千キロ)が一応の水準に達している事を示した。
    
     北京から射程3千キロなら、日本列島がすっぽりと入ってし
    まう。まだアメリカを直接核攻撃する事はできないが、その同
    盟国日本、およびそこでの米軍基地を「人質」にとって、核攻
    撃の脅しをかけることはできる。米国に対する最小限の核抑止
    力ができあがった。
    
     この間、日本では69年に東名高速道路が完成し、70年には大
    阪万博が開催された。戦後最長のイザナギ景気が続き、日本は
    世界の経済大国の仲間入りをしつつあった。国民は「昭和元
    禄」を謳歌していた。

■5.ソ連との対抗■

     68年8月、ソ連軍のチェコスロバキア侵入に中国は衝撃を受
    けた。翌69年3月には中ソ国境のウスリー江にある珍宝島で両
    国の警備隊が武力衝突を起こし、その後、数カ所に飛び火した。
    
     ソ連は6月にモスクワで開かれた世界共産党会議で東欧諸国
    の指導者に対し、「中ソ国境紛争が拡大した場合、ソ連軍は中
    国の核施設を破壊するための行動をとらざるをえなくなるかも
    しれない」と述べたと伝えられ、強大な通常戦力・核戦力で中
    国に威圧をかけた。
    
     中国では国をあげての戦争準備が進められ、各地での食糧備
    蓄、防空塹壕堀り、地方経済の自給化が推進された。毛沢東は
    周恩来総理を通じて、対米関係の改善によってソ連に対抗しよ
    うという政策を始めた。これに反対する林彪・中国共産党副主
    席は、武装クーデターと毛沢東暗殺を計画したが失敗し、71年
    9月に空軍機でソ連に逃亡を企て、モンゴルで墜落死したとい
    う。

     72年2月、ニクソン大統領が中国を訪問した。米国の後ろ盾
    を得てソ連に対抗したわけであるが、前近代的な通常戦力だけ
    では、東欧諸国のように全面的にソ連に屈服せざるをえなかっ
    たであろう。やはり核兵器を持つ事で、大国に対しても対等の
    発言権を持てる、という毛沢東の戦略は正しかったのである。

■6.核戦力の完成■

     米国やソ連との確執の過程で、中国は核兵器というカードの
    有効性を確認したのであろう。核兵器の高度化を着々と進めて
    いった。
    
     80年5月には大陸間弾道ミサイル(ICBM)の開発に成功した。
    これでモスクワ、ヨーロッパ、米国の一部を核攻撃できるよう
    になった。81年10月には1基のミサイルで3個の衛星を打ち
    上げる実験に成功した。これは同一のミサイルから複数の核弾
    頭で敵の複数地点を同時に狙う多核弾頭(MIRV)を目指した実験
    であると注目された。
    
     82年10月には水中の通常型潜水艦からの弾道ミサイル発射
    に成功し、88年9月には原子力潜水艦からの水中発射実験に成
    功した。これでどこからでも核攻撃できる手段を手に入れたこ
    とになる。
    
     原潜からのミサイル発射成功によって、中国の核兵器開発は
    ひとまず完了した。55〜56年の毛沢東の決断から、実に30年
    以上経過している。この間、度重なる対外戦争と、大躍進、文
    化大革命、林彪事件など国内動乱があったが、それらをものと
    もせずに核兵器開発に邁進してきた中国の国家的執念は凄まじ
    い。
    
     80年代後半からは、トウ小平の指導のもとに、通常戦力の近
    代化が急ピッチで進められ、軍事費も89年から、2001年予算ま
    で13年連続で2桁の伸び率を続けている。これらは中国軍拡
    史の第2幕と言えるが、別稿に譲る。

■7.台湾の自由選挙を核で威嚇■

     完成した核兵器は、どう使われているのか? その典型は96
    年3月の台湾総統選挙の直前に行ったミサイル演習だろう。基
    隆沖と高雄沖に合計4発のミサイルを打ち込んだ。中国大陸か
    ら台湾の北東・基隆沖にミサイルを打ち込もうとすれば、台北
    など台湾北部地域を頭越しに通過する形となる。これは李登輝
    総統が再選されれば、戦争になるぞ、というあからさまな威嚇
    である。
    
     遅浩田・国防相は「李登輝(総統)一味が祖国を分裂して、
    『二つの中国』『一中一台』をつくろうとしている」として、
    名指しで非難し、また江沢民主席はミサイル実射演習について、
    「中台統一のために重要であり、中国が台湾を統一する能力を
    示すものだ」と強調した。[3]
    
     ミサイル実験の後に、中国は台湾海峡南部の海・空域で航空
    機や艦艇による大規模な実弾演習を開始した。台湾南部で陸軍
    最大の軍事拠点である高雄では、主力部隊は中国軍上陸に備え
    て山間部に全面移動し、また日本や東南アジアの駐在員も続々
    と高雄を離れた。
    
     アメリカは即座に太平洋艦隊の原子力空母インデペンデンス
    とミサイル巡洋艦バンカーヒルなど5隻、さらにペルシャ湾か
    らも原子力空母ニミッツと随伴艦5、6隻を台湾近海に派遣し、
    クリストファー国務長官が「中国の演習は無謀な威嚇であり、
    危険な威圧だ。米国は必要な場合に助けになるため台湾に近づ
    く」と警告した。
    
     中国の威嚇は、台湾人の結束を高め、皮肉にも李登輝氏への
    投票率を押し上げる結果となった[c]。また自由選挙を核で脅
    かそうという中国の戦術は国際世論の非難を浴び、さらに米国
    の軍事圧力に屈した形となって、威信は大きく低下した。核兵
    器という政治的武器を手に入れても、それを使う政治そのもの
    が間違っていては、効果は発揮できない。

■8.アジアでの核拡散を刺激■

     また中国の核武装は、核兵器の拡散に大きな影響を与えた。
    62年にインドは、国境紛争で中国軍10万人規模の侵攻を受け
    て、敗退し、さらにその2年後、中国の核実験成功があった。
    インドは核兵器を含めた戦力差のもとでは平等な平和交渉はで
    きないことから、独自の核開発を進め、74年には最初の核実験
    を成功させた。
    
     その後、中国はインドと対立するパキスタンに核技術の支援
    を行い、98年にインドが24年ぶりの核実験を行うと、すかさ
    ずパキスタンも核実験に成功した[d]。
    
     さらにパキスタンに対するミサイル技術供与の継続疑惑、対
    イラン原子炉供与問題がある。中国の核武装は、その敵対国を
    刺激し、友好国を支援して、アジアでの核兵器の拡散を招いて
    いる。

■9.日本を狙うミサイル群■

     米国の国防総省所属の防衛分析研究所などが中心になってま
    とめた「中国の核兵器と軍備管理」という報告書には、中国の
    中距離弾道ミサイル(射程1千キロから3千キロ)が日本に照
    準を合わせて配備されている事を明らかにしている。それによ
    ると、数十基規模で、ほとんどが通常弾頭装備用だが、一部に
    は核弾頭装備の可能なミサイルもあると推定されている。[4]
    
     これに対し、米国は本土を守る国土ミサイル防衛(NMD)、
    および、同盟国を守る戦域ミサイル防衛(TMD)の開発を進
    め、日本にも参加を呼びかけている。TMDはミサイル発射を
    衛星などで探知し、大気圏外も含めた高層から低層までの何段
    階かの迎撃ミサイルで打ち落とそうというシステムである。
    
     まだまだ技術的には課題が多いが、完全に防御的なシステム
    なので、平和主義に立つわが国にはふさわしい。日本に配備す
    るには1兆円ほどかかるというが、98年に江沢民が来日した時
    に約束した経済援助3900億円の3倍弱に過ぎない。
    
     中国はTMDは軍拡を招くと猛反発しているが、中国の槍
    (核兵器)がわが国を狙っているからこそ、盾(TMD)が必
    要になるので、その盾が中国を攻撃するわけではない。中国の
    反発は、TMDが自国の虎の子の核兵器を無効化してしまうか
    もしれない恐怖の裏返しなのである。
    
     中国が核兵器開発に着手した頃、その一人あたり国民所得は
    69ドルと、日本の249ドルの4分の一強であった。それが
    近年では860ドルと、日本の3万8千ドルの44分の一にま
    で差が開いてしまった。
    
     米国の核の傘のもとで、ひたすら経済成長を続けてきた日本
    と、「ズボンをはかなくとも」核軍拡に邁進してきた中国とは
    まさに対照的な道を歩んできた。その道は米ソと対立し、多く
    の近隣諸国と戦い続けた、孤独な険しい道であった。核兵器に
    よって大国と対等な発言権を持とう、という毛沢東の戦略は成
    功したと言えよう。ただ、それが中国人民の幸せにつながった
    かどうかは別問題である。
                                          (文責:伊勢雅臣)

■リンク■
a. JOG(109) 中国の失われた20年(上)
   〜2千万人餓死への「大躍進」
b. JOG(110) 中国の失われた20年(下)
   〜憎悪と破壊の「文化大革命」
c. JOG(061) 李登輝総統の志
   漢民族5千年の歴史で初の自由選挙で選ばれた台湾総統。「世
  界でももっとも教養の高く、かつ名利の欲の薄い元首(司馬遼太
  郎)」
d. JOG(040) 真の反核とは
  「反核」を叫び、「制裁」を唱えているだけでは、世界はちっと
  も変わりません。

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
1. 平松茂雄、「中国の軍事力」★★、文春新書、H11
2. 平松茂雄、「中国人民解放軍」★★、岩波新書、S62
3. 産経新聞、「中国ミサイル発射強行 『統一能力を誇示』江主席
   が強調 狙いは独立派追放」、H8.03.09、東京朝刊
4. 産経新聞、「中国ミサイル 日本照準、核弾頭装備用も 米政
   府機関報告書が指摘」、H12.06.19、東京朝刊
   
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ おたより _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
                                                (匿名希望)

    李登輝前台湾総統

   私は大好きです。これだけ日本政府に冷たくされながら実は親
  日家であり、彼の話を聞いてみたいと思っています。

     ある対談で、
    「日本にイチバン言いたいことは・・・
      アメリカとの関係だけはしっかりとしてもらいたい・・」
    と日本語で語られたのを思い出し、恥ずかしい思いにあふれた
    記憶があります。

     治療だろうが観光だろうが、なぜダメなのでしょうか??
    ビビアンス−が良くて、彼がダメな理由は理解に苦しみます。

■ 編集長・伊勢雅臣より

     李登輝前総統へのビザ発給が決まりました。これから中国の
    外交圧力が一段と高まるでしょうが、それは独立主権国家とし
    てのわが国の外交の在り方を、国民レベルで反省する絶好の機
    会になりましょう。そのような機会を与えてくれた李登輝前総
    統に心から謝意を表します。

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まぐ27957 カプ1957 Melma! 1869 Pubizine935 Macky!854 

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