迫撃!MSV

MSV、ガンダム本編終了後に「映像媒体」という直接のバックボーンなしに派生したキャラクター商品である.
ガンダムが一過性のブームだけに終わらず、以後もキャラクター商品が製作され続けるブランドキャラクターなったのはこのシリーズの影響が大きい.
(逆に言えばそれが「ガンダムでなくては」とか、「ガンダムならば売れるだろう」という安易な作品/商品製作態勢の土壌にもなったのですが・・)

このシリーズの成功には無論、偶然的な要素も存在するのですが、送り手側に優れたメディアミックスプランナー、そしてそれに応えるだけの技量を持ったモデラー達が存在したことが非常に大きなポイントとなったことは否めない.
ここでは、ガンダムの作品としての運命をも変えたシリーズと、それに関わった男たちについて触れてみる.

初めて製作サイドがオリジナルMSを載せたのは1981年5月15日発行の講談社アニメグラフブックMOBLE SUIT GUNDAM誌上でした.
この本の内容は、劇場版第一作の名場面&原画&設定資料集なのですが、付加価値的な企画として編集者の安井尚志氏が大河原邦夫氏に描き下ろしのザクのイラストを発注したところから話は始まります.
この後、大河原氏サイドから単なるザクの精密画でなく、オリジナルタイプのザクにしたいというオファーがあり、その結果生まれたのが、
 
 対空砲タイプザク(後の06K)
 水中用タイプザク(後の06M/MSM−01)
 地上用タイプザク(後の06J)
 砂漠用タイプザク(後の06D)
の4枚のカラーイラストでした.地上用タイプ以外の3体は形状がザクとは異なり、任務別に特化したデザインが書き下ろされていました.
これらのイラストが非常に好評だったことから、1981年6月発行の講談社のTVガンダムストーリーブック第二巻では、

 ザクからグフへの改良過程機(後のMS−08A)
 グフの別バージョン
 グフ−ドム中間機
 ドム試作機
(後のプロトタイプドム)

の4イラストが新たに描き起こされました.
そして、1981年7月末、キャラクター模型雑誌のターニングポイントとなった「HOW TO BUILD GUNDAM」(ホビージャパン刊)で対空砲、水中用、砂漠用のザクフルスクラッチで立体化されました.
ミリタリー性の高いデザインがモデラーに支持され、講談社以外の他のメディアで大河原オリジナルMSが初めて認知されたのです.
そしてこれらの立体化を行ったのが、小田雅弘氏達、ストリームベースであった訳です.
この冊子の中で、小田氏達が創作したMSバリエーションとして「黒い三連星仕様の旧ザク」というものがありました.
未だ、旧ザクのキットすら発売されていない時期でしたが、そのシルエットは旧ザクのイメージを損なうことのない上品なアレンジでした.
これがオフィシャルサイド以外ののオリジナルMSデザイン第一号ということになります.
長い間忘れ去られていたこの機体デザインは’98にサターンのゲームソフト「ギレンの野望」に登場しました.
また、準備稿(いわゆるガンボイ)をベースにした「初期開発型ガンダム」も登場しています.
1981年8月5発行の講談社のTVガンダムストーリーブック第三巻では、連邦側のデザインアレンジとして、

 試作型ガンダム(後のプロトタイプガンダム)
 ボール型作業ポッド
 GM試作タイプ(後のGMキャノン)


が掲載されました.
試作型ガンダムというのは、準備稿をリライトして白黒二色の配色にまとめたものですが、先の「HOW TO BUILD GUNDAM」に掲載された「初期開発型ガンダム」と時期を同じにしているのはなんらかの意図を感じさせます.
1981年9月、ガンダム設定業界(笑)の方向性を決定づける大事件が起こります.
スタジオぬえのスタッフが中心となって製作された「ガンダムセンチュリー」(みのり書房刊)が発行されたのです.
この本の中でザクバリエーションに言及した箇所がありそこでは、

MS−06C
MS−06E
MS−06F
MS−06J
MS−06R
MS−06S
MS−06T
MS−06Z

という8タイプのザク存在が明示されたのです.(何れもデザインは無く設定のみ)
この中で06Rという名称が始めて登場します.エースパイロット用の高性能機という極めてヒーロー性の高い設定で黒い三連星が使用したというものです.
上記のザクのうちJ型は先にデザイン(といっても迷彩塗装になってるだけだが)された地上型ザクが当てはめられることになります.
またここで言及されたバリエーションのうちMS−06Tのみ1984までのMSVではデザイン化されませんでした.解説によれば縦2列のモノアイを持つ機体だそうです.(現在でもオフィシャル画稿は無いと思われますが)
1982年2月、SFプラモブック1「機動戦士ガンダム REAL TYPE CATALOGUE」(講談社)が刊行されましたが、この中では、

 MS−06R
 06F用ザクオプショナルパーツ(後のマインレイヤーの機雷投下ザック)
 MS−14用オプションザック(後のMS−14B用高機動バーニア)

が大河原氏の手によって描きおこされました.
特筆すべきなのはMS−06Rで、前年に発行されたガンダムセンチュリーの記述通りの機体が新たに描かれたのです.
これらの設定の橋渡しを行ったのは無論、この冊子の編集者であった安井氏でした.
1982年5月、前年模型界を席巻した「HOW TO BUILD GUNDAM」の続編「HOW TO BUILD GUNDAM2」が発行されました.
この冊子ではMS−06R、GMキャノン、MS−14用オプションパックの製作記事(それぞれフル、セミスクラッチ)が掲載されました.

そして、小田雅弘氏デザインによるゲルググキャノンのディオラマも登場.
ゲルググキャノンは以後「ZZ」のザク3まで続く、小田雅弘氏オリジナルMSデザインの最初の作品となりました(前年の三連星旧ザクを除く).
また、ゲルググによるエース部隊編成(小田雅弘、川口克己)、GMキャノンの北米戦線ストーリー(高橋昌也)といったMSVにストーリーを付加する試みはここからスタートしたと言えます.
安井氏は「HOW TO BUILD GUNDAM2」の製作を終えたストリームベース(小田、川口、高橋氏)の力を得て、本格的なMSV商品化へと準備を開始します.
プラモ狂四郎で息上がる講談社と新たなガンダム商品を模索していたバンダイを巻き込み、安井氏の手腕がいよいよその威力を発揮し始めたのです.

1982年6月に講談社のコミックボンボンの人気連載マンガ「プラモ狂四郎」(原作は安井氏)に対空砲ザク、ジムキャノンを登場させたのを皮切りに同誌のグラビアコーナーに大河原氏によるMSVイラストコーナーを連載.
巧みなイメージ戦略によって、ガンダムブームで模型を作るようになっていた小中学生にMSVを浸透させていきました.

この目論見は見事に成功し、作品としてのガンダムとは全く別な部分で「ガンプラ」の盛り上がりは続きました.
また、安井氏は同じ講談社のTVマガジンでもMSVを中心としたイラスト画報を掲載、広い範囲で着実にMSVの認知度を向上させました.
そして「プラモ狂四郎」はボンボンの人気投票トップを独走、MSVのお膳立ては整いました..
明くる1983年1月、ついに模型情報誌上にMSV模型化の決定を報じる記事が掲載されました.
第一弾として企画されたのは、

ガンダム試作タイプ
MS−06Rザク
砂漠用ザク
対空砲火型ザク
深海作業用ザク
GMキャノン
ドム試作タイプ
ゲルググキャノン

の8タイプでした.

メディアミックス効果を最大限にねらう安井氏は側面援護も忘れません.
「プラ狂」に06Rを登場させ、メインの顧客である小学生へMSVのアピールを行います.
特に、1月15日発売号の「プラ狂」はシリーズ中で一番の盛り上がりを見せた「パーフェクトガンダムVSパーフェクトジオング」のエピソードだったこともあり、小学生にMSVを「本物」と認識させるのに充分な内容でした.
そして、4月.

MS−06Rザク
ザクキャノン
プロトタイプドム


の3製品がリリースされました.
06Rのボックスアートはなんと06R背面が掲載されました.バックパックがウリである06Rならではの構図ですが当時、箱絵のキャラクターが後ろを向いているというのは異例のことでした.
3月に模型情報別冊「MSV HAND BOOK1」というMSVシリーズ宣伝のための拡販小冊子(150円)を発売するなどの周到な宣伝効果もあり、06Rは1988年までに116万個というミリオンセラーを記録しました.
さて、この小田雅弘氏構成によるMSV HAND BOOKですが、MSVの重要な構成要素が付加されました.
それはエースパイロットの名前が表記されたことです.
黒い三連星以外の06Rパイロットとしてジョニー・ライデン、シン・マツナガといったMSVオリジナルキャラが登場したのです.
これは世界観の厚みを増すための、いわば設定の遊び程度のものだったのですが、「赤い塗装でシャアの乗機と誤認されていたが、戦後の調査で判明…」などとWW2のド軍事マニアでもなければ思いつかない濃い解説がなされており、そのミリタリーな雰囲気はメインな購買層である小中学生に衝撃を与えました.
また、ジョニー・ライデンの機体は脚部に他の06Rにはないカバーが描かれており、06Rのサブタイプであるという解説がなされていました.
この時点では、完全なお遊びなのですが、「ジョニー・ライデン」の名はガンプラファンの心に深く刻み込まれたのです.
この冊子ではガンダムセンチュリーを下敷きにした、旧ザク以前のジオンMSの開発経緯、MS隊の編成などにも言及しており、今日のいわゆるオフィシャル設定の基礎になりました.
5月には

ジムキャノン
ザクデザート


6月には

プロトタイプガンダム
水中型ザク
ゲルググキャノン

が発売され順調な売れ行きを示しました.

これ以後も

7月

グフ飛行試験型

8月

ガンダムフルアーマー
ザク強行偵察型
ザクタンク


とリリースが続きました.
ガンダムフルアーマーは不足がちな連邦側MSVを増やすため「プラモ狂四郎」のパーフェクトガンダムをリファインしたデザインです.もともとMSVはザクバリエーションとしてスタートしたぐらいの企画ですから連邦系のデザインが不足するのは自明の理でした.ストーリー的にも連邦軍がMSを投入したのは戦争末期なので、MSVに連邦の機体が少ないのは合理的なのですが、ガンダム系はやはり売れ行きがよかったのも事実です(このあたりは後述します).

          続く