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 戦後という言葉がまだ今よりはずっと身近であった昭和33年の冬、南海本線の泉大津駅前に内科医院が誕生しました。急行停車駅であったにもかかわらず当時まだその付近は未舗装の砂利道であり、駅舎をバックにして立つ白亜の二階建がずいぶん人目を引いたものだと聞いています。

 これが当院の前身ともいえる初代「大西医院」の開業です。今のような健康保険制度ができたのは開業してしばらく経ってから、そんな時代でした。当時、南大阪ではほとんど目にする事のなかった「循環器科」を看板にかかげてのスタートであり、患者さんにどういう診療科目であるかを説明することから診察を始めることもしばしばであったようです。今でこそあたりまえの心電図計や心音図形も当時は非常に珍しかったのですが、これをかなりの投資で導入していました。こういった新しい機器を使って、初代院長は学童の心臓検診に多くの努力と時間を費やしました。「私は先生に聴診器ひとつで心臓病を見つけられ命を助けてもらった」と述懐してくれる患者さんも少なくありません。

 どちらかといえば世間知らずで失言癖のあった院長でしたが、それゆえにまた堺から泉南地方にいたるまで実に多くの患者さんに愛され、40年の長きにわたり診療を続けることができました。その院長が一命をも危ぶまれる大手術を受けたのはちょうどこのクリニックを開業した平成6年5月でした。半年の入院生活の後、ふたたび元気に診療を続けていたのですが、昨秋より病気の再発による痛みと右上半身の浮腫が現れ、それでも気力でこの1月末まで患者さんの前に座り続けていました。「あかん、もう限界や」と言い寝込んでから6日目には入院し、そして48日目の先月3月19日未明、初代院長は静かにこの世を去りました。人間としても医師としても尊敬できる父でした。最後の診察に訪れた老婦人が、涙声でぽつんと言って下さいました。「こんな先生がこの街にいらっしゃるというだけで私は幸せでした...」

 「大西医院」はその役目を終え40年の歴史の幕を閉じました。お世話になった方々、患者さん方に心より御礼申し上げます。