この年の1月号掲載作品は、実に6編。すべてが同時期に書かれたものでないにしても、怪異譚あり、超ど級本格あり、バカ本格あり、ミステリ風史劇あり、マッド・サイエンティスト物あり、そのテーマと文体の多様さ、まさに風太郎のエネルギーが全開した感じだ。
本編は、筆者が勝手に「焼跡版グロテスクとアラベスクの物語」と呼んでいる一群の中の典型作。
青年医一木鞆太郎は、醜女鳥扇医師の明晰な頭脳に惹かれ永遠の愛を誓うが、女医には恐るべき秘密があった・・。女性の中の聖性/魔性の同一性・反転が山風小説の一つの鍵だが、「二重体」という逸脱した身体を用いてズバリそのものをやってしまった作品。
「ドンデン、ドンデン、ドンデン返し、助けてくれ!目が廻るよー」という初期の評でおなじみの本格ミステリ野心作。山形県の豪家「厨子家」の殺人を扱って、ドンデン返しの饗宴が繰り広げられる。この短い枚数でこれだけの「ブン廻し」をやった例は、あまり思いつかない。海外の長編でも、バークリー、ブランド、デクスターに数作あるくらいだろう。「虚像淫楽」で探偵小説の骨法を会得して、早くも未知の領域に乗り出すこの実験精神。作品そのものは、諸家指摘のとおり、必ずしも満足な出来とはいえないかもしれないが、筋書きが裸形で投げ出されている分、五重のドンデン返しを可能にさせる構造の分析を一度試みてみたいという誘惑に誘われる。ここでは、別の観点から気がついた点を。
エラリー・クイーンのミステリの特徴として「マニュピレート」=操作、あやつりを挙げたのは、ネヴィンズ・ジュニアだが、日本で執拗にこのテーマを追い続けたのは、意外なことに風太郎なのだ。もちろん、犯罪が犯人の意志の貫徹である以上、ミステリは多かれ少なかれ、この要素を抱え込まざるを得ないが、風太郎の、のめり込みぶりは、半端ではない。初期作品から手を変え品を変えて、このテーマが変奏され、後年に至っても、このテーマの傑作が幾つか書かれていることに注意しておきたい。
多くの男を破滅に追い込んだ傾城の美女「地獄太夫」の死の真相が、破戒僧一休禅師の前で明らかになってゆく。美女の死骸の野ざらしシーンで始まり、その死骸の腐敗の進行に伴って真相も明らかになっていくというのだから凄まじい。愛の不可知性の前で慟哭する弟子西念の姿が胸を打つ名編。一休禅師には、ブラウン神父の趣がある。
地獄太夫は、室町中期ごろ和泉国堺で名を馳せた伝説的遊女で、一休と出会って現在の地獄からそのまま極楽へと至る道を悟ったという。
村に逃げ込んできた脱獄囚が巨大なキンタマをもつ鐘つきの爺さんの娘を人質にとって逃走。ところが、この脱獄囚、濁流の中の小島で死体となって発見されて・・。「天使の復讐」と同じようなストーリーだが、こちらは、不可能犯罪ミステリ。現代のバカ・ミステリも軽く吹っ飛ぶ解決には爆笑するしかないが、ラストの数行で、なにか荘厳なイメージすら漂わせる風景に変貌させてしまう風太郎の魔法には脱帽。
イメージ的には、最も強烈な怪奇譚たる一編。脊椎カリエスで生を失いつつある妻のために、その夫である医師が、医学的空想力で咲かせた妖しい華。ここまでは、普通の作家も行くだろう。医師は、自らの肉体に花をさかせ、二人の愛の結晶を残そうとするが・・。ここまでも行くかもしれない。しかし、風太郎の真骨頂は、それが果たせぬシーン、花粉の消える空間の一線、死と生の見えない境界を飛び越え得ない愛の逆説にある。
「双頭の人」が「二重体」なら、こちらは、シャム双生児による変奏。「双頭の人」は、東京の病院でという舞台で無機質な味わいがあったが、こちらは、平家の残党の子孫という伝説もある村を舞台にの物語性豊かに「ミイラ取りがミイラ」パターンが進んでいく。「作者がこの物語を書き出した最初の意図は、この四十日間近い間の、千尋と黒檜姉妹の怪奇凄惨な愛情の心理交渉を紹介しようがためだった」と本編中にあるが、その部分は割合あっさり片づけられている。おどろの物語が作者の意図を超えて暴走したか。
Comment
立志伝中の人物鏑木錬三氏は、実はスピロヘータを妻に感染させ死なせ、妻の死後は女中に次々と手をつけている悪人の顔をもつ。月光の中、女中の民に誘われるまま外に出て、最愛の娘の死を目撃するが、死体は消えてしまった・・。話の展開が掴みにくく予断を許さないが、怪異譚、復讐譚、ミステリいずれともつかず、ちょっと中途半端な印象を受ける。
無名氏の奇妙な遺書から始まり、無名氏の診療医、その恋のライバルの医者、その恋人とめまぐるしく話者が交代していく実験的ミステリ。中核は、「顔のない死体」物なのだが、変転する叙述(話者の姓が途中で変わる小技を見よ)、ここでも繰り広げられる「ブン廻し」とマニュピレータ、密室の妄想に回収されるラストなど山風ミステリの華麗さが際立っている一編である。
妖僧無辺法印が行う奇蹟の数々(火上渡り、喋る生首、透視・・)を合理主義者信長が喝破する。風太郎の愛する、信長初登場作品。火あぶりにされ呪いの言葉を吐く妖僧と、それを冷笑する信長という歴史の一挿話を描いた小品だが、作者はその傍らに明智光秀を配することを忘れていない。後の戦国絵巻への小手調べ。
陳家の当主陳雲・は、恋人葉玉蘭に横恋慕した葉家の下男李化竜を惨殺した罪により刑死する運命にあった。しかし、獄中の陳雲・を訪ねてきたのは、首をはねたはずの李化竜だった・・。首をはねても再生する「再生人間」「ヒドラ人間」の怪異を描いた名編。身代わりに死刑となつた李化竜が2個の人間となっていく夢魔のごとき描写、展開が素晴らしく、ドッペルゲンガー譚の一つの達成である。
中国怪異譚に元ネタがあるのか現段階では不明。
アパートの一室で繰り広げられる刑事と殺人容疑者である大学生の会話に終始するミステリ。「心理試験」をしかける刑事と大学生の心理闘争が主軸で、目覚まし時計、ガス栓の指紋、遺書といった小道具もうまく使われている。「正」「負」「零」という小見出しがスタイリッシュ。
フランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸したのは、嘘のようだが、8月15日(西洋歴)。その同行者に改心した殺人犯パウロ弥次郎がいたという史実に基づいた一編。しかし、この最初の「黒船」がもたらしたものはキリスト教だけではなかった。スピロヘータがザビエルの上洛を追うように、日本に蔓延したのである−。日本人最初の切支丹パウロが罪の原因となった女に出会い「転ぶ」までの経過が史料を交えて描かれる。パンドラの箱を開けたのは、女の復讐心であり、信仰から不信への真っ逆さまの墜落。それをザビエルの髭!に化体させる構想には何ともブラックな味わいがある。後の「山邸秘図」や「踏絵の軍師」で描かれる転向という重要なモチーフが早くも出ている点に注目。
これも切支丹物。1613年、備前平戸に停泊中のイギリス船クローヴ号で地元名士を招いて催された宴の席。四年前に家族を処刑されたはずの美少女クララお千絵は、聖母子像の絵をみて、「クララは切支丹娘です!」と叫ぶ。おりしも発布された禁教令により、彼女は、数千人の群衆の前で磔刑にされるが彼女の死は一つの小さな奇蹟をもたらす。
信仰の受難と奇蹟をストレートに描いた風太郎としては珍しく正統的な(高校の教科書に載ってもおかしくない)一編。「スピローヘータ氏」とまったく同時期に発表されたのも面白い。磔を目前になされる老藩主松浦法印とクララの信仰をめぐる会話が印象的。
新宿御苑裏の安アパート「チンプン館」に住む無免許医、荊木歓喜を探偵役にした唯一の短編集。
大兵肥満、髪は雀どころかクマタカの巣のようにもじゃもじゃ、右頬に三日月のような傷痕をもち、足はちんばをひいている。パンパンの堕胎手術を無償で請負う「巷の大医」でありながら、抜群の探偵能力を有し、暗黒街からも警察からも一目置かれている。という極めて魅力的なキャラクター荊木歓喜が出てくるだけで文句はない。
橋本治は、大和書房版の解説で本作を誉めにくそうに書いている。確かに、登場人物の口調、戦後風俗へ傾斜した描写、エロ・グロ味など、いわゆる「倶楽部雑誌」の通俗的要素は強い。作品自体の完成度も高いとはいえないかもしれない。しかし、枚数の制約を超えて、人物、トリック、叙述のいずれにも独自の工夫を凝らした本書収録の短編はミステリ・ファンにとっては大変なごちそうである。「他人のことにはかかわりあわない」を信条にしている歓喜がなぜ謎を解くのかも、隠しテーマとして、各編工夫されている。6編中5編が復讐を動機にしているのは、戦後の背景ゆえか、作者の関心ゆえか。出版芸術社版では、「怪盗七面相」が収録されている。
荊木歓喜初登場作。戦後風俗色濃い魔都新宿が舞台。麻薬の売人殺しを扱った短い作品ながら、要領よく探偵役とチンブン館を説明し、なおかつ密室殺人を扱っている切れ味の鋭い短編。他の作品もそうだが、読み直すと伏線が至るところに張り巡らされているのには驚かされる。
幼いときに見せ物用に笑い顔にされてしまった半太郎という人物が出てくる異常な設定。これがプロット上の必要性からかというとそうでもなく、風太郎ミステリには、こうした過剰なものが入り込んでくる。しかし、それ以外はプロットに無理なくトリックがとけ込んでいる。風太郎ミステリはトリックが誇示されることが少ないため見過ごされがちだが、本編も足跡トリックの奇手とアリバイをうまく結びつけている。半太郎のお嬢さん暴行シーンにも必然性があるのである。それが、せつなく感動的なラストに結びつけられている構造の確かさ。プロットとトリックの見事な縒り合わせ。
あの、数寄屋橋で佇む荊木歓喜が元親友の幼児誘拐予告事件に巻き込まれる。これも、プロットと物理トリックの融合がうまくできている作品。伏線も各所に張り巡らされており、すっきりとした出来映えでは本書随一か。最後に荊木歓喜がえぐり出す「動機」は、ちょっと例がないものだろう。
盲腸で聖ミカエル病院に入院した歓喜が、医者たち男女7人の恋模様に巻き込まれる。そこには、憎悪と殺意がうずまいているのだった…。回り舞台のように男女の複雑な恋模様が描かれる冒頭は絶妙。短い枚数の中で3つの事件が立て続けに起き、女性ばかりが悲惨な事件の被害者となる。豚小屋で串刺しにされる被害者、生きながら解剖される被害者以上に冒頭の事件の被害者は悲惨すぎる。
・アンソロジー 中島河太郎編『名探偵傑作選』産報 産報ノベルス(昭和48.6)
日下三蔵の指摘するように、本編の被害者鴉田笛は、後の傑作長編「十三角関係」の女主人公車戸旗江の原型であると考えられる。アプレの息子との関係や田舎から女性を供給するという核になる構造も共通。犯人の犯意が薄く若干物足りないが、真の犯人の凶器トリックがある。娘を暴行し、父親に復讐するというプロットは「抱擁殺人」と一緒。
荊木歓喜のところに若い男女が処女検査にやってくるという意想外な冒頭。人生の落日においても、尾を引く殺意とは何か。最後の候文の手紙による犯人の告白に迫力がある。足跡トリックで「抱擁殺人」の別ヴァージョンの趣。
中編の枚数に傑作長編一冊分のネタをブチ込んだ名作。寒村の旧家、失踪した男の殺人予告、「気ちがいじゃがしかたがない」と同様の聞き違いい、覆される推理等、横溝正史の名作を強く意識した仕上がりとなっている。中でも、アリバイトリックのオリジナリティは凄い。物語の設定と相まってトリックが詩情を感じさせる希有の例なのではないか。そして、犯人を救うために大きな罪を犯した歓喜が「人殺しごっこは、もうこりごりさ」と峠の道を去っていくラストの余韻。荊木歓喜は何処へー。
中国山脈を旅する出稼ぎの旅芸人一座の中で起きた二人の死を扱ったミステリ。奇抜な犯行方法もさることながら、探偵役のひょうきん爺い桐平老のキャラクターがいい味出してます。筋に関係ないが、爺の歌はここに全文引用したいほどおかしい。
切支丹物。実在の宣教師ズニカの殉教を背景に、相棒が語る修道士シモン太兵衛の最期にまつわる悲しくも、ユーモラスな一編。ズニカの説法により入信した太兵衛は、次々といかさまの奇特(奇蹟)を行っていくが、それは天草の姫君の歓心を買おうとした不細工な男の精一杯の純情によるものだった・・。この奇蹟屋が磔刑の後に見せた真実の奇蹟。シモンの行う「奇蹟」のトリックがユニークで、この辺は「妖僧」とも共通。特に海上歩行の術は忍法帖のナンセンスあり。