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■■ Japan On the Globe(464)■ 国際派日本人養成講座 ■■■■

          地球史探訪: サムライ達の広報外交
                          〜 米国メディアにおける日露戦争
                 彼らは卓越した英語力で、日本の立場を語り、
                アメリカ国民を味方に引きつけた。
■転送歓迎■ H18.09.23 ■ 34,261 Copies ■ 2,227,386 Views■

■1.米国メディアを賑わせた日露戦争■

     1904(明治37)年2月、日露戦争が始まると、その戦況ニュ
    ースがアメリカの新聞や雑誌を賑わした。TOGO(東郷連合艦隊
    司令長官)、NOGI(陸軍第3軍司令官)、KUROKI(第2軍司令
    官)など、英語らしくない名前が紙面を飛び交った。

     ニュースだけではない。開戦直後、3月2日付けの『ニュー
    ヨーク・タイムズ』紙には、和服姿のKAKUZO OKAKURA(岡倉覚
    三、天心)の写真とともに、記者の質問に答えた記事が掲載さ
    れた。別のページには、BARON KANEKO(金子男爵)のインタビュ
    ー記事が載っている。

     二日前の『ニューヨーク・デイリー・トリビューン』誌には、
    TOYOKICHI IYENAGA(家永豊吉)のカルチャー・センターでの
    講義を取材した記事が掲載されていた。

     この年、10月に出版された岡倉天心の『日本の覚醒(The
    Awakening of Japan)』は、半年間で全米売上第4位となった。
    翌月に出た朝河貫一の『日露衝突(The Russo-Japanese
    Conflict)』は、書評誌『サタデー・ブック・レビュー』で
    「クリスマス・プレゼント本100選」の一冊に選ばれた。

     この時期ほど、日本人の言論が米国のメディアを賑わせた事
    はなかったろう。そして達意の英文で語られた彼らの品格ある
    教養と思想は米国民を魅了し、親日世論を湧き興して、日露戦
    争での日本の立場を大いに強化したのである。

■2.金子堅太郎の米国世論工作■

     米国メディアで活躍した筆頭は、金子堅太郎男爵である。か
    つてハーバード大学ロースクールで法律を学び、セオドア・ル
    ーズベルト大統領とも同窓だったという縁で、日本政府からア
    メリカでの世論工作のために送り込まれた人物だった。

     開戦1ヶ月後の1904(明治37)年3月に米国入りした金子
    堅太郎は、かつての留学の地ボストンではなく、新聞や雑誌な
    どの本社が集中するニューヨークに腰を据えた。

     ニューヨークでは、スチュワート・ウッドフォード将軍が金
    子のために200人を超える政財界の大御所、軍高官、学者な
    どを招待して盛大な歓迎パーティーを催してくれた。将軍はか
    つて日本訪問中に金子の世話になり、急速な近代化や、勤勉で
    礼儀正しい国民性に強い感銘を受けていた。

     日本は緒戦の勝利以降、大きな戦果を上げておらず、逆に、
    ロシア海軍の名将マカロフが旅順に派遣され、予断を許さない
    状況だった。そこにマカロフの乗る戦艦ペトロパブロフスクが
    日本海軍の機雷に触れて爆沈したというニュースが飛び込んで
    きた。ロシアに流れかけたムードを引き戻す絶好の機会である。

■3.「我が国は、その門戸開放のために戦っているのです」■

     食事と歓談の後、主催者ウッドワード将軍が金子を歓迎する
    スピーチを述べると、金子は演説を始めた。

         私も我が国も、実に多くをアメリカに負っています。

     と切り出した金子は、ペリー来訪の後、日本は門戸開放政策
    をとり、アングロ・アメリカン(英米)文明を採用した、と述
    べた。「文明開化」をアメリカ人向けに説明すれば、こういう
    言い方になるだろう。そしてその英米文明を中国と韓国に導入
    しようとした過程で、ロシアと敵対することになった、と説明
    した。

         私たちは、領土的な野心や好戦心のために戦っているの
        ではありません。アングロ・アメリカン文明の極東への導
        入のために戦っているのです。ペリー提督は、私たちに門
        戸開放を授けてくれました。今、我が国は、その門戸開放
        のために戦っているのです。[1,p84]

     会場から拍手が沸き起こった。「門戸開放」とはルーズベル
    ト大統領やヘイ国務長官が対中基本政策としていた方針である。
    その言葉を繰り返し使うことで、日本はアメリカと方針を共に
    している、と印象づけたのである。

■4.「日本の貴族、マカロフを称える」■

     演説のクライマックスは、後半に訪れた。

         ここに御列席の多数の方々はマカロフ大将を御承知であ
        ります。大将は世界有数の戦術家である。この人が死なれ
        た。わが国は今やロシアと戦っている。併(ただ)し一個
        人としては洵(まこと)に其(その)戦死を悲しむ。・・

        マカロフ大将も国外に出て祖国のために今やまさに戦わん
        とする時に望んで命を落としたことは残念であろうが、こ
        の戦役において一番に戦死したことは露国の海軍歴史の上
        に永世不滅の名誉を輝かしたことであろうと思う。私は茲
        (ここ)に追悼の意を表してもって大将の霊を慰める。
        [1,p85]

     戦死した敵将の霊を慰めることは武士の習いであった。当時
    のアメリカの上流階級はイギリスの騎士道の気風を受け継いで
    いたであろうから、金子のマカロフ哀悼は強い共感を呼んだ。

     翌日の新聞は「日本の貴族、マカロフを称える」(『ニュー
    ヨーク・ヘラルド』紙)、「マカロフに賛辞を捧ぐ」(『ザ
    ・サン』紙)と伝えた。以後、金子には晩餐やパーティーへの
    招待状が山のように届き、どれに出席するか取捨選択しなけれ
    ばならないほどだった。

■5.「夜が明けても全部を聴かなければ帰らぬ」■

     4月28日には、母校ハーバード大学で講演を行った。留学
    時代から演説の研鑽を積んでいたので、講演は得意だった。

     金子は三国干渉による遼東半島の返還から、ロシア軍の満洲
    における不当な居座り、そして朝鮮半島進出までの経過を説明
    した。ここまでで1時間半も経ってしまったので、講演を打ち
    切ろうとすると、聴衆は総立ちになって「ノー、ノー」と叫び、
    「今夜は貴下の演説を聴きに来たのだから夜が明けても全部を
    聴かなければ帰らぬ」と言い出した。

     そこで、金子はさらに45分を費やし、ロシア側の主張を徹
    底的に反駁した。日本の宣戦布告があまりに急で戦闘に備える
    暇がなかったというロシア側の批判に対しては、前年4月以来、
    ロシア海軍は戦艦3隻、巡洋艦5隻など19隻を増強し、ロシ
    ア陸軍も歩兵2個旅団、砲兵2個大隊など40万人を増派して
    いた、と詳細なデータを挙げて反駁した。

     日露戦争はキリスト教徒と異教徒の戦いだ、というロシア側
    の宣伝に対しては、日本は仁川沖の海戦で損傷した軍艦「ワリャ
    ーグ」の負傷者を日本の赤十字病院に収容し、死者は衣服を改
    めて陸上でキリスト教の葬儀を行った。ところが満洲やウラジ
    オストックでは、ロシア人官吏は在留邦人を抑留し、虐待した。
    日本人とロシア人のどちらの行為がよりキリスト教主義に適っ
    ているか、と聴衆に問いかけた。

     翌日の『ボストン・ヘラルド』紙は、金子の演説の内容を余
    すところなく伝え、「彼の成功は真に驚嘆に値する」と述べて、
    シーザーを追悼するアントニウスの歴史的演説に勝る、とまで
    激賞した。

■6.「ロシアは文明のレベルで決定的に日本に劣っている」■

     ボストンでの講演の後、金子の広報活動は完全に軌道に乗っ
    た。ボストン、ニューヨーク、ワシントンを往来しながら、講
    演、晩餐会でのスピーチ、そして毎月のように新聞や雑誌への
    寄稿と、まさに八面六臂の活躍を続けた。

     もともと判官贔屓で日本を応援していた米世論は、金子の冷
    静かつ品位のある主張に触れて、ますます親日的になっていっ
    た。当時の駐米ロシア大使カシニーの娘マーガレットはこう書
    いている。

         ルーズベルト大統領、ヘイ国務長官、そして米国政府全
        体が、公には中立だったにもかかわらず、すさまじいまで
        に感情的に親日になっていました。父は怒りのあまり髪を
        かきむしりながら、ジョン・ヘイや皆に言ったものです。
        いつの日か米国は、この選択を後悔するだろう、と。
        [1,p148]

     ロシアも金子の活動に対抗するように、広報外交官としてエ
    スパー・ウフトムスキー公爵を派遣した。カシニー大使とウフ
    トムスキー公爵は、日本人が勝てば、中国人を指導して近代的
    軍隊を作り上げるだろうと、「黄禍論(かつてのモンゴルのよ
    うに黄色人種が白色人種を侵略する)」を持ち出したが、その
    受けははなはだ悪かった。ロシアが満洲を占領して、米国を占
    めだしてきた経緯から見て、こういう言い分には説得力がまっ
    たくなかった。

    『ハーパーズ・ウィークリー』誌はロシア寄りの記事を載せる
    数少ない雑誌の一つで、日本公使館はロシアに買収されている
    と睨んでいた。そこに公爵の日本批判丸出しの一文が掲載され
    ると、読者から次のような反論が寄せられた。

         試しに、貴誌の読者諸賢にウフトムスキー公爵の論評と、
        ほぼ2、3日おきに新聞で報道される金子男爵の演説を比
        べてみてもらいたい。金子男爵の慎み深さと真にキリスト
        教的な奥床しさと、ウフトムスキー公爵の尊大な発言とを。
        結局、少なくとも論理的思考力、判断、演説という点にお
        いて、ロシアは文明のレベルで決定的に日本に劣っている、
        と認めることになるだろう。[1,p164]

■7.「同じような克己心をもってフランクリンは、、、」■

     日本政府の意向を受けた金子堅太郎に対して、純粋に私人の
    立場から、しかもきわめて学問的に日本を擁護したのが、ダー
    トマス大学講師の朝河貫一であった。日露開戦の9ヶ月後に出
    版された著書『日露衝突』では、ロシア側が最初から満洲を独
    占するつもりであったことを編年的に明らかにし、そのうえで
    日本は満洲における機会均等と清国の主権尊重を死守するため
    にロシアに戦いを挑んだのであり、それは米国の外交方針と完
    全に一致する、と主張した。

    『日露衝突』は学問的な著作であったが、多くの新聞、雑誌の
    書評欄で絶賛された。『ニューヨーク・タイムズ』紙の書評は
    次のような賛辞を送った。

         日露戦争に関しては、様々な形で取り上げられてきたし、
        今後さらに書かれるだろう。しかし、これまでのところ、
        この戦争の原因と争点について、明白でしかも公平な態度
        で論じたものはなかった。本書では、それが立派に成し遂
        げられている。[1,p133]

    『ネイション』誌の書評では、「作者の国籍は、もし明かさな
    ければほとんど推測できないのではないか」とまで述べ、次の
    ように結んだ。

         本書の特徴は、口論中の人がよく使う類の口調や表現を
        抑制している点にある。そして悲しいかな、ロシア側には
        このような姿勢は欠如している。本書を読むと、ある戦争、
        そして自国の弁護のためになされたある主張に思い至る。
        同じような克己心をもってフランクリンはアメリカ植民地
        における実情を世界に示し、リンカーンは南部に対する北
        部の真実を述べたのだった。[1,p136]

■8.岡倉天心の『日本の覚醒』■

     朝河貫一の『日露衝突』と前後して、岡倉天心の『日本の覚
    醒』が出版された。その主張は、日露戦争は西洋物質主義と東
    洋精神主義の戦いであり、ここで東洋が滅びるわけにはいかな
    い、という西洋物質文明批判である。岡倉の英文処女作『東洋
    の理想』はイギリスで出版され、ルーズベルト大統領も、日本
    人の精神は偉大で素晴らしく高遠な面が見られる、と感想を述
    べている。

     天心は講演で「あなた方は富を求めて狂奔するあまり、絵画
    の前に長くたたずむ時間の余裕を持たなくなっています」と辛
    辣な批判をしながらも、「私の言い方に立腹しないようにして
    頂きたい。日本はあなた方の後を追って、芸術を大切にしない
    ことを一生懸命学んでいるところなのです」といなしてしまう
    話術で観衆を魅了した。

    『日本の覚醒』は、全米の新聞15紙、雑誌10誌の書評でお
    おむね好意的に取り上げられた。『クリティック』誌はこう評
    した。

         もし出版社による序文で述べられていなければ、本書が
        全編岡倉氏によって英語で書かれたということに、読者は
        まず気がつかないだろう。それは単に英語で書かれている
        だけではない。その英語は立派で、想像力が表現豊かに高
        揚する時にのみ、日本芸術家の感覚が垣間見られる。
        [1,p122]

■9.文明の利器と古武士の精神■

     シカゴ大学の社会人講座の講師だった家永豊吉は、シカゴを
    中心に講演活動を行っていた。そのテーマも「なぜ日本には罵
    り言葉がないか----女性の影響を受けた日本語の穏やかさ」な
    ど、好戦的な日本人というイメージを払拭する内容を盛り込ん
    だりした。機知に富んだ言い回しや、茶目っ気のある皮肉で、
    聴衆の笑いと喝采を呼んだ。

     ヨネ・ノグチ、こと野口米次郎は英詩集を英米で出版し、
    「東洋のホイットマン」との評判を得ていた。日露戦争が始ま
    ると、戦争とは直接関係ないが、日本の出版文化に関する論評
    を次々に発表した。こうした大衆文化の世界でも、日本が先進
    国の仲間入りしつつある事をアメリカ人読者に印象づけた。

     金子堅太郎、朝河貫一、岡倉天心、家永豊吉、野口米次郎。
    アメリカのメディアでこれほど日本人が登場した時期は、これ
    以前も、これ以後もなかった。当時の日本人と接したあるアメ
    リカ人は、金子堅太郎に次のように語っている。

         今日の日本というのは、維新前の封建時代の武士道とい
        うもので訓練した精神がまだ残っている。それに欧米の文
        明的の学術技芸を輸入して加味したから、精神は日本の古
        武士である。それに文明の利器を与えたからこれは実に強
        い人種である。一面には封建の武士であって、一面には二
        十世紀の文明の利器を持った人種である。こういう人種は
        世界にはない。[1,p54]

     彼らの英語力とは、文明の利器の一つであった。それを通じ
    て語られた古武士の精神、すなわち彼らの品格ある教養、思想、
    学問、芸術、歴史伝統がアメリカ人を魅了したのである。彼ら
    こそ真の国際派日本人だった。
                                         (文責:伊勢雅臣)

■リンク■
a. JOG(218) Father Nogi
    アメリカ人青年は"Father Nogi"と父のごとくに慕っていた乃
   木大将をいかに描いたか?
b. JOG(291) 高橋是清 〜 日露戦争を支えた外債募集
    莫大な戦費の不足を補うために欧米市場で資金を調達する、
   との使命を帯びて、是清は出発した。

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1. 塩崎智『日露戦争 もう一つの戦い』祥伝社新書、H18

_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ おたより _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
■「サムライ達の広報外交」に寄せられたおたより

                                               雅之さんより
     国際人として活躍するためには、幼少のころから英語に慣れ
    ておくことではなく、日本人が古くから大切にしてきた価値観、
    道徳を幼少のころから身につけさせること。そのために我々大
    人が、一度捨てさせられた日本人の価値観を今一度甦らせ、自
    ら身につける必要を強く感じました。

                                             Yutakaさんより
     外交に於いて広報活動がいかに大切かと言うことが良く理解
    できました。

     明治時代と異なり、日本には帰国子女など外国語を母国語と
    ほぼ同じ程度の使いこなせる人間がはいて捨てる程います。ま
    た国民全体の外国語の能力も明治時代とは比較にならないくら
    い高くなっています。にも関わらずこと外国語による日本国の
    広報活動といえばお粗末の一言につきます。

     どうも日本人の人間としての中身の質が低下しているのでは
    ないでしょうか?東大卒のいわゆるエリートと呼ばれる高級官
    僚に代表される人たちは、確かに頭は良いのでしょうが、その
    良さと言うのはああ言えばこう言うと云う回転の速さと記憶力
    のよさであって、物事の本質や軽重を見極める能力は欠如して
    いるように思われます。

     考えれば明治維新を成し遂げたいわゆる志士達は多くは軽輩
    の士で教育も限定されたものしか受けていませんでした。しか
    し彼らは幾つかの過ちは犯したとしても日本を近代化させ欧米
    の植民地主義に対抗できる国を作り上げました。

     ところが国が近代化し教育制度整備されてから養成された所
    謂エリート(高級軍人や官僚)は自国の実力を冷静に判断する
    ことも出来ず、わが国を敗戦へと導きました。思うに真のエリ
    ートは学校教育で養成できるものではないようです。

■ 編集長・伊勢雅臣より

     日本人の伝統的価値観を世界に主張できる人間をどうしたら
    育成できるのか、現代日本の大きな課題の一つです。
 

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