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-----Japan On the Globe(188)  国際派日本人養成講座----------
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          _/     Common Sense: 人権思想のお国ぶり
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_/ _/_/_/       「造花」型のフランス革命は200万人の犠牲者。
_/ _/_/       「根っこ」型のイギリスは無血の名誉革命。
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■1.人権宣言のインクが乾くか乾かないうちに■

    「人は生まれながらにして自由で平等な権利を持つ」。この崇
    高な一文で始まるフランスの人権宣言が人権思想の起源の一つ
    と言われるが、アメリカの歴史家サイモン・シャーマは、著書
    「フランス革命の主役たち」で次のように語る。
    
         人権宣言のインクが乾くか乾かないうちに、国民議会
        は・・・反革命の陰謀を探るための委員会を設置して、郵便
        物は開封する、逮捕状なしに人は逮捕する、正規の手続き
        を踏むことなしに拘禁はする、移動の自由は妨害する始末
        です。[1]
        
     パリでは、ギロチンによる処刑が続き、多いときには連日5、
    60人に達した。それも反革命勢力というよりは、職人や小商
    店主が多かったという。またフランス西部のベェンデ地方の農
    民は、カトリック教会弾圧やルイ16世幽閉に反対して立ち上
    がったために、女子供も含めて40万人が虐殺された。フラン
    ス革命による犠牲者は総計200万人にのぼるという。
    
     崇高な人権を謳う一方で、実はこんな人権無視の恐怖政治が
    大規模に行われていたのである。哲学者カール・ヤスパースは
    「歴史の起源と目標」の中で言う。
    
         フランス革命は、・・・近代的自由の源泉ではない。むし
        ろ近代的自由は、イギリス、アメリカ、オランダ、および
        スイスにおいて、連綿と伝えられた真生の自由に基盤を持
        つものである。
    
■2.無血の「名誉革命」■

     ヤスパースが「近代的自由」の源泉と言うイギリスやアメリ
    カでの事実を見てみよう。
    
     1789年のフランス革命と好対照をなすのが、そのほぼ百年前
    の1688年にイギリスで起こった名誉革命である。当時の国王ジ
    ェームズ2世はその旧教復活政策に反対する7人の主教を投獄
    し、裁判にかけた。その専制支配を覆そうと議会が立ち上がり、
    王の長女で、かつ新教徒であるメアリーの夫、オレンジ公ウィ
    リアムにオランダから兵を率いて来英するよう招請した。
    
     1万3千の兵を率いてイギリスに上陸したオレンジ公に国内
    の貴族も次々と呼応し、結局ジェームス2世はフランスに亡命。
    オレンジ公は議会の出した「権利宣言」を認めた上で、ウイリ
    アム3世として、妻メアリーと共同で王位についた。これを
    「名誉革命」と呼ぶのは流血を見ない革命であったからである。
    
     この権利宣言が、「権利章典」として立法化されたのだが、
    その正式名は「臣民の権利と自由を宣言し、王位継承を定める
    法律」と言う。ここではイギリス臣民の「古来の自由と権利」
    確保のため確認すべき13項目をあげ、たとえば、国王による
    法律執行の停止、議会の同意なき課税など、ジェームズ2世の
    行為を違法としている。

■3.英国「臣民」の「古来の自由と権利」■

     フランス革命では国王を処刑し、名誉革命では国王を追放し
    た。この点でどちらも「革命」と言えるが、その他の点ではま
    るで正反対である。
    
     まず結果から見れば、フランス革命の犠牲者200万人と、
    名誉革命の無血という対照がある。さらにフランス革命が結局
    はナポレオン皇帝の台頭を許し、国民全体を狩り出しての戦争
    に継ぐ戦争を引き起こしたのに対して、名誉革命は英国に安定
    的な民主主義をもたらし、大英帝国発展の基盤を築いた。
    
     また「人権宣言」は、「人間および市民の権利宣言」として
    フランスの歴史などには関係のない、どこの国にも通用するよ
    うな抽象的理想が謳われているが、「権利章典」は英国の歴史
    に根ざした「臣民」の「古来の自由と権利」を具体的に再確認
    したものである。
    
     いわば、「人権宣言」は特定の文化や歴史と断絶した未来志
    向、グローバル志向の理想であり、この点が他国からも「人権
    思想」の原点として評価される側面であろうが、その結果が英
    国の歴史と文化に根ざしたローカルな「権利章典」の足下にも
    及ばないとは、どうしたことか。ここに人権思想の落とし穴が
    ありそうだ。

■4.造物主の登場するアメリカ独立宣言■

     ヤスパースが近代的自由の源泉とあげるもう一つの国、アメ
    リカはどうだろう。ここには「アメリカ独立革命」がある。そ
    のきっかけは英本国が財政危機に対処するために、アメリカの
    植民地に対して、砂糖、印刷物などの課税をした事だった。
    
     その時に掲げられたのが「代表なくして課税なし」という
    「イギリス臣民」の権利である。この主張から独立戦争が始ま
    るのだが、ことさらに「革命」というのは、イギリスの臣民の
    一部が、自分たちの権利を守るために、英本国から離脱して新
    しい共和国をうち立てた、という側面を強調するためである。
    その独立宣言の中核をなすのが、次の一節である。
    
       すべての人間は平等に造られ、おのおの造物主によって、
      他人に譲り渡すことのできない一定の権利を与えられている。
      そうした権利のうちには生命、自由および幸福の追求が含ま
      れている。そして、これらの権利を確保するために、人間の
      あいだに政府が作られる。
      
     「すべての人間」の平等と権利を謳っている点は、人権宣言
    と似ているが、見逃せないのはそれが「造物主」によって与え
    られている、という考え方である。「造物主」がキリスト教の
    神を指すことは言うまでもない。フランスのキリスト教伝統を
    破壊しようとした人権宣言とは本質的な違いがここにある。

■5.「神の国」の人権■

     アメリカの独立宣言に「造物主」が出てくるのは、その成り
    立ちを知れば当然と言える。アメリカでの植民地開拓は、1620
    年にメイフラワー号でニューイングランドに到着したピルグリ
    ム・ファーザーズ(巡礼父祖)に始まるが、これらの人々はイギ
    リス国教会の礼拝や信条に満足せずに、新大陸で純粋に神の言
    葉に基づく教会を作ろうとした清教徒の分離派だったのである。
    
     こうして英本国とは分離して宗教的共同体として出発した植
    民地が、政治的にも国家として独立したのがアメリカ合衆国の
    起源である。このような歴史と伝統を見れば、次の一節は納得
    しうるものだろう。
    
         アメリカの政治理論では、主権はもちろん人民に存する
        が、暗黙裡には、いや時には明示的にも、究極の主権は神
        にあるとされてきた。これが「神に信託する」というモッ
        トー(JOG注: アメリカのコインには、"In God we trust"
        と刻まれている)、国旗に対する誓いに「神のもとに」と
        いう言葉が入っていることの意味である。(ロバート・ベ
        ラー、「アメリカの市民宗教」)
        
     アメリカは「神の国」として建設された共同体であり、その
    人民の人権は、神によって与えられたものだというのである。
    したがってアメリカの人権思想も、イギリスと同様、共同体の
    独自の歴史と文化から生み出されていったものと考えてよい。
    また、このような思想から出発して、安定的な民主主義を築き、
    経済的な繁栄をもたらしたという結果の面でも、イギリスの名
    誉革命と良く似ている。

■6.「根っこ型」の英米と「造花型」のフランス■

     同じく人権や自由を謳いながらも、共同体独自の歴史、文化
    の根っこから人権を花開かせた英米型と、従来の根っこを断ち
    切る形で理想的な人権を「造花」として植えて、拒否反応を起
    こしてしまったフランス型と、どうやら、対照的な二つのパタ
    ーンに分かれそうだ。
    
     ヤスパースが挙げているオランダやスイスも、それぞれの共
    同体の歴史の中から、自由と人権とを実現してきており、「根
    っこ」型に属する[a,b]。さらにヤスパースは言及していない
    が、自由と平等の都市国家として千年以上も繁栄をつづけたヴ
    ェネツィアもその先駆者として加えて良いだろう。[c]
    
     またロシア革命や中国の共産革命は、ともにそれまでの歴史
    を否定し、一気に理想的な平等社会を建設しようとして、数千
    万人オーダーの犠牲者を出したという点で、「造花」型をさら
    にスケールアップしたものと言える。
    
     共同体の歴史と文化に根ざして、衆知を集めながら「国民の
    権利」としての人権を育てていく英米の「根っこ」型アプロー
    チは社会の安定と繁栄につながり、根っこを断絶して抽象的理
    想としての人権を無理に植えようとするフランスの「造花」型
    アプローチは、反対者の大規模粛清に暴走して人権弾圧に終わ
    る、という政治的仮説が成り立ちそうだ。

■7.わが国戦後の人権思想は「接ぎ木」型■

     わが国戦後の人権思想は、アメリカ占領軍製の日本国憲法に
    よって移植されたもので「接ぎ木」型と言えよう。
    
     たとえば、少年犯罪で被害者の人権は無視され、ひたすら加
    害者の人権のみを守ろうとする「人権派」弁護士の主張は、ア
    メリカ人でも首をかしげる。アメリカでの「根っこ」を知らず
    にその花だけ振り回すから、奇矯な主張になってしまう。
    
     また、たとえば、広島の高校で、国旗国歌を卒業式に導入し
    ようとした校長が、人権教育を押し進めている教員組合による
    連日のつるし上げでついには自殺に追い込まれた例[d]がある。
    校長夫人は「人権を讃える人たちに主人の人権は奪われました。
    」と語っているが、これはまさしくフランス革命と同様の「造
    花」型アプローチの徴候である。

     戦後、占領軍の押しつけた米国流人権思想がさしたる抵抗な
    く受け止められたのは、それと親和性の高い根っこがすでにわ
    が国の歴史の中にあったからだ。しかしそれも一部の「人権
    派」が、ことさらに部落問題やフェミニズムなどに結びつけて
    「わが国の過去は人権弾圧の歴史だ」などと過去を断罪する
    「造花」型のアプローチをとっているために、一般国民の違和
    感を招き、その良識に根ざしたものにはなっていない。
    
■8.「大御宝」の人権思想■

     こうした状態から脱却するためには、英米に習って「根っ
    こ」型アプローチを強化し、我々自身の歴史と伝統の根っこか
    ら現在の人権思想に十分な栄養分を送って、わが国なりの花に
    育てていく、というアプローチが良いだろう。幸いにもわが国
    の長い歴史は、そのための十分に豊かな根っことなりうる。そ
    のいくつかを拾い上げてみよう。
    
     まず日本神話では、男は日子、女は日女(ひめ)と呼ばれ、
    すべての人間は、太陽神・天照大御神の「分け命」と考えられ
    ていた[e]。アメリカが「人間は創造主によって天賦の人権が
    与えられている」と言うなら、わが国では「人間は神の分け命
    として尊い人権を受け継いでいる」と言えるのである。

     次に初代・神武天皇が即位された時の「建国の詔」には「恭
    みて寶位(たかみくら)に臨みて、元元(おおみたから)を鎮
    むべし(謹んで皇位につき、大御宝、すなわち人民が安寧に暮
    らせるようにしよう)」と即位の抱負を述べられている。人民
    を「大御宝」と呼び、その安寧を実現することが、わが国のそ
    もそもの建国の目的であった。[f]
    
     聖徳太子の頃に端を発したという「悲田院」は身寄りのない
    貧窮の病人や孤老を収容する救護施設、また「施薬院(せやく
    いん)」は、貧窮の病人に薬を施して療養させる施設である。
    ともに「大御宝」を大切にする国家方針の現れであろう。
    
     この伝統は現代まで引き継がれ、明治天皇のお后・昭憲皇太
    后のご寄付によって国際赤十字で「昭憲皇太后基金」が創設さ
    れ、また歴代皇后陛下は日本赤十字の名誉総裁を務められてい
    る。
    
     イギリスの人権思想は、王権との対立の歴史から生まれたの
    だが、わが国では「国民の安寧を祈る」という皇室伝統自体が、
    豊かな人権思想や福祉政策を生み出す「根っこ」となっている。
    
■9.相互的個人主義に立った日本流人権思想を■
    
     近代に至っては、たとえば明治元年に出された「国威宣布ノ
    宸翰」に、「天下億兆一人も其所を得ざるときは皆朕が罪なれ
    ば」(国民の一人でもその所を得ないような事があれば、それ
    は天皇である私の罪であるから)という言葉がある。「所を得
    る」とは、家庭、職場、地域などの社会のネットワークの中で、
    一人一人がかけがえのない存在となり、その役割を通じて自己
    実現を図る、という理想である。
    
     「大御宝」が「所を得る」ように図ることがわが国の理想と
    据えられれば、たとえば教育にしても、子供たちがクラスや家
    庭、地域社会の中で和を保つことを学びつつ、その中で一人一
    人の多様な能力と志を引き出す事が課題となる。他への迷惑を
    顧みずに、自分で好き勝手な事をすることが「人権」だという
    ような低次元の思い違いは一掃できる。
    
     西部邁氏は、個人を中空に飛ぶ原子のように孤立した存在と
    見なす欧米の「原子的個人主義」とは違って、人と人との間柄
    を重視した「相互的個人主義」の伝統がわが国にはあると指摘
    している[f]。原子的個人主義における人権は常に社会との対
    立をはらんでいるが、相互的個人主義に立った人権思想は社会
    と個人との調和を目指すものになる。
    
    「根っこ」型のアプローチをとれば、それぞれの国でお国ぶり
    を発揮した多様な人権思想が花開く。それはさらに相互の交配
    を通じて、より進化した人権思想を生みだして行くだろう。
                                          (文責:伊勢雅臣)

■リンク■
a. JOG(115) オランダ盛衰小史
b. JOG(158) 頑固一徹スイスに学ぶ
c. JOG(104) ヴェネツィア
d. JOG(114) 恐怖と無法の広島公教育界
e. JOG(171) 「まがたま」の象徴するもの
f. JOG(170) 個人主義の迷妄〜「国民の道徳」を読む(1)

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
1. 伊藤哲夫、「憲法かく論ずべし」★★★、高木書房、H12
       
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mag2:28012 melma!:1882 kapu:1871 Pubzine:1076 Macky!:860 

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