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「老人Z」

1991年・バビット(日本)
○監督:北久保弘之○原作・脚本:大友克洋○作画監督:飯田史雄○キャラクター原案:江口寿史
松村彦次郎(高沢喜十郎)、横山智佐(三橋晴子)、小川真司(寺田卓)ほか




  発表当時、あの「AKIRA」のあとでもあり、それなりに関心を持ちはしたけど結局はスルーしていた一本。公開から14年も経って今ごろ見る気になったのは、やはり「BSアニメ夜話」によるところが大きい(笑)。僕はアニメについてはそれほど熱心に見ているわけでもないので、「北久保弘之」というアニメ監督の名前はこの番組で初めて知ることになった。別にこの番組で北久保さんの監督作を取り上げたわけではなく、レギュラー出演者の一人として北久保さんが出ており(毎回ではないが実質レギュラー)、作り手の立場から発せられるコメントや業界豆知識(&裏知識)を毎度面白く拝見していたのだ。そしたらBS2で北久保監督作品「老人Z」を放映することになったのでいい機会だと鑑賞してみた次第。完全にNHKの術中にハマってますな(笑)。「アニメ夜話」の「新造人間キャシャーン」の回でゲストに飯田史雄氏を招いて二人で「老人Z」の際の裏話をちょこっとやったのも連動作戦だったんじゃないかと(笑)。
 ただしこのアニメ、公開当時もそうだったが「北久保監督」よりも「大友克洋&江口寿史」が宣伝文句となっていることは否めない。二人ともフランスのメビウスに入れ込んだ、国際的にも名高い漫画家というところが共通点。漫画からスタートしてそれぞれアニメ作家、イラストレーターへと進んでいったというところもどこか似ている。

 実質この映画の「作者」扱いの大友克洋は原作・脚本、そしてオープニングに映る毛筆のタイトル(笑)を担当している。同じ時期に大友さんのほうは実写映画「ワールドアパートメントホラー」を製作中だったかと思う。この「老人Z」の企画がどこからどう出てきたのかは知らないけど、やっぱり「AKIRA」の勢いを駆っての「大友アニメ」という宣伝の仕方だったし、もしかして北久保監督は「代打監督」に近いんじゃなかろうか、などと思ってしまうのだが。実際調べてみると大友さんが北久保さんの仕事を気に入って抜擢したということではあったようだ。

 当時としては現在ってよりも「ちょっと近未来」を想定して各種設定を作ってるんだろうか(「パトレイバー」あたりと似てるような)。モチーフとなっている老人介護問題などは製作から14年後の現在ではむしろ深刻化してるわけでその意味では予言的かも知れない。ただもう一つの重要な要素であるコンピュータ関連の描写はさすがに今から見ると大時代的だ。もっともこのアニメ、コンピュータ技術面についての考証はもともと大雑把だとは思うのだけど。
 物語の主人公となるのは一人暮らしで惚け気味の寝たきり老人・高沢さんと、その介護ボランティアをしている看護学校生・晴子(いかにも江口寿史的美少女!)。厚生省が開発した最新鋭の介護ベッド「Z−100」のモニターとして高沢老人が選ばれ、家族の同意ありとは言いながら拉致同然に連れて行かれる。間もなく晴子が通う学校で「Z−100」の発表会が行われ、老人をすっぽり覆う機械だらけの巨大ベッドが診察・食事から排泄、娯楽や運動まで、寝たきり老人に対してまさに至れり尽くせりの介護をしてくれる様子が実演で示される。しかし晴子はそこに人間らしい愛情が感じられないと批判し、高沢老人も口にこそ出さないが体中スパゲッティ状態で拘束される状況に恐怖の色を浮かべている。
 この「Z」、現実には21世紀に入った現在でもまだまだ実現には程遠いところだと思うんだけど(金と手間さえかければ近いものなら作れないことはないのだろうが)、実現したらなんだかんだ言って結構便利なんじゃないかな〜と思ってしまうのが正直なところ。というか、ここまでメカニック・全自動ではないものの一部寝たきり老人の入院状況ってすでにこれに近い状態だ。映画のその後の展開からすればそういったものに対する批判精神も込めているんだろうけど、現実の寝たきり老人介護の大変な状況を考えるとこういうメカの実現が待たれるような気もする。晴子の叫びは心情的にはもっともなのだけれど、ちと「甘い」という気もしてしまう。

 で、高沢老人はこの監禁状態からの解放を熱望するようになり、「Z」から接続されているコンピューターネットワークを通じて晴子に救出を求めるメッセージを送る。このへん、どうしても一昔前つまりインターネット普及以前に文系人間が抱きがちだったコンピュータ描写、「線が繋がっていればなんでもアリ」な印象を受けてしまう。一応「Z」に搭載されているのが第四世代型コンピュータというやつで自己学習・増殖能力を持っている、という設定で多少の無理はごまかせちゃうようになってはいるのだが。
 じゃあなんで老人介護ベッドにそんな高性能コンピュータがついてるんだ、という率直な疑問には「実は軍事利用のテストだった」という説明がなされる。この設定からこのアニメは政治陰謀物の色を帯び始め、派手なドンパチのクライマックスへと結びついていくのだが、どうしても今になってみると大友作品の「AKIRA」や、「MEMORIES」の一編「最臭兵器」の二番煎じだか三番煎じだか、の安直なパターンに見えてしまう。「最臭兵器」は「老人Z」よりあとでアニメが製作されたと思うのだが、原作はもしかして同じ時期なのではないかな?この両者、結構似ていると思うのだけど僕は「最臭兵器」の方が面白かったと思う。
 なんでその差が出るかといえば、やっぱり「老人Z」の設定に無理があるんじゃないか、と。介護ベッドに軍事利用うんぬんの説明はどうやっても納得しにくい。模擬人格を持った介護ベッドの大暴走、これを食い止めようと出動した軍事用ロボットとの大格闘などアニメ的に面白い見せ場は多いけど、根本のところの疑問が気になって素直に楽しめなかったところはある。

 その一方で…むしろこちらのほうが見せ場だったんじゃなかろうか、と面白がってしまったのが、映画後半から登場する老人ホームのハッカー老人たちの大活躍(笑)。老人問題を扱ったブラックコメディーというのが本作の位置づけだが、その老後を大いに楽しむ、好奇心旺盛かつイタズラ大好きなハッカーお爺ちゃん達の姿には、実はこれからの老人のあり方の好例が示されていたように思う。出てくる高齢者が高沢老人だけだったら、寂しい老後人生とメカニック批判だけが目に付くずいぶん後ろ向きな印象の映画になっちゃったところだが、老人ハッカー達の大活躍のおかげでいいバランスになり、かなり救われた気分で映画を見終えることが出来た。

 最後のオチについては…笑ったことは事実だが、正直なところ蛇足かと。(2005/6/27)



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