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-----Japan On the Globe(208)  国際派日本人養成講座----------
          _/_/   
          _/    地球史探訪:岩倉使節団〜サムライ達の地球一周
       _/_/      
_/ _/_/_/        西洋文明の隆盛ぶりにも圧倒されず、堂々と
_/ _/_/         旅する使節団一行の自信はどこから来たのか?
-----H13.09.23----35,945 Copies----324,369 Homepage View----

■1.「英雄豪傑」から少女までの大旅行■

         廃藩置県が終わって早々の明治4年秋、岩倉具視を団長
        とする五十人ほどの革命政権の顕官が大挙欧米見学に発ち
        ます。
        
         「国家見学」ともいうべきものでした。世界史のどこに、
        新国家ができて早々、革命の英雄豪傑たちが地球のあちこ
        ちを見てまわって、どのような国を作るべきかをうろつい
        てみてまわった国があったでしょうか。
        
    「明治という国家」の中で司馬遼太郎はこう語る。明治新政府
    樹立には成功したが、まだ新しい国をどう作るか、という青写
    真はなかった。欧米を中心とした当時の国際社会の有様を自分
    の目で見て考えよう、というのが、この632日におよぶ大旅
    行の目的だった。明治日本の構想はこの旅で作られたと言える。
    
     メンバーは、右大臣・岩倉具視(47歳)をリーダーに、副
    使として、参議・木戸孝允(39歳)、大蔵卿・大久保利通
    (42歳)、そして若き日の伊藤博文(31歳)など。これに
    実務を担当する書記官、各省の専門調査理事官などで、総勢4
    8名。さらに60人近くの留学生が随行した。その中には、後
    に民権思想のリーダーとなる中江兆民、ルーズベルト大統領の
    学友となって日露講和に貢献する金子賢太郎などがいた。
    
     さらに異色なのは、女子教育が大切だとして5人の少女を同
    行させたことだ。後に津田塾大学を創設する津田梅子はまだわ
    ずか7才。「あんな幼い子を独り夷国にやるなんて親の気が知
    れない」との声を背に、士族の父親・津田仙弥は英語の入門書
    とともに、愛娘に絵本や人形を持たせて送り出したのである。

■2.西洋文明の最初の洗礼■

     明治4(1871)年11月12日、一行を乗せたアメリカの太平
    洋郵船会社の外輪船「アメリカ号」は横浜港を出発、23日か
    けてサンフランシスコに到着した。一行は5階建ての格式高い
    グランドホテルに宿泊して、西洋文明の最初の洗礼を浴びた。
    この大旅行を記録した久米邦武は「米欧回覧実記」にこう書い
    ている。
    
         大鏡は水の如く、カーペットは花の如く、天井からは宝
        石とみまちがうほどのビードロのシャンデリアがぶら下が
        り、ガス灯を点ずれば七彩に輝いて素晴らしい。
        
     二人の少年が、ロビーの一角の小部屋に案内されて、「妙な
    部屋に連れ込まれたな」と怪訝な面持ちでいると、ボーイがド
    アを閉め、ゴトンという音がしていきなり部屋ごと浮かび上が
    った。エレベータであった。
    
■3.参会者の胸をうった若き伊藤博文の「日の丸演説」■

     サンフランシスコでは、日曜以外は連日歓迎行事が続いた。
    12月14日には、知事、市長など各界の名士300名が参加
    する大歓迎晩餐会が開かれた。会場には日米の国旗が飾られた。
    
     日本側は岩倉大使の挨拶のあと、伊藤博文が後に「日の丸演
    説」として知られる英語のスピーチを行った。
    
         わが国ではすでに陸海軍、学校、教育の制度について欧
        米の方式を採用しており、貿易についても頓(とみ)に盛
        んになり、文明の知識は滔々と流入しつつあります。・・・
        
         国民の精神進歩はさらに著しいものがあります。数百年
        来の封建制度は、一個の弾丸も放たれず、一滴の血も流さ
        れず、一年のうちに撤廃されました。(廃藩置県を指す)
        
         このような大改革を、世界の歴史において、いずれの国
        が戦争なくして成し遂げたでありましょうか。この驚くべ
        き成果は、わが政府と国民との一致協力によって成就され
        たものであり、この一事をみても、わが国の精神的進歩が
        物質的進歩を凌駕するものであることがおわかりでしょう。
        
         わが国旗にある赤いマルは、もはや帝国を封ずる封蝋の
        ように見えることなく、いままさに洋上に昇らんとする太
        陽を象徴し、わが日本が欧米文明の中原に向けて躍進する
        印であります。
        
     万雷の拍手がしばし止むことなかった。31歳の伊藤博文の
    新生日本の国造りへの思いが参会者の胸を打った。
        
■4.日本人の気概と気品■

     サンフランシシコから大陸横断鉄道で各地を訪問しつつ、翌
    年1月21日にはワシントンに着いた。国会議事堂やホワイト
    ハウスなどは、今日の形に出来上がっていた。当時の大統領は
    南北戦争の英雄・グラント将軍で、天皇陛下からの国書を手渡
    した。ここでも米国高官がほとんど出席しての大歓迎だった。
    
     ここでは不平等条約の改正について、予備交渉をしておく予
    定だったが、サンフランシシコ以来の歓迎ぶりに気をよくして、
    一気に本交渉に入ろうとした。ところが、米側は「天皇陛下か
    らの委任状はお持ちですか」と訪ねてきた。日本側は外交交渉
    には委任状が必要だとの国際常識も知らなかった。
    
     そのため、大久保利通と伊藤博文が往復4ヶ月もかけてわざ
    わざ日本に委任状を取りに帰るということになった。結果的に
    条約交渉は不調に終わるが、その気概には驚かされる。その間、
    他のメンバーはニューヨークやボストンなどにも足を伸ばして、
    精力的な見学を行った。
    
     一行の振る舞いは各地で好印象を与えたようだ。ニューヨー
    クタイムズは次のように報じた。
    
         礼儀作法の点では、アメリカ人は日本人に教えられる所
        が多かろう。彼らは上品に礼儀正しく会釈をし、なんの苦
        もなく紳士的な敬意をもって人を遇する。個人の客間でも
        公の歓迎会でもまた街頭でも、彼らの振舞はきわめて高く
        称賛された。
        
     一行は江戸時代の武士や公家の立ち居振舞いをそのまま演じ
    たのだろうが、それはきわめて洗練されたものとして、米国人
    には受けとめられたのである。

■5.わずか40年の差■

     7月14日、ロンドン到着。当時の大英帝国は栄光の頂点に
    あった。リバプールの造船所、紡績工場、産業革命の発祥の地
    マンチェスターでの紡績機械工場などを見学して廻った。一行
    は、英国が日本と同じくらいの大きさであるのに、富について
    は大変な格差が生じている理由が工業と貿易だということを理
    解した。
    
     そして鉄道や船、郵便制度、各種の機械工場などが、40年
    前にはほとんどなかった事を知る。そのころは陸に走る汽車も
    なく、海を走る汽船もなく、馬車を走らせ、風任せの帆船で海
    を渡っていた。綿布なども海外の珍品でしかなかった。
    
     ならば、日本人もそのつもりで努力すれば、40年前後で欧
    米に追いつくことも可能ではないか、と一行は考えたのだろう。
    一行の帰国後、工業を興し、農業を近代化するための内務省勧
    業寮が設けられ、通信・交通のインフラ整備や鉱山開発、造船
    所建設を進める工部省とともに、産業経済の近代化が大車輪で
    進められることになる。
    
■6.文明の悪を回避する■

     一行は、世界一の繁栄を誇るロンドンにも陰の部分がある事
    を見逃さなかった。イーストエンドの貧民街を探訪した木戸孝
    允は、極貧の宿泊所ではシナ人やインド人がアヘンを吸ってい
    る様を日記に記している。また人通りの少ない街路では窃盗や
    不良少年、博徒らが徘徊している。
    
     英国各地での貴族や富豪の豪勢な生活ぶりと比較して、その
    貧富の差に驚かされた。日本は、全般的には貧しいとはいえ、
    貧富の差はそのような激しいものではなく、治安も良かった。
    
     岩倉具視はマンチェスターを訪れた時に、以下のように語っ
    たとタイムズは伝えている。
    
         われわれは世界を一巡し、訪問先の国々から西洋文化の
        長所はなんでも取り入れたいと思っています。われわれは
        それと同時に、文明の発展に伴って各国に発生したと思わ
        れる悪の回避にも努めるつもりです。
        
     使節団帰国前に発布された学制では、「身ヲ修メ、智ヲ開キ、
    才芸ニ長ズルハ学ニアラザレバ能ワズ」と学問こそが世に立つ
    基であることを明らかにし、「必ズ邑(むら)ニ不学ノ戸ナク、
    家ニ不学ノ人ナカラシメン」として、その後わずか5年ほどで
    2万6千校以上の小学校が設置された。平等の教育こそロンド
    ンで見たような「文明の悪」を回避する方策だったのであろう。

■7.共和制か、君主制か■

     11月16日、ロンドンを発ち、ドーバー海峡を渡って、フ
    ランスに着く。煤汚れた喧噪の町ロンドンに比べれば、パリは
    美しい石造りの建物の建ち並ぶ、まさに「風景、絵のごとし」
    と一行が讃歎する麗都であった。
    
     しかし、この美しく豊かな国が、革命以来政体が安定せず、
    80年間の間に6回も王政と共和制を繰り返してきたことを知
    る。政経学者のブロック博士からは、かえって日本の「万世一
    系の天皇制」を評価される。共和制寄りの考え方を持っていた
    木戸も、「独立自由も三権分立も、よほど勘弁してかからない
    と大変なことになる」と考え直した。
    
     アメリカの共和制は良い所も多いが、たとえばニューヨーク
    などのビジネス都市ではとくに富豪・財界の力が大きく、政権
    もほとんどその力に圧せられてしまっている。アメリカ人は
    「共和と自由」の原理を信じて、その弊害を知らず、「只、そ
    の美を愛し、世界を挙げて、己の国是に就かしめんとす」など
    と記録している所は現代の米人を髣髴とさせて苦笑させられる。
    
     逆に、後に訪ねるロシアは前時代的な極端な帝政で、お手本
    にはならない。結局、木戸も大久保も帰国後にそれぞれ、立憲
    君主制による「日本独自の」君民共治を目指すべき、という建
    言書を提出している。伊藤は、この方向を発展させて、後に大
    日本帝国憲法を起草することになる。

■8.弱の肉は、強の食■

     年が明けて、明治6(1873)年3月9日、ベルリン着。ドイツ
    はオーストリア、ロシア、フランスという大国に取り囲まれな
    がら、ようやく数年前にプロイセン中心に国家統一をなしとげ
    た所であった。その宰相ビスマルクは一行にこう語った。
    
         当今、世界はみな親睦礼儀をもって交わっているように
        見えるが、それはまったく表面上のことで、内面では強弱
        相凌ぎ、大が小を侮るというのが実情である。
        
     その後、一行はロシア、北欧、イタリア、オーストリア、ス
    イスを廻って、7月20日、フランス郵船のアウア号でマルセ
    イユを出発。スエズ運河を通って、インド洋を横断して、緑し
    たたるセイロン島に着く。しかし、ここは最初にポルトガルが
    海浜の地を占領し、次にオランダが砦を作り、今や全島が英国
    の支配下にあった。アウア号はここでカルカッタから来たアヘ
    ンを積み込む。奇しくも悪名高き英国のアヘン貿易の現場に立
    ち会ったのである。
    
     船がマラッカ海峡にさしかかると、オランダの植民地となっ
    ていたスマトラ島では、現地人の反乱が起きていた。アウア号
    にはオランダの大将と属官が乗り込んでおり、この戦争に向か
    う所であった。その後、アウア号はイギリスの植民地シンガポ
    ール、フランスの植民地サイゴンと寄港していく。一行はアジ
    ア各地が欧米列強に餌食にされている様をまざまざと見た。日
    本も他人事ではない。久米はこう書く。
    
         弱の肉は、強の食。欧州人遠航の業おこりしより、熱帯
        の弱国、みなその争い喰うところとなりて、その豊饒の物
        産を、本州(本国)に輸入す。
        
■9.道義国家としての自信■

     9月4日、一行は上海にてアメリカ船ゴルテンエン号に乗り
    換えて、故国に向かう。長崎に寄港した後、船は玄界灘から瀬
    戸内海に入る。朝の5時にアメリカ人の船長は、「世界の絶景
    ですから起き出でてご覧あれ」と船客に呼びかけた。1年9ヶ
    月ぶりに見る日本の風光は実に美しかった。9月13日横浜着。
    632日の大旅行は終わった。

     考えてみれば、使節の一行が欧米諸国の経済力や技術力にも
    圧倒されずに、その善悪、美醜の両面を、事実に即して正確に
    捉え、なおかつ気品気骨ある態度で欧米人に強い印象を与えた
    ことは、驚くべき事である。この点について[1]の著者・泉三
    郎氏はこう語っている。
    
         サムライはあくまでも精神的貴族であり、貧しさをむし
        ろ誇りとする君子でした。・・・
        
         使節の一行がなぜ、仰ぎ見るような西洋文明の隆盛ぶり
        を目の当たりにしながら、なお劣等感に打ちひしがれるこ
        とがなかったのか。その秘密の一つは、金銭や物質にもと
        もと彼らがそれほどの価値を置かなかったからではないで
        しょうか。
        
        「英米蘭などは町人国家なり」というとき、道義国家とし
        ての日本の矜持が窺われ、道義において欧米より進んでい
        る自国に大いなる自信を持っていたことが感じられます。
        
     130年後、世界有数の経済大国となった現代の日本を使節
    一行が訪れたら、どう思うだろうか。
                                          (文責:伊勢雅臣)

■リンク■
a. JOG(038) 欧米から見た日本の開国−吉田松陰
b. JOG(149) 黒船と白旗
c. JOG(173) アヘン戦争〜林則徐はなぜ敗れたのか?

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
1. 泉三郎、「堂々たる日本人」★★★、祥伝社、H8
   
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ おたより _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
■「岩倉使節団〜サムライ達の地球一周」について 
                                裕樹さん(アメリカ在住)より

     130年前、今のように豊かでなかった時代に、私と同じ民
    族が太平洋を渡り先進諸国を臆することなく堂々と歴訪したこ
    とに、改めて日本人としての誇りを感じることができました。
    と同時に、日本人としてのアイデンテイーの気薄な日本人への
    憤りに似た感情がおこるのを、ひしひしと感じずにはいられま
    せんでした。 
    
     日本人は自己主張しないとよく言われます。そのためか、大
    抵の留学生はそうならないようにしがちになる傾向があります。
    しかし、自己主張とは思うことをなんでも言うということでは
    ないと思うのです。”沈黙は金、雄弁は銀”という言葉があり
    ます。つまり常に主張することよりも、いつ黙るかを心得てい
    る方が重要だということです。
    
     渡米する前は、アメリカ人は常に主張してばかり、という先
    入観がありましたが、実際は主張すべき時は主張し、黙る時、
    すなわち相手の意見を受け入れる時は受け入れる、といった国
    民性を感じました。つまり、アメリカ人のほうが、この言葉通
    りの礼儀を心得ているように感じたわけです。西洋化した日本
    人の方がむしろ礼儀を心得ていないような気がします。

     過去の日本人の礼儀作法が世界で絶賛されたのなら、なぜそ
    れを維持しようとしないのでしょうか? 昔からの国民性を今
    だに大切にしているアメリカ人の礼儀作法を、今度は日本人が
    見習うべき番ではないかと思います。

■ 編集長・伊勢雅臣より

     130年前の岩倉使節団は、「英米蘭などは町人国家なり」
    と喝破しました。今や、その米国が「武士国家」に見えるほど、
    我々が町人化してしまったのでしょうか?

_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ おたより _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
■恵子さん(カリフォルニア在住)より

     9月11日に世界貿易センタービル、ペンタゴン、そしてペ
    ンシルバニアのある土地がテロリストにハイジャックされた民
    間機によって攻撃を受け、アメリカはもちろん、世界中が大き
    なショックを受けています。

     私は7年、こちらに住んでおりますが今回の事件後の一般の
    アメリカ国民の行動を見ていて深い感動を覚え、もしこれが日
    本で起きた事件だったら日本国民はどのように対処するのかと
    考えざるを得ませんでした。

     まずテロの起きた翌日、通勤する際、高速道路に架っている
    橋全て(私の家から会社までたぶん20ヶ所以上)の欄干にア
    メリカの国旗がはられ、高速道路を通る車から良く見えるよう
    になっていました。これは今回のテロ事件になど負けないよう、
    アメリカは一体となろうと言う呼びかけの表れだと思いますが
    40キロ以上続く高速道路に架る橋すべてにいったい誰がアメ
    リカ国旗をはっていったのでしょう。

     また負傷者の数があまりに多く赤十字がTVで献血を呼びか
    けたのに対し、アメリカ中で献血センターの回りには長い行列
    ができたといいます。もちろん世界貿易センタービルの事故処
    理に加わっている人々の多くはボランティアです。

     友人のご主人はアメリカ人で以前海軍にいたことがあり、今
    は退役していますが万が一戦争になったりした場合、「家族が
    いるので自分から志願してまでは行かないが呼び出しの電話が
    あれば当然、行く。」とごく当たり前の事のように言ったそう
    です。
    
     私は橋にはられた何十という国旗を見た時、アメリカ人の本
    当に私たちと同じように日々生活をしている一般の市民の心に
    ある「アメリカ国民としてのプライド」というものをひしひし
    と感じました。そしてアメリカの強さというのは こういう逆
    境の際に国民一人一人がみんな「Unite(一体になる)」しよう
    という一つの気持ちになっていることが感じられるところにあ
    るのではないかと思いました。

     アメリカという国がすべてにおいて日本より勝っているとは
     決して思いません。ただ国に対する国民一人一人の誇り、愛
    情 ・・・今回の事件を通して今の日本はその部分に関しては 
    とてもアメリカ国民には かなわないと認めざるを得ませんで
    した。

     私は仕事の都合でアメリカに住んでいますが外国に住みはじ
    めてからの方が日本人として日本という国のことをいろいろ考
    えるようになった気がします。そして私たちの祖先が持ってい
    た日本という国に対する誇り、愛情をまた21世紀の日本人み
    んなが持てるようになったらきっともっとすばらしい国になる
    だろうに・・・と思います。
    
■坂井さんより

     さて、米国で、ハイジャックされた民間機が世界貿易センタ
    ービルなどに突っ込むというテロが発生しましたが、その報道
    で気になる、というか頭に来ることがあります。

     この狂気のテロを「旧日本軍の特攻想起」「神風攻撃」と同
    視しているマスコミがあるという点です。今回の事件について
    の報道における、後者はMSNJapanのサイト(夕刊フジ
    提供記事)の言葉、前者は"天下の公器"朝日新聞の紙面の見出
    しでした。私は実家にいたときから馴染んでいるというだけの
    理由で朝日新聞を購読していましたが(ですので他紙にどうい
    う記述があるかは知りません)、読んでいた新聞を床に叩きつ
    けたのははじめてです。

     旧日本軍の神風特攻隊は、戦術としてあまりに非人間的だっ
    たと思います。でもそれぞれの特攻隊員は、祖国の同胞のため、
    家族のために戦って散ったのです。私はクリスチャンですので、
    靖国神社に死者の霊が集まるというのは(英霊と呼ばれる故人
    であっても)わかりかねますが、それでも祖国防衛のために命
    を棄てた軍人たちを尊敬し、現代を生きる私があるのは彼らの
    貴い犠牲のゆえと感謝しています。狂気のテロリストを同列に
    置くことは非常に怒りをおぼえずにおれません。
    
     狂信というものについて一言述べておきます。「信仰のため
    にみずからの命さえかえりみない者」を狂信と呼ぶ人がいます
    が、命を一番大事にする人もいれば、命より大事な者がある人
    もいます。名誉を失うよりも死を選んだ人は日本にも多くいま
    す。信仰を失うよりも死を選ぶというのも、つまるところ何に
    価値を置くかの違いだけで、狂った信仰などというものではあ
    りません。
    
     しかし、パレスティナで繰り返されるイスラム原理主義過激
    派による自爆テロといい、アレフ(旧オウム真理教)による犯
    行といい、「信仰のために他人の命をかえりみない者、信仰の
    ために殺人を命じることのできる者」がいます。これについて
    は、狂信としか呼べないと思います。

     今回のテロを神風特攻隊と重ねる者は、「旧日本軍は狂気の
    集団である→旧日本軍軍人は狂信の徒である」と考えているの
    か、でなければプロ野球報道で敗戦の責任者を戦犯と呼ぶのと
    同様、日本語の意味を知らないのでしょう。

■ 編集長・伊勢雅臣より

     国家のために団結するアメリカ人と、国家のために一命を捧
    げた「特攻隊員」とは、共同体のために立ち上がったという点
    では同じ精神です。日本人でありながら、特攻隊員をテロリス
    トと同一視する精神は、その対極にあると言えます。岩倉使節
    団を生んだ民族の子孫としてはまことに恥ずべきことではあり
    ます。
    
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