1898年 清で康有為の変法自強運動中国の清朝のもとで、曽国藩や李鴻章が中心となり、洋務運動とよばれる西洋技術を取り入れた近代化が進められたが、政治制度や法律などの伝統的な制度はそのまま存続していた。清仏戦争(1884〜1885年)と日清戦争(1894〜1895年)にあいついで敗れると、西洋の技術を取り入れるだけでは限界があり政治制度なども近代化していく必要があるという意見が有力となった。 康有為(こうゆうい)を中心とする変法自強運動(へんぽうじきょううんどう)は、西洋の政治制度を取り入れて清朝の政治改革を推し進めようとするもので、政府内の高級官僚にも支持されるようになった。清朝皇帝の光緒帝や中央の軍機大臣の翁同和(おうどうわ)、李鴻藻(りこうそう)、地方では湖広総督の張之洞(ちょうしどう)、両江総督の劉坤一(りゅうこんいつ)などが理解者であり協力者でもあった。 1898年6月11日、清朝の光緒帝が康有為を登用し、政治改革を断行しようとした。 康有為を中心に、梁啓超(りょうけいちょう)、譚嗣同(たんしどう)らが改革に取り組み、 ・科挙制度・学校制度の改革 ・不要官吏の淘汰と経費の節減 ・産業交通の振興 ・軍隊の近代化と拡充 などを目標として、つぎつぎと法令が出された。 しかしながら、西太后(せいたいごう、前皇帝の同治帝の生母)を中心とする保守派のクーデターが起き、光緒帝は北京城(紫禁城)内の瀛台(えんだい)に幽閉され、康有為と梁啓超は日本とイギリスに助けられて日本へ亡命、譚嗣同ほか5人が逮捕され処刑された。このクーデターを戊戌の政変(ぼじゅつのせいへん)と呼ぶ。戊戌はこの年の干支である。 この後は、西太后が再び政治の実権を握った。 この変法自強運動は、開始後わずか百日で挫折したため、百日新法、百日維新、百日改革などとも呼ばれる。 【人物】 康有為(こうゆうい K'ang Yu-wei)1858〜1927 清朝末の学者、政治家。あざなは広夏、号は南海。広東の人。 公羊学(くようがく)を奉じた。 光緒帝のもとで変法自強運動の政治改革を行なおうとしたが、西太后派のクーデター(戊戌の政変)により挫折した。日本や欧米に亡命後、のちに中国へ帰国したが不遇に終わった。 著書に「孔子改制考」「新学偽経考」「大同書」などがある。 梁啓超(りょうけいちょう Liang Ch'i-chao)1873〜1929 清朝末・民国の学者、政治家。広東の人。 康有為とともに変法自強運動を推進したが、戊戌の政変を逃れて日本に亡命。亡命中に、雑誌「清議報」を発行するなどして、日本や西洋のニュース・制度・文化を中国やアジア諸国へ伝えた。また、保皇会を組織して孫文の中国革命同盟会に対抗した。 民国時代の北京政府に参加し、司法総長、財務総長となった。啓蒙思想家として指導的な役割をはたした。 著書に「清代学術概論」「中国歴史研究法」などがある。 光緒帝(こうちょてい)1871〜1908 清朝第11代皇帝。徳宗(とくそう)。在位1874〜1908年。 西太后の妹が結婚した醇親王奕?(じゅんしんのうえきけん)の子。西太后の策謀により幼少で帝位につき、西太后が摂政となった。17歳で親政を行い、革新政治を行なおうとしたが、1898年の戊戌の政変で北京城(紫禁城)内の瀛台(えんだい)に幽閉され、1908年に病死した。 西太后(せいたいごう)1835〜1908 清朝第9代皇帝の文宗・咸豊帝(ぶんそう・かんぽうてい)の側室となり、第10代皇帝の穆宗・同治帝(ぼくそう・どうちてい)を産んだ。 咸豊帝が1861年に病死したため、幼少の同治帝が帝位についたが、咸豊帝の皇后慈安皇后(東太后)とともに幼少の同治帝を助けて慈禧太后(じきたいごう)と称した。西太后は摂政となり、咸豊帝の弟の恭親王奕?(きょうしんのうえききん)が補佐した。このころは政治が安定し、同治の中興と呼ばれる。 1974年に同治帝が没すると、西太后の妹が妃となっていた醇親王奕?(じゅんしんのうえきけん)の幼少の子を第11代皇帝の位につけて徳宗・光緒帝(とくそう・こうちょてい)とし、権力を維持したが、光緒帝が成長して親政を行ない変法自強運動を進めると、保守派とともにクーデター(戊戌の政変)を起こして再び権力を掌握した。 その後、西太后は、扶清滅洋をスローガンとする義和団の武装蜂起を暗に援助したことから、義和団が1900年に北京に入り、外国人に数々の暴行を行ったうえ外国公使館区域を包囲するにいたると、西太后は諸外国に向かって宣戦した。このため、列強8か国が連合軍を組織して北京に進撃し、西太后と光緒帝は西安へ難を逃れることとなった。講和条約は、多額の賠償金支払や、北京・天津など華北への外国軍駐留など、屈辱的な内容で、清朝への国民の信頼を失い、革命運動が加速された。 【参考ページ】 1898年 清で戊戌の政変(保守派のクーデター) 【LINK】 西太后について 中国歴史あら?カルト! ≫ 西太后と溥儀の部屋 ≫ 西太后と溥儀の部屋(1) Yahoo!ジオシティーズ カレッジライフ ≫ 佛教大学西洋史研究会〜コロンブスの卵〜 ≫ 西太后 紫禁城について 宣和堂電網頁 ≫ 故宮の番人:はじめに ≫ 北京・故宮関連年表 ≫ 〜3〜 清代 宣和堂電網頁 ≫ 故宮の歩き方 北京 ≫ 『The Last Emperor』の歩き方 参考文献 「新訂版チャート式シリーズ 新世界史」堀米庸三・前川貞次郎共著、数研出版、1973年 「改定新版 世界史辞典」数研出版、1974年 「年表式世界史小辞典」文英堂、1988年 「世界の歴史20 中国の近代」市古宙三著、河出文庫、1990年 NHK BS特集「世界から見たニッポン明治編 第2回 アジアの希望と失望」2006年8月6日再放送 更新 2006/8/7 |