ピーチライナーという、モノレールみたいなものが走っていたが
廃止になってしまった。これは市民球場の最寄駅だった上末駅。
野球場が視界に入れば当然エントランスに向かって歩いて行く。しかし小学校の敷地が立ちはだかり目の前にある筈の球場に全然近づけない。今日の試合で「快挙」達成なのに。
何が快挙かと言うと、今日のゲームを観戦する事で、NPB(一軍二軍)、社会人、独立リーグ、大学、高校、準硬式、軟式、女子、少年、ソフトと一通りの野球ジャンルを極めた(笑)僕にとって唯一未知のジャンルだった「中学野球」が補完されるという実に自己満足なものなのだが(実際はもっと細かく分類できるから)。 その快挙達成を前にして目の前の球場に入れない。どうも一見遠回りでも外野に回り込まないとダメらしい。 野球界全体を俯瞰すると、中学野球というのは面白いポジションにある。これから体が作られていくという時期にあって、大人と同じ規格のグラウンドでプレーする最初の階級だ。野球選手の、成長過程というものがもっとも浮き彫りになるのがこの中学野球というものではないだろうか。という風に中学野球というものを考えている。
もっともどういう規格でプレーするかは組織によると思うが、リトルシニアでは大人の野球と同じ。リトルシニアというと少年野球のひとつ上という意味の一般名詞に取られがちだが、「日本リトル野球協会リトルシニア委員会」という固有名詞で、硬式中学野球では日本最大の組織だ。
変声期真っただ中という声がグラウンドに響く。体は大人になり始めという時期に大人と同じ規格のグラウンド。僕は、きっと守備の乱れが頻発するだろうと予測している。で一回表の富山の攻撃。投手はいきなりスライダーを投げる。なるほどグラウンド規格にあまり関係のない個々の芸は結構磨かれていそうだ。しかし守備では絶対やらかす。一番M島のフライ、いきなりセンター捕れず打者走者二塁へ。二番H生(なんかいやらしい響きだが)が送り、三番I嶋が四球。旭川の先発、左のC葉は「ボールとストライクがハッキリ」というパターンで、やっぱり「際どいところを突く」などと普段ファンは簡単に言うが、それがいかに高等な技能によるものかがわかる。
投手のC葉が一番を打つ。外ストライク、内角引っ張ってファール、外ボール。外角球を打つというのはやっぱりそれなりに高等技能が必要なのだと思う。4球目を理想的なセンター返し。このライナーをセンターH生(なんだかいかがわしい響きだが)捕れず。さて大人の野球では打球がライトを越え、その処理に野手が余程もたつかない限り打者走者が生還する事はあまりないが、中学野球ではこの通り。記録はホームランではないと思うが、やっぱりグラウンドを持て余しているという感じだ。しかしその後一死一、二塁からセカンドゴロによるゲッツーなどというものを見れた。大人の草野球でゲッツーが決まるとその試合後に祝勝会みたいな事をチームによってはやるらしいが、その位ゲッツーというのは高度なプレーのひとつで、さすがに普段から一生懸命野球をやっている集団の野球だな、とは思う。ゲッツーごときで感動とは、中学野球をなめてんのかと言われるかもしれないが、なにしろ中学野球初観戦なので、良い意味でイメージを裏切りまくって欲しいとは思っている。
二回は何となく普通の野球になった。そりゃ毎イニング荒れていてはさすがに委員会も考えるだろう。旭川のC葉は割とすんなり立ち直った。しかし見ていると全体、守備が危なく、普通のゴロを捌くのも何となく怪しい。やっぱり投げるとか打つとか、原始的な部分が先に形になって、守備は後から形になっていくものなのだろうか。
父兄や関係者以外の、いわゆる「野球ファン」が観る一番若い野球が高校野球だ。そして高校野球というものは一応野球として形になっているから、野球ファンにとって野球は「形になっている」のが当たり前なのだが、選手一人ひとりが「形になる」までには当然その過程を経ているわけで、その過程こそが正に少年野球から中学野球と言えるのではないだろうか。全国大会の決勝レベルはまた違うのだろうが、少なくとも大人と同じ規格のグラウンドを使いこなせていない感じではあり、野球を野球たらしめる「守備」がアレなため、「野球ファン」の観戦には耐えないかもしれない。しかし、「高校球児はこうして造られる」という、その生々しい現場であると考えると、観戦と言うよりは見学とでも言うべき、一歩引いた謙虚な気持ちにこちらがならなくもない。
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