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投稿時間:2022/04/13(Wed) 12:53
投稿者名:Clifton
Eメール:houstonbim@usa.net
URL :http://https://butiaonline.com.br/stmap_21snbbax.html?staxyn.pletal.levitra
タイトル:LdMIxUyaDs
I've got a very weak signal https://www.goodworkint.com/stmap_21snbbax.html?amiloride.viagra.irbesartan.mentat buy serevent diskus Over 16,000 were in attendance for the fight, generating just over $20 million, was another record. TheテつLas Vegas closed-circuit record, selling out 26,163 tickets for a gross of $2,615,360, was another record set by the fight. Mayweather is obviously the biggest name in boxing, but Alvarez definitely helped. The problem is moving from here and trying to make this huge financial achievement into something that helps the whole of boxing, and not just a single individual.

投稿時間:2011/09/16(Fri) 13:02
投稿者名:Bail Hoshikuzu Channis
Eメール:
URL :
タイトル:ありがとうございます。
Kenさん、解説をありがとうございました。難解な英文だったものでして、構文がよくつかめませんでした。

さて。茫漠とした考えで大変に申し訳ありませんが、ポツポツと書き記したく思います。

推理小説についての分析に仕方において、以下の3つがあることが有名です。
1:フーダニット (Whodunit = Who (had) done it)
誰が犯人なのか
2:ハウダニット (Howdunit = How (had) done it)
どのように犯罪を成し遂げたのか
3:ホワイダニット (Whydunit = Why (had) done it)
なぜ犯行に至ったのか

【進化という名前のついた犯行】に例えて、進化を事件として取扱かった推理小説であると考えると、上の3つについて考えたくなります。
誰かが部屋の中で死んでいた時に、「死に方が鮮やかだから誰か知的なデザイナーによって殺された」のか、反対に「いや自殺だろう」なのか…フーダニットですね、これでは。
そして、08/31-12:55 の投稿は…いわば、ホワイダニットなんです。視点は。 
また、まだ私は記していませんでしたが、ハウダニット的な部分も興味深いところなのですよね。
このように、あまりにも大風呂敷ですので、考えもまとまらず、茫漠としたものになってしまっているのです。

ただ、ハウダニットの部分については、検出可能でなければ科学ではなかろうと…そのようには思います。 ここが最大の難関であろうと考えます。知的デザインであるならば・・・ですが。
「犯人はお前だっ」と指摘したとしても、犯行手順がわからなくて物証がなければどうしようもありませんし、立件して裁判に勝てる見込みもありません…科学の法廷では。

このごろたびたびID論vs進化論の討論を見て回っていたのですが、ハウダニットについてはあまり意見をみていません。 どこか見なくてはいけない情報リソースがあれば、ご案内いただくければ幸いです。
よろしければご教示くださいませんでしょうか?

投稿時間:2011/09/15(Thu) 22:41
投稿者名:Ken
Eメール:
URL :
タイトル:「区別不能」と言ってるのは?
Bail Hoshikuzu Channisさん、

ご指摘のあったガーディアン紙の記事を読みましたが、この記事の内容だと、IDとダーウィニズムが区別できないと主張しているのはBeheではなく、Beheの論争相手と思われるAndrew Brownでしょう。要するに、Brownの主張は、BeheたちがIDの結果と考える進化は、実はすべて自然法則で説明がつくのだから、わざわざ干渉者など想定する必要がない、というものだと思われます。つまり、「IDとダーウィニズムが区別できない」とは、IDとダーウィニズムどちらの場合でも、結果として起こる進化は同じだから、「より簡潔な」説明である、ダーウィン流の自然選択で説明すればよい、というわけです。

これに対して、Beheは、自然選択とIDでは、結果として起こる進化が異なり、それゆえ両者は区別可能である、と主張しているのです。どのように異なるかは、上記の「ID論争(4)」で紹介していますので、参考にしてみてください。

投稿時間:2011/09/13(Tue) 16:58
投稿者名:Bail Hoshikuzu Channis
Eメール:
URL :
タイトル:Re: ID論争 (7)
> Bail Hoshikuzu Channisさん、
> はじめまして。このサイトにID論争を持ち込んだKenです。

こんにちは。よろしくお願いいたします。

実はKenさんのご投稿を拝読してからいろいろと考えるところがありまして、書き込みを保留していました。
Kenさんに、お聞きしたいことがあり、お答えを踏まえまして、さらに考えたいところがございます。ではお尋ねいたします。よろしければご教示ください。


Finding design in nature ( www.guardian.co.uk/commentisfree/belief/2010/nov/29/religion-evolution ) で、Michael Behe 氏がおっしゃるには、

intelligent design is essentially indistinguishable from Darwinism 「インテリジェントデザインは本質的にはダーウィニズムと区別できず」のようです。

Michael Behe 氏の意図はなんでしょう?

投稿時間:2011/08/31(Wed) 22:39
投稿者名:Ken
Eメール:
URL :
タイトル:忘れた頃のID論争(笑)
Bail Hoshikuzu Channisさん、
はじめまして。このサイトにID論争を持ち込んだKenです。

「進化が偉大な存在に導かれたのなら、今の生物は、もっと完成されたものであるはず」と主張する人は、たしかにいるだろうと思います。本サイトでの議論でも、そのような指摘がありました。

でも、この点で、私の見解は、出発点から異なります。私のID知識は、主にMichael Beheの論旨から得たもので、IDを実行したのが、「偉大な存在」とも、ましてや「神」とも言ってません。

先の投稿で書いたように、人類が行ってきた、動植物の品種改良は、すべてIDです。人間が干渉することで、自然選択では起こり得ない進化が起こりました。イノシシからブタが創られたのがよい例で、先祖のイノシシと比べて、ブタは鈍重だし、敵を攻撃する牙も、体を保護する体毛も亡くしました。これが野生動物なら、淘汰されるでしょう。人間という干渉者がいたからこそ、ブタは登場しました。

そこから類推するなら、IDの実行者は、偉大な存在でも、超越者でもある必要はないのです。それゆえ、生物が「完成」されたものであるはずという論点も、論点自体が無意味です。現存の家畜や農作物が「完成」されていると考える人はいないだろうし、だからこそ世界中の研究者が、更なる改良をめざして、努力を続けています。

さらに言えば、生物にせよ、あるいは機械にせよ、なにかの存在が「完成」されているというのは、そもそも定義が曖昧です。イノシシとブタでは、どちらが「完成」されているでしょうか? 野生環境で生きるならイノシシですが、食肉を得る家畜としてならブタでしょう。また、野生環境だけを想定しても、環境が変われば、有利な形質も変わります。例えば、3億年前の石炭紀には、大気中の酸素濃度が現在より70%も高く、皮膚呼吸をする昆虫が大型化しました。なんと翼幅75センチのトンボが飛んでいたのです。でも今の地球の酸素濃度では、昆虫は小さいことが有利になります。

今の人類が「完成」されているか、という疑問についても、まず評価基準を設定しないと、始まりません。

人類が今後さらに「進化」するか、という設問なら、まだしも考えやすいかもしれません。

一般には、人類のこれ以上の進化はないだろう、という意見が優勢のようです。進化が起こるには、ダーウィン流の自然選択にせよ、IDにせよ、特定の形質をもつ個体だけが生き残り、子孫を残すことが必要です。でも、そんなことは、現在の人権思想と、相いれません。もし、何かの不利な形質をもつ人がいても、手段を講じてその人を守るべき、という思想が、世界の主流をしめています。

ただし、人間の思想は変わることがあります。例えばヒトラーは、ダーウィンが説く「適者生存」を政治思想に取り入れ、優秀な民族が、劣等人種を支配または淘汰するのが、自然の摂理と考え、現実の政策として実行しました。わずか70年前のことです。

ナチスは極端な例としても、「問題」のない人間にだけ子孫を残させるという考えは、歴史上何度も現われたし、おそらく今でもあるでしょう。私は、昨年H・G・ウェルズの世界史を読んだあと、この作家に関心をもち、作品を順次読んでいるところですが、1905年に発表された「現代のユートピア(Modern Utopia)」には、問題のある人間には子孫を作らせないことが、ユートピアを実現する条件の1つに挙げられています。政治思想では、ウェルズはヒトラーの対極に立つ人ですが、いわゆる「優生学」について、程度の差はあれ、同じ方向を考えていたのは、興味あることです。実際のところ、ダーウィン流の「適者生存」理論から、ウェルズやヒトラーの思想へいたるまでの道筋に、あきらかな論理的矛盾はありません。

ついでに言えば、人間は皆平等で、不利な形質を持つ人でも、これを保護するべき、という考えは、元々は、宗教から発生したものです。これは、ダーウィニズムと宗教の「対立」を考えるとき、留意すべき点です。ダーウィニストが宗教勢力を批判するのは、一部の原理主義者が、万物は神が創造したなど、科学的根拠のないことを主張するせいであるのは、たしかです。しかし、多くの宗教者がダーウィニズムを批判するのは、必ずしも、神による創造を否定されるからではありません。最大の問題は、ダーウィニズムを突き詰めてゆけば、ヒトラーに繋がるではないか、という点にこそあるのです。その点では、両者の議論は、噛み合わないことが多いのです。

投稿時間:2011/08/31(Wed) 12:55
投稿者名:Bail Hoshikuzu Channis
Eメール:
URL :
タイトル:Re: ID論争 (7)
…実はこのID論争のスレッドでの討論、タイムリーに拝見していたのですけれど、当時は、私見を奇麗に立論しつつ投稿することは、私には出来ないと、いったん諦めてしまいました。
…徹夜城さんのサイトを訪問する都度、このID論争のスレッドが思い起こされて気になってしかたがなく、思い切って、ポストさせて頂きたく存じます。ただし、奇麗な立論は不可能ですし、また、Kenさんはじめ皆様の論議に沿ったものでもありません、申し訳ございません。
===
『知性ある何かによって生命や宇宙の精妙なシステムが設計されたとする』『宇宙自然界に起こっていることは機械的・非人称的な自然的要因だけではすべての説明はできず、そこには「デザイン」すなわち構想、意図、意志、目的といったものが働いていることを科学として認めよう』 (Wikipediaより引用)
===
私の感覚では、IDerの皆さんは、例えば、人類という種の現在の様態を「完成品」としてみなしている、そのように感じます。
「完成品であり優れている」からこそ、知的デザインが働いているのだとご主張なさっているに違いない、そのように私は感じるのです。
「完成品」であるならば、これ以上、現生人類は進化しないはず、つまり、IDerの皆さんは、進化はすでに終わっている、とお考えなのではないのかと。このように愚考する次第なのです。
===
逆に、IDerの皆さんは、人類はさらに進化する、とお考えなのでしょうか? だとするならば、人類という種は、未完成であり、不具合がたくさんあり、「知的な存在」によって改善される余地があるということになります。
===
以上により、IDerの皆さんのご主張には、以下のふたつのいずれかが含まれているはずです。
・人類の進化は終わっている
・人類は不完全でありまだ進化の途上である。
===
後者であるとすると、その「知的存在」は、ほぼ万能の力を持ちながらも現時点に至るまで人類を不完全なままにしている、という意味で、倫理的正当性を得ているとは思いがたく、また、前者であるとすると、人類はこれ以上素敵な種にはなれないと「知的存在」が決めていることになり、やはり倫理的正当性を得ているとは思いがたいのです。余談ですが、前者後者の、いずれにせよ、私は、そのデザイナーにたいし、山ほど文句を言いたいと思います。
===
おそらく、IDerの皆さんは、人類は完成品でありこれ以上種の進化は起きないととらえているのだろうと勝手ながら想像しております。そうでないとすると、IDerの皆さんが知的デザイナーに期待している役割が、はてしていったい何なのか、私には理解できないからです。
===
科学なのかそうでないのか、といった視点からでなく、IDerの皆さんの動機づけを問題にしたかったのですが、無能力故、残念ながら尻切れトンボです。つたない私の感想は以上です。駄文を失礼いたしました。

投稿時間:2011/01/28(Fri) 04:09
投稿者名:Ken
Eメール:
URL :
タイトル:ID論争 (7)
 皆様こんばんわ。
 ここまでの、皆さんからのご質問やご意見を伺って、私の説明不足、プレゼンテーションの稚拙な点が、自分でもみえてきました。そこで、明らかにできる点は明らかにし、その上で、ダーウィニズム対IDの論争が、なぜ今のようにかみ合わなくなったのか、歴史的経緯を踏まえながら、考証してみようと思います。当初の予定になかった第7回をアップしますので、ここまで読んでいただいた方々には、いま少し、おついきあい願えれば、幸いです。

*************************
 今回の質疑応答を通じて、多くの人が、
 「合理的に説明のつかないことに、超越的存在をもちこんで、解明を放棄するのは科学ではない」
 と、批判されていることが分かってきた。なによりも、この点について、補足説明が必要であろう。

 このような指摘自体は至極真っ当なものだし、現実にこの誤りを犯す人々がいるのも事実である。例えば、17世紀以降、光は波だと主張した科学者たちは、

「波とは媒質を伝わるものだ(音声が大気を伝わるように)。光は真空の宇宙空間を通ってくるが、そこには媒質となるべき物質が何もないではないか」

 と批判されて、困ってしまった。中には、

「光は媒質がなくても伝わる波なのだ。神がそのように決められたのである」

 と主張した人もいるだろう。これなど、この誤りの典型的な例といえる。多くの科学者たちは、神こそ持ち出さないが、「エーテル」という、決して観測できない、いわば超越的な物質が宇宙を満たしており、これが光を伝える媒質だと主張した。これでは、神がそう決めた、というのと本質で変わるところがない。

 しかし、自然選択で説明のつかない進化は人為的干渉の結果と主張することは、この例には該当しない。なぜなら、進化への干渉は、超越的なわざではないからである。人類は、農耕・牧畜を始めてより1万年以上もこれを実行してきた。干渉の具体的手法は、「好ましい」個体にのみ子孫を作らせる人為選択だったが、ごく最近になって、遺伝子組み換えという新しい手法も加わった。つまり、IDには、人類とよく似た意思と能力を有する、人類以外の存在を仮定すればよいのである。それは異星人かもしれない。異星人が現実的な可能性としてありうることは、SETI(地球外知性の探索)をNASAがやってることでも分かる。
 また、ある特定の進化──例えば鳥の出現──が、自然選択では説明できず、IDと結論されても、それがすべての終りではない。やがて、自然選択でこれをきれいに説明する理論が現われるかもしれない。もし現われたら、それに合せて我々の考えを変えればよいので、そのような例は、科学史上枚挙にいとまがない。むしろ、人為的干渉という、人類が現にやっていることを、人類以外がやるとなると、「疑似科学」として根拠もなく排除することこそ、科学の発展を阻害するものである。

 それにしても、なぜ、ダーウィニズムにまつわる論争では、良識が支配せず、誤解と歪曲と強弁が横行するのだろうか? 私は、それは、歴史の偶然が生んだ不幸な事態だと思う。

 19世紀来の論争のそもそもの発端となった「時計作りのアナロジー」を考えてみよう。生物の複雑な構造が自然発生するはずがなく、意図的な創造者がいるという主張自体は、いわば常識論にすぎない。
 問題は、その創造者が神であると短絡した点にある。それも一般名詞としての「神」ではない。当時のヨーロッパ人が考える神──宇宙を根源的に創造し、地球を生命で満たし、自分になぞらえて人間を作り、自分の息子を救世主として遣わした存在──という、きわめて具体性の強いものである。冷静に考えれば、進化の干渉者が、このような神でなければならない理由はどこにもない。

 それゆえ、無神論者が「時計作り」に論駁するとき、何よりもこの点を衝くべきだった。そのとき「聖書派」から出るであろう「神でもない者が、かくも偉大な生命体系を作れるか」という主張に対して、ダーウィニズムを補強理論として提出すればよかったのだ。生物自身が自己進化する仕組があるから、すべての進化を干渉者が導く必要はなく、ゆえに神でなくてもよいのだ、と。

 ところが、当時の無神論者は、「時計作り」の干渉者は神以外にあり得ないと、彼等自身も短絡してしまった。この点で、無神論者も当時の典型的なヨーロッパ人だったといえる。そうなると、神を否定する立場上、進化への干渉を全否定するしかない。それはつまり、ダーウィニズム(自然選択)で、あらゆる進化を説明できるという主張につながる。こんなことは、ダーウィン自身も想定したか疑問である。自然選択で進化が起こり得るのと、進化は自然選択でしか起こらないのでは、ロジックとして全く別物なのだ。

 「自然選択で進化が起こり得る」ことには大量の証拠がある。「進化は自然選択でしか起こらない」ことには何の証拠もない。ベーエ達ID論者は、後者の点を追及し、ドーキンス達は、前者の証拠で後者も証明されると強弁するのだ。ブッシュ前大統領は、学校でダーウィニズムとIDの双方を教えるのがバランスが取れてよいだろうと言ったが、ドーキンスはIDを学校に持ち込むことに断固反対する。その理由として、IDは「自然選択で進化が起こり得る」ことも否定する疑似科学だというのだ。「そうではない」という抗議には一切耳を貸さない。

 さて、われらがアジモフ博士が今の論争を見たら、何と言うだろうか?
 私の個人的意見だが、やはりドーキンス流の論法は論理的に破綻しているし、アジモフとしても支持するわけにはゆかないだろう。ただ、ここで悩ましいのは、ID論者が表に出す主張の背後にある意図である。彼等自身は、干渉者の正体がユダヤ・キリスト教の神だと思っているし、IDを耳にする多くの人が同じ結論へ至ることを期待しているだろう。(私がIDの主張を詳しく読むことができたのは、宗教系のサイトだけだった。)ドーキンス達がIDにいかなる譲歩もできない理由もここにあるだろう。つまり「時計作り」の賛否双方が犯した誤りは、実質的に今でも続いているのである。
 アジモフとしては、IDの表の主張と裏の意図を厳密に区別し、「表」の妥当性を認めつつ、「裏」の方が人々を惑わさないように注意を促すのではなかろうか?
*************************

 どうやら、今回の投稿で、私が言うべきことは言い尽くしたように思います。もちろん、疑問や批判があれば、これからもお寄せください。

投稿時間:2011/01/23(Sun) 13:07
投稿者名:Ken
Eメール:
URL :
タイトル:回答します。
 いやあ、皆さん、活発なレスポンスをいただき、感謝です。意見発表の場をもてただけでも幸運なのに、このような議論に発展するとは、望外の喜びです。とくに、ろくさんは、皆さんの意見を的確にまとめてくださり、たいへん助かりました。

 ご指摘の点に回答する前に、私がこれまでに述べたIDの特徴のうち、最も肝要な点を、あらためて列挙します。

 (1)IDは、地球生物の進化に干渉したのが、神とも超越者ともいっていない
 (2)IDは、進化も自然選択も認めている
 (3)IDとダーウィニズムの唯一の対立点は、地球の生物進化に、人為的な干渉が含まれるか否か、の一点である

 まことに簡明だと思うのですが、世の多くの人には、これがなんとしても理解されません。特に、徹夜城さんが名前を挙げたリチャード・ドーキンスは、ID論者が、これを何百回繰り返しても、頑として認めず、IDが進化も自然選択も全否定しているとした上で、自己の反論を構築します。地球の歴史の中で生物が形体を変えてきたことは、大量の化石が証明しているにもかかわらず、ID論者は進化を認めない・・・このように言い張った上で、IDは創造論と同じだと断言するのです。ドーキンスは多くの著作をなし、あちらこちらで発言をしているので、この人物の考えに接するのは、実に簡単です。たとえば、これ、

http://www.guardian.co.uk/science/2005/sep/01/schools.research

 英語で恐縮ですが、ドーキンスが英ガーディアン紙に投稿したコラムです。彼の主張が、簡潔に要約されており、上記の3点と比較すると、いかに議論がかみ合ってないかが分かります。(私見ですが、ドーキンスは上記の3点が理解できないのではなく、理解した上で、IDの論点を自己に都合よく歪曲してると思います。)

 それでは、主にろくさんのご指摘に対応する形で、回答をしてゆきます。

 まず、上記の(1)。IDは地球生物の進化に干渉したのが神とも超越者とも言ってません。進化に干渉するのは、人類が過去1万3千年に行ってきたことで、その主体者が神であることを必要としません。ゆえに、生物の構造が不完全だから、干渉がなかったとはならないでしょう。また、干渉者が仮に神のような超越者としても、そのことと、干渉者が必ず神の完璧さでもって進化を導くこととは、ロジックの問題として同等ではありません。

 上記の(3)。地球生物の進化に人為的干渉が含まれるか、が争点です。「AではないイコールBであるという証明」は、ここからきます。つまり、

 A:地球生物の進化には、人為的干渉はなかった
 B:地球生物の進化には、人為的干渉があった

 これなら、この2つの場合以外には、ありえないでしょう。そしてダーウィニストが、「干渉はなかった」「すべての進化は自然選択」と主張する以上、あらゆる進化を説明し尽くす責任は、ダーウィニストの方に生じます。言い換えれば、ダーウィニストはこれをやればよいので、干渉者の不在を証明する必要はありません。
 上記のコラムにもありますが、ドーキンスはここでも論点を歪曲しており、

 「進化には大量の証拠がある。IDの証拠を出したいなら、神が進化に干渉している記録映像でも持って来るべきだろう」

 と述べています。しかし、干渉の記録映像に対応するダーウィニズム側の証拠は、すべての進化が自然選択で起こったことの記録映像であって、進化が起こったことの証明ではありません。(そこが対立点ではないのだから。)

 太陽や地球のエネルギーを受けて、蛋白質等が合成されるのは事実でしょうが、これは、今、問題になっている進化とは別物です。これらは、生物を作る材料ができることを意味しているので、時計に例えるなら、鉄、銅、シリコン等が、星の内部の核融合でできることに相当します。しかし、今問題になっているのは、これらの材料が歯車や文字盤として加工され、協同して働く機械に組みあがるか、ということなのです。エネルギーだけでは、それが起こらないことは、ダーウィニストも認めており、だからこそ「自然選択」という別のメカニズムを提唱しています。エネルギーの流入は、エントロピーが減少する必要条件ですが、十分条件ではありません。

 最後に、徹夜城さんが言われた、

それを持ち出したとたんに「じゃあそれはいかなるものであり、いかなる方法で介入したのか、またその目的は何なのか」ってことを論じなければいけなくなる

 についてですが、論じればよいのではないでしょうか? 今のところ、追及の手がかりすらありませんが、未来永劫そうだと結論する理由もありません。私が、ホイヘンスの光=波動説を例に挙げたのは、そのためでした。媒質の正体が不明のまま光が波動だと主張するのと、干渉者の正体が不明のまま人為的干渉があったと主張するのとは、同じ性質のものであり、ホイヘンスが波動説を唱えたことに意味があるのと同様、干渉があったと主張するのも、それ自体に問題はないでしょう。

投稿時間:2011/01/23(Sun) 02:50
投稿者名:ろく
Eメール:tasiroku@hotmail.co.jp
URL :
タイトル:Re^5: 学問に「超越者」を持ち込む是非
まずはKenさん、ありがとうございます。
ID論の話大変面白く読ませて頂きました。

ここまで読んでいるうちに皆さんの的確かつ論理的な文章に圧倒されまして(笑)
自分の言いたいことはほぼ言い尽くされている感がありますが、せっかくですので少し感想を述べさせて頂きます。他の方々と重複している点もあるかと思いますがご容赦下さい。


まず、これまで何度かその言葉の出ている<時計作りのアナロジー>について。
確かに時計も生物も、ひとりでに組みあがることはない、その通りです。
しかし少々こまかい話になりますが、この場合の<ひとりでに>という言葉の遣い方からして、時計に関するときと生物に関する時とでは異なってきます。

時計の部品が道端に落ちていても、そこに例えば強い風が吹き、部品同士がかみ合わされたとしても、そこには何の規則性もありません。

しかし自然界においては、こちらを読まれている方々ならよくご存知でしょうが、例えば酸素原子が2個あれば結合してO2に、またはNOxやCO2などの様々な分子に、なろうとする力が働いています。

そしてこのように、規則性を持ち結合された分子が更に結合してゆき、アミノ酸などを形成し、たんぱく質となり最終的には生物が発生する・・・と私は認識しているのですが、これは当然時計が人為的にしか作られない、時計の自然発生はない、という場合とは異なってきますよね。

時計のネジや歯車が組み合わさる事には自然の法則は働きませんが、原子や分子の結合は一定のパターンに沿って(放っておいても)行われます。(もちろん全く刺激のない場合はこの限りではないでしょうが、地球上では太陽からのエネルギーや地球内部の熱などが表面の分子・原子を刺激してエントロピーの減少を見る事が出来るわけです。)


もしこの分子・原子の結合こそが人為的な進化の証明、超越者のいる証明だと言われてしまえば反論は不可能です。話はここで終了です。

しかし逆に言えば、もしそこまで、超越者が操作出来得るものならば、なぜその後の進化にこれ程欠陥が多いのか。

ウェンデル・アースさんのおっしゃるように、眼など、人体(のみならず地球上の様々な生物の様々な部位)は、人為的な操作の結果作られたものとするには余りにも杜撰な作りに思われます。


そして、<現在の進化論では(一例として挙げられたのだと思いますが)恐竜から鳥への進化は証明できない、だから人為的なものだ>という論においては文章自体が破綻しているようにさえ思えます。
AではないイコールBであるという証明は、他に選択の余地がないことが先に証明されている時のみ成り立つのであり、そして現在の進化論科学が世界の全てを証明しているわけではないことはもちろんです。

これは「わからない→神様の仕業だ」という原始のアニミズムから一歩も出ていない論に思われます。

以上のような論点の破綻を考えると、残念ながら、こちらを読む限りではID論には説得力を感じられませんでした。


最後に、ウェンデル・アースさんのおっしゃる不在証明は「そこに何かがいない事を証明する」という意味かと思いましたがいかがでしょうか。

何かが「ある」事を証明するのと違い、「ない」事を証明するのは困難で、場合によっては不可能に近いため、「ある」事を主張する側がその存在を証明する必要がある、という原則の事だと思います。

この場合はダーウィニストが超越者の不在を証明するのではなく、ID論者の側がその存在を証明しなければならないわけです。

投稿時間:2011/01/22(Sat) 22:03
投稿者名:徹夜城
Eメール:
URL :
タイトル:一通り読ませていただきました
管理人として、こちらに誘導した以上、コメントを。

まず冷静な筆致で議論を読みやすくまとめていただいたと思います。それ自体はいろいろと勉強になりましたし、ID論が一応進化論そのものを取り込む形であることも理解はできました。kenさんの「疑似科学として門前払いするのはいかがか」という主張も一定の理解をします。
ただ、やはり煎じつめると「自然選択・淘汰の積み重ねではこうならない。人為的なものだ」ということになると、ID論以前の創造論と何ら変わりはないのではないか?という印象を僕は受けました。そしてすでにご指摘が出てますが、「進化に介入した何らかの知性」を設定する必然性を僕は感じなかったんです。それを持ち出したとたんに「じゃあそれはいかなるものであり、いかなる方法で介入したのか、またその目的は何なのか」ってことを論じなければいけなくなるのではないでしょうか。また進化の方向に介入するにしても現在における人間という一生物のみた価値観から見た「進化コース」に沿うようにその何者かが介入するというのもSF的に考えたとしても僕はひっかかりを感じます。
挙げられていた「ダーウィニズムの疑問点」にしても僕がちょこっと読んだドーキンスの著書の論法からするとすでにそれ以前の創造論派とのやりとりであがっていたものと似ている気がするのです(だから彼らには新鮮味がないとも言えるかも)。直接は読んでませんが、ドーキンスはID論についてもかなり詳細に批判をしているようですが。

セーガンやアシモフがどう批判しただろう?と想像するのは確かに楽しいのですけど、こればかりは実現しない話ですしねぇ。