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■■ Japan On the Globe(281) ■ 国際派日本人養成講座 ■■■

        地球史探訪: 金日成 〜 スターリンのあやつり人形

         スターリンは、朝鮮人のソ連軍大尉を伝説の英雄・
        金日成に仕立て上げ、朝鮮戦争を仕掛けた。
■■■■ H15.02.23 ■■ 38,542 Copies ■■ 731,490 Views ■

■1.「にせものだ!」■

     1945年10月14日、平壌市北部の牡丹峰のふもとの運動場。
    よく晴れて澄み切った青空の下に、7万人の群衆が集まってい
    た。この日開かれる朝鮮解放祝賀会に伝説の老将軍・金日成が
    帰ってくるという噂に、人びとはつめかけたのだった。
    
     日本の朝鮮統治が始まると、愛国的な軍人達の一部は満洲や
    シベリアに根拠地を移して独立の戦いを続けた。やがて1920年
    代から、一人の勇敢な抗日闘士の名が国内にまで聞こえてきた。
    金日成将軍である。「いつか金日成将軍が日本軍を打ち破って
    凱旋してくる」という伝説が生まれた。
    
     伝説が生まれてからすでに20年。人びとは白髪の老将軍の
    姿を心に描いていた。やがてその金日成将軍が登場すると、人
    びとは唖然とした。老将軍とは似ても似つかぬ若者だったのだ。
    この集会に参加していた呉泳鎮はこう書き記している。
    
         にせものだ!
        
         広い場内に集まった群衆のあいだにまたたくまに不信と
        失望と不満と怒りの感情が電流のように伝わった。短い時
        間ではあるがざわめきが場内をおおった。
        
     金日成の演説が始まると、その朝鮮語はたどたどしかった。
    「ありゃ子どもじゃないか。なにが金日成将軍なもんか」「ロ
    スケ(露助、ロシア人の蔑称)の手先だ」と人びとは口々に言
    い出した。そのまま会場から出て行く人もいた。
    
■2.ソ連軍大尉キム・ソンジュ■

     金日成役を演じたキム・ソンジュは、1912年に朝鮮北部の比
    較的裕福な漢方医の家に生まれ、7歳の時、父の仕事の都合で
    満洲に渡り、中国人の学校に通った。そのため、朝鮮語より中
    国語の方が堪能であった。1931年、19歳の時に中国共産党に
    入党、抗日遊撃隊に所属して、ゲリラの一隊を率いて戦った。
    1941年には日本の討伐部隊に追われて満洲からソ連領に逃げ込
    み、ハバロフスクでソ連軍の大尉となった。
    
     1945年8月9日、ソ連は降伏間際の日本に宣戦布告し、その
    わずか1週間後に終戦、キム・ソンジュの出番は一度もないま
    ま、対日戦争は終わってしまった。8月26日にはソ連軍は平
    壌を占拠し、軍政を敷いた。その上でソ連軍司令部はキム・ソ
    ンジュを新生朝鮮の首班に選び、伝説の英雄・金日成役を演じ
    させたのである。
    
     朝鮮労働党が1983年に出した「金日成主席革命活動史」では、
    金日成将軍は満洲に踏みとどまって、日本軍と10万回の戦闘
    を続け、1945年8月9日にはついに日本に対して最終攻撃命令
    を下し、無敵の関東軍を撃破して祖国を解放し、民衆の歓呼の
    中を凱旋した、と伝えている。
    
     また息子の金正日は1942年にハバロフスクで生まれたが、そ
    れでは辻褄が合わないため、中国と朝鮮の国境にそびえる白頭
    山に金日成が密営を作った時に生まれたとされ、その一角を
    「正日峰」と命名し、わざわざ金正日が生まれたという丸太小
    屋まで作られた。北朝鮮はそもそものはじめから虚偽を固めて
    作られた国家だった。

■3.秘密警察国家■

     キム・ソンジュがニセの金日成だとは誰も公言できなかった。
    ソ連軍は北朝鮮を占領すると、すぐに本国と同様の秘密警察を
    組織し、密告を奨励した。こうした秘密警察など保安要員が2
    万人もいた。
    
     ある34歳の牧師が信徒への説教の中で「解放されたという
    が、北朝鮮のどこがよいのか。いろいろいうけど倭政(日本統
    治)時代は金さえだせば寝ながら旅行ができた」と言った。こ
    の牧師は反動宣伝罪で5年の懲役となった。このように逮捕さ
    れた人数は、1946年11月までの1年間に4万4千人以上にの
  ぼったというデータがある。
    
     ソ連軍は日本の残した工場設備やダムの発電機などを解体し
    て持ち帰った。さらに20万トンの米を供出させた。これは北
    朝鮮での1年間の産米高の四分の1に相当する莫大な量であっ
    た。これにより飢餓が広がり、餓死者が出るほどであった。
    
■4.武力統一の夢■

     1949年12月、中国の人民解放軍は蒋介石を台湾に追いやっ
    て、大陸統一を成し遂げた。金日成はこれを見て、自分も同じ
    ように朝鮮を武力統一したいと思ったのであろう。そのために
    必要なスターリンのお墨付きと支援を得るために、翌年3月に
    モスクワを訪れた。後に首相となってスターリンを批判したフ
    ルシチョフは、回顧録にこう記している。
    
         そこ(スターリンの別荘)では金日成とその代表団のた
        めに晩餐会が催された。われわれはその席で主として、金
        日成が侵攻するというすでに下された決定について話し合
        った。彼は絶対に成功すると確信していた。国民は自分を
        支持するだろう。国民はこの戦争が起こることを期待して
        いる。自分には力強い味方があるし、準備はすべて整って
        いる。成功はまったく疑いないと彼は思っていた。・・・
        
         朝鮮を統一するために、金日成が行動を起こす日が合意
        された。(1950年6月25日に)戦争が始まった。
        
     金日成は毛沢東の中国共産党とも交渉を進め、兵員を装備付
    きで借りる約束を取りつける。中朝国境近くには中国の国籍を
    持つ百万人あまりの朝鮮族が住んでいるが、ここを出身地とす
    る朝鮮系中国人部隊3万人が極秘で北朝鮮に入った。
    
     1950年6月には北朝鮮の全7師団10万人近くが、38度線
    に集結した。スターリンとの決定通り、6月25日午前5時
    25分、砲撃が開始され、朝鮮戦争が始まった。
    
■5.南からの「全面的な侵攻」■

     6月26日朝8時に金日成はラジオ放送を行った。
    
         売国逆賊李承晩かいらい政府の軍隊は、6月25日38
        度線の全域にわたって38度線の以北地域にたいする全面
        的な侵攻を開始しました。
        
         勇敢な共和国警備隊は、敵の侵攻を迎えうって過酷な戦
        闘を展開しながら李承晩かいらい政府軍の進行を挫折させ
        ました。
        
         朝鮮民主主義人民共和国政府は現情勢を討議し、人民軍
        に決定的な反攻撃戦を開始して敵の武装力を掃討せよ、と
        命令しました。人民軍は共和国政府の命令によって、敵を
        38度線以北の地域から撃退し、38度線以南の地域へ
        10〜15キロメートル前進しました。
        
     戦争は南からの「全面的な侵攻」によって始まったというプ
    ロパガンダである。北朝鮮の建国と同様、統一戦争もまた偽り
    に分厚くカモフラージュされて始まったのである。我が国でも、
    その後長い間、左翼勢力がこのプロパガンダを振り回した。

■6.アメリカの知らぬふり■

     一方、アメリカの方も北朝鮮の動きを逐一掴んでいたようだ。
    100人以上のスパイを北朝鮮に送り込み、たとえば朝鮮系中
    国人部隊が北朝鮮に入り始めたという動きも、各師団の構成と
    司令部の位置まで克明に報告させていた。
    
     この当時、米国は中国大陸を共産勢力に奪われ、内向きの姿
    勢に転じつつあった。トルーマン大統領は台湾が中共に攻撃さ
    れてもアメリカは介入しないと声明し、またアチソン国務大臣
    は、アメリカの防衛線を日本まで後退させて、韓国と台湾をは
    ずすと宣言した。
    
     こうした動きは、結果的に金日成にアメリカは介入してこな
    いとの読み違いをさせることになった。金日成は開戦6ヶ月後
    に、アメリカの介入に対して準備が不足していたことを自ら認
    めている。[1,p305]
    
     一方で、トルーマン大統領らの内向き政策に反対するマッカ
    ーサーやダレスを中心とする右派勢力にとって、金日成の侵攻
    はまさに飛んで火にいる夏の虫であった。北朝鮮の戦争準備を
    知りながらも、あえて知らぬふりをして、侵攻を開始させたよ
    うである。
    
     北朝鮮の侵攻が始まると、トルーマン大統領は即座に米海空
    軍に韓国軍支援を命じ、あわせて台湾への第7艦隊派遣による
    中国からの攻撃阻止、フィリピンでの米軍増強、インドネシア
    でのフランス軍への援助拡大を発表した。一転して、共産主義
    陣営との対決姿勢を強く打ち出したのである。金日成の冒険は、
    まさに「やぶへび」だった。
    
     ソ連が欠席していた国連安全保障理事会では6月25日に北
    朝鮮を侵略者と非難する決議を採択し、7月7日には国連軍の
    韓国派遣を決定した。

■7.「人民軍」による人民弾圧■

     侵攻開始の3日後には、北朝鮮軍はソウルを占領し、息つく
    まもなくさらに南進すると思いきや、3日間もソウルにとどま
    り、祝勝会をしたり、「反動」の粛正に熱中した。首都ソウル
    が陥落すれば、人民の支持のない「李承晩かいらい政権」はす
    ぐに崩壊するものと考えていたのである。
    
     さらに金日成は北の人民軍が南進すれば、「南朝鮮労働党員
    20万人が呼応して決起する」と考えていたが、南の人民は逆
    に逃げ出した。人民軍が占領した清州では、小学校の生徒数が
    37%に、中学校では22%に減っている。生徒の7,8割方
    が家族とともに逃げ出したのである。
    
     それも当然である。北朝鮮軍が開戦後90日間で占領した地
    域での被害者は、ソウルを含め、投獄されたもの30万人以上、
    虐殺されたもので身元が判明した分だけで16万5千人、強制
    連行が12万3千人、「義勇軍」の名目で徴発されて、戦線で
    命を失ったり、行方不明になったもの10数万人とされている。
    [3,p72]
    
     また8月頃になると、人民軍は米韓軍を半島の東南の一角に
    追いつめたが、食料の補給がほとんど尽きてしまい、人民を脅
    して食料を取り上げたり、盗みも多発して、人民の反感を買っ
    た。人民軍から逃亡する兵も激増して、金日成は逃亡兵を見つ
    けたら、その場で射殺せよと命令した。
    
■8.人民に石もて追われる人民軍■

     9月15日、マッカーサー最高司令官の陣頭指揮のもと、約
    千機の航空機、数百隻の艦船からなる国連軍は首都ソウルから
    わずか40キロの仁川に上陸、南下していた人民軍10万の退
    路を絶った。
    
     ある人民軍の連隊長は次のような報告をしている。
    
         金浦郡の人民たちは、各政権機関がないために反動派の
        治安隊が組織され、分散したわが軍をみつけしだい無条件
        に銃殺しており、はなはだしきは連絡兵すら派遣するのが
        困難な状況にある。
        
         また敵情をさぐるために地方人民と戦闘員をいっしょに
        派遣しても治安隊の警備に発見され、帰ってくることもで
        きない。この連中は、山の高地、あるいは道路に警備を組
        織して、わが軍が進撃する目的で行動をはじめたら途中で
        ただちに敵に連絡を組織し、敵は万全の戦闘準備で待機し
        ている。
        
     南の人民は、石をもて敗走する人民軍を襲ったのである。9
    月28日には国連軍はソウルを解放した。浮き足だった人民軍
    兵士は命令を無視して勝手に退却を始め、将校たちまで略奪し
    た私服を着て民間人に化けて逃げ出す有様だった。

■9.平壌解放■

     国連軍が10月9日、38度線を突破して北進を始めると、
    金日成は動転した。包囲された数万の人民軍を見捨て、首都平
    壌の防衛態勢も組まずに、10日には中国との国境近くに逃走
    した。
    
     平壌は10月19日に陥落、米韓を主体とする国連軍は抵抗
    らしい抵抗を受けることなく、ほとんど無血で入場した。街で
    は「金日成将軍のうた」にかわって伝統的民謡の「西道愁心
    歌」が歌われ、闇市にはアメリカ製の缶詰なども出回った。
    
     10月24日、南から李承晩大統領が到着すると、30万人
    の大群衆が歓迎に押し寄せた。北の人民はようやく金日成から
    解放されたのである。しかし、その喜びも長くは続かなかった。
    
■10.毛沢東の決断■
    
     スターリンは毛沢東に対して、北朝鮮が予備軍を編成したと
    いうカモフラージュのもと、中共軍5,6個師団を即座に派遣
    できないかと打診した。毛沢東は、中共軍の装備は貧弱であり、
    数個師団では米軍に対抗できないと考え、また米国と中国、ひ
    いてはソ連も巻き込んだ全面戦争に発展する事を恐れて、参戦
    をためらった。スターリンは次のような手紙を毛沢東に送った。
    
         私としては(米国との全面対決を)恐れるべきではない
        と考える。われわれは米国、イギリスよりも強いからだ。
        ・・・ もし戦争が不可避ならば、今戦争になった方がよ
        だろう。米国の同盟者として日本軍国主義が復活し、米国
        と日本にとって李承晩の朝鮮が大陸における彼らの前線基
        地となる数年後よりも、今がいいのである。[2,p174]
        
     毛沢東は中国共産党中央委員会で軍を送ることを決定し、そ
    の理由を次のようにソ連大使に語った。
    
         もし米国が中国の国境に進出するならば、朝鮮はわれわ
        れにとって暗い汚点になる。また東北部は恒常的脅威にさ
        らされ続ける。[1,p176]
        
      この後、中国は3年間でのべ300万という大軍を送り込
     み、再び、平壌、ソウルを奪った。国連は中国を侵略者とす
     る決議を行い、再反撃してソウルを奪回。以後、38度線で
     膠着状態となり、休戦となった。
     
      この後、金日成は北朝鮮の独裁者として君臨し続けること
     となる。金日成はスターリンと毛沢東によるあやつり人形で
     あった。このあやつり人形によって北朝鮮の人民は抑圧され、
     戦争に駆り立てられ、現在ではその息子によって飢餓に苦し
     められている。
                                          (文責:伊勢雅臣)

■リンク■
a. JOG(249) 北朝鮮軍、南侵す
   数十万人の難民を盾に、北朝鮮軍は南侵開始。日本にも大量の
  難民が船で押し寄せた。(軍事シミュレーション) 

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
1. 萩原遼、「朝鮮戦争」★★★、文春文庫、H9
2. A・V・トルクノフ、「朝鮮戦争の謎と真実」★、早思社、H13
3. 中山正、「悪魔の爪跡」★、日本工業新聞社、S55

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