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-----Japan On the Globe(193)  国際派日本人養成講座----------
          _/_/   
          _/     地球史探訪:インドネシアの夜明け
       _/_/      
_/ _/_/_/        インドネシア独立を担った人々が語る日本人と
_/ _/_/        の心の交流。
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■1.二人のインドネシア人■

         大東亜戦争というものは、本来なら私たちインドネシア
        人が、独立のために戦うべき戦争だったと思います。もし
        あの時私たちに軍事力があったなら、私たちが植民地主義
        者と戦ったでしょう。大東亜戦争はそういう戦いだったん
        です。
        
     1950年8月に成立したインドネシア共和国の首相モハマッ
    ド・ナチールはこう語る。

     もう一人、日本軍の設立した青年道場で軍事訓練を受け、義
    勇軍設立と幹部教育に尽力し、独立戦争中は情報面の責任者と
    して活躍したズルキフリ・ルビスの言葉を聞こう。
    
         オランダに再植民地化をあきらめさせる中心となったの
        は義勇軍出身者でした。日本がインドネシアにもたらした
        もの中で、最も素晴らしかったことは訓練ですが、それが
        インドネシアの独立にとって最も重要な要素となったので
        す。...もし義勇軍がなかったならば、インドネシアの独
        立は南米のスリナム共和国のように長期間かかっていたか
        もしれません。スリナム共和国は、オランダから独立する
        のにインドネシアの独立からさらに30年もかかりましたか
        ら。
    
     インドネシアが独立の夜明けを迎えるのに、日本軍は大きな
    役割を果たした。それがどのようなものだったのか、この二人
    の証言を聞いてみよう。

■2.日本軍にびっくり■

     ルビスは大東亜戦争開戦時はジャワ島中部のジョグジャカル
    タの高校生だった。当時のほとんどの家庭は子供を学校に通わ
    せる余裕はなかったが、裕福な旧家に生まれたルビスは限られ
    た例外の一人だった。
    
         1942年3月、突然、日本軍がジャワ島に攻めてきました。
        町が急にあわただしくなってきました。
        
         それまでオランダ植民地政庁はインドネシア人にとって
        絶対的な力を持っておりましたから、たとえ日本軍が攻め
        てきたとしても微動だにしないものだと思われていました。
        しかし、ジョグジャカルタがあわただしくなって数日もし
        ないうちにオランダ植民地政庁は日本軍に降伏してしまい
        ました。ジョグジャカルタでは戦闘もなく、あまりにも簡
        単にオランダが降伏したので、私たちはびっくりしてしま
        いました。
        
     インドネシア総督のチャルダは逮捕され、町にいたオランダ
    人たちもどこかに逃亡した。
    
         それまでインドネシアを支配していたオランダ人がいな
        くなり、インドネシア人ははじめて自由というものを感じ
        ました。大人も子供も訳もなくオランダが敗れたことを喜
        び、興奮し、やがて日本軍が町や村へ来ると大歓迎しまし
        た。インドネシアでこれほど歓迎された外国人は、これま
        でなかったでしょう。
        
         ところが、ジョグジャカルタにやってきた日本軍を見る
        と、どの日本人も私たちと同じように小柄で、同じ色の肌
        をしているので、さらにびっくりしました。

■3.画期的な教育政策■

     日本軍がやってきた時、ナチールは33才、イスラム協会の
    会長として社会改革運動に従事していた。日本軍はオランダ植
    民地政庁を倒してくれたが、単に支配者が交替しただけかもし
    れない、と疑っていた。
    
     しかし、日本軍はナチールの予想もしなかった事を次々と始
    めた。第一に幽閉されていた独立運動の指導者スカルノ、ハッ
    タを解放し、インドネシア側代表の位置につけた。第二にイス
    ラム教に対する制約を撤廃し、マシュミ(インドネシア回教連
    合会)を作って、イスラム教の指導者達が初めて直接話ができ
    るようにした。
    
         日本軍のやったことで三番目に注目すべきことは、イン
        ドネシアの教育に力を入れたことでしょう。
        
         これもオランダの政策とまったく違っていました。オラ
        ンダの植民地政庁は長い間愚民政策を採ってきました。イ
        ンドネシア人を教育すると、目覚めてオランダに反抗する
        かもしれませんし、また、農業に従事するだけなら教育は
        必要ありません。・・・学校に通うことのできるインドネシ
        ア人は全体の数%くらいではなかったでしょうか。・・・
        
         ところが日本軍は、やって来ると、さっそく教育に力を
        入れ始めました。戦争でいったん休校になった学校を再開
        し、すぐに3年間の初等国民学校と、その上にさらに3年
        間勉強できる国民学校作りました。・・・日本軍がきてわず
        か1年あまりで、それまでの倍近くの子供が学校に通うよ
        うになりました。

     日本軍は行政機構への現地人登用を進め、ナチールはバンド
    ン市の教育部長に任命された。そして権限を与えられ、仕事を
    任せられた。これもオランダ時代にはなかった画期的なことだ
    った。
    
     教育に関する日本軍からの命令は、オランダ語の禁止と、日
    本語、唱歌、教練を含めることだけだったので、ナチールはイ
    ンドネシア人としての自覚を持たせるようなカリキュラムを組
    んだ。本格的にインドネシアの歴史を教えるようにしたが、こ
    れもはじめてのことだった。また日本軍からインドネシア語の
    外に地方語の教育も勧められていたので、バンドンで広く使わ
    れていたスンダ語の授業を取り上げた。

■4.熱心に仕事をする以外に独立を実現する道はない■

     半年ほどもすると、バンドン市の属するプリアンガン州の内
    政部長として姉歯準平が赴任してきた。戦前に長くスラバヤや
    ジャカルタの総領事を務めて、インドネシアとは関係の深い外
    交官だった。
    
     姉歯はよくナチールや市の有力者数人を集めては日本軍の軍
    政に関する意見を聞き、また自身の考えを語った。
    
         日本がインドネシアにやって来た目的は、インドネシア
        の独立を支援することで、日本人がここにいるのはあとわ
        ずかだろう。まずこれをしっかり頭に入れてほしい。
        
         次に、将来、インドネシアが独立したなら、インドネシ
        ア人の中で首相が選ばれるだろうが、私は皆さんの中から
        首相が出ることを期待している。
        
     そう述べた上で、朝7時から午後2時までの定時間を務めれ
    ばすぐに帰ってしまうナチールらを注意した。姉歯は6時頃ま
    で仕事をし、さらに書類を家に持って帰って仕事を続けていた
    のである。
    
         インドネシア人は独立、独立と叫んでいるようだが、熱
        心に仕事をする以外に独立を実現する道はない。独立して
        もきちんと行政ができるように今から準備すべきで、そう
        でなければ、独立国としてやっていけないだろう。他の人
        はどうあれ、まずみなさんが率先しなければならない。

     ナチールは恥ずかしい思いをすると共に、姉歯の考え方に共
    鳴した。
    
■5.「青年道場」■

     ジョグジャカルタに日本軍がやってきて数ヶ月した時、日本
    の青年訓練所でインドネシアの青年に軍事訓練を施すから希望
    者は集まれ、というビラが貼り出された。日本軍がオランダ植
    民地政庁を倒すのを見て、独立のためには自らの軍隊を持たね
    ばならない、と考えていたルビスは、絶好の機会だと思って、
    すぐ応募した。
    
     数百名の希望者の中から選抜で90名が選ばれ、ルビスも無
    事合格した。そこで3ヶ月の軍事訓練を受けた後、昭和18
    (1943)年1月、ルビスと3名はより本格的な訓練を受ける為に、
    ジャカルタ近郊のタンゲランに新しく設置された「青年道場」
    に派遣された。
    
     青年道場には、インドネシア各地の青年訓練所から選りすぐ
    った二十歳前後の青年47名が第一期生として入学し、現場の
    責任者の柳川宗成中尉の訓示を受けた。
    
         訓示の内容は、アジアを解放するために日本軍はインド
        ネシアに来たが、独立は自分の力で成し遂げるものである。
        しかしインドネシアは教育や軍事などあらゆる面で遅れて
        いるので、いますぐ独立はできないだろう、日本軍は知っ
        ていることをすべて教えるので、一日も早く学んで立派に
        独立してほしい、というものでした。
        
         訓示の中で、悠長に構えている暇はないと度々強調され
        ましたので、私たちの間には、緊張感が漲り、一刻の猶予
        もないのだ、とにかく早くいろいろなことを習得しなけれ
        ばならないという思いがいっぱいになりました。

■6.日本軍の率先垂範教育■

     青年道場では、朝5時から夜10時まで、軍事訓練、精神訓
    話、体育訓練、実地訓練などが行われた。精神訓話では、「正
    直であれ」、「勇気を持て」、「常に前進せよ」の3点を厳し
    く叩き込まれた。またインドネシアの歴史を初めて学んだ。
    
     実地訓練は、教官が自ら率先してやってみせる、という教え
    方がとられ、自営農場での農作業では、柳川中尉自らふんどし
    姿で肥おけをかついだ。中上流の家庭出身者が多い訓練生たち
    は農作業の経験もなく、臭くていやがったが、やりながら自分
    のものにしていった。こうして教官と生徒の間の一体感も生ま
    れていった。
    
     ある時、午前中の野外訓練が終わった時、厳しさが欠けてい
    るというので、一人の小団長候補生が銃を持って立っているよ
    うに命令された。午前中だけでもくたくたになり、その上の炎
    天下で直立不動というのは、大変な罰だった。その時、中隊長
    の土屋競中尉が、何も言わず、小団長候補生の隣で同じように
    直立不動で立ち始めた。二人は一時間ほど、午後の訓練の合図
    まで立ち続けた。
    
         私たちはそれをずっと見ていましたが、すばらしいこと
        だと思いました。これまでインドネシアでこのような教育
        をする人はいませんでした。・・・インドネシアの若者全員
        に知れ渡り、全員感動しました。
        
         土屋中隊長は、まだ20代半ばで、私たちとそれほど年
        齢は離れていませんが、常に私たちのことを考えていたと
        思います。訓練期間中、苦しくて倒れそうになると、いま
        はインドネシアが独立したときの要人を育成しているのだ
        とか、インドネシア国軍が創設されたとき中心になる軍人
        を育成しているのだ、といって私たちを励ましてくれまし
        た。
        
         同じ中隊にいたスハルトも土屋中隊長からは深い感銘を
        受け、大統領に就任してはじめて日本に行ったとき、土屋
        中隊長にだけはぜひ会いたいといって探してもらい、20
        数年ぶりに会っています。
        
     ルビスは日本軍から受けた教育を次のように総括している。
    
         そこでの教育はインドネシア人の民族精神を改革した画
        期的なものといえるのではないでしょうか。まず愛国心を
        育てたことであり、次に死を恐れぬ精神を植え付けたこと
        です。さらにいえば、向上心を涵養したことなどもあげら
        れると思います。

■7.「ムルデカ17805」■

     ナチールは独立後の首相となり、またルビスの青年道場での
    同期生スハルトは第2代大統領となった。独立は自らの力で勝
    ち取るものであり、そのための人材育成こそが急務であるとい
    う日本軍の方針は、見事に奏効したと言える。
    
     この二人の証言に共通しているのは、姉歯準平氏、柳川宗成
    中尉、土屋競中尉らとの心の通った人間関係である。インドネ
    シアの独立を願うこれらの日本人のまごころは、ナチールやル
    ビスに伝わったのである。
    
     日本軍の降伏した2日後、1945年8月17日に後の正副大統
    領スカルノとハッタは急遽インドネシア独立を宣言する。しか
    しオランダは再植民地化しようと軍隊を送り込み、インドネシ
    アは4年5ヶ月もの独立戦争を戦わねばならなかった。
    
     この中心となったのが、ルビスら、日本軍によって鍛えられ
    た義勇軍だった。日本軍は彼らに大量の武器を渡し、また1〜
    2千名の日本兵が、独立軍に身を投じて一緒に戦い、そのうち
    400名ほどの人々が戦死した。ジャカルタ郊外のカリバタ国
    立英雄墓地にもインドネシア独立の戦士たちとともに11名の
    日本人が手厚く葬られている。[a,b]

     インドネシア独立に命を捧げた日本人将兵らは、現在上映中
    の映画「ムルデカ17805」[c]に描かれている。ムルデカとは
    「独立」、17805とは独立宣言の日付で、皇紀2605(西暦1945)
    年8月17日の事である。日本軍の独立支援への感謝として年
    号を日本の皇紀で表したのである。
    
     我々の父祖の世代が、どのような思いでインドネシア独立に
    身命を投じていったのか、この映画を通じて偲ぶことができる。
                                          
                                          (文責:伊勢雅臣)

■リンク■
a. JOG(045)「責任の人」今村均将軍(上)
b. JOG(036) インドネシア国立英雄墓地に祀られた日本人たち
c. 映画「ムルデカ17805」

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
1. 阿羅健一、「ジャカルタ夜明け前」★★★、勁草書房、H6

_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ おたより _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
■「インドネシアの夜明け」について

     ムルデカを見ました。本当にいい映画でした。祖国を守るた
    め、家族を守るため、アジア諸国の独立を果たすために、命を
    捧げた崇高な精神を持った日本人がいたことを決して忘れては
    いけないと思います。そういう犠牲の上に今日の日本の繁栄が
    あるのです。同じ日本人として素直に感謝の気持ちを持ち、誇
    りを持ちたいと思います。(Takizawaさん)
    
     映画「ムルデカ」最初のシーンから鳥肌が立ち、感動で涙が
    止まりませんでした。青年道場の指導者となる日本兵が「死ぬ
    気でやれ!!」と喝を入れて精神鍛錬を行うと同時に、理論的、
    かつ愛情と情熱溢れる教育をインドネシア国民と同じ視線に立
    って実践している姿が、現在我々が失ってしまった教育ではな
    いでしょうか。(坂田さん)
    
     印象的だったのは、主役の山田純大の気迫あふれる演技です。
    山田は、映画初出演です。山田は、次のように語っていました。
    「オーデションの時、最初に、『この前の戦争に負けて悔し
    い』と、自分は言ったんですよ」。その一言が、藤由紀夫監督
    の心を捉えたらしい。確かに、島崎中尉の役は、心からその人
    になりきれる人でなくては、つくりものになってしまうでしょ
    う。(ほそかわ・かずひこさん)

     今週号の姉歯準平氏、柳川宗成中尉、土屋競中尉など、多く
    の素晴らしい、現在の日本では埋もれてしまった、素晴らしい
    日本人を掘り起こすことは、これからの21世紀の日本にとって、
    極めて大切ではないでしょうか。(名古さん)
    
■ 編集長・伊勢雅臣より

     今週も多くのおたよりと、サイバーテロに関するお見舞い、
    情報をありがとうございました。「ムルデカ17805」は、好評
    につき、一部の映画館で延長して上映されました。
    
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