[東 京]

手前味噌だが、夜間撮影かつ標準のシャッタースピードで
ここまでブレを抑えるにはそれなりの腕が要る。

 楽天イーグルスが誕生した。しかし近鉄バファローズを失うという傷跡を残した球界再編騒動は、「交流戦」という思わぬ副産物も残した。
 交流戦とは、セとパの球団同士による公式戦の事で、以前からパ・リーグがセ・リーグに対して要望してきたものだった。しかしセ・リーグの球団にしてみれば、交流戦の導入は巨人戦が減ることを意味するので、ずっと拒絶し続けてきた。オープン戦の期間に非公式戦として行われた事もあったが、コーラに炭酸を混ぜて「新しい味です」と言っているようなものだった。
 それが今回の再編騒動で、セ・リーグも危機感を持って...という事なのだが、各球団の利害云々はさておき、交流戦自体は誰が考えても新鮮で面白いので、よほどの偏屈か目立ちたがりでない限り、大抵のファンは賛成していた。
 ではライオンズのファンという立場で最も観たいカードは何かというと、やっぱり巨人戦だったりするのである。なるほど巨人と試合がしたいというのは決して経営者の思惑ばかりではなく...というかファンの欲求に球団の思惑が反映されているのだという事が遠巻きにわかる気がした。


レフトスタンドの青い一角がライオンズファン。

 しかし交流戦が実現した時には、巨人人気も凋落がはじまっていた。土曜日の試合なのに空席は結構あるし、僕の隣の席などは最後まで空いていた。実は後楽園球場時代を含めて「巨人のホームゲーム」を観るのははじめてなので、その「入りやすさ」に拍子抜けしてしまったのだ。子供の頃から巨人戦というものは「なかなか観れないもの」だったから。
 つまり待望の交流戦が実現したは良いが、既に球界は巨人人気に依存できなくなっていたという皮肉な話。僕自身はどうかと言うと、その方が球界にも巨人自体にも「いい薬」だと思う反面、倒し甲斐のある敵であって欲しいとも思うのだった。
 で、今両者の力関係がどうかと言うと、巨人は最下位だが、ライオンズは3位。しかし借金生活の3位で、パ・リーグは2強4弱が早くも定着してしまっていた。対してセ・リーグには下位のチームにも浮上できそうな雰囲気があって、セの6球団すべてがパの2強と4弱の間に入っているような構図だ。実際ここまで対巨人交流戦は1勝3敗。「3位と最下位の対戦だから優位」などと単純には言えない。


王ゲート。意外とちゃんと見た事がないレリーフ。

 先発の河原純一は巨人から移籍してきたばかり(交換トレードによる)。しかし僕は彼の登板を観るのは早くも4回目だ。過去3回はすべて負け。それでもなぜかファンの間で河原は結構支持されている。巨人以外のファンは大体アンチ巨人だが(アンチ巨人には僕なりの定義があるのだが、話をややこしくしたくないのでここでは単に巨人が嫌いな人をアンチ巨人とする)、巨人から来た選手には結構好意的だったりする。何か「巨人からドロップアウトした」というイメージを重ねて一方的に感情移入しているのかもしれない。僕などはかなりベタに「河原を巨人に勝たせたい」クチで、ちょっと良いピッチングをすると「やっぱり良い投手だったんだなあ」などと必要以上に感心するのだった。
 清水遊ゴロ、二岡三ゴロ、ローズ中フライ。小久保145km/h一ゴロ、由伸左フライ、清原四球の後阿部投ゴロ。ほぼ完璧な滑り出し。と言うか巨人はこの打線でどうやったら最下位になれるのだ。まったく不思議なチームだ。
 対してライオンズ打線にはカブレラ以外のビッグネームがいないが(しいて言えば和田か)、近くで観ていた中年夫婦(たぶん)のご主人が「西武は楽しみな若手が多いんだよな」と言っていた通り。交流戦の実現で正に浮き彫りになる両者の対比。最も注目されているのは「おかわり君」の愛称を得て売り出し中の中村剛也。愛敬のある巨漢で、見た目に違わぬ大食漢。充分個性的な上、好きな言葉が「おかわり」。ホームラン量産で大ブレイク中という絶妙のタイミングでこのキャラが受けた。先発・高橋尚から痛烈なレフト前タイムリーでライオンズ先制。そろそろマークされ、一発狙いも難しいかなと思われた時期。見た目にそぐわぬ対応力が頼もしい。


コンコース。剥き出しのパイプにふと「古さ」を感じる。

 肝心の四番カブレラと五番和田が倒れ、更に天才の素質が開花した、ベイスターズから移籍3年目の石井義人。去年から打ち出し、しばし難しい球を器用に捌くので「天才?」と思わせた。自分が注目してきた選手が頭角を現すのはいつも気分が良い。インコースも難なく捌き、レフト前2点タイムリー。去年台頭の中島裕之ヒットの後、まだ打率.000の野田2点タイムリー。6安打で5点。夢のような効率的な攻撃だ。
 巨人の三番はバファローズの主砲だったタフィ・ローズ。四番はホークスからの不可解な無償トレードで獲得した小久保。両者の対比とは正にこの事なのだ。
 巨人の人気の原点とは、ONというカリスマが打線の中軸として鎮座していた黄金時代にある。松井秀喜がいた巨人がそれなりに人気を保っていたのは、松井がONを投影するに足る存在だったからだ。もっとも巨人の組織力ならば、次のカリスマを育てる事はできる筈である。しかし巨人という球団にとって戦力とは育てるものではなく奪う(あえてそう表現する)ものであり、その繰り返しは巨人自身、および選手本人にとって「残念な結果」を再三もたらしてきた。


場内を飛ぶ飛行船にはテレビカメラが。客席の様子を新しい角度で映している。

 無条件に巨人が好きな人たちはあらゆる理屈と屁理屈を駆使して巨人のやり方を必死に正当化してきた。彼らの理屈の部分は別に間違ったものではなかったが、人の心は理屈に隷属するようにはできていない。観客動員、視聴率...色々な数字に巨人の凋落は表れた(2008年現在それは続いている)。
 ローズがホームランを打った。バファローズ時代から僕が観ている時の彼は必ず打つ。ドームの中、沸く巨人ファン。それでもドームの外ではファンの心は離れていく。
 しかし往年の人気を失っているのはライオンズも同じだったりする。これは割と理由がわかりやすい。清原がいなくなって、全体の印象が小粒になってからだ。それを理由と言い切れないかもしれないが、それを境に地味になった事は事実だ。
 そして巨人に移った清原が辿った道は周知の通り。06年にはバファローズに移籍。いや厳密には巨人に切られたと言える。
 六番ファーストでスタメンの清原は三打席ノーヒット。12-5で勝負が決まった八回、ライオンズ売り出し中の小野寺をまったく打てず三振。ゾロゾロと帰り出す観客。巨人、清原本人、ライオンズ。誰のためにもならないスター選手の巨人一極集中。ライオンズだけではない。結局後にイーグルスを除くパの全球団がスター選手を巨人に「強奪」される事になる。


帰ろ帰ろ、という感じ。

 血を流し、ようやく実現した交流戦。しかし巨人を相手にすると言いようのない据わりの悪さが漂う。パのファンは巨人を非難し、心ある巨人ファンは多少の後ろめたさを隠しながら開き直ってみせる。
 清原がライオンズにいた頃は僕はファンではなかった。だから彼が巨人に移籍した時のリアルな感情というものは経験がない。だが当時からのファンには一言で言い表せない感情がある。最後の打者、代打川中がセンターフライに倒れ、試合終了。勝利に沸き、同じ喜び方をするライオンズファン。しかし一人ひとりの清原や巨人に対する想いを知る事はできない。
 ナベツネが暴れ出した時、誰も闘おうとはしなかった。パの盟主と言われた堤オーナー(当時)さえも。そして、やっと実現した交流戦。しかしもはやドル箱ではなくなりつつある巨人戦。やる事成す事噛み合わないプロ野球。なんとなく淀んだ空気の中で、ファンの歓声だけが純粋なものだ。
 どのチームが凋落しても、球界全体にとっては良い事とは言えない。しかし巨人が落ちなければ、プロ野球は変われない。プロ野球は痛みの時代に入っている。だけど、どこか心地良い痛みでもある。(2005.6)

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