メインメニューへ戻る

最近本サイトの記述をベースにしていると思われる商業記事やサイトなどを時々見かけます
内容が参考にされるのは非常に嬉しいですし、ネタとして内容を持っていくのはガンガンやって下さってかまいません.
このページ自体様々な雑誌記事情報(一部そうでないアングラ情報もありますが)などの集合体ですし.
あと商業誌で使う場合はちゃんと裏を取ることをお勧めします.あくまで個人サイトなんで参考程度にネ.


ガンダム資料館TOPへ戻る

視聴率こそ芳しくなかったもののガンダム本放送終了.
ブームの牽引役となるガンプラの登場、アニメ誌の特集増加など高まりは増大しつつありました.
そして劇場公開決定………、大ブレイクの前哨点それが1980です.
また、この頃からロボットアニメは黄金期を迎え、傑作が続々と登場しようとしていました

1980     
1月26日 ガンダム本放送終了(東京地区)
1月30日 サンライズ1スタ打ち上げが西荻窪サントリー館で行われる
2月1日 バンダイ「模型情報」誌上で商品化権取得と発表.
放送終了後の商品化権取得は異例.
2月8日 富野善幸氏、徳間書店刊行のアニメージュ誌上にてガンダム映画化案を発表.全4部10時間超という構想.
「ただの総集編にしたくない」「10時間30分一挙上映」と富野氏.
2月20日 バンダイ静岡工場で村松技師による1/144ガンダムの原図が出図.
2月  
 みのり書房OUT誌3月号にカラーヌードイラスト「悩ましのアルテイシア」掲載.
 富野氏は「もうちょっと美しく描いてほしかったなあ………」とコメント.
2月25日 模型雑誌ホビージャパン誌上に初のガンダム製作記事が掲載.1/100シャア専用ザクのフルスクラッチ.
3月21日 キングレコードより3枚目のアルバム 『アムロよ…』 発売.ドラマ編.
4月18日 SFマガジンで鏡明氏が小説版「ガンダム」を論評.
4月22日 バンダイ静岡工場で村松技師による1/144シャア専用ザクの原図が出図.
4月23日 バンダイ静岡工場で八木技師による1/1200シャア専用ムサイの原図が出図.
4月 週刊少年マガジンヤング別冊でガンダムの特集記事が組まれる.表紙はアムロ.
6月  ロマンアルバム35「機動戦士ガンダム」発行.日本サンライズ以外から初の資料的ムック本.
 SF解説には同人誌「GUNSIGHT」からの転載もあり、意欲的な構成.(これも無断転載なのだが)
 草刈健一氏、橋本真司氏らが編集者として参加していた.
 しかし、コアファイター三面図をアニメック誌より盗用するなどの問題点も.

 本誌のバンダイ広告頁には映画化計画中の文字も.
6月 POPEYE誌上でガンダムが紹介される.一般青年紙でガンダム掲載は初.
6月25日 小田雅弘、川口克己氏らが模型製作チーム、「ストリームベース」を組んで活躍を始める.
7月 バンダイより1/144ガンダム発売.以後10年で600万個を越える売り上げを残す.(シリーズとしては98年までに2億9千万個)
7月下旬 松竹と日本サンライズ間でガンダム劇場版の製作が決定
製作は井荻スタジオで開始された.(当時は4スタと呼称せず)
8月上旬 日本サンライズ側から安達登氏に劇場版ガンダムプロデューサーとしての参加依頼.
8月25日 ホビージャパンで初のガンダム特集.
9月5日 新日本フィルによる『交響詩ガンダム』発売.
9月 8日 パート1部の構成台本決定稿が脱稿.
9月10日 アニメージュ主催「80年上半期アニメGP」においてガンダムが一位に(総得票数の40%を獲得)
サブタイトル部門:一位「脱出」、二位「光る宇宙」.
キャラクター部門:一位 シャア、二位 アムロ.
9月 敵側のキャラクターである1/144シャア専用ザク発売.これも以後10年で300万個のベストセラーに.
10月2日 日刊スポーツ紙上に「映画化決定」の一報が掲載スクープ的なものであったらしい.
肝心の紹介記事ではアムロと紹介されているのがセイラだったりして、当時のアニメに対するマスコミのスタンスが伺える.
10月9日
 機動戦士ガンダム映画版正式発表

 築地、東劇ビル「エスカルゴ」で記者会見.
 これまでアニメに縁のない松竹系での公開であり、81年3月、150館同時上映と発表.
 この段階では全何部作になるかは未定.
11月4日 長浜忠夫氏急逝.ロボットアニメにおける富野善幸氏最大のライバル.
11月18日 劇場用特報のフィルムが松竹に渡される.
12月19日 富野監督立ち会いのもと、劇場版主題歌『砂の十字架』レコーディング.谷村新司、作詞作曲.歌はやしきたかじん.
12月22日    劇場予告フィルムが松竹に引き渡される.



劇場公開、アニメ新世紀宣言、一連のフィーバーの結果、ガンダムは一般の人にも認知されるようになりました.
ガンダムで何かが変わるのでは?アニメは新しい文化になり得るのでは?誰もがそんな幻想にとらわれた1981.
一方で試写会での徹夜など、後にオタクと呼ばれる人々の特異な価値観が良くも悪くも一般の人達に印象づけられつつありました.
数々のムック本が出版され、アニメ雑誌も創刊ラッシュが続きます.
ファンの熱狂、ガンダムの勢いにのりアニメ業界は空前のバブルへと突入してゆきます

1981   
1月10日  倍賞千恵子のアフレコが先行して行われる.
カマリア・レイ役で特別出演.
1月21日  アフレコ開始.(27日まで)
1月末 みのり書房OUT誌2月号にSF作家高千穂遙氏が「SFを考える―巨大ロボットアニメを軸として」とする記事を寄稿.
ガンダムがSFになれなかった要因として「総監督にSFマインドが希薄」と言及.
ガンダムSF論争激化.
2月9日 劇場版ガンダム主題歌 『砂の十字架』 シングル発売. 
2月10日 築地、松竹本社で納品試写.
「違うな、ということがようやく分かりました」と松竹重役.

アニメージュ誌上でガンダムプラモデルの特集.
メディアミックス的な展開の仕掛け人は安井尚志氏によるもの.
2月16日 東京地区で再放送開始.
2月17日 東京現像所でスタッフ内試写.
2月22日  新宿アルタ前にてアニメ新世紀宣言が行われる.
 5000人の予定に対して、1万5000人のファンが集結.
 「アニメ=俗悪と言っている大人たちに、
 これだけの若い人達があつまった意味をわかってもらいたい」

 と富野氏のアジテーション.
 列の最前部は16歳の3人組.前日8時からの徹夜組.
 永野護氏がシャアのコスプレで参加.
(後の永野護夫人、川村万梨阿はララァのコスプレ)
 映画パート2の製作決定も発表に.                      
2月 週刊少年マガジン誌上で特集が組まれる.
3月 みのり書房OUT誌4月号に富野善幸VS高千穂遙デスマッチ対談掲載.
(対談自体は1月22日に行われた)
高千穂氏ペースで富野氏はタジタジ(?).
SFになれなかったガンダムの詳細な製作経緯が明らかに.
3月1日 東京、福岡、札幌、大阪など5カ所で一般向け試写会.
新宿での試写会には富野監督による舞台挨拶.
座席の確保されている試写会に徹夜組が出現し松竹関係者は困惑.

同日、富野監督の故郷小田原市での凱旋サイン会.地元ファン800人が集まった.
3月9日 秋田書店総合アニメ誌「マイアニメ」創刊.表紙は安彦氏によるシャア.
3月10日 「ガンダムパート2」製作開始.
植田益郎氏プロデューサー補に.
3月13日 公開前日午前8時の段階で行列800人(新宿松竹).
列の最前部は寝袋持参の4人組.
同日、新宿ピカデリー前の東急会館で日本サンライズの打ち上げ.
打ち上げに参加したスタッフは徹夜組に驚く.
3月14日 劇場版ガンダム公開.(2時間19分10秒22コマ)
新宿ピカデリーでは数千人の徹夜組に対応するため、午前4時半より繰り上げ早朝上映.
以後10日間、10館で74,000人を動員(最終動員230万人).

劇場版ファーストアルバム「MOBLE SUIT GUNDAM1」発売.
3月18日 朝日新聞に「燃えるガンダム人気」と題した論評を九鬼伸夫記者が執筆.
3月 朝日グラフが「ティーンズを熱中させる機動戦士ガンダムの世界」と題した特集を掲載.
3月28日 徳間書店より富野善幸氏の半生を綴った自伝『だから僕は…』刊行.
虫プロ入社からザンボット3直前あたりまでの経緯が書かれている.
富野氏の内面や苦い失恋話が赤裸々に描写されている.
4月6日 パート2の内容を巡って、富野総監督と安彦良和ディレクターが衝突.
4月15日 講談社よりアニメグラフブック「機動戦士ガンダム」発売.劇場版のストーリームック本.
大河原氏によるザクバリエーション「砂漠型」「対空砲型」「水中型」「地上用迷彩型」がカラーで掲載.
それぞれ後のMSVでD、K、M、J型となるもの.MSV展開のきっかけとなる.
4月16日 ヤングマガジン誌上で特集が組まれる.
4月19日 井荻スタジオで盗難事件発生、パート1のセル、背景等が盗まれる(4/24にも)
4月21日 劇場版セカンドアルバム「MOBLE SUIT GUNDAM2」発売.(パート1の2枚目である)
4月末 パート2のサブタイトル「哀戦士編」に決定.
5月9日 シャア役の池田秀一氏とマチルダ役の戸田恵子さんが結婚.
5月16日 「ガンダム2・哀戦士編」製作発表記者会見.
同日、富野監督立ち会いのもと、劇場版主題歌『哀戦士』レコーディング.
作詞・井荻隣(富野善幸氏のPN)、作曲・ボーカルは富野氏の同級生でもある井上大輔氏.
5月17日 予告編アフレコ.
5月28日 最終ラッシュ試写.
6月7日 渋谷APUスタジオで哀戦士編アフレコ開始.(8日まで)
6月10日 学研、アニメ専門誌「アニメディア」創刊.
6月 バンダイ、アムロなど主要キャラ4人を1/20フィギュアで発売.
6月 月刊アスキー7月号にPC−8001用ガンダムゲームのリスト掲載.
7月5日 講談社主催による「ガンダム2公開記念フェスティバル」全国十都市で挙行.
7月6日 テレビ朝日系で午後4時よりTVスペシャル公開.哀戦士編のMAKING OFなど.
7月10日 渋谷松竹、支配人の好意で300人の徹夜組を館内に収容.先着15名のセル、ポスター目当てとも.
7月11日 劇場版ガンダム2・哀戦士編公開(2時間13分34秒3コマ).
新宿松竹で富野総監督、安彦ディレクター舞台あいさつ.
同日パート3製作開始.
7月 劇場版パート2主題歌「哀戦士」、TBS歌謡番組「ベストテン」で9位に浮上.
7月 バンダイ、「1/100シャア専用ザク」パッケージにMS−06Sの形式番号を表記.
形式番号を公認した初のキット.
7月下旬 ホビージャパンより初のガンダム模型誌『HOW TO BUILD GUNDAM』発行.
大ヒットしキャラクター模型誌のエポックとなる.
渡辺誠氏(現MAX渡辺)の1/60グフが掲載.
8月20日  
 みのり書房よりOUT9月号増刊として『GUNDAM CENTURY−宇宙翔ける戦士達−』発行.
 形式番号の設定など以降のガンダム設定のスタンダードに.
8月 バンダイ、1/250情景模型シリーズ4点発売.
ジオラマモデルは’79年のヤマト以来.
9月1日 パート3絵コンテ完成.
10月 バンダイ、出荷直前の1/550エルメスを回収.
MA「エルメス」の名前に、ブランドメーカーエルメスからのクレームが入ったため.
10月2日 日本サンライズ岸本社長逝去.虫プロ離散時代からのサンライズ中核スタッフ.
10月22日 数百人の関係社参列のもと故岸本社長の社葬.
10月 バンダイ1/144旧ザク発売.1/144シリーズはTV登場全MSを網羅したことに.
(シャア専用ゲルググと同一金型の1/144量産型ゲルググは翌年6月)
10月  
 バンダイ、ガンダム初のコンピュータゲーム発売
 LCD(液晶)ゲームのシリーズで「GUNDAM SPACE COMBAT 3in1」.定価7500円.
 ザク、ズゴックを打ち落とすシューティング2通りとボールの隕石越えの合計3通りのゲームが楽しめた.
11月3日 東京地区で再々放送開始.
11月6日 パート3製作班、井荻スタジオから上井草へ引っ越し.イデオン製作中の3スタと合流.
11月17日 製作スタッフ、取材陣約70名、新宿野村ビル50F「トップハット」にて「打ち入りパーティ」.
「ガンダム3・めぐりあい宇宙編」製作発表記者会見も兼ねていた.
11月19日 パート3主題歌『めぐりあい』レコーディング.
作曲・ボーカルは再び井上大輔氏.
11月21日 パート3予告編アフレコ.
11月29日 パート3特報予告編完成.
12月27日
 「Last Shooting ’82春 ガンダムは人類変革のさきがけとなる」
 関東地区朝日新聞夕刊にパート3前売り券発売告知用広告掲載.
 アニメ映画初の全10段カラー広告
 イラストは大河原氏のラストガンダムと大破ジオングのド迫力.



めぐりあい宇宙の公開終了.ガンダムは収束に向かいつつありました.
ザブングル、ダグラム、マクロスなど後継ロボットアニメがアニメファンの新たな興味の対象となっていたのです.
しかし、アニメファン以外の人達の間で、異なったガンダムブームが定着していたのです.
モデラーとミリタリーマニア、それに模型を生産するバンダイ.新たな「ガンダム」はしだいにその姿を現してきました.

1982   
1月15日 講談社低年齢向け月刊漫画雑誌「コミックボンボン」誌上で「プラモ狂四郎」(クラフト団/やまと虹一)連載開始.
クラフト団はのちのMSVの仕掛け人安井尚志氏のペンネーム.アイデア(ネタ)を色々な人から集めるという意味での「団」であろうか.
第1回はGアーマー対シャアザク.
加熱するガンプラブームを追い風に、コミックボンボンの代表作となる.
1月18日  パート3オールラッシュ試写.
1月20日  東京地区で再々放送開始.平均視聴率20%.
1月21日 
 未完成ラッシュ多数のまま、渋谷APUスタジオでめぐりあい宇宙編アフレコ開始.(31日まで)
1月24日 千葉県松戸市のダイエー北松戸店で非常階段に並んでいたガンプラ購入者の列が将棋倒しに.
19人が重軽傷、小5の児童が後日死亡、.死亡した児童のお目当ては「1/144量産型ザク」だったとも.

この事件の余波で「めぐりあい宇宙」関係のイベントは全て中止に.
1月 バンダイ、リアルタイプシリーズ第一弾リアルタイプザク発売.
1/100シリーズの成形色変更しデカールを付属したもの.
2月26日 東京現像所でスタッフ内試写.
3月2日  
 「ガンダムからイデオンへ」
 読売新聞夕刊にカラー大判広告掲載.めぐりあい宇宙公開とイデオン劇場版前券発売の合体広告.
 イデオンとWBバックに浪速愛さんのパロキャラが踊る.アニメブーム絶頂期の象徴.
3月5日 講談社より「SFプラモブック 機動戦士ガンダムREAL TYPE CATALOGE」発行.
ガンダムセンチュリーで言及されていたMS−06Rのイラストが大河原氏の手で姿を現す.
他に、機雷投下タイプ(後のマインレイヤー)のイラストも.
3月10日 アニメージュ誌上で「卒業ガンダム」と題する特集を掲載.
他のアニメ誌もそれぞれ特集を組み、事実上のアニメ誌サイドからのガンダムの終結宣言.
3月13日 劇場版ガンダム3 めぐりあい宇宙編公開.(2時間20分5秒21コマ)
東京では前日より雨模様.恒例の徹夜組は劇場内へ避難.
新宿松竹では午前零時の段階で徹夜組500人.
渋谷松竹の最前部は9日の昼頃から並んでいた高校生.
3月15日 帝国ホテルにて松竹と日本サンライズ主催の「大ヒット謝恩会」.
4月 バンダイ「模型情報」誌上で未登場水陸両用MS4種キット化と発表.
大河原氏によるクリンナップデザイン公開.
5月1日 ホビージャパン『HOW TO BUILD GUNDAM2』発行.
MS−06R、ジムキャノンなどMSVやジュアッグなどの未登場MSも作例に.
5月6日 講談社アニメストーリーブック「機動戦士ガンダム めぐりあい宇宙」でTV未登場MSがカラーで掲載.
5月9日 アニメファンのコスプレ集団「トミノコ族」.
原宿でイデ音頭フィーバー.本家タケノコ族とトラブルに.
7月 バンダイTV未登場の水陸両用MS「アッグガイ」を1/144で発売.
デザイン的にはガンダム以前のヤラレメカにすぎないのだが、78万個を売り上げるヒットに.
以後、ジュアッグ、アッグ、ゾゴックもキット化.
7月 森永製菓、ガンダムのマスコットキットを付属したチョコスナック発売.以後15年で2億個を越える販売数を記録.
7月 富野喜幸氏、イデオン公開を期にペンネームを富野由悠季に改名.
但し、ザブングルには当初より由悠季名義でクレジットされていた.
改名動機は知り合いの姓名判断師にすすめられて、とのこと.
8月15日 小学館月刊コロコロコミック連載中の「超人キンタマン」(立石圭太/作)登場キャラクターのオガンダム、洗濯機の暴走で爆発.
ガンダムのパロディー的キャラであったが、某所よりのクレームにより単行本でも全削除されるなど徹底した抹消工作がとられた.
パロディストーリー「えぐりあい宇宙」、誌上でのフルスクラッチなどの展開もあったのだが無念の降板.
以後は「バカラス」として再生.
「コロコロ」と熾烈な部数争いをしていた講談社「ボンボン」編集部の圧力か?
12月3日 バンダイよりLED(色つき蛍光管)を使ったコンピューターゲーム「FL MOBLE SUIT GUNDAM」発売.7500円.



1983の年頭、バンダイはついにMSV(モビルスーツバリエーション)の展開開始を発表.
模型主導のサイドストーリー展開というアニメでは前代未聞の販売戦略を開始しました.
講談社、模型関係者などの強力なバックアップのもとに、本格的なガンダムの延命が開始されたのです.
空前のアニメブームは未だに衰えを知らぬげでしたが、クローバーの倒産など、業界の夏が過ぎ去る兆候が静かに進行していました

1983                 
1月4日 バンダイ、模型情報誌上でMSVキット化発表.
1月15日 「プラモ狂四郎」誌上に06Rザク登場.MSVのメディアミックス戦略の一環.
2月15日 「プラモ狂四郎」誌上にパーフェクトガンダム登場.デザインは板野一郎によるもの.
3月 バンダイ、模型情報別冊「MSV HAND BOOK1」発売.MSVシリーズ宣伝のための拡販小冊子(150円).
小田雅弘による異常なまでのミリタリー記述がガンダムを戦記に(笑)していた.  
4月
 バンダイMSVシリーズの商品展開開始.                                         
 映像媒体によらない、模型オリジナルのガンプラの登場.
 第一弾として1/144 ザク2(06R)、ザクキャノン、プロトタイプドムが4月中に発売された.
5月 バンダイの家庭用ゲーム機アルカディア用のガンダムゲームがROMカートリッジで発売.
初のコンシューマゲームソフト
7月 バンダイ、完成済み着色玩具ハイコンプリートモデル発売.
7月
 バンダイ、ホビーパソコンRX−78発売.
 ゲームマシンに近い、8ビットの低価格普及機.
 9月には専用ゲーム「ガンダム−ルナ2の戦い発売−」.これが史上初のパソコンパッケージソフトとも言える.
7月 バンダイ、多色成形射出機を利用したスーパーインジェクション・イロプラ発売.
7月28日 東京スポーツがアムロ役の古谷徹氏とキシリア役の小山茉美さんの離婚をスクープ.
おしどり夫婦で知られたお二人だっただけにファンはビックリ.
8月1日 ザンボット3以来、日本サンライズのスポンサーであった玩具メーカークローバーが倒産
ザブングル関連の玩具売り上げ不振による.玩具業界の経済基盤の薄弱さが浮き彫りに.
最後の製品となったダンバインは屈指の出来であっただけに惜しまれる倒産であった.
業務はそのままトミーに引き継がれ、ビルバインなどはトミーから発売された.
9月 「プラモ狂四郎」コミック売り上げが100万部を突破.
11月  
 ラポートより、初のパッケージパソコンソフト「機動戦士ガンダム−ガンダム大地に立つ−」発売.
 当初はFM−7のみだったが、後に8801、X1、9801シリーズも発売された.
 
 しかし、同社のソフトウェア開発チームの解散などによりシリーズは途絶の運命に.
11月 講談社月刊少年マガジンで「ディオラマ大作戦」(安井尚志/村上としや)掲載.翌年1月より連載開始.
プラモ狂四郎を立ち上げた安井尚志氏プロデュース模型まんがワールド第二弾.
模型(主にガンダム)を通したヒューマンドラマを目指した.
村上氏は後に「ZZ」、「逆襲のシャア」コミックを手掛けることに.
11月15日 講談社、コミックボンボン誌上で「GUNDAM MSVエースパイロット列伝」(ストリームベース/増尾隆幸)連載開始.
絵物語風のMSVストーリー.イラスト担当はMSVのデザインも手がけていた増尾隆幸氏.
第1回はジョニーライデン.



「ナウシカ」「マクロス」「うる星やつら2」、アニメ史に残る傑作アニメ映画が次々と公開されました.
しかし、この夏以降、アニメ業界は活力を失っていきます.
そして、すでに過去の作品であったはずのガンダムにファンも業界も再度期待を寄せ始めたのです.
傾きかけたアニメ業界を立て直すべく「ガンダム」は再び立ち上がることになります

1984   
2月1日 古谷徹氏、ライブで舞台から転落し骨折.厄年の影響か?
2月25日 セイラ役の井上瑤さん、長期インド旅行に出発(予定は1年だったが帰国は翌年5月20日).
事情をよく知らないファンの間では行方不明説も流れた.
3月 バンダイ側の「可変MSの登場する新ガンダム」製作要請に富野氏が応諾.
それまで再三求められていたガンダムパート2製作要求が実る形に.
5月15日 玩具メーカー、タカトクトイス倒産.
「オーガス」の関連商品の売れ行き不振が命取りに.販売権はバンダイに引き継がれ、傑作トイ可変バルキリーなどの金型も移行.
ロボットアニメスポンサーのバンダイ寡占化が進む.
5月17日   バンダイ、静岡模型見本市においてMS−Xガンダムシリーズの試作見本展示発表.
同時に、1000万人の熱い要望に答えてというキャンプション入りで小説「逆襲のシャア・ガンダム」の発刊発表.
6月10日 富野由悠季氏、アニメージュ誌の取材談話の中で池田憲章氏にガンダム続編映像化への意向を尋ねられ、
「可能性はなきにしもあらず」
と発言.
6月13日 講談社コミックボンボン誌上でMSXのMSデザインが公開される.
7月 「プラモ狂四郎」登場のMS、1/144パーフェクトガンダムがMSVシリーズとしてキット化
ファンの要望にバンダイが答える形に.88年までに107万個を売り上げる大ヒットに.
7月末 サンライズ、バンダイ、講談社、広告代理店レベルでの新ガンダムのTVシリーズ製作決定.
極秘裏にデザイン進行.大河原、永野護氏等にデザイン依頼.
8月1日 富野由悠季氏、模型情報誌の取材に対して、
「映画のラストシーンでシャアが戦艦に乗って戦域から離れていっている.この余韻のケリはつけたい
と意味深なコメント.
8月15日 メカデザイナー&ガンダム漫画家、近藤和久氏「血を吸うマンション」でデビュー.
第一回ボンボン新人賞を受賞した氏の初仕事.
8月 富野由悠季氏、米国でのアニメコンベンジョンに招待され渡米.高橋昌也氏も同行.
米国ファンと討論会.モビルスーツのコスプレも登場しハリウッドで映像化の話題も.
8月 安井尚志氏、近藤和久氏がMS戦記の打ち合わせのために大河原邸を訪問.
9月15日 講談社コミックボンボン誌上で「MS戦記」(高橋昌也/近藤和久)連載開始.
ジオンMS兵、フレデリック・ブラウンを主人公にした戦記風ガンダム漫画.リアルなMSのディティール描写が話題に.
10月10日 各アニメ誌上でニューガンダム製作決定発表.
10月25日 月刊模型雑誌モデルグラフィックス創刊.
小田雅弘氏なども参加.
11月1日 模型情報で「ニューガンダム」制作決定が発表される.
ガンダムマーク2のシルエット(準備稿)も掲載.
メカニックデザインには大河原、永野氏に並んで若干20歳の藤田一己氏の名前がクレジットされた.
1985/3月開始、7年後のストーリーになるなどの情報が発表された
11月中旬 藤田一巳氏によるガンダムマーク2の通算第7稿アップ.これが決定稿となる.
11月19日
 機動戦士Zガンダム(仮題)製作発表記者会見
 「言い訳はやめる〜」で始まる富野監督からのメッセージが取材関係者に配布される.
 (書面の日付は10/31)
 旧ガンダムファンに向けた新ガンダムを開始するにあたっての宣言文.
 パート2はやらないと公言していたことに対する旧ファンへのフォロー的なもの.
 新ガンダムを作るいきさつとして「実務としての仕事もある」とのコメントも.
 
11月下旬 高橋昌也氏、MS戦記での毒ガス描写を富野監督に咎められる.
しかし、翌年の「Zガンダム」で富野監督はこれを元にした演出を使用.
「ズルイなぁとは」高橋昌也氏の談.
11月 永野護氏、ガンダムのデザイン作業から離れる.
11月 作曲家・三枝成章氏にBGMの制作依頼.
12月1日 バンダイ「模型情報」誌上において、ニューガンダムのタイトル「Zガンダム」正式決定発表.
同時にガンダムマーク2、ハイザック、リックディアスのカラー着彩準備稿、キャラクター掲載
アニメ情報誌よりも早い情報展開.
この時点でバンダイがガンダムの独占スポンサーとして盤石の体勢を持った証明である.
12月5日 マーク2のデザインを終えた藤田氏がZガンダムの第1稿(ラフ)を提出.
ラフ稿には「限定的な内装火器」「スライドするアーマー」「面の移動」などの卜書きが.
この時点で大河原氏によるラフが第3稿まで進んでいた.
12月10日 各アニメ情報誌に模型情報誌と同様の速報が掲載.



3月2日、業界の期待を一身に背負う形で「Zガンダム」の放映が開始されました.
しかし、期待に答えるための努力がどこか空回りしていた感は否めません.
絶対に失敗できない−そんな無形のプレッシャーがスタッフに重くのし掛かっていたのでしょうか.
Zガンダムの奮戦をよそにロボットアニメ業界の斜陽化は急激に進んでゆきます.

1985   
1月4日 バンダイ「模型情報」誌上でマーク2、ハイザック、リックディアス等の決定稿発表.
2月10日 講談社、小説版「Zガンダム」第1部発売.
表紙は永野版マーク2とシャア.
この永野版マーク2は後のエプシィガンダムになった.
2月上旬 アニメックの小牧編集長、富野監督に取材を申請するが2月中は取材禁止と断られる.
アポがとれたのは申請後3週間たった3月14日.
「寒い時代になった」と小牧氏.
2月21日 キングレコードより機動戦士Zガンダム主題歌「Z 刻をこえて」発売.
作曲ニール・セダカ、作詞井荻隣(富野由悠季)、ボーカル鮎川麻弥.
2月22日 全国20カ所で「Zガンダムメイキングフィルム」と「第1話」の試写会イベント.24日まで.
2月 バンダイ、模型設計用にCADを導入.
1/144マーク2には間に合わなかったためドラフタで手描き.
3月2日 午後5:30、名古屋テレビ/テレビ朝日系で機動戦士Zガンダム放映開始
第1話「黒いガンダム」
ラストシーンはサイド7への艦砲(ミサイル)攻撃で前作と同様の構図.
3月10日  
 角川書店よりアニメ情報誌月刊「ニュータイプ」創刊.
 アニメだけでなく若者情報一般もあつかう新世代アニメ誌.
 これによりただでさえ過当競争ぎみだったアニメ雑誌のナワバリ争いが激化.
 1982年以来、かろうじて均衡していたバランスは崩壊へと向かう.


講談社、世界的なイラストレーター、シド・ミード氏によるZガンダムのイラスト3点を収録した画集「オプラコン」発行.
3月18日 古谷徹氏、声優の間嶋里美さんと再婚.
3月下旬 シャア役の池田秀一氏と戸田恵子さんが離婚
舞台俳優としても活躍し、活動の場を広げていた戸田さんには結婚が重荷になりはじめていた、との推測も.
Zでのシャアがぱっとしないのは離婚による精神的ダメージの影響なのかも?
4月上旬 元ストリームベースのモデラー川口克己氏がバンダイに入社.
4月1日 バンダイ「模型情報」誌上にてZガンダム準備稿が発表(MS形態のみ).
すでに変形の模型再現は困難とのコメントが.
4月10日 アニメージュ誌に富野監督へのインタビュー掲載.
幻魔大戦にはしない、ニュータイプが超能力で戦ったらMSはいらなくなってまう」
とコメント.
4月 小林誠氏、マラサイ、ガザC、バウンドドックのラフを提出.
4月15日 コミックボンボンで日本サンライズの内情をパロった「かっとびアニメ丸」(高橋良輔/金山明博)連載開始.
史上最強のロボットアニメ製作を目指す「サンアニメ」を巡る監督ドタバタ喜劇.
富野氏は頭部が電球というキャラクターで登場.激昂してよく割れる(笑)
ボンボン名物、子供おいてけぼり企画の一つ.
4月25日 キングレコード、BGM集1を発売.
4月 バンダイ、Zガンダムシリーズ第一弾、1/144ガンダムマーク2発売.
4月 富野監督からの要望により永野護氏がMS2体を追加デザイン.
5月1日 模型情報誌上にてZガンダム着彩決定稿が発表(MS/WR形態とも).
あまりにかけ離れた両形態は視聴者の想像を越えていた.
5月4日 東京渋谷公会堂で「Zガンダムファンの集い」開催.
富野監督との質問コーナーでは、
アムロは死ぬ予定だったがMSに乗って活躍することになった」「セイラは登場しない」
などのビックリドッキリ情報も.
カミーユの生死について声優の飛田展男氏が食い下がる場面も.
5月10日 講談社、コミックボンボン増刊号「機動戦士Zガンダムを10倍楽しむ本」発行.
製作経緯、設定、MSVもフォローした資料性の高いムック本.サイコガンダムも初掲載.
インタビューで「変形はトランスフォーマーを意識したのでは」との問いに、
「時期的にそう思われても仕方ない」とコメント.
綴じ込みポスターには永野版キュベレイが掲載.
5月11日 11話「大気圏突入」で、MSVザクキャノン登場.
アニメファンからはスポンサーサイドのゴリ押しではとの声が.
ガンプラファンは概ね好意的な反応であったのに対し、アニメ誌サイドでは極めて冷ややかな反応.
ガンプラファンとアニメファンのスタンスの違いが浮き彫りに.
5月20日 井上瑤さん、長期インド旅行より帰国.
このため、Zガンダムには出演できなかった.
5月21日 キングレコード、BGM集2を発売.
6月上旬 バンダイ、設定資料集MJマテリアル「機動戦士Zガンダム」発売.
アニメ誌にも掲載されない詳細なメカ設定を掲載.
6月5日 キングレコード、ガンダム初のCDアルバム発売.内容はBGM集1と2の抜粋.
6月29日 第17話「ホンコン・シティ」に巨大MSサイコガンダム出現
特異なスタイル、変形、大きさはファンの間でも賛否が分かれた.
また、遠藤明悟氏脚本による17〜20話のホンコン4部作は、ダレ気味だった2クール半ばを締める内容に.
悲劇のヒロイン強化人間、フォウ・ムラサメの人気急上昇.
気合いの入った脚本はフォウが遠藤氏の昔の恋人に似ていたため、とも.
7月20日 第20話「灼熱の脱出」
森口博子の「銀色ドレス」流れる中、カミーユVSフォウの戦いが最初の結末を迎える.
アムロ、フォウのアシストをうけカミーユは宇宙に帰還.バリュートで限界まで降下するアーガマにはブライトの姿が!
ストーリー中最大の盛り上がりを見せた脚本は遠藤明悟氏による.
各アニ評も絶賛.
7月25日 モデルグラフッィクス誌上で永野護氏がオリジナルデザインのリックディアス、「シュツルムディアス」の模型を発表.
このデザインは後のZZで登場することになる.
7月27日 第21話「ゼータの鼓動」
本当の主人公メカZガンダムがついに登場
初登場では劇中、MSに変形せず.
7月31日 大阪ペロ5周年記念討論会で富野監督、
「(作品内容が)イデオン以降難しくなったのは意識しています.その原因は「2001年(宇宙の旅)」を作ろうと思ったから」
とコメント.
8月3日 OPが森口博子による「水の星へ愛をこめて」に変わる.
OPも新カットが加わり全面的な変更がなされる.フォウの再登場を予感させるカットも.
8月25日 「OUT」9月号に藤田一己氏によるアドバンスドガンダムと題するデザインが掲載.
これが、Zガンダム系バリエーションストーリー/デザインの発端となり、以後サイド/アナザーストーリーといった外伝的な作品群を生む発端となる.
8月31日 東京・銀座博品館劇場で博品館トイパーク3周年記念企画として「Zガンダムフェスティバル」開催
5/4のファンの集いよりは小規模だが、富野監督を始め、飛田展男、岡本麻弥、川村万梨阿など豪華ゲスト.
さらに、小田雅弘、小澤勝三、草刈健一、川口克己のモデラー四天王も登場.
新OPを森口博子が熱唱し、会場は盛況.
セイラ登場を望むファンの要望に対して富野監督、「セイラはZにはでない」とコメント.
「数年後ならありうるが………」と意味深な発言も.
9月 ホビージャパン、Zガンダムを題材にしたゲームブック「グリーンノアの決断」を発売.
好評を集め、続編の「パレオロガス漂流」も発売された.
9月下旬 順調な模型の売り上げを確保するZガンダムに気をよくしたスポンサーサイド(バンダイ)から富野監督に延長の可能性についての打診がかかる.
富野監督は即座に「可能です」と返答.新しいガンダムに向けての製作が具体化する.
10月1日 秋田書店「マイアニメ」を月二回刊化に.
OVAなど増え続けるアニメ情報に対応することを目指した措置.価格は330円と低価格.
角川「ニュータイプ」の参入により激化したアニメ誌市場で差別化を図ろうとする試みであったが….
10月14日 富野監督、「ゼータガンダムパート2」と題する、新シリーズの企画書を提出.
ワープロに6000字程度の企画書にはZへの反省、玩具商品展開への意欲などが綴られていた.
10月15日 富野監督、「ゼータガンダムパート2・ストーリー」を脱稿.
シャアの再登場、死なないエマ、火星に旅立つジュドーなど、実際のストーリーとはディティールがかなり異なる.
10月 誰もが不可能だと思っていたZガンダムが完全変形でリリースされる.
当時の技術水準を越えた1/100Zガンダムはバンダイ高橋氏による傑作.
全国のモデラーにメーカー設計者の格の違いを見せつける.
2000円と高価なキットであったが40万個を記録するセールスを残す.
10月下旬 永野護氏、伸童舎などが、新ガンダムのデザインを開始.以後40日間にわたってデザイン&会議が繰り返された.
結局、伸童舎の明貴美加氏のデザインが有力視され、これを永野氏がクリンナップすることになった.
この時点では永野氏が中心となってMSデザインをまとめる予定であったのだが……….
11月1日 バンダイ「模型情報」誌上で
「ZガンダムにMSV登場させることをバンダイ側がスタッフサイドにゴリ押ししたのでは」との疑惑を公式に否定.
パッケージ変更のみのMSVシリーズが商品化されたことから、ファンの間では「金型再利用による安易な商品展開を狙ったのでは」
という声が上がっていた.
バンダイは「パッケージ変更はファンサービス精神」と弁明.
11月2日 35話「キリマンジャロの嵐」
アムロが専用MSと共に登場!…しかし、乗ってるのはゲルググもどきのディジェ(爆).
このあとしばらく模型誌などで、ディジェを無理矢理、格好良くリファインするのが流行する.でもどーやっても格好悪い.
11月9日 36話「永遠のフォウ」
カミーユとフォウの2度目の対決は悲しい終焉を迎える.ややステレオタイプな話ではあったが、ストーリーの盛り上がりは頂点に達した.
朝日新聞の「声」欄では、この話を巡っての戦争論争も.
11月上旬  バンダイ、アニメ&ホビー誌「B−CLUB」創刊.
 メカロボットアニメの最有力スポンサーが製作する雑誌だけに、情報の速さ豊富さはコミックボンボン並み(笑).
 90年代中盤までバンダイキャラクター物の特集誌として存在した.模型情報と違い書店での流通を目指していた.

 当初は企画投稿、同人誌にも力を入れており、流星改も非常にお世話になった雑誌である.

 創刊号なのに2号なのは、別冊ムック「パーキング・エリア」を1号としてカウントしているため.
11月13日 永野護氏、ガルスJの第1稿をアップ.
11月16日 37話「ダカールの日」
ウワサのセイラ・マス登場.しかし、セリフはナシ.
11月17日 永野護氏、ハンマハンマの第1稿をアップ.
11月20日 富野監督、「B−CLUB」誌の取材に対して新ガンダムへの抱負を語る.
「巨大ロボットアニメへの原点回帰」「前作の続きを意識しすぎた反省」など.
この時点で6話までのシナリオが進行していた.

メカデザインを任せた永野護氏に対して、
「永野くんはいつまでもハンブラビのようなデザインをしていたのでは生き残れない」と気になる発言.
11月25日 「モデルグラフィックス」誌上で永野護氏デザインによるオリジナルガンダム「エプシィガンダム」が小田雅弘氏によって立体化.
これが以後、センチネルへと発展してゆく、モデグラガンダムのキッカケとなる.
12月1日 「模型情報」誌上でZガンダムの放送延長決定が発表に.
12月10日 各アニメ誌上でZガンダム延長が報じられる.
アニメージュ誌はフォウの追悼特集も.
12月20日  「B−CLUB」3号誌上で、「ZZ」(仮称)として初めてタイトルが発表.
 極初期永野版ZZ、ガルスJなどのラフ稿、キャラクターデザイン/北爪宏幸、メカデザイン/永野護
 などの情報が公開される.
 しかし….
 
 また、この号の表紙は藤田一巳デザインによる「百式改」.
 オフィシャルサイドによるオリジナルMSの試みが定着しつつあった.            
12月中旬 永野護氏、ZZガンダムのデザイナーを急遽、降板することに.
主役のZZガンダムのデザインを巡るスポンサーサイド(バンダイ)との対立によるケンカ別れ
この時点で永野版ZZはワイツミラージュとなった(笑).

永野氏のデザインは全て使用不可能になったため、ガンダムのデザインは完全に白紙化.
藤田一巳氏に永野版ZZのリライトを依頼する一方で、小林誠、出渕裕氏らに緊急デザイン依頼が発注されることに.
ZZ代案としては変形システムが確実なTTブレーンのものが有力視された.
12月19日 出渕裕氏のもとに日本サンライズ企画室山浦氏からのデザイン依頼.
点数9点.納期はなんと年内
12月27日 小林誠氏、日本サンライズ内田健二プロデューサーよりデザイン会社TTブレーンによるZZラフ案のとりまとめ(3D的な)を依頼される.
締め切りはなんと翌年の1月6日!
12月28日 PM8:00よりモデルグラフィクス誌の忘年会が都内の居酒屋で行われる.
永野護、藤田一巳、小田雅弘、あさのまさひこなどG業界若手スタッフが多数参加.
この時のコメントを収録した記事は後日MG別冊「PROJECT Z」に掲載.
あさの×小田の確執など興味深い発言多数が収録.
永野氏によるZZへのコメントは全てベタ墨で潰されていた(笑)



作品としては決して成功とは言えない結果になってしまったZでしたが、模型を始めとする玩具の売り上げは十分な成果を納めました..
「Zは難解で、エンターティメントとしての面白さに欠けていた」
このような反省を踏まえる形で、前年より新ガンダムの作成が進められていました.
しかし−.

1986   
1月4日 バンダイ「模型情報」誌上で、3/1スタートの新ガンダムのタイトル「ガンダムZZ」を発表.
永野版ZZ(BC3号と同じイラスト)、コアベース、コアファイター、飛行形態のデザインが同時に掲載された.
末尾には「ここに発表したデザインは、すべて準備稿であり決定稿とは異なる」というキャンプション.
同時にジュドー、マシュマー、エル、リィナのラフ稿、ストーリーのサワリなどが初めて掲載された.
1月9日 小林誠氏、ZZの第1稿をアップ.
同時に立体の方の発注も受けることに.
1月10日 アニメージュ2月号、ZZの紹介記事中に「正式名称はZZではないかも」との一文が、直前までゆれ続けていた製作態勢をうかがわせる.
こちらは特番が入る可能性もあり放映開始日は未定となっている.
1月15日 小林誠氏、ZZ変形修正稿をアップ.
1月17日 小林誠氏がZZガンダムの頭部修整稿をアップ.
頭部には波動砲が….
以後の作業は伸童舎の明貴美加、岡本英郎氏へと流れる.
出渕裕氏もフラッシュマンで多忙のためこの頃、ガンダムから離れる.
1月22日 Zガンダム最終話の作画監督作業が終了.
1月28日 バンダイフェアにゾンム(後のドライセン)、ゼガ(後のハイパス・不採用)、リェウジ(後のバウ)、スパング(後のカプール)の試作品が出品.
2月1日 模型情報誌上でZZの主題歌名発表.
タイトルはなんと「アニメじゃない」.
おにゃん子、とんねるずをヒットさせた秋本康が作詞を担当.

「主人公メカデザインは今までに見られない合体変形システムを考案するため永野護氏の案を保留」「1月中旬にはデザイン確定」との記事も.
2月7日 伸童舎の明貴美加氏によるRジャジャの決定稿がアップ.
2月8日 東京・東宝系で「ドラえもん・のび太と鉄人兵団」封切り.
主役ロボのジュド(ザンダクロス)はどことなく百式を思わせるデザイン.
藤子不二雄先生は「アニメのジャンルとして確固たる地位を持つ巨大ロボットを、いちどドラえもんたちと共演させてみたかった」とコメント.
2月10日 アニメージュ3月号のZZについてのインタビューで富野監督、「ロボットものの原点に戻る」「真の娯楽性を追求」などを強調.
新主題歌については、「(タイトル名を聞いたときはムカッときました絶対に書いちゃいけないと思っていたことをヌケヌケと書いている(笑).でもそう思った瞬間、逆にイケると思えてきたんです」とコメント.
注.私は今でも絶対に許しません(爆)

メカデザインが様々な事情で出渕豊、小林誠、伸童舎のプロジェクトチームに変更と発表.
一般のファンに対し永野氏の降板を初めて告知した.

ZZのメイン脚本担当の遠藤氏の談話.
「Zの時は監督からの指示(トミノメモ)がワープロで4枚ぐらいあったのですがZZでは1行の時もあります.
監督は早くも捨てていたのか?それとも新人育成の踏み石と割り切ったのか……….

アニメージュの特別寄稿で池田憲章氏「リアルからの脱出」を説くが、それ以上に大事なのは「ガンダムからの脱出」だったハズ.
ガンダムファンのZZに対する不満はアニメマスコミによって封殺されていた.今思い出しても無念である.
2月20日 Bクラブ4号発売.
表紙は小林誠版ZZ(準備稿)の頭部アップ.
小林誠版ZZの第2、3稿などが掲載され、出渕裕氏による新MS9点のラフが公開された.内訳はバオウ(後のガルスJ)、ゾノス(ズサ)、バルダウ(ドライセン)、ヒリュウ(バウ)、スパング(カプール)、ギャザム(R・ジャジャ)、ラジャ(ハンマ・ハンマ)と結果的に不採用になったヌバ、ハイパスの合計9点.
Bクラブはこの号より月刊化.
2月22日 Zガンダム最終話「宇宙を駆ける」.
破綻したストーリーは漂流のあげく主人公の発狂という前代未聞の結末を迎える.
ZZへ向けてのキャラクター整理のための大虐殺といい、後味の悪さのみ残るラストであった.
誠に「Z」という作品を象徴する末路である.
2月23日 東京一橋教育会館.「ガンダム/ZZフェスティバル」開催.
マシュマー役の堀内賢雄、エル役の原えり子らが出演.
新井正人は新主題歌を熱唱.
2月25日 大日本絵画よりモデルグラフィックス別冊として、
「GUNDAM WARS PROJECT」発売
センチネルへと連なる「モデグラガンダム」最初の出版物となるる.
表紙を飾ったオリジナルMS「ZPLUS」の設定協力として、かときすなを(カトキハジメ)の名がクレジットされる.
かときすなをはマクロスサークルMATに所属していた頃からの氏のPNである.
3月1日 「ガンダムZZ」放映開始.
第1話「プレリュードZZ」
「アニメじゃない〜」で始まるZZ第1回は、それまでのガンダムの総集編.

同日バンダイ「模型情報」誌上に、ほぼ決定稿といえるZZガンダムのデザインが掲載.
3月5日 ZZ主題歌「アニメじゃない」のシングルレコードが発売.
3月8日 第2話「シャングリラの少年」放映.
実質的なZZのスタート.
3月10日 各アニメ誌誌上で、ZZの決定稿デザインが公開される.フィニッシュワークは伸童舎の岡本英郎氏によるもの.

角川書店「月刊NEWTYPE」の付録、「GUNDAM ZZ BOOK」にエプシィ、ハーピュレイなどのモデグラガンダムが登場.
あさのまさひこ氏によるメディア連動による認知度向上を目指したモノか.
富野監督と秋本康氏の対談も収録.秋本氏の富野監督に対する第一印象は「仙人のような人」だとか.

アニメージュのインタビューでOP絵コンテを担当した滝沢敏文氏、曰く、
「あの歌詞を見たときはどうしたものかと考え込んでしまいました」
そりゃー、そうだろ.
3月15日 コミックボンボンで「機動戦士ガンダムZZ」(村上としや)連載開始.
TV放映に合わせたコミカライズだが、設定が間に合わず第一話に「永野版ガルス」が登場.
3月20日 Bクラブ5号発売.
ZZガンダムの着彩決定稿が表紙を飾る.
出渕氏によるガザE(ガ・ゾウム)のラフが掲載された.「ヒリュウ(バウ)の量産型はコウリュウ」など幻に終わった設定の話がチラホラ.
ヒリュウ、ラジャスターン(ハンマハンマ)がレッドバロンからのネーミングだったことが明らかに.
3月26日 キングレコード主催による「機動戦士ガンダムZZ」フェスティバルが名古屋・港湾会館で開催.
新井正人、内田プロデューサー、北爪作画監督らが出演.
以後、福岡、広島、札幌、大阪、仙台でも開催.
4月10日 マイアニメ5月号に「ジ・エボリューション・オブ・ガンダム」と題するオリジナルガンダムデザイン集が掲載.
小林誠氏によるガンダム、ガンダムMK−III(形状はMK−II)、零式試作機(形状は永野氏によるMK−2の準備稿)、Zガンダム、シグマガンダム(オリジナル−揚田氏によるデザインらしい)、プロトエプシィ(永野版ZZ)、ZZガンダムが登場.
解説も小林氏オリジナルらしく、独自の設定が描かれていた.
4月20日  ホビージャパン社より「HOW TO BUILD GUNDAM3 Z GUMDAM発売.
 先発の「PROJECTに比べるとオーソドックスな仕上がりであった.
 シャトルガンダムと題する自力大気圏離脱/突入MSのサイドストーリーがなかなか面白い.
4月21日 キングレコード、「ガンダムZZ」1stBGM集を発売.
4月26日 エルピー・プルの設定画が脱稿.
5月10日 徳間書店アニメージュ主催のの第8回アニメ・グランプリで女性キャラ部門でフォウ・ムラサメ、サブタイトル部門で「永遠のフォウ」がタイトル受賞.
悲劇話の人気が高いのがこの年の特徴.
5月20日 伸童舎、モデルグラフィクススタッフなどによるZZデザインプレゼンテーションが行われる.
中盤以降のMSデザインラインが決定される.
リゲルグ、ガズR/L(あさのまさひこ)、デザートザク、ドワッジ、ザク3(小田雅弘)、EWACザック、GM3(かときすなを)などのデザインが採用される.
カトキ氏の実質的なメカデザイナーデビュー.
永野氏による百式NEUというデザインも出たらしいが、このMSデザインは現在でもナゾに包まれている.
百壱式ゼータに似たデザインだと思われるのだが……….
小田雅弘氏はこの仕事を最後にガンダムより離れ、この後は海洋堂のMHやモデラー通信教育学校経営へと流れる.
このあたりの経緯はイロイロありそうではある.
6月10日  秋田書店「マイアニメ」が7月号をもって休刊に.
 様々なテコ入れ策も空しく事実上の廃刊.
 以後アニメ誌の休刊があいつぐことになる.アニメ業界の不況の深刻さが浮き彫りに.
6月 勁文社よりアドベンチャーゲームブック「最後の赤い彗星」発売.
ア・バオア・クー脱出後のシャアがトワニングの執拗な追跡(笑)を振り切ってアステロイドへと逃げ延びる話.
MSXがふんだんに登場する.スタジオハード編集で山口宏氏が文を書いていた.メカデザインは小林誠.
6月26日 ガンダムZZ新主題歌「サイレント・ヴォイス」と「一千万年銀河」のレコーディングが作詞者でもある富野監督立ち会いのもと六本木のウェイブで行われる.
歌うのは19歳の新人・ひろえ純.
「今の『ガンダム』は後半シリアスになるので作品の内容に似合う曲になっています」と監督はコメント.
7月20日 Bクラブ9号に「ガンダム劇場版の企画が進行中!?」というスクープ的な記事が掲載.
7月25日 「機動戦士ガンダムZZ、ファンの集い−集まれ新人類−」が練馬文化センターで開催.
森口博子と新井正人によるミニコンサート、声優によるアフレコ実演、富野監督による質問コーナーなど.
抽選で選ばれた1500人のファンが集まった.
8月5日 初のファミコンガンダムゲーム、「Zガンダム HOT SCRAMBLE」がバンダイより発売.
3Dシューティングと2Dテクザー式の2面構成ゲーム.ゼビウスの遠藤雅伸氏が参加しているということで、前評判は非常に高かったのだが、当時の水準を考えると極めて平凡な作品だった.価格は5500円.
8月30日 26話「マサイの血」.
カミーユに続き、ジュドーを修正しようとしたウォンリーだが、ジュドーにボコられる.まさにオヤジ狩り
9月27日 サンシャインシティ噴水前広場でガンダムZZ新主題歌「サイレント・ヴォイス」の発表会.
司会はエル・ビアンノ役の原えり子がつとめ、ひろえ純の新曲発表も.
他にもマシュマー役の堀内賢雄さんによるクイズ大会などのアトラクション、300人が参加.
10月3日 関東地区でガンダムの再放送開始.
以後12月まで全国17局でガンダム、Zガンダムの再放映がかかる.
クリスマスシーズンに向け低調な模型の売り上げの底上げを狙ったもの.
10月16日 都立産業貿易センターで第26回「全日本・模型ホビーショウ」開催.
バンダイブースにゲーマルクなど新MSの展示はなく早くも未キット化確定のウワサが.
11月10日
 ニュータイプ12月号にフォウのヌードイラストが掲載.
 Zの作画監督を担当した北爪宏幸氏自らの筆による.

10月24日 34話「カミーユの声」.
壊れたままのカミーユが再登場.
11月8日 36話「重力下のプル・ツー」.
“二人の自分”、ZZのストーリーのクライマックスとなったエピソードである.
『自分自身を突きつけられるのは不快な事』
Zに続きヒロインが死ぬのはなぜか36話
11月20日 Bクラブ13号にZZの後番組「グランダスト」(後のドラグナー)の彩色画稿が掲載.
ガンダムの継続は回避された.
11月 ファミコンゲーム「Zガンダム HOT SCRAMBLE」の攻略本が発売.
内容はともかく、巻末には富野監督×遠藤雅伸氏との対談が.
11月 サンライズ−松竹サイドでガンダムの映画化が決定される.88年3月公開の予定で富野監督が映画版脚本に着手.
12月5日 40話「タイガーバウムの戦い」
未登場MSアッグガイが出現.
12月10日 アニメージュ1月号でもはや恒例の追悼特集.
「重力下のプル・ツー」をカラー6頁で解説.
また、あなたが選ぶ今月のベスト10キャラでプルは2位にランク.
前々月10位、前月4位からの急浮上.
(徳間の1位はお約束でナウシカだから実質1位か)


続く