はじめて下関を訪れたのは1993年の秋だった。壇ノ浦古戦場のあたりで横浜ベイスターズのウインドブレーカーを着たおじさんを見かけ、一瞬こんな遠いところで珍しいなと思ったものの、この街が大洋ホエールズ発祥の地であった事をすぐに思い出した。
大洋ホエールズは下関を本拠地(あえてフランチャイズという表現は避ける)に2リーグ分裂後の1950年シーズンからスタートした。ちなみに大洋ホエールズという名前になったのは開幕から4試合目の事で、それまでは「まるは("は"の丸囲み文字)ホエールズ」という名前だったらしい。下関を本拠地としていたのはわずか3年くらいなので、ライオンズやホークスやファイターズの本拠地移転前の事とは違い、当時の様子を知る人は少ないだろう。ベイスターズのウインドブレーカーを着ていたのが年配者である所がいかにもというか、とても貴重なものに思える。
もっとも親会社は既にTBSに変わっており、大洋漁業の拠点であった下関と直接の所縁はない。それでも「里帰り」の習慣は残っており、そこに経営云々を超えた絆の強さを感じる。新下関駅のバス停になんと緑とオレンジの「川崎大洋」の帽子を被った人がいて、はてどういう立場の人かと一瞬混乱したりして。
「長州シリーズ」と銘打って。
下関球場はかってホエールズが使っていた市営球場とは別物だ。東京ドームと同じ1988年の開場で、当時プロ野球の常打ち球場で両翼が100mあったのが東京ドームだけであった中で両翼100mに達していた。もしかしたらベイスターズの里帰りのためにプロらしい球場を、などと考えられていたのだとしたら、と勝手に想像して勝手に胸を熱くしてみたり。
相手はホエールズと同年スタートした同じ「戦後派」のスワローズ。お互い最初の公式戦をこの下関で戦った縁だろうか(2-0でホエールズが勝っている)。昨日は山口市の西京スタジアムで同じカードがあり、いよいよ今日が里帰りの本番だ。先発はそれに相応しく三浦大輔。スワローズはいきなり谷間で、後にセットアッパーとして活躍する松岡健一。先発が揃わない最下位スワローズの投手事情を物語っている。一年目にAクラス入りを果たした古田スワローズだが、今季は正に投手陣崩壊で新外国人グライシンガーでしか勝てないという有様。采配を色々批判されてもいるが、采配云々というのは先発投手が試合を作る事が前提であり、その点はもう今の時点で辞める話もチラホラ出ている古田が気の毒に思えた。青木、ラミレス、ガイエルを擁する打線は他と見劣りはせず...とついスワローズの話をファンである故にはじめてしまったが、主役であるベイスターズにもっとウェイトを置かねば。
この日を待っていた人々。
仁志、石井琢、金城、村田、内川を擁しながらやっぱりBクラスのベイスターズ。もう既に長い低迷期に入ってしまっている。て言うか歴史的にこのチームは言っては何だが低迷がデフォルトになっており、1年目を「貯金1」で終え、一度も最下位にはならなかった下関時代が「古き良き時代」にさえ見える。オールドファンというのは得てして現在に対して「昔」を高見に置いた上でモノを言いたがる傾向があるが、下関時代のファンの立ち位置が何だか微妙な感じがして面白い。「昔は良かった。今は」云々というステレオタイプな年寄りとは違う気がして。
一回表、宮出2点タイムリー。二回表、飯原タイムリー、ラミレス2点タイムリー。三回表、川本オートマチックダブルで1点。6-0。
しかし投手陣崩壊のスワローズにとって6点差などはリードのうちには入らない。それでも松岡は村田のヒット1本に抑え、後は力で抑え込んで...いかん、つい主語がスワローズになってしまう。そうベイスターズは三浦を早々に諦め、四回には二番手秦を送る。
四回表、ガイエルのショートゴロで1点、宮出3ラン。10-0。
しかし今のスワローズ投手陣では極端な話10点リードでも安心はできない...また主語がスワローズになってしまった。そうベイスターズはその裏無死一、三塁で村田の犠牲フライによりやっと1点を返す。早いカウントから打ち出してきたのが功を奏した。10-1。さて故郷のベイスターズファンとしてはもう勝負は着いたか、あるいは最下位スワローズの投手相手なら追いつけると勢いづくか。当然、勢いづくだろう。何せ里帰りだ。勝敗はさておき盛り上がれば良い。
キャパシティがちょうど良い。海峡メッセも見える。
六回表投手ホセロ。ガイエル右中間ソロ、二死から松岡のゴロを仁志タイムリーエラー、12-1。
何かベイスターズファンでもなければ下関とも関係ない僕ばかりが楽しんでいる。と言っても普通にスワローズファンもおり、レフトスタンドから「ヤクルト大好き!飲む方じゃない」などとハッキリと声が聴こえてきたりする。その声が、聴き覚えがあるというか、いつも神宮で何かわけのわからない事を叫んでいる声と似ているので一瞬驚く。まさかこんな遠くにまでスワローズを観に来ているんだろうか。まったく世の中には色んな人がいるものだ。人の事は言えないが。
ベイスターズファンがどういう心境でこのゲームを観ているかは色々だと思うが、負けていても「主役はベイスターズ」という感じで雰囲気は良い。この雰囲気を壊さないという意味でスワローズはその「付き添い」役としては適しているようだ。実際この両チームは同じシーズンにスタートし、お互い公式戦の最初の相手であり、やたら合併の噂を立てられたり、何かと親密に見られている。コラムニストの綱島理友氏などは「セ・リーグの裏伝統戦」などと定義しつつその辺の経緯について述べている。
沈む夕日。ライト後方は響灘。
八回表、田中2ラン、14-1。
観衆は10,553人。平日の横浜スタジアムとあまり変わらない感じだが、どう評価すべきかはよくわからない。ホークスが福岡に来る以前の、ライオンズの福岡への里帰りや、ファイターズの東京への里帰りとも比べにくい。なぜ比べにくいか考えてみると、同時にひとつの大事な事実に気付く。ベイスターズを除く11球団はすべてある程度の大都市(圏)が発祥となっている。その中にあってこのチームは人口20万規模の街(当時)で産声を上げた(ちなみに広島市は当時44万)。つまりわずか3年の間、この小さな都市に「プロ野球チーム」があった、という事実だ。
先に述べた他球団の本拠地移転前と比べ、情報が少ないだけにその3年間はとても貴重なものに映る。断片的に「熱気があった」とか「西鉄も人気があった」とかいった証言を目にする事はあるが、映像もなく、当時の思い入れを語る人々が表に出てこない(あるいは出してもらえないのか)ため、いまひとつ共感するに至らない。それだけにミステリアスな期間だが、長いプロ野球史の中で、その一瞬はとてもかけがえのない時間だったように思える。当時の球場は今の市立病院の場所にあったという。好きな選手のコールにわくわくしながら、響灘に沈む夕日を見ていたのだろうか。
判定の詳細や球速表示がある。
九回表、城石タイムリー、15-1。
その裏、後に外野手に転向する高井がマウンドへ。この14点のリードを守れるだろうか(笑)という心配をよそに内川、鶴岡、吉村を無難に打ち取り試合終了。何というか、これだけ相手チームに良いところのない試合を観るのも珍しいが、地元は鷹揚というか、荒れる人はいない。「本拠地」と「故郷」の違いだろうか。
2011年10月、かねてから売却話があったベイスターズを携帯ゲームサイト「モバゲー」を運営するディー・エヌ・エー社が買収するという動きが表面化し、最終的に承認されそうな雰囲気になっている。下関でベイスターズを応援するある人は「どんどん遠くなっていきそうな気がする」と心境を語っていた。それは資本関係がどうのというより、漁業で成り立つ「街の匂い」から遠くなるという事を表しているのではないか。だから新しいオーナーも、どうか下関への里帰りは続けて欲しいと思う。(2007.8)
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