舞台劇「倭寇伝」について
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◎舞台「倭寇伝」鑑賞記(その2)
後半からは新たなキャラが登場し、物語を違った方向へと展開させていきます。
官軍側では勝利の宴の場面で胡宗賢が登場します。演じているのは蕭顕役と同じ方。この胡宗賢というのもまたなかなかのクセモノで、僕もかなり思い入れがあるキャラクターなんですね。実は現在の中国国家主席・胡錦濤氏の同郷・同族のご先祖というおまけもつく人なんですけど、この劇ではあくまで悪役に徹しています。まぁその行動の不可解さからすると無理もないところなのですが…。
この胡宗賢初登場場面、僕は一週間前の稽古で見ていたのですが、その時の胡宗賢役の方の演技が僕の抱く胡宗賢のイメージにピッタリだったんで、心中ひそかに快哉を叫んでおりました。まぁ実在の彼がどうだったのかは分かりませんが、怜悧、ともすれば冷酷な切れ者の官僚、目的のためには手段を選ばない権謀家といったイメージが僕にはあるわけ。このお芝居では蕭顕と二役ということもあるんでしょうが、ちょっと薄気味悪い裏声でいやらしく話す胡宗賢になってました。ややオーバーではありますが舞台劇としてはこのぐらいの方がキャラが際立っていいでしょう。初登場場面の宴会シーンでも歓迎の宴に誘われたら「遠路長旅で疲れておりますので」とそっけなく断るあたりなど、いかにも彼らしく、強い印象を観客に与えます。
この胡宗賢の登場により官軍サイドの雰囲気が大きく変わってきます。それまで兪大猷の足を引っ張る上司だった総督・張経が胡宗賢の謀略により失脚、都に呼び出されて死刑になってしまい、代わりにその地位に胡宗賢がつくことになります。この劇ではかなり簡略化していますが、大筋では史実もこのとおり。違う点を補足すると、張経を追い落としたのは胡宗賢だけでなく趙文華という男が絡んでいたこと、張経の後任がすぐに胡宗賢になったわけではなく間に二人ほど入ること、張経は実際には積極的な指揮で倭寇を破って戦功を挙げていたのにその直後に都に呼び出されて死刑になったという、もっと悲惨な話であったこと、ですね。
この劇では張経をおとしいれる胡宗賢の工作に「戦争で毒を使った容疑」が出てきますが、これはあくまでフィクションでして観客にもいまいち理解しにくい場面であったかもしれません。この話のヒントになったのは胡宗賢自身が毒酒をわざと倭寇に奪わせて殲滅するという作戦をとっていた史実かと思われます。確かにこの辺は舞台では表現しにくいところで、戦場で胡宗賢が物陰から毒矢を射るといった形で「なんか謀略をめぐらしてるな」と観客に分からせる、という作戦をとっていたように思います。
それと胡宗賢の参謀として白い服を着た男がチョコチョコと報告に来るんですが、これは役名では「鄭若曽」となっています。これも実在人物なのですが実際にはレッキとした地理学者で胡宗賢の幕僚を務め、『籌海図編』『江南経略』といった倭寇対策の著書をものした人物です。この劇ではなんだかスパイっぽい感じでしたが…演じているのは徐銓も演じている方で、これも倭寇史マニアの僕には結構ニヤリな二役でした(笑)。
さて一方の倭寇側では王直はすっかり出番を失い(笑)、不良青年・徐海を中心としたドラマが展開されます。徐海が捕虜にした美女・王翠翹が登場することで物語はいささか屈折したラブロマンスの様相を呈してきます。これについても「海上史人名録」そしていずれ更新する予定の(笑)「海上史事件簿」を参照していただきたいのですが、史実としてもあまりに面白すぎる(どっちかというと近代小説的な)徐海と王翠翹の愛憎入り乱れるドラマが展開されるのです。僕なんかはこのストーリーだけ独立させて2時間ぐらいに仕立てるなぁと以前から言っておりまして、この劇でもそれはある程度組み入れていただいたかと思ってます。
細かいところですが、王翠翹と王緑妹の二人を自分の妻にすると言う徐海に、新五郎が「これで何人目だよ」と指折り数えてツッコミを入れるシーンがありますが、これもやっぱり元ネタがあります。徐海の部下の葉麻という男のセリフで「徐海には六七人の妻がいる」というのが史料に残っているのです(「海上史人名録」祝婦の項参照)。その中でもこの翠翹は特に徐海に愛されて信頼され、またそのために官軍と通じて徐海を陥れる役割を担うことになります。この劇ではそのあたりを深く描き出すことができなかったキライがあるのですが…徐銓戦死の報を聞いてガックリする徐海を翠翹が慰める場面などにこの二人の屈折した愛情関係が表現されてはいました。乱暴者の徐海の孤独(両親を早く失い寺に預けられて肉親は叔父の徐銓のみ)にも、もそっと踏み込んでほしかったところではあるのですが、この「倭寇伝」全体の構成の中ではそれは難しかったでしょうね。なお、劇中で徐海が王翠翹を「翠(スイ)」と甘えるように略称で呼んでいたように聞こえたのですが、これはこれで結構いいフィクションだと思います。
フィクションといえばこの劇オリジナルの大きな改変に、王翠翹の「もと夫」である童華の設定があります。この劇では童華は胡宗賢の手先であり、もと妻である翠翹に内通、翠翹を通して徐海集団に内紛を起こさせる展開になっています。史実でも王翠翹が官軍に内通し徐海を破滅させますし、そこに童華という人物も絡んでくるのですが、彼が翠翹のもと夫というのは全くのフィクションです。実際の童華は活動の記録から密貿易業者の一人であったと思われるのですが、「確かにこの方が話が通りやすいな、面白いんじゃない?」などと脚本チェック時に僕もコメントしています。
翠翹の計略により徐海は部下の葉麻、陳東を疑って処刑(史実では官軍に引き渡したんですが)、そして弱体化したところを自身も官軍の攻撃を受け川に身を投げて死んでしまいます。翠翹の目の前で身を投げたのはどうも史実らしく、この芝居でもなかなか泣かせる場面になっておりました。そのあと官軍に利用されただけだったことを悟った翠翹も徐海のあとを追うように川に身を投げ自殺してしまいます。この辺のセリフなんかは僕が「海上史人名録」で紹介した当時の「小説」のセリフがかなりそのまま使われておりました。繰り返しになっちゃいますが、この徐海と翠翹の愛憎ドラマはもっと時間をかけて描く機会を得たいもんです。この劇では少々慌しかった面が否めません。
それとこれは未確認なんですが、劇の中盤で王直らが敵の捕虜たちを海に投げ込む場面で、ステージ中央の幕の隙間に人が飛び込むと「ザボーン」と音がする、という処理をしていたのですが、徐海や翠翹が身を投げる肝心のシーンでこの「ザボーン」の音がせず、「身を投げた」感じがあまりしなかったのが残念。これ何らかの事故で音がしなくなったんじゃないかと思うんですが…
そういや新五郎は徐海に愛想をつかして離れていく展開になっておりましたが、実際にはその直後に官軍に捕われたことが記録されています。その後のことは分からないんですが、十数年後、朝鮮人が明に漂流した際に「通事の新五郎」という男が出てきて「これは日本人ではなく朝鮮人だ」と証言したという記録を見つけちゃいまして…これはこれで一幕のドラマになりますね。
この展開と相前後して、官軍側の主役・兪大猷に強力な味方が登場します。兪大猷と並んで、いやむしろこっちの方が有名だという名将・戚継光が登場するのです。
この戚継光の登場ですが、脚本作者の方の当初の構想ではこの二人を対照的な同僚として描き、劇の冒頭から一緒に戦わせる予定だったようなんです。しかし最初の打ち合わせの際に僕が兪大猷と戚継光にはやや世代の差があること、王直との戦いでは戚継光はその終盤のみ、しかもかなり下っ端でしか参加していなかったことを指摘しまして、登場場面が変更になった経緯があります。有名な武将だしやっぱり出したいという意向もありましたし、僕もある程度融通は利かせていいんじゃないかと意見しまして、結局劇の終盤に登場することになったわけ。
初登場シーンで兪大猷と顔をあわせた戚継光が「先生!」と兪大猷を呼び、かつて剣を習ったことがあったと語るんですが、実はこれ、決定稿段階ではなかったやりとりです。一応決定稿が出来てから僕が戚継光の伝記本を読んでいるうちに発見した事実で、これを稽古見学の際に脚本の方に話したら、さっそく劇中に使われたのです。
それと戚継光が兪大猷に「太極拳」の原型を見せるシーンもあります。これなんかは僕はまったく門外漢なのですが、この「再検団」の代表でもある方が中国で「戚継光が太極拳の創始者」という説を聞いてきてこのシーンになったみたい。まぁちょっとしたサービスシーンと申しましょうか。
さて物語はいよいよ終盤へ。
王直は胡宗賢に私貿易を認めるというエサをちらつかされて明に帰国し官軍に投降します。平戸を離れるにあたって日本に残る少華・冬馬といろいろと語らいます。このやりとりで「大友宗麟にも話をしてある」という王直のセリフがありますが、これも状況的に事実だと僕が考えているものです。それと少華が子どもを妊娠したと王直に打ち明ける場面がありましたが、王直がこれに「沈郎の子か」と聞いて少華がうなづきます。この場面、説明不足なんで少華が王直の子を宿したんじゃないかと少なからぬ観客が思ったんじゃなかろうか…と僕は内心でちょっと困ってました。「海上史人名録」の少華の項に詳しいのですが、沈郎の名が急に出てきてもわからないんじゃなかろうか…と。
明に帰国した王直でしたが、身柄を預かるはずだった胡宗賢が中央政界の弾劾を受けて立場が悪くなったため、投獄されてしまう展開になります。これ、多くの本で「胡宗賢が王直をだまし討ちにした」と書かれちゃってる件なんですが、実際には王直は2年以上も獄中とはいえ厚遇されておりまして、胡宗賢は最初から王直をだます気ではなかったというのが史実です。むしろ胡宗賢は海禁政策を廃止することも構想しており、王直とはお互い理解しあうところがあったみたい。王直が処刑されてしまったのは中央政界の動向で胡宗賢の立場が悪くなったからなんですね。このことはこの劇でも微妙に表現されているのですが、いかんせん時間が短いですし舞台劇での表現では分かりやすくするしかなかったかなぁ、と思うところです。
王直が捕われたことを知った部下の葉宗満・徐元亮らは、劉顕や湯克寛らと大乱戦を演じ(ここで客席の通路に乱入あり)、葉宗満なんかは最期に「王直ばんざーい!!」と叫んで海に身を投げてカッコ良く死んでしまいました。えーと、これも実際には葉宗満は戦死も刑死もしておりませんで、遠方に流刑で済んでいます。これは当初の脚本では王直の養子で王直に殉じる形になった王一枝の役どころじゃなかったかな、と思ったんですが(王一枝の波乱万丈の生涯についても「人名録」参照)、登場人物の簡略化を図ったかな?そのせいもあるんでしょうが、王直の部下達がやや個性不足で区別がつきにくかったのは残念です。それがラストの冬馬のいいセリフをもう一つ生かせない原因になっていたかと。
なお、この大乱戦の最中、湯克寛の振り回す青竜刀(もちろん舞台用の作り物)の刃の部分が外れて客席に飛び込むというハプニングが発生!幸い軽いものですしお客さんに直撃したりもしなかったんですが、役者さんも関係者もさぞ肝が冷えたことでしょう(僕も少々冷えました)。それでも演技は続行され、湯克寛は刃のついてない青竜刀で敵を斬り殺すハメになってしまいました。この「事故」については公演後挨拶時に「おわび」がありましたが、「凄い演出」と思った方も少なからずいたようで(笑)。
大乱戦のあとに真のクライマックス。なんと兪大猷と戚継光が王直を獄からひきずりだして「正々堂々の決闘」で勝負をつけちゃおうとするんですな。史実から言えばぜーーーーったいに大嘘ですが、面白いから許す(笑)。いや、僕はこのお芝居としてはこのラストの大立ち回りは正解だと思うんですよ。
それとそもそも「兪大猷&戚継光 VS 王直」なんて超豪華なタッグマッチ、ほかじゃ絶対に見られませんよー!!(笑)。僕は大いに楽しんでました、ハイ(笑)。よく考えると1対2の戦いなんで、兪大猷さん、ちっともフェアじゃありません(笑)。
この王直と兪大猷・戚継光の決闘と、平戸で少華と冬馬が月を見ながら語り合う姿とが、カットバックでクライマックスを盛り上げます。これは舞台で実際に見ないとわからんなぁ、と思った演出で、例の二段構造の舞台をそれぞれ照明で交互に照らし(ブラックアウトした方は動きを止める)、離れた場所で同時進行する静と動のドラマを相乗効果で見せるという高度なテクニック。これはかえって舞台じゃないとできんなぁ、と感心しちゃったところです。最期の血戦を戦う王直、それを知らず王直とその仲間達との日々を懐かしむ美女と少年…という形で感動のうちに幕が下ります。
最後にしっかり王直に戻って「倭寇伝」になった形ではあるんですが、劇全体は官軍側の比重が大きいので、このラストシーンに僕は感動しつつもちょっと不満もあったことは書いておきます。
当初3時間ぐらいかかるかも、と言われていた舞台でしたが、完成版はきっちり2時間で終了。普通の映画並みの時間にまとまっており、これは大正解であったかと。その割にかなり濃い内容なんですが、終わってみるとすっきりまとまっていたかと。「倭寇」について詳しく知らない観客にはどうだろうなぁ…という危惧を僕は抱いていて、ついつい演技中も周囲の客の様子をうかがったりしておりましたが(笑)、公演終了後、一緒に見ていた人たちに聞いた限りではそう物語が込み入ることもなく大変楽しめたとのことで、僕としてもホッとしました。
もちろん僕はなんだかんだ言いつつ大いにこの劇を楽しみました。なんといっても自分が長年魅了され研究やら創作やらを続けてきた「倭寇世界」が目の前で展開されたのですから。もう観劇、いや感激の2時間でありました。
公演が終わると役者さんや劇団のみなさんが出口付近にみんな出てきて、お客さんを見送ります。見に来たお客も知り合いが多いのか、王直や兪大猷たちが劇中の衣装のまんま、いつまでも和気藹々とおしゃべりしておりました。「歴史アドバイザー」である僕も感謝感激の握手をして、みなさんを集めて持参のデジカメで記念撮影。
いやー、このキャラクターが一同に会して記念撮影、ってだけで僕には超豪華で大感激な一枚であります(笑)。
もしかすると、今後も倭寇関係の劇を作るかもしれない…との話もありまして。この「倭寇伝」が倭寇世界の普及への一里塚になるとうれしいなぁ、と思うのでした。
最後になりましたが、「歴史再検団」のみなさん、大変楽しい企画に関わらせていただき、また大変楽しい劇を見せていただき、まことにありがとうございました。今後のご活躍に期待しております。
そうそう、「歴史再検団」様のHPはこちらです。
※補足
この劇を一緒に見に行った「一ノ風」さんも鑑賞記を「徹底的歴史研究同盟」内にアップされています。こちらです。