1948年 中国で長春包囲戦1945年に日本が敗戦すると、中国では中華民国政府(国民党・蒋介石)と中国共産党(毛沢東)との間で国共内戦が再び始まり(1946年6月)、1949年には中華民国政府が台湾へ逃れるに至った。 この国共内戦において、1948年に中国共産党が、国民党軍の支配下にあった長春(注:旧満州国の首都であった新京。中国東北部吉林省の主要都市。)を包囲して兵糧攻め(1948年5月23日~同年10月19日)にした際、数十万人の一般民衆が餓死した。 ![]() ![]() この動画の28分35秒付近からで、次のように述べている。太字は当サイト管理人によるものです。 『 1948年はじめの長春包囲戦の時、長春城内の食料を消耗させるため、解放軍はなかにいる一般民衆を一歩も城外に出しませんでした。その結果、2か月間のあいだに餓死者・凍死者・城外へ逃亡しようとして殺された者など20万人もの一般民衆が命を落としましたが、中国共産党は恥じる様子もなく、「長春解放は刀を血に染めることがなかった」とうそぶいています。』 また、ユン・チアン、ジョン・ハリデイ共著「マオ 誰も知らなかった毛沢東 上」(土屋京子訳、講談社、2005年) p528 に、次の記述がある。 『 この残虐非道な作戦について、関係者は口外を禁じられた。城外へ出ることを許されたごく少数の住民に対して発行された通行証には四箇条の「難民紀律」が押印してあり、その中の一項目は「流言蜚語(りゅうげんひご)を禁ず」――つまり、喋るな、ということだった。人民解放軍の粟裕(スーユイ)司令官によれば、長春式の兵糧攻めは「かなりの都市」でおこなわれたという。当然ながら、粟(スー)司令官は具体的な地名は出さなかった。 』 【遠藤誉さん】 この長春包囲戦から生還した遠藤誉さん(日本人女性)が、体験記などを出版している。 「卡子(チャーズ) 出口なき大地」遠藤誉著、読売新聞社、1984年 「続 卡子(チャーズ) 失われた時を求めて」遠藤誉著、読売新聞社、1985年 「卡子(チャーズ) 中国革命戦をくぐり抜けた日本人少女 上・下巻」遠藤誉著、文春文庫、1990年 「卡子(チャーズ)の検証」遠藤誉著、 明石書店、1997年(注:内容は山崎豊子著「大地の子」での盗用疑惑についてのようです。) 「卡子(チャーズ) 中国建国の残火」遠藤誉著、朝日新聞出版、2012年 ![]() 【LINK】 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 参考文献 ![]() 「マオ 誰も知らなかった毛沢東 上・下」ユン・チアン、ジョン・ハリデイ共著、土屋京子訳、講談社、2005年 ![]() ![]() 更新 2013/8/1 |