舞台劇「倭寇伝」について
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◎はじめに

「倭寇を素材にした舞台を9月にやるんですが、ご助言いただけませんか?」

 とのメールをいただいたのは2004年の4月末のことでした。 差出人は歴史テーマのお芝居をする演劇ユニット「歴史再検団」の方で、ネット検索で「倭寇」で探しているうちに僕の「史劇的な物見櫓」の「俺たちゃ海賊!」コーナーにたどりつかれたとのことでした。「おおっ、倭寇が芝居に!これは血が騒ぐぜっ!」と二つ返事で協力を引き受けた僕は、「歴史アドバイザー」としてこの劇のスタッフリストに名を連ねる事になってしまいました。なお、あらかじめ言われていたのですがギャラは一円も出ておりません(笑)。
 まぁ僕がしたことはといえば、この劇の作・演出を手がける方に直接お会いして「倭寇」について熱弁を2時間ばかりふるい(自分自身「もし映画にするなら…」ってな構想もあったのでそれもお話し)、仮完成の脚本をチェックして史実関係についての大きな間違いがあった場合に修正の必要を指摘する、といった程度でして。本音を申せばストーリー自体に介入したい気分もアリアリだったのですが(笑)、それはいくらなんでも口の出しすぎですし芝居についてはまるっきり無知ですから、あくまで歴史関係の助言役に徹しました。それとついでに野次馬根性的関心もありまして舞台の稽古の模様というのを初めて見学しにも行きました(7月中に一回、公演一週間前に一回)。その際に出演者の方々に「倭寇とは何か」を手軽に説明もしてきています。僕自身はお芝居に関わったことは無いんですが、漫画やら小説やらホームページやらで「創作活動」はしている人間ですから、こうした芝居の創作過程の現場は非常に興味深かったですし、また大いに刺激にもなりました。

 脚本も読み、稽古で役者さんたちが動くのも見ましたが、やはり舞台劇というのは本番になってみないとどういうものになるのか分からないもんだ…などと、9月12日の13:00の公演を、伝言板でお誘いした方々と一緒に鑑賞しながら僕は思っていました。結論から言いますと、事前の想像以上にいいお芝居になっていたと思います。以下、簡単にこの劇について紹介していこうと思います。



◎登場人物(配役を以前載せてましたが、古い話になってきたのでカットしました)

■官軍

兪大猷(ゆ・たいゆう)
戚継光(せき・けいこう)
胡宗賢(こ・そうけん)
劉顕(りゅう・けん)
蝶燕(ちょう・えん)
湯克寛(とう・こくかん)
張経(ちょう・けい)
リャオ
天要(てんよう)
地水(ちすい)
鄭若曽(てい・じゃくそう)

■倭寇

王直(おう・ちょく)
徐銓(じょ・せん)
徐海(じょ・かい)
新五郎(しんごろう)
王翠翹(おう・すいぎょう
王緑妹(おう・りょくまい)
蕭顕(しょう・けん)
徐元亮(じょ・げんりょう)
葉宗満(よう・そうまん)
少華(しょうか)
冬馬(とうま)(子役)


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 う〜ん、もう倭寇マニアを長年やってる僕なんかにはこの登場人物リストを見てるだけでとっても幸せ(笑)。

 ごらんのとおり、この劇は官軍パートと倭寇パートにはっきりと分けられており、両者が交互に演じられて物語が進む構成になっています。合戦シーンなどで両者が入り乱れる時以外は、官軍パートでは倭寇側は一切出番なし、倭寇パートでは官軍側が一切出番なし、という脚本になっているわけ。キャストリストを見ると官軍側・倭寇側双方に二役で出ている役者さんが何人かいましたが、これもそうした構成だからこそ可能となっている次第。

 こうした二役の役者さんたちは当然ながら一方のパートで重要な役でもう一方ではそうでもない役に配置されているわけなんですが、僕みたいな倭寇マニアにして配役マニアな奴には「わっ!胡宗賢と蕭顕が同じ人だ!」とか「鄭若曽と徐銓が同じだ!」というのはとんでもない楽しみだったのであります(笑)。知らん人にはさして驚きではないでしょうけど、僕なんかには例えて言えば織田信長と明智光秀を同じ俳優さんが同舞台で演じているぐらいのインパクトなんですよ(笑)。

 なお、胡宗賢役と蕭顕役という両パートで重要なやくどころをされていた方は、僕が稽古見物に最初に行った時に駅まで迎えに来てくださった方。その初対面時から印象が強烈だったのですが、まさか胡宗賢役とはとあとでビックリ。他にも一兵士の役までこなしておられました。

 このスタッフ・キャストが載っている当日配布のパンフレットには僕の文章も載せられています。当初「歴史再検団」さんのHP掲載用に、と頼まれて書いたものだったんですけど(それも大幅に遅れまくって)、当日パンフを開けてみたらババーンとその全文がデカデカと掲載されていたのでビックリ(汗)。ついでですから(笑)それもアップしておきましょう。

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「倭寇について」

「倭寇」。ともすれば「倭=日本」というイメージから単純に「日本人海賊」と
思われがちな集団ですが、その実態は実に多様で複雑なものでした。
「倭寇」と呼ばれる集団の活動は13世紀にはその萌芽が見られ、日本が
南北朝の戦乱に突入した14世紀に一つのピークを迎え、中国・朝鮮の
沿岸を荒らしまわりました。すでにこの時点で彼らが単純に「日本人」とは
とらえられない、今日の感覚からすれば朝鮮人や中国人をも多く含む多様
な集団であった様子がうかがえます。

東アジア各国の政権確立と共にいったん下火になった「倭寇」は16世紀に
日本が戦国時代に突入しヨーロッパ勢力が東アジアに到達したことをきっか
けに再び大きな盛り上がりを見せます。東アジアから東南アジアにまたがる
盛んな密貿易活動の担い手が「倭寇」であり、今度は主に中国人の首領に
率いられた集団として歴史の表舞台に現れてくるのです。この劇「倭寇伝」
で描かれるのはこの16世紀の「倭寇」なのです。

16世紀の「倭寇」の首領たちは多くが中国人であったこともあり多くの資料が
残されており、実に個性的な人物が活躍していたことが分かっています。
特に有名なのは後世「倭寇王」とも呼ばれた王直でしょう。彼は明や日本、
東南アジアをまたにかけた貿易活動を行い、同時に数多くのライバルを打倒
して東アジア海上の覇者となりました。種子島の鉄砲伝来にも関与し日本の
歴史にも深く関わったことでも知られています。
他には「大倭寇」と呼ばれる中国江南地方への大規模な侵攻を行った徐海
という首領もいます。彼は王直とは対立し日本人の副将・新五郎と共に短くも
激しい生涯を送ります。徐海はその愛人・王翠翹との激しく愛憎入り乱れる
ロマンスも伝えられる、実に印象的な人物です。

これら「倭寇」に対し当時の中国・明王朝も鎮圧に乗り出すのですが、この
明側の群像も個性派ぞろい。兪大猷・戚継光・劉顕といった明代を代表する
名将たちがそろって現れ、倭寇たちと火花を散らしています。また倭寇対策
の総司令官となった胡宗賢という官僚は王直とも個人的に深く関わり、権謀
術数の限りをつくして彼らとわたりあいました。この胡宗賢の一族の子孫が
現在の中国主席・胡錦濤氏だったりしますから、歴史のめぐりあわせという
のは面白いものです。

この他にも数多くの海賊・海商・武将・官僚・盗賊・海洋民などなどが、中国人
も日本人も朝鮮人もはたまたヨーロッパ人や東南アジアの人々まで入り乱れて、
海上に壮大なドラマが展開していく、これが16世紀倭寇世界の魅力なのです。


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 HP見た人の宣伝の手助けに、と思って書いた文章なんですが、確かに当日劇を見ながら読んでもらったほうが劇内容の理解に役立ったかもしれません。

 さて、次ページで劇の詳しい内容を紹介していきましょう。

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