夢でも見ているのかと久作は思った。
現実ではない感覚の中で、自分が酷くはっきりと自覚できていた。
やがてそれまで彼が感じていた感覚が急に現実の何かとすり替わった。
直後、何かとても大きくて堅い物にたたきつけられていた。
声を上げる暇もなく、薄れ行く意識の中、自分がどこかから落ちたのだと、何とか悟っていた。
ふと視界が明るくなった、オーロラのような物が辺りに見える。
ああ、夢だな。
龍之介はそう思った、オーロラが手を伸ばせば届きそうな距離に見えるはずがない事は、小学生の彼にもよく分かっていた事であるし、あまりにも夢のような光景だったからと言うものあった。
とりあえず安心して、あの元気なヌクヌクが起こしに来るまでとばかりに、睡眠の中へと沈んで行くのだった。
時間が規定値に達する、半身を起こしパジャマを脱ぎクローゼットから服を取り出し着替える。
センサーからは色々な情報が入ってくるが、要約すれば「人間らしくする」という優先命令がそれらを全てノイズとして扱わせる。
少なくともこの建物内、夏目家においては異常は感じられない。
そんな事を確認しながら、彼女は部屋を出て台所へと向かう。
ある家族の肖像 PHASE-I 一つの場所で
いつもの日課。 愛する夫と、息子と、夫の作り出したアンドロボットと、会社では仕事人間である自分が、ちゃんと夏目家の家族である事を実感しようと寝室を後にした。
台所からまな板の上で包丁を扱う音が聞こえる。
自分以外でこんなに上手に包丁を扱う人物に心当たりはないものの、その快いリズムはその不信感をほどよく中和していた。
「誰?」
「あ、おはようございます晶子さん」
やや寝ぼけた頭に、いつもの温子よりも落ち着いた印象を受けた晶子は、そのまま台所へと入りながら挨拶を返す。
「おはよう…」
温子さん、と言葉を続けようとした晶子は思わず目を見開いた。
「温子さん、あなた髪の毛どうしたの? また久作が何かしたの?」
少なくとも晶子は、目の前の温子が夫である久作の作り出した万能猫脳アンドロボットだと言う事を知っていた。
だから、いつもの赤い髪の毛が落ち着いた和紙のような浅葱色の物に変わっている事に、パーツの交換でもしたのかと夫を疑うのは当然の事だった。
だが。
温子は違和感を感じつつも、丁寧に晶子へと振り返り、
「どうしたんですか? 私の髪の毛は初めからこの色でしたけど… それに久作さんが私に何をするんですか?」
そう言った。
その落ち着いた物腰に、晶子は思わず自分が寝ぼけているのではないかと疑い、自分の頬をつねった。
痛い。
「夢じゃない…」
そんな晶子の様子を見て、温子はあまり陽動のない声で。
「大丈夫ですか? 晶子さん」
そう言った温子に対し、晶子は今まで喜怒哀楽をはっきりと表に出していた温子とは全く違う、まるで別人のような温子を感じていた、そしてそれに対する行動も早かった。
「あなた! いったい温子さんになにしたの!」
そう叫んで台所から出て行ったのだ。
「晶子さん、どうしたのでしょう」
いつものように朝食を作っていた最中の出来事にとまどいを隠せない温子だった。
嫁に来る前からあった地下にある久作の研究室に降りてゆく。
久作が趣味で作ったこの家のライフラインを管理している装置に、幾つか点いている指示灯が暗闇に浮かんでいるのが目に入る。
「自家発電装置作動中? 停電しているのかしら」
そんな事を呟きながら梯子を下りきり、足を踏み出す。
その踏み出した足に、床にしては柔らかい感触が…
不審に思ってスイッチに手を伸ばし、明かりを付けた。
「あらいけない」
そんな事を言い、そそくさと踏んづけていた物体、夫である久作の上から離れた。
再び夫を見下ろす、寝不足で倒れたにしては不自然に倒れている。
「あなた?」
不審に思って声をかけるが反応はない。
「あなた起きて下さい、そんなところで寝ると風邪を引きますよ」
言いながら手で久作の体を揺する。
「あなた! ちょっと起きなさいってば!」
次第に起こす手に力が入る。
そうして晶子が仕方なく拳を振り上げようとした時、ようやく目の前の夫は目を覚ました。
「ああ、晶子さん。 どうし…」
寝ぼけたままの久作の言葉は一度そこで止まり、彼は辺りを見回し。
「晶子さん、ここはどこの研究所ですか?」
そう、真顔で訪ねていた。
「どこのって、あなたのお家じゃない」
「え?」
「もう…、顔を洗って台所に来て下さい、話がありますから」
「はい…」
言いながら梯子を登って行った晶子に久作はそう返事をするのだった。
「晶子さん家まで用意したんでしょうか?」
そんな事を呟きながら、久作は梯子を昇る。
いったいいつの間に妻である晶子に拉致されてこんな所に居るのか、それすら久作には見当が付かなかった。
「確か安普請の集合住宅に住んでいたはずなんですが…」
見た事のない間取りに戸惑いつつ、辺りを見渡す久作。
「二階建てみたいですね」
何となく目の前にあった階段を登り切って、廊下にあるいくつかの戸の中に、龍之介の部屋と書かれた札が掛けられているのを見つけその戸を開ける。
「龍さん、こんな所で寝ぼけて」
「んーん、父ちゃん?」
寝ぼけたままの龍之介は辺りを見渡す。
「あれ? ここどこ!?」
見た事のない部屋に、思わずもう一度辺りを見渡す。
「どうも晶子さん家まで用意したみたいですね」
「え? 母ちゃんが?」
龍之介のその驚いた言葉に違和感を感じた久作は、思わず龍之介を見つめた。
「…なんだよ父ちゃん、気持ち悪いな」
「あ、ああすみません」
そんな二人の耳に足音が、階段をズンズンと昇ってくる足音が入って来た。
「あなた!」
「…あなたぁ〜!?」
今まで呼ばれた事もない言葉に思わず背筋が凍り付く久作。
少なくとも、新婚時代以外に、こうまで親しく呼ばれた事のない久作には無理もない事なのだが。
開いていた戸の向こうにその声の張本人が姿を現し、
「あら龍之介お早う、朝ご飯もう出来るから。 それからあなた、温子さんの髪いじったんですか?」
「…はい?」
その晶子の口調は確かに穏やかなのだが、久作にはまくし立てられるように聞こえ、生返事をただ返すのが精一杯だった。
数分後、台所。
先ほど一同に介した家族ではあったが、驚きに包まれすぎたのか、会話は長く続かなかった。
まず初めに小学生の龍之介に温子が驚いていた、彼女曰く「龍之介は中学生のはず」と言う事が、久作と晶子の知らない事であった。
そして龍之介の誕生日を聞いた三人はついに押し黙ってしまった、小学生以前に少なくとも子供の誕生日ではなかったからだ。
龍之介も含め全員が黙っている中、久作はゆっくりとだが確実に頭の中を整理する。
久作の作品でもあるはずのヌクヌクは、彼のイメージにある元気で活発な女子高生ではなく、物静かでおとなしい大人の雰囲気を持っていた。
久作の記憶の中では別居中のはずの晶子は、ここを久作自身が相続した家だという…
「しかし〜、夢でも見ているのか?」
久作の言葉だが、それはここにいる一同の言葉を代弁していた。
色々不確定要素はある物の、お互いに知っているはずの他人がここに集まっている。
そんな結論を取りあえず棚に上げ、たばこに火を付ける久作、その間も彼の思考は進む。
一息たばこを吹かし、彼はごく自然に息子のはずの龍之介に尋ねる。
「龍之介は、オーロラを見たと言いましたね?」
「そうだけど、オーロラってこんな部屋の中で見えるものじゃないじゃないか」
「ま、何らかの現象が作用したのは確かでしょう」
真面目に話している久作と龍之介、その自然さに思わず晶子は口を開いた。
「あの〜」
「はい、何ですか? 晶子さん」
「なに? 母ちゃん」
ほぼ同時に返された久作と龍之介の返事に、一瞬晶子の顔があっけにとられた。
「龍之介? 今私の事…」
「母ちゃんって呼んだけど、だめかな…」
「ううん、違うの、今までそう呼ばれた事があまり無かったから」
そんなやりとりを見て、久作は頭をかきながら思案した。
「晶子さん、龍之介、そしてヌクヌク、一度自己紹介をしませんか?」
「「え?」」
「あ、そうですね。 でも何処まで話したらいいのでしょうか」
「複雑な理由があるのなら、隠したい事があるのなら無理にとは言いませんが… まぁ、私から始めましょう」
久作はすっと立ち上がり間髪入れずに口を開く。
「私が今まで住んでいたのは、私が設計した都市、真似木市の某マンションでした。 しかも妻とは現在別居中です。 理由はヌクヌク、
その元になったNK−1124の開発にありました…」
「えっ? 私NK−1124じゃありません…」
「何!?」
素っ頓狂な声を上げる久作。
「と、とりあえず話を続けます。 私は自分の研究が軍事利用されるのを恐れたのです、それで会社の社長だった晶子さんと袂を分かって、現在に至っています」
久作の言葉が終わると共に静かになる室内。
「あの、私のメンテナンスは「任せなさい、これでも天才科学者の端くれです!」
言い切る久作に龍之介は。
「自分で言うかな…」
そんなツッコミをしていた。
それを聞いてか聞かずか久作は。
「では次は、龍之介お願いしますね」
さらりと軽く隣に座る龍之介に順番をふった。
「へ? お、俺?」
「はい」
「夏目龍之介、赤い鳥小学校に通ってて、クラスは3年B組で。 ヌクヌクは隣の青葉台高校に通ってました、父ちゃんはそこで教師をしていて、母ちゃんは三島の社長でいつも俺を追っかけてて。 でも父ちゃんと母ちゃんは別居してはいるけど、仲は良かったよ、ちょっと複雑な関係だったけど… ヌクヌクはたしかクリスマスの日に出会った子猫がヌクヌクの脳になっているんだ、その日母ちゃんの部下に追われた時に猫のヌクヌクが大けがをしてそれで…」
「なるほど… 龍之介の方のヌクヌクは、私の方のヌクヌクと同じような経緯の様ですね」
「そうなんだ」
「ええ、もっとも私の方のヌクヌクはなかなかシステムの整合性が取れなくて安定するのに時間がかかりましたが、それも晶子さんが私に秘密で医療用のものを軍事用にしていたからの事ですから」
「…、私って悪者なのね」
ボソリという晶子。
「あ、あなたとは別の、私の方の晶子さんは社運を背負っていましたから、仕方ないとは分かっていたんですけどね…」
「ごめんなさいね」
「いいえ、いいんですよ」
「じゃあ、あたしの順でいいかしら?」
「ええ」
「夏目晶子、ミシマインダストリーに勤務、社長の三島十三と夫はある意味、悪と正義の永遠のライバルでした」
「社長ではないんですね」
「ええ、あたしはただの中間管理職。 久作と龍之介とヌクヌクとは、ちょっと普通とは違うけど平和で円満な家庭を営んでいたわ。 会社人間な私をちゃんと家族として迎えてくれてた、だから今まではやってこれたのね」
「母ちゃん…」
「後の事はまた追々話すわ」
「分かりました、では最後にヌクヌクお願いします」
「はい。 桶口温子、型式番号MIFX−N2−009、それが私の名前です」
「夏目じゃないの?」
「はい、よく覚えていないのですが、私は久作さんを頼ってここに身を寄せています」
「他には?」
「…すみません、よく思い出せないんです。 あ、後皆さんからはヌクヌクと呼ばれていました」
全員座ったまま言葉を失っていた。
そんな中、久作はタバコを灰皿に押しつけながら口を開く。
「…つまり、私達は全員知っているはずの他人と一つ屋根の下にいると言う事ですか」
沈黙を破って広がる久作の言葉だが、それは新たな沈黙を生み出していた。
だがその重苦しい沈黙も長くは続かなかった。
ぐぅ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜……
ダイニングに広がる誰かのお腹の音。
「すいません」
鳴ったのは彼の腹なのだろうか、思わず謝る久作。
「お、お腹すいたわね」
そう言って、何故か恥ずかしそうに席を立つ晶子は、そのまま中断されていた朝ご飯を作りにかかる。
「あ、手伝います晶子さん」
「じゃ、じゃあお願いするわ温子さん」
「はい」
二人は席を立ちキッチンで朝食の続きを作る。
龍之介はまだ夢を見ているんじゃないだろうかと、ぼんやり二人の様子を見つめていた。
龍之介にとって幸せな普通の家庭は、もう見る事もなくなった夢のような物だったからだ。
同じくぼんやりと二人を見つめている久作、だがこちらは身の回りに起こった事象を考えながらではあったが…
おみそ汁に、ご飯、目玉焼き、焼きししゃも、その他…
そんな朝食をみんなが食べている。
そんな中、晶子は目の前に座ってししゃもを食べている久作に。
「久作、さん」
「…はい、何ですか晶子さん」
「どうしたらいいと思いますか? これから…」
「そうですね… 朝食が終わったら皆で外に出てみませんか?」
唐突な久作の言葉に皆の視線が集まる。
「いえ、ご近所の人なら何か知っているかもしれないと思った物ですから」
「そうですね…」
十数分後、食事を終えた彼らは玄関を開けそれぞれに家を出る。
「あれ?」
出て一番に声を上げたのは晶子だった。
「どうしました? 晶子さん」
「お向かいの家が、マンションになってる…」
「へ?」
「ここ、どこ?」
晶子の声はたた唖然と朝の町中へと広がるのだった。
久作はその晶子の様子を見取り、この家以外はまた別の何かなんでしょうかと思考を巡らせながら、タバコを取り出す。
「さて、どうしたものでしょうか〜」
そう言って久作が現実逃避にタバコの火を付けようとした、隣の家からFM放送のニュースだろうラジオの音が聞こえてくる。
「そうだ! ラジオとテレビだ! 急げ龍之介!」
「そう言えば… テレビの存在すっかり忘れてた!」
龍之介と久作が急いで家の中へ駆けて行くのを見て、晶子は吹き出してしまった。
何でこんな簡単な事を思いつかなかったのだろうと、同時に自分のよく知る久作と彼が同じ行動を示した事に、晶子は笑っていた。
「晶子さん?」
「ああ… 私の久作も、結構肝心な事を忘れている事が多くて、あの久作さんも同じなんだなって思ってつい」
「そうなんですか?」
「ええ、やっぱりあの人も久作さんなのね」
家の中に戻ってきた二人は急いでテレビを付けた。
「…特番ですか」
流れている番組が報道特番である事に納得した久作は手近なソファーに腰を下ろした。
「父ちゃん…」
どこかの屋上のカメラからなのだろう画面はゆっくりと回りながら都心の景色を映し出していた。
映像が切り替わり、アナウンスが入る。
『現在画面は皇居があるはずの場所を映しています…』
「皇居って…、森しかないじゃないか」
龍之介の言葉通り、画面には一面の原生林が覆い茂っていた。
『現在画面は皇居があるはずの場所を映しています、皇居は丁度この辺りに…』
画面の中で皇居が合成される。
やがて映像がゆっくりと引いて行き、お堀までその画面に入る。
「龍之介さん、皇居って何ですか?」
「ヌクヌク知らないの?」
「はい」
「皇居って言うのは、たしか天皇って言う偉い人が住んでいるところ」
「天皇って何ですか?」
「ええと…」
頭の中で、説明文を組み立てている龍之介をよそに晶子が口を開く。
「私たち日本人の代表で、確か憲法には国民の象徴として記載してあったわね」
そんな晶子の説明を聞きいて温子は。
「そんな人がいなくなって、大丈夫なんですか?」
「大丈夫なんじゃない?」
「そうなんですか…」
「それより龍之介、他のチャンネルはどうだ?」
「今変えてみるよ」
次々と変わるチャンネル、だがまともに映るどのチャンネルも同じような報道特番をしていた。
お昼過ぎ。
あれから晶子さんが電話をしようとして、回線が切れていたり。
自家発電装置が作動している事に久作さんが気付いたりしました。
知っているようで全く知らない世界にいる事に、とまどいを感じているのは龍之介さんも同じみたいです。
ピーンポーン。
「はーい」
取りあえず私は、来客があったので玄関へ、
「はい、どなたですか?」
「どうも東京ガスの者ですが、ガスの点検に参りました」
「あ、ちょっとお待ち下さい。 晶子さん、ガス会社のかたが来られましたけど」
家の中に言い放つ、少しして晶子さんが玄関まで出てきた。
「ガスの点検、ですか」
「はい、メーターとか、ありますか?」
「ああ、メーターなら玄関の脇のそれがそうですけど」
「分かりました」
早速とばかりに出てゆくガス会社の職員を追って、二人はそれぞれにサンダルを履いて玄関から出た。
その二人の視線の先、ガス会社の職員は、晶子に言われた計器を見て戸惑っていた。
「これ、どこのメーター?」
「ミシマガスのだったかしら」
晶子は平然と言い返した。
「ミシマガス? 知らないなぁ、でも規格は同じみたいだから分かると思うよ」
振り向く事もなくそう言ったガス会社の職員は作業に入る。
「今朝、出勤したらさー。 緊急に全家屋のガスを調べろって業務命令が来てさー、何事かと思ったらラジオであっちこっちにあるはずのない物とか建物があったり、あるはずの建物とかが無いなんて言うニュースが流れてたりしたもんで驚いたよー。 本社の方ではガスを止めてて、安全が確認された所から順番に復旧していくんだとさ。 お宅の所もガス止まって不便だったろ?」
「うちは、緊急用ぐらいはガスを溜められるようになってるから」
「へぇ、それもミシマガスの製品?」
「ええ、一般家庭用の試作最終品だったのよ」
結局採算性の問題点から、製品は家庭用から病院や工場用に方針を変えて販売されたのを、思い出しながらに答えた晶子。
「ミシマガスかぁ、他にも東都ガスとか、新東京ガスとか色んなガス会社のがあったりするんだけど、不思議と規格は同じなんだよね」
「派生元が同じなんじゃないかしら? だから会社名とか形式が変わっても結局同じ規格で通ってるんじゃないかしら」
晶子が元いた世界では、若社長の道楽につき合わされていた為、突発的に起こる異常な事態には慣れていた、そのせいか晶子自身は特に驚く事はなかった。
「それなら、納得がいくねー。 んーなるほど」
ガス会社の職員は、メモにさらさらと書いてそれを閉じた。
「規格は全部うちの会社のと同じだったから、この界隈の点検が終わったらガスが通るから、それまですいませんがお待ち下さい。 それと電気と水道の人もいろいろやっているみたいですから、そのうち回ってくると思いますよ」
「あ、すいません」
道具の片づけを終え、自転車にまたがろうとしていたガス会社の職員を、晶子は呼び止めた。
「はい?」
「お役所ってどこにあるのか知りませんか?」
「区役所なら… いま簡単な地図を書くよ」
「すいません」
「なぁに、困った時はお互い様さ」
そう言ってガス会社の職員はメモに簡単な地図を書きはじめるのだった。
「IPV6が通らないですねぇ」
先ほどから、自分の物らしい研究室にどんな機能があるのか手探りで、調べていた。
今はネットワークが外に繋がっているかどうかを試している所である。
「V4は… 通らないと。 ネットワーク設定を見る分にはTCP/IPみたいですから、これは完全に外部との物理的接続がないと考えるべきでしょうか」
言いながら、家の配線関係のデータを広げる。
「LANがこう来て、ここでボックスを通って、光ファイバーで外へと… これでは、電話も繋がらない訳ですね」
取りあえず、この家だけがここに跳んできたと仮定して、色々と情報を調べる久作だった。
リビングに戻ってきた温子は、ソファーで横になってぼうっと天井を見つめている龍之介の視線に割り込むようにして、彼をのぞき込み声をかけた。
「どうしました龍之介さん」
「うーん、学校どうなったかなって…」
「少し散歩してみますか?」
「え?」
龍之介の問いに温子は笑みを持って返すのだった。
特にすることもなかった龍之介には、ヌクヌクの提案の持つ魅力に勝つことはできなかった。
冒険心をくすぐられるのも意識に感じつつ、見知らぬ土地で父親と生活を始めたあの頃のように、まずは外に出てみることを選ぶ龍之介だった。
「あ、温子さん。 お出かけ?」
「はい、龍之介さんと一緒に区役所に行ってみようと思います。 地図は覚えちゃいましたから」
温子が玄関で靴を履いている所を、ちょうど晶子に呼び止められた。
「ヌクヌクお待たせ」
声が先に龍之介が階段を下りてくる。
「龍之介、温子さん気を付けて行ってらっしゃい、夕飯までには帰ってくるのよ」
「「はーい」」
玄関を出る、温子は先ほど記憶した市役所までの地図を頼りに指を指した。
「まずはあっちの方に歩いていって、大通りに出たら右に折れて、二つ目の交差点を… 、どうしました?」
「何で分かるの?」
「さっき、ガス会社の人に地図を書いてもらいましたから、それを覚えてて」
「そっか、じゃ行こうよ」
「はい」
端から見れば、姉と弟の二人は街へと歩き出していった。
「すごい渋滞ですね」
「街中の車が道路に出てきたみたいだね」
「そう、みたいですね」
大通りに出た二人の目の前には、微妙に動いているらしい車の長蛇の列が広がっていた。
近づく前から、クラクションの音やエンジン音がうるさいのを分かってはいたのだが、現実に目の当たりにすると、車の形をした動く粗大ゴミが道路を埋め尽くしている、としか言いようがなかった。
「で、どっち?ヌクヌク」
「こっちです龍之介さん」
あまりにも不自然な大渋滞だが、龍之介はあまり驚く事はなかった。
それは彼のよく知るヌクヌクと、詠美というもう一体のアンドロボットが騒ぎを起こして、ガスタンクを爆発させたりしたことがあった、そんな記憶を始めとして、イミテーションとは言えミサイルを授業中の教室に撃ち込まれた思い出も、他にも挙げればきりがないが、さり気なくハードな経験があったからだ。
「大丈夫なんでしょうか…」
「大丈夫なんじゃないの」
「龍之介さん…」
「電気が止まっているからこうなるんだよ」
龍之介の指さし先の信号機は、どのランプも消えていた。
交通整理の警官の姿も見えない。
もっとも、都市一つの交通整理を人海戦術でできる訳はないので、当たり前といえば当たり前だが…
やがて二人は交差点に差し掛かる。
「ここを渡らないといけないんですが…」
二人の目の前に横たわる幹線道路には。 ぎっしりと詰まった、それでもやや動いている車達があふれかえっていた。
「危ないですよね?」
「そうだね」
いつ動くか分からない車の間を渡るのをあきらめた二人は、お互いの顔を見合わせる。
見上げた龍之介の瞳に映るのは、パタパタと慌ただしく活発な雰囲気を持つ、龍之介の知っているヌクヌクではなく、落ち着いた静かな雰囲気を持つ瞳だった。
その彼女の唇が動く。
「横断歩道を探しましょうか」
その頃の夏目家。
「久作さん」
「なんですか? 晶子さん」
地下の研究室にいる久作を、上からのぞき込む様に話しかけた晶子に、彼はコンピューターをいじりながらに返事を返した。
「何か分かりました?」
「そうですねー、何とかしてお金を稼がないといけない事ですか、とりあえずは」
のほほんと答える久作に対し、晶子の顔は引きつっていた。
そんな晶子の顔をみるでもなく久作は言葉を続ける。
「推測の域をあまり出ませんが… どうやら、こちらに来ているのはこの家だけのようです、私や晶子さんの口座がある銀行はこちらに来てはいないと考えるべきでしょうね」
「そんな」
「でもまぁ、そんなに悲観する必要もないでしょう。 どうやらこういう事態に陥っているのは我々だけじゃないみたいですから」
これからの事を思うとため息をつく晶子に、久作は思い出したように訪ねた。
「つかぬ事をお聞きしますが、郵便貯金の通帳はありますか? 晶子さん」
「ええ、少しは」
「頼みの綱はこれだけですか…」
そう言って久作は晶子の方を見ようともせずに、こちらをのぞき込んだままだろう晶子へと片手で貯金通帳を差し出す。 ちなみにもう片方の手は先ほどからキーボードの上でかたかたとリズミカルにキーを打ち続けていた。
受け取りその中身を見た晶子に声がかけられる。
「前の世界では、いろんなところに逃げるのに便利でしたから、最後の手段用に少しだけ残しておいたんです」
「あ…、久作さん」
「なんですか?」
「なんでもないです、これでやりくりしてみます」
そう言ってやや足早にこの場から離れて行く晶子の足音を聞きつつ。
「使えると良いんですけどねー」
久作はぼんやりと呟くのだった。
街中を歩く二人は、ようやく区役所にたどり着いていた。
「なんなんだこれは」
あきれながらに龍之介の言葉が漏れる。
区役所の入り口から中に続く人だかりと、何人もの言い争う声と、それをなだめたりしている何人かの警官がいた。
「俺は区議会議員だぞ、なんて扱いをするんだバカヤロー」
「そっちこそなんだバカヤロー、確認がとれるまで待てっつてるだろが!」
そんな罵倒も聞こえる。
「何かあったんでしょうか?」
「多分、ダメなんだと思う」
「何がですか?」
「ほら、中の方もいろんな人がいるけど、仕事している人は少ないじゃない。 それに人捜しは役所の仕事じゃないよ」
「その通りや坊主、こんな時は掲示板でも用意せなな」
突然話しかけられた二人は声の方に顔を向ける。 そこにはよれよれのスーツを着た、青年男性が立っていた。
「おじさん、誰?」
「お、おじさんはひどいな… 一応警察官なんやけど、旅行中にこの災害に巻き込まれてなー。 何とか警官の身分は保障されたんやけど、知った顔が一人もおらんからあぶれてもうてなー」
関西弁で人なつっこくしゃべるその青年警官は、そう言って頭をかく。
「ともかく、いま役所の人に裏で掲示板になるモンを用意してもらっとるんや」
「掲示板なんかどうするんですか?」
「紙にな、誰々の安否を知りたいとか、私は元気ですとか、書いて貼っとくんや。 それで、知ってる人が見たら安否を書き込んでもらうとかするんや」
「へぇー」
「人間も土地も、こんなにゴチャゴチャになったんやから、そんなに上手くは行かんと思う。 やけど、望みは捨てたらあかんのや。 坊主もあんたも希望を捨てたらあかんで、生きてるモンは生きて未来を作らなあかんのや」
なけなしの言葉を紡ぐように、その青年警官は語るのだった。
やがて、区役所の前にいくつもの掲示板が掲げられた、選挙ポスター用の掲示板を何の手も加えずにそのまま使っている。
それを知った何人もの人が、それぞれに掲示板に紙を貼り付けてゆく。 そんな光景を龍之介とヌクヌク、そして青年警官はぼんやりと見つめていた。
いつの間にか掲示板が用意されてから小一時間が経っていた。
「震災の経験が、こんなところで役に立つなんてな…」
青年警官の呟いた言葉が温子の耳に届く。
「震災って何ですか?」
「ああ、阪神大震災の事や。 冬の寒い中に大きな地震が来てな、神戸の街はめちゃくちゃになった。 六千人以上が死んだんや… こんな経験、もう二度と無いて思うとったけど、そうは行かんかったんやな」
はじめこそ説明口調だったが、彼は遠い目をして言い終え、ふと龍之介を見下ろして言った。
「そや坊主、家族は無事か?」
だが当の龍之介は、掲示板の前にいる兄妹を見つめていた。
その兄妹は先ほどから何度も掲示板を見回していた。 力無く握られた兄の手をしっかりと握り返す妹、どちらもまだ龍之介と同じ小学生だろうか。
「坊主?」
「え? なに、おじさん」
「…坊主の家族は大丈夫やったんか?」
「…大丈夫だよ」
とりあえず言いなおした青年に龍之介はそう返す。
「そうか、それは良かったな。 じゃあそろそろ行くわ、元気でな坊主」
「うん、がんばって」
去ってゆく青年警官に手を振った龍之介は、先ほどの兄妹を視線で追おうとする。 だが掲示板前の増え続ける人混みの中に紛れ込んだのか、その姿を追うことはできなかった。
「大丈夫かな…」
そんな龍之介の呟きが聞こえたのか、温子は龍之介の肩に手を置き。
「龍之介さん、行きましょうか」
「うん」
二人は未だに増え続ける掲示板の人だがり前から離れた。
それからしばらく、街を歩く二人の間は無言だった。
「ヌクヌク、今どの辺りか分かる?」
「はい」
「じゃあ、もう少し歩こうよ」
龍之介が見た区役所は、彼の知っている区役所とは全く別の建物だった。
掲示板に貼られていた、そして今も増え続けているだろう数々の張り紙は、この災害でいかに離ればなれになった人々が多いかを暗示していた。
歩道橋を登る、階段を踏みしめる竜之介の脳裏には。 掲示板の前の、老若男女の中に紛れ込むように佇んでいた兄妹の姿が、何度も掲示板を見渡すその姿が離れないでいた。
やがて歩道橋の上で龍之介は立ち止まった。 手すりにもたれて道路を見渡す、ぼんやりと…
「どうしました? 龍之介さん」
「ヌクヌク、俺達は今どこにいるんだろうね」
「家からは…」
「いいよ、ヌクヌク。 そんなんじゃないから」
二人の眼下に続く、車で埋め尽くされた道路からは、相変わらずけたたましいクラクションやエンジン音が、鳴り響いている。
「不安なんですね」
「当たり前だろ!? …ごめん」
思わず声を荒げた龍之介だが、目の前の彼女とてそれは同じだと気付き、謝っていた。
「いえ、いいんですよ。 私も不安ですから」
そう言った温子は龍之介にピッタリとくっつき、そっと抱きしめる。
あわてた龍之介に温子は言葉を続ける。
「私は… 猫なんですよ」
その声は、龍之介にはひどく悲しく聞こえた。
「帰りましょう、龍之介さん」
「…うん」
夕刻、夕飯を終え一家で団らんを囲っている一同。
傍らでテレビが報道特番を流している、別のチャンネルでは尋ね人の番組もやっていた。
ライフラインの方は水道と電気は通った物の、ガスと電話は未だに通っていなかった、電話の方は完全な規格違いから、通るまでしばらくかかりそうだった。
そんな中、龍之介は心ここにあらずという感じで、ぼんやりとテレビへと視線を向けていた。
帰ってきてすぐはそうでもなかったのだが、テレビをぼんやりと見ているうちに今のようになっていた。
「とりあえず、役所の方はパニックだった訳ですね?」
「…」
「…はい、職員がそろっていないとか、いないはずの職員がいるとかで、役所の中も外も全然対応できてなかったんです」
久作はいつもの癖で竜之介に聞いていたのだが、結局答えたのは温子だった。
龍之介は視線を合わせる事なく黙り込んでいた。
「大災害ですね、これはまさに」
テレビは相変わらず、報道番組を流していた。
その内容は、朝からあまり変わった事ではなかったが、範囲は関東一円から日本全国にまで広がろうとしていた。
とは言えテレビ局近辺が主な中継地ではあったが。
「そう言えば龍之介、学校とか何か見つかった?」
何気なく質問した晶子だったが、龍之介からは返事が来ない。
「晶子さん…」
温子の言葉の意味に晶子が気づいたが、それはすでに遅く彼女の視線の先の彼は俯いていた。
「今どこにいるか分からなかった、住所を見ても全く別の街で。 …学校なんてなかったよ」
「龍之介…」
「ごめん、一人にして」
俯いたままの龍之介が静かにリビングから出て行った。
階段を上る足音が聞こえる、それほどに今の夏目家は静かだった、ただテレビからの音をのぞいては。
「だいぶ参っているようですね」
「子供には、あたし達より辛いのでしょうか」
晶子も久作も彼を追おうとはしなかった、どちらも彼は他人だと扱っていたのだろうか、その思考が離れず両者ともソファーから立ち上がることはなかった。
そんな中、温子がゆっくりと立ち上がる。
「…少なくとも、私と龍之介さんがいた場所はもうどこにもないんです」
「それは多分、私も晶子さんも同じですよ」
そう言いきった久作の表情も暗い、部屋に沈黙が重くのしかかる。
「一つ提案があるんですけど…」
やがてテレビがコマーシャルを流し始めると、再び温子が口を開いた。
「なあに温子さん?」
「せっかく、まったく知らない訳じゃない私達がここに集まったんですから、せめて家族として過ごせないでしょうか」
(そうですねぇ、あの龍之介には両親が必要でしょうし、私も一人は寂しいですからね)
ぼんやりとそんな事を考えていた久作に晶子の言葉がかかる。
「久作さんは、どう思います?」
「確かに我が子とは言えませんが。 …あの龍之介をこのまま一人に出来る私ではありません。 ヌクヌクの意見に賛成です」
「なら、後は龍之介さえ納得してくれたら、良い訳ね」
「良いんですか? 晶子さん」
「…ええ」
「よかった。 じゃあ私、龍之介さんに話してみます」
温子はしなやかにきびすを返すと、そのまま駆け出して行く。
そのまま彼女を見送った晶子は、彼女が階段を上って行く足音を聞きながら。
「これから大変よ」
「大丈夫です、何とかなりますよ」
どこからあふれてくるのかは分かりかねたが、久作の言葉からは落ち着いた自信を晶子は感じていた。
(まぁ、なんとか… するんですけどね)
久作のそんな思考とは裏腹に、晶子は久作の言葉に安心を覚えるのだった。
ふと、思い出す歩道橋の上での出来事を。
(俺だって心細いよ、なのにヌクヌクに当たるなんて…)
ゆっくりと龍之介は階段を上る。
(あいつだって不安なはずなんだ…)
ふと脳裏に、掲示板の前にいた手を繋いでいる兄妹の姿が浮かんだ。
(あの二人、今頃どうしてるかな)
階段を上りきり、龍之介の部屋とプレートのかかっている部屋の戸を開く。
紅い、夕焼けの紅い光が部屋と共に、龍之介をもその光の色に染めてゆく。
「あれ?」
思わず目を伝う何かに気付き手でぬぐう。
「涙? 俺泣いてる?」
今、龍之介は部屋の真ん中で立ちつくしていた。
何の思い出もない部屋は、何の暖かみもない部屋で、そして自分以外の誰かの部屋だった。
明かりを付けていない部屋に、窓からは痛いぐらいに夕焼けの紅い光が差し込んで来る。
涙で視界は歪み、紅い光に染められ部屋もぐにゃりと歪む、その幻想的な様子に。
「夢みたいだ」
呟き、そんな事はないと思わず頬をつねる。
「痛い」
再び呟いた言葉、こんな時でも何気に冷静な自分が悲しくなった。
「夢だったら、どんなにいいか。 目が覚めたらヌクヌクの自転車に乗って、すごい勢いで町中を疾走して登校…」
思い出を語る口が悲しくて、でもそれを止める衝動はすでに龍之介に残ってはいなかった。
「母ちゃんと父ちゃんが楽しそうに追いかけ回して…」
あの掲示板前の兄妹を思い出して自分の方がマシだとも思った。
両親と離ればなれなのかなと、そう思った瞬間、その思考を引き出したその浅ましさと同時に、自身も今までいた世界の全てと離れ離れになっている事に気がついた。
そして、部屋にひとりぼっちなのだと再認した。
龍之介の視界に広がる夕焼けの紅は、彼の前ではとても冷たく部屋を染めていた。
「ひとりぼっちに、なったんだ」
つぶやく言葉が部屋に広がることもなく、龍之介は立ちつくしていた。
あふれ出る涙をぬぐうことも忘れ、紅い光が染める中に、一人立ちつくして啜り泣いていた。
階段を上りきった温子。 彼女の視界に開け放たれたままのドアから溢れた、夕焼けの紅い光が廊下を照らしている。 開け放たれていたのは龍之介の部屋のドアだった。
「龍之介さん?」
開かれたドアの前に立った温子の視界には、夕焼けに紅く染められた部屋の中に、立ったまますすり泣いている龍之介の姿があった。
「龍之介さん」
温子の声に、龍之介はゴシゴシと涙をぬぐって、振り返る。
「な、なに? ヌクヌク」
とりあえずみっともなくないように取り繕った龍之介だが、その瞳からは涙が再びあふれ出していた。
「ちょっと待って」
そう言って再びゴシゴシと涙をぬぐう。
その龍之介の仕草にいたたまれなくなった温子は、龍之介に近づく。
「来るな!」
「えっ!?」
思わず足を止めた温子に龍之介の罵声が続く。
「来るなよ、もう俺の知るヌクヌクはいないんだ、父ちゃんも母ちゃんも、曾爺ちゃんだって、佳美ちゃんだって! もうどこにもいないんだ。 探しても、手を伸ばしても、届かないんだよ! みんな、いな… いなく… 先… して俺は…」
一気にまくし立てた龍之介の言葉はやがて形をなさなくなり、彼はそのままうずくまって泣き出していた。
「私は、猫なんですよ。 龍之介さん」
「知ってるよ!」
鳴きながらでも律儀に返事を返す龍之介に、温子は言葉を続ける。
「さっき下で話し合ったんです、せっかく少しはお互いを知っている私達が集まったんですから、せめて家族として暮らそうって」
「家族?」
「はい。 龍之介さんは嫌ですか? 断られたら私は。 その時は、私は捨て猫になっちゃいますね」
「あ…」
龍之介の脳裏にクリスマス・イブの晩の光景がよみがえる。
思わず拾った子猫を巻き込んで大けがをさせてしまった事の後悔、どんな結果であれ巻き込んでしまった者の責任を、もう届くはずのない負の想いを握りしめるように彼は決断した。
(責任、取らなきゃ…)
ゴシゴシと涙をぬぐうと龍之介はまっすぐに温子を見上げ。
「大丈夫だよ、ずっと俺はヌクヌクの飼い主だから」
「龍之介さん」
そう言って静かに、そして優しく龍之介に抱きつく温子。
「…ヌクヌク…」
彼女のぬくもりを感じながら、龍之介は記憶の中と、目の前、その両方の彼女の名を呟いていた。
夜、リビング。
「あ、温子さん…」
晶子は二階から降りて来た温子に声を掛けた、彼女は返事を返す前に微笑みを浮かべ、
「龍之介さんに、納得してもらいました。 今は泣き疲れて寝ています」
「そう…」
短く返した晶子の言葉に安堵の表情が混じる。
それを見て安心した温子は、晶子と向かい合うようにリビングのソファーに座り込み口を開く。
「…これで、家族。 ですね」
「そうね。 でも、これからが大変よ」
「そうですね」
「龍之介は学校に行ってもらうとして、私は少し考えさせてもらうわ」
「私は、何をしたらいいでしょうか?」
「そうね、とりあえず家の事を頼もうかしら。 私は結局仕事人間だから…」
どこか寂しそうな晶子の言葉に、温子思わず呼びかけていた。
「晶子さん」
「大丈夫よ、今度は久作さんにも手伝ってもらうから」
「あ。 そう言えば、久作さんは?」
「今は研究室よ、何でもよく調べてみるとか」
そう言った晶子の視線は、床下の久作の研究所に向けられるのだった。
「PHASE-II この空の下で」へ続きます。
どうも、しまぷ(う)です。 な訳で 時空融合当日の夏目家でした。
これがSSFWへの初投稿となります。
私にとって万猫は家族をずっとテーマの一つとしてきたと思い、今回の話を書くに至りました。
とりあえず、遅筆ではありますが続きの方を書いています、よろしくお願いしますね。
阪神大震災(実世界)
1995.1.17 05:46、兵庫県南部地震によって引き起こされた災害の通称。
直接的な被害額はおよそ10兆円。
死者6千名を超す大災害であったが、これ以降日本にもボランティア活動が定着の様相を見せた。
ライフラインの完全復旧は電気が六日後の23日に、続いて電話が31日に、ガス上下水道は3ヶ月後の4月中に及んだ。
現在(2003.1.1時点)でも土砂崩れを起こしたままの山肌や、再開発の及ばない地域には空き地が残っていたりする。
万能文化猫娘 代表的な各作品における四人の役柄など。
漫画版
久作 三流医大講師にて、奥さんに逃げられた人物。
晶子 存在せず。
ヌクヌク 同医大の学生で、猫脳アンドロボット、龍之介の母親役になる事もしばしば。
龍之介 小学生、片親である事を少し引け目に感じている。
漫画版(エース連載版)
久作 第七研究所所長、物語の舞台である真似木市の設計も手がけた。
晶子さんとは会社の方針と自分の理念があわない事により、別居中。
なお、この久作のNK−1124は「健康維持、脳の蘇生に役に立つ」とのこと。
ただし、サイズの都合で人間サイズの脳みそは入らず。
晶子 社長、龍之介を溺愛しているが、その財力に物を言わせた教育ママでもある。
ヌクヌク 万能猫脳アンドロイド、OVA版とほぼ同じ経緯でヌクヌクとなる、学生ではない。
龍之介 三島コンツェルンの御曹司であり、天才小学生… だが一般常識には疎い面がちらほら。
OVA版(旧)
久作 元三島の技術者。
晶子 三島の社長。 龍之介を溺愛するが、それ以前に三島の社長である。
ヌクヌク 万能文化猫脳アンドロイド、高校生である。 夏目家の家事をこなす。
龍之介 小学生、突拍子な両親の間でもけなげに生きてる。
TV版
久作 正義に燃えるしがない街の発明家。
晶子 ミシマインダストリィ開発部長。
若社長の道楽にてブラッディー・アキコとしてミシマの世界征服に供与している?
ヌクヌク 高校生。 思いっきり主人公で、話は完全に彼女を中心として展開する。
龍之介 出番は少ない、ヌクヌクの飼い主にして、全シリーズ中最も子供的に書かれている。
OVA版(Dush)
久作 昔は軍事研究に手を染めていた科学者。
晶子 ミシマ第2本社勤務の企画開発室室長、あるアンドロボットを追う。
温子 あるアンドロボットそのもの、普段はモードが違うので大人の物静かな猫の女性である。
龍之介 中学生、上記のヌクヌクに惚れるが、想いはいつもすれ違い。