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-----Japan On the Globe(211)  国際派日本人養成講座----------
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          _/     Common Sense: 湾岸戦争、日本の迷走
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_/ _/_/_/         湾岸戦争での最大の貢献をしたわが国が、
_/ _/_/          なぜ、罵倒されねばならなかったのか?
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■1.高い授業料■

     ニューヨークへのテロ事件へのわが国としての対応を考える
    上で忘れてはならないのが、湾岸戦争での経験である。この時、
    わが国は130億ドル、すなわち国民一人あたり1万3千円、
    4人家族では5万円以上、全戦費の2割もの負担しながら、ど
    のような評価をされたか?
    
     アメリカの議会では、わが国を「ペーパー・アライ」(紙の
    上での同盟国)と呼び、湾岸戦争への貢献度の低い国からの輸
    入品には課徴金をかけるという貢献不足国制裁法案まで提出さ
    れた。
    
     極めつけは、クウェートがアメリカの有力新聞に掲載した感
    謝広告で国名を挙げた30カ国の中に日本が入っていなかった
    ことだ。これが単なるミスだとしたら、日本の貢献の印象はそ
    れほど薄い、という証左であるし、故意であったとしたら、日
    本の姿勢への痛烈な当てこすりである。
    
     湾岸戦争では日本も敗戦国だと言われたが、それもあながち
    誇張ではない。日本はなぜこんな目に合わねばならなかったの
    か、今回のテロ事件への対応を考えるにしても、この時に払っ
    た高い授業料を生かす必要があるだろう。
    
■2.衆人環視の中のイラク軍の動き■

     1990年8月2日午前1時、イラク軍3個師団12万人の兵力
    が、350両の戦車を先頭にクウェートに侵攻を始めた。クウ
    ェートの指導者達は、7月21日以来、国境近くにイラクの大
    軍が集結している事を知っており、非常警戒態勢をとるととも
    に、クウェートに石油価格つり上げへの協力を迫るイラクとの
    外交交渉を続けていた。
    
     ソ連はイラクの最大の軍事スポンサーであり、侵攻当時、約
    200人の軍事顧問を含む9千人のアドバイサーを送り込んで
    いた。7月の下旬には偵察衛星の高度を大幅に下げて、精密偵
    察を行っていた。
    
     アメリカではCIAが早くからイラクの侵攻を警告していた。
    しかし7月25日に米国のグラスピ駐イラク大使はサダム・フ
    セインに対して、イラクとクウェートの争いに関して、アメリ
    カは「特別の関心を持たない」と発言した。これをフセインが
    軍事行動を起こしてもアメリカは干渉しないと読みとって、侵
    攻を決意させた要因となった、と後に報道された。
    
     当時、イラクは核兵器、生物・化学兵器の開発を進め、中東
    の危険な火種として欧米諸国は神経を尖らせていた。その上石
    油価格吊り上げを図る張本人でもあった。そのためにアメリカ
    はイラクを暴発させてガス抜きを図った、という謀略説も流れ
    た。
    
     いずれにしろイラク軍の動きは衆目の監視の中で行われてい
    たのである。
    
■3.イラクの軍事大国化を支えた日本■

     一方、日本ではゴルバチョフの登場による米ソ冷戦終結で、
    平和な時代が来るのだから、自衛隊も縮小すべきだという議論
    を政治家もマスコミも行っていた。侵攻のわずか1ヶ月前、7
    月の初めには海部首相による中東5カ国歴訪が発表された。古
    代エジプト王の墓見物も含まれた気楽な予定だった。
    
     この時点では日本はイラクにとって最大の経済的スポンサー
    になっていた。イラクが外国の政府・民間から受けている経済
    援助の実に73%は日本からであった。日本に対する累積債務
    は6千億円に達していた。
    
     イラクは、ソ連から多数の軍事顧問団の派遣を受け入れ、フ
    ランスから武器を購入し、ドイツから化学兵器の製造プラント
    を輸入していた。日本の援助は民生面に限られてはいたが、そ
    れがあったからこそ、イラクは巨大な軍事力を築くことができ
    た。わが国は知らないうちにイラクの軍事大国化に力を貸し、
    その危険を知らずに海部首相は物見遊山の旅を計画していたの
    である。

■4.「戦闘」の前の「戦争」■

     侵攻の即日、国連安全保障理事会は、イラク軍の即時撤収を
    求める決議案660号を可決し、さらに6日にはイラクへの経
    済制裁勧告661号を成立させていた。
    
     米国ブッシュ大統領は、イラク軍がクウェート領内を南下し、
    サウジとの国境のそばまで進出しているのを見て、フセインは
    サウジ当部の油田の奪取を企てている、と読んだ。このままで
    は世界の石油供給の半分以上をフセインに抑えられることにな
    る。
    
     8月7日にブッシュは米軍のサウジ派遣をテレビで発表し、
    第一陣がその数時間後にサウジに到着した。フセインはそれに
    挑戦するかのように8日にクウェート併合を宣言した。さらに
    その翌日、イラク滞在中の外国人全員の出国を禁じ、人質作戦
    を始める。米軍のサウジ駐留にイスラム住民は反発し、アメリ
    カ国内でも戦争反対の声があがるだろう。時間は自分に味方す
    るとフセインは読んだようだ。
    
     一方、ブッシュはエジプトにも派兵を依頼し、12日にはエ
    ジプトの第3機械化師団がサウジ入りする。エジプトはこの機
    会を通じて、アラブ連盟の指導的立場に立つことを狙い、他の
    アラブ諸国にも呼びかけて、アラブ合同軍が組織された。さら
    にイギリス、フランス、オランダ、カナダ、オーストラリアな
    どによる多国籍軍が組織されていった。

     実際に戦端が開かれた翌年1月17日までの5ヶ月間、日本
    のマスコミは戦争が始まるのかどうか、さかんに論じていたが、
    実は「戦争」はすでに始まっていた。血を流さずに相手を屈服
    せしめるのが最高の勝利である。それを狙ってブッシュはアラ
    ブ諸国を味方につけ、フセインは人質をクリスマス前に釈放す
    る、などと熾烈なやりとりが繰り広げられていった。
    
     一方、日本国内では、ある大学教授などはテレビで「イラク
    の乱暴なやり方に問題があるとしても、内部改革としてクウェ
    ートを民主化したことになるかも知れない」「イラクを追いつ
    めないことが大事になって来ると思う」「サウジは資金援助を
    してイラクを助けるかも知れない。それがアラブだ。」などと
    発言していた。

■5.中東派兵を支えた日本■

     この静かなる戦争の段階で、多くの日本人は、日本が重大な
    貢献をしている事に気がつかなかった。湾岸へ出発する米軍の
    中核部分は、在日米軍基地から出動したのである。
    
     中東での米軍の総指揮をとる第7艦隊旗艦ブルーリッジは母
    港・横須賀から8月12日に出動した。11月上旬には同じく
    横須賀を母港とする空母ミッドウェーの機動部隊もアラビア海
    に展開を完了した。在日米軍基地がカバーする米軍の行動範囲
    は、ハワイの西から、アフリカ大陸最南端の喜望峰までの世界
    の半分で、中東も含まれている。アメリカ議会上院軍事委員会
    の1981会計年度公聴会の記録では次のような一節があった。
    
         西太平洋のすべての米軍部隊は、日本に基地を置く広範
        囲な補給ネットワークによって支援されている。・・・
        
         日本に置かれた弾薬の貯蔵施設は、西太平洋における陸
        上弾薬庫の貯蔵能力の半分以上にあたり、石油の貯蔵能力
        のほうは、ハワイから西(喜望峰までの間)に置かれた燃
        料の80%にものぼっている。
        
     日本全国で105カ所、324平方キロにおよぶ在日米軍基
    地の地代は、米陸軍自身の推定でも年間8400億円相当にの
    ぼり、それらが無償で日本政府から提供されている。さらに湾
    岸戦争の年だけで、4100億円の駐留経費を日本は負担して
    いた。
    
     現代戦においては、軍隊組織の70%ほどは武器弾薬、燃料
    などの供給を行う後方支援組織が占める、と言われる。このロ
    ジスチックス(兵站)が機能しなければ、第一線の精鋭部隊も
    ハイテク機器も機能しない。湾岸に展開された海軍と海兵隊の
    燃料と弾薬、空軍の弾薬は在日米軍基地からの補給に頼ってい
    た。
    
     イラクの最大の財政的スポンサーは日本だったが、対峙する
    米軍の最大の支援者もまた日本であった。

■6.日本に対する苛立ち■

     8月の時点で、米国が切実に日本に要望していたのは、輸送
    を手伝って欲しい、ということであった。十分な戦力を展開す
    る前にイラク軍の攻撃を受ければ先遣隊は全滅し、米軍の威信
    は地に落ちて、ブッシュ政権には致命的な痛手になる。
    
     ブッシュが米軍派遣をテレビで発表した直後に、日本政府が
    すぐさま「輸送に全面協力をする」と世界に向かって公表して
    いれば、米軍にとってのどから手の出る支援であり、かつイラ
    ク包囲の国際世論作りを狙っていたブッシュ政権にとって、何
    よりも心強い援軍だったであろう。
    
     しかし海部首相は米軍の要請に応えるどころか、イラク制裁
    の国連決議の後でも、中東に出かけると言い張って、外務省を
    手こずらせていた。アラブ諸国間の調停役を演じたいと思って
    いたのだろう。
    
     海部首相が支援策を発表したのは、侵攻後1ヶ月近くも経っ
    た8月末であった。ペルシャ湾から最大量の石油を輸入してい
    る国として、すみやかに実質的な、目に見える援助をして欲し
    い、という米国側の要請にかなうようなめぼしい提案は何もな
    く、ブッシュ政権の反応はきわめて冷ややかだった。
    
     経済援助も当初日本が自主的に決定した額は10億ドルだっ
    た。アメリカ国内の日本に対する苛立ちはつのる一方で、ニュ
    ーズウィーク誌のアンケートでは、もっとも貢献していない国
    として、59%の米国民が日本を挙げていた。
    
     日本の拠出額は、アメリカからの圧力によって9月に30億
    ドル上積みされ、空襲が始まってからはさらに90億ドル要求
    された。この90億ドルの拠出の審議に際して、公明党は「後
    方支援にのみ使え」という注文をつけ、米国下院の軍事委員長
    レス・アスピンはこれに激怒して議会で日本を激しく非難した。
    
■7.湾岸で何が起こっているのか、日本は理解していない■

     1月17日未明からの大空襲は、イギリスには早くから知ら
    されていたが、日本へは15分前だった。ソ連ですら1時間前
    だったのに。外務省幹部はその前日まで、戦争は起こらない、
    と公言していたが、戦闘開始をテレビで知るはめになる。
    
     海部首相は、後方支援のために丸腰の平和維持部隊を派遣す
    ると言っていたが、その法案が11月につぶれると、何も言わ
    なくなった。年末には、1月15日にアセアン諸国歴訪の旅に
    出ると言い出した。何を考えて、わざわざ国連安保理事会の設
    定した撤兵期限の日に合わせたのだろう?

     極めつけは、日本社会党委員長土井たか子が1月9日にパリ
    経由でバクダッドに行き、フセインと会談しようと成田を発っ
    た事だ。「クウェートからの完全撤退を訴える」という触れ込
    みだったが、戦闘開始が秒読みに入った段階でフセインが会う
    はずもなかった。
    
     しかし、土井氏の企画がもっと早い段階だったら、フセイン
    は喜んで会ったかもしれない。日本の野党党首との会見が全世
    界に報道されたら、平和な話し合いを求めている、というポー
    ズもできるし、西側も一枚岩ではない、と示すこともできる。
    そうなっていたら、欧米諸国も、アラブ諸国も唖然とするか、
    激怒するか、どちらかであったろう。
    
     湾岸で何が起こっているのか、日本の政府には終始一貫理解
    できなかった、とイギリスの「エコノミスト」誌は後に書いた。
    
■8.クウェートからの感謝■

     2月末に戦争が終わると、アメリカはペルシャ湾の機雷の掃
    海艇の派遣を正式に日本に要求してきた。ペルシャ湾に出入り
    する船は日本船か、日本が借りた船の数が圧倒的に多く、また
    自衛隊の掃海技術は国際的な定評があった。本来なら日本側が
    進んで掃海艇派遣を買って出てもおかしくない所である。しか
    し、社会、公明両党など野党側は「自衛隊の海外派兵につなが
    る」と強く反対した。
    
     掃海艇派遣の決定をするのに1ヶ月以上を要し、さらに掃海
    作業に最も威力のあるヘリコプターを積んでいく事を禁止され
    た。
    
     第一掃海艇群6隻が出発したのは4月26日。わずか400
    トンの掃海艇群は、速度が遅く、35日から40日もかけてイ
    ンド洋を渡った。しかしドバイの人々は日の丸を振って、掃海
    艇群を歓迎し、現地の日本企業の売り上げは倍増したという。
    
     その後、酷暑のペルシャ湾で、掃海艇群は一触即発の機雷に
    接近して、死と隣り合わせの処分作業を続け、計34発の機雷
    を爆破処理した。航路の安全を確保した後、呉市の基地に無事
    帰還したのは10月30日だった。クウェートのアルシャリク
    駐日大使は呉まで出迎えて、こう述べた。
    
         機雷掃海の任務を終え、帰国されたことに感謝します。
        初めて日本が海外に自衛隊を送ったことの意味は、湾岸各
        国だけでなく全世界が高く評価すると思います。
    
     130億ドルの拠出と在日米軍基地の提供とで、わが国は湾
    岸戦争の最大の貢献国だったのに、"too little, too late
    (少なすぎ、遅すぎ)と酷評され、罵倒された。しかし130
    億ドルの千分の1の費用で行われたこの掃海作業への感謝は心
    のこもったものだった。
                                          (文責:伊勢雅臣)
                                          
■リンク■
a. JOG(084) 気がつけば不沈空母
b. JOG(019) Neck in the sand

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
1. 村松剛、「湾岸戦記」★★★、学習研究社、H5
2. 小川和久、「湾岸危機の教訓」★★★、PHP研究所、H3
   
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ おたより _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
■「湾岸戦争、日本の迷走」について

     我国の今回のテロ事件が、アラブ対欧米と言う図式になった
    とき,アラブに石油資源を依存している我国としては死活問題
    です。そのような事態になった場合,我国としてどのような方
    針で臨むのかは早くから議論しておく必要があると考えます。
     我国が直接のテロの対象になることから,石油の輸入がスト
    ップする事態まで考えれば,我国だけ紛争の外に置こうなどと
    言う幼稚な発想はあきらめ,欧米と心中するのか,欧米と距離
    を取り結果的に国際社会から排除される道を取るのか決断する
    必要があるでしょう。(田辺さん)
    
     識者といわれるような人が、TVで「日本は湾岸戦争で感謝
    されなかったからテロの標的にならなかった」というような意
    見を平然と述べているのをみても、本当にいまの日本は平和ボ
    ケというレベルを超えた、危ない状況にあるのではないかと感
    じてしまいます。今回の事件に関して、私達も対岸の火事とい
    うような他人事としてではなく、自国のこととして真剣に考え、
    行動しなくてはならないのはないでしょうか。このままでは、
    国際社会で日本は必要とされなくなり、本当に、単なる「世界
    のキャッシュディスペンサー」という屈辱的な地位に甘んじな
    くてはならなくなると思います。「平和原理主義者」の人達に
    はその方が都合がいいのかもしれませんが・・。(Rikaさん)
    
     テロ根絶、平和の確保を真の目的とする活動なら、私は自衛
    隊派遣も含めて多いに行うべきである、と考えています。(無
    論憲法の枠内で)ですが、湾岸戦争時も含めこれまでのやり方
    は、ただ単にアメリカとの友好関係維持のために、その機会を
    利用している、嫌われるのを恐れてやっている、としか思えま
    せん。私は、国際平和の面で、日本はもっとイニシアチブを取
    ってよい国家であると考えています。(hurryさん)

■ 編集長・伊勢雅臣より

     どのような対応をとるか、は別にしても、三人の方が共通し
    て言われているのは、日本国としての主体的・戦略的な対応が
    必要だという事でしょう。

     しかし79年のテヘランのアメリカ大使館員人質事件(209号)、
    の90年湾岸戦争、そして今回2001年の同時テロと、ほぼ10年
    ごとの危機にわが国の対応も少しづつは進歩しているようです
    ね。過去の歴史から何も学ばない「平和原理主義者」は急速に
    減っているようです。

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mag2:27680 pubzine:3464 melma!:1954 kapu:1708 macky!:1226 

© 平成13年 [伊勢雅臣]. All rights reserved.