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2001年6月11日

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 ◆今週の記事

◆生か死かそれが大問題だ!
 
 王族間での骨肉の殺しあいというのは世界史をひもとけば案外ありふれた現象なのではあるが、今回のネパール王室みたいなケースはかなりまれな事態だろう。なにせビレンドラ王・王妃、その子供達を含む多くの王室が一斉に皆殺しである。しかも犯人(と言われている)は皇太子とされていた王子で、彼自身もその場でただちに自殺してしまった。一歩間違えれば王室そのものが自ら全滅しかねない異例の事件だった。

 僕がこの事件の第一報を聞いたのは6月2日の10時ぐらいだったと思う。最初に聞いたのは「ネパール国王はじめ多くの王室が射殺された」という内容で、まず思ったのが王制廃止を訴えるマオイスト(毛沢東主義者)の犯行かな、ということだった。「史点」でこれまでにとりあげたことはないのだが、ネパールでマオイストなんてずいぶん時代錯誤なものが暴れているというのは耳にしていて興味は持っていたのだ(ペルーとか南米の左翼ゲリラにもいるんだよな)。「毛沢東主義」というのは厳密に言えば「文化大革命」時に毛沢東の名によって主張された極端な共産主義思想のことだが、あれで案外世界に影響を及ぼし、カンボジアではポル=ポト政権による大虐殺という悲劇も引き起こしている。ネパールになんで未だにマオイストが強い勢力を持っているのか事情はよく分からないのだが、民主化してもいっこうに生活が改善されない貧困層から一定の支持があるということなんじゃないかと思う。ちなみにそのマオイズムの発祥地である中国は、むしろ今度殺された国王と好意的関係を持っていて首脳がしばしばネパールを訪問していた。まぁチベット問題なんかも絡んでますからねぇ。それにマオイズムを否定する立場にあるのが今の中国共産党だし。

 さて、本筋からちょっと逸れた。その後昼のニュースで「犯人」がなんとつい先日日本に来ていた皇太子本人であることを知りビックリ仰天。この時点ではこのディベンドラ皇太子自身も死亡したと報じられており、「もしやヤケクソになって王室そのものを自らの手で消滅しようと図ったかな?」などと考えた。このころになると王室一家の中で皇太子の結婚を巡って対立があったことなども報じられ始めていた。皇太子が結婚したい相手がいるのに国王夫妻が強くこれに反対し、逆上した皇太子が凶行に及んだ…というのがこの段階で流れていた情報。古い習慣にしがみつく王室に嫌気が差した欧米思考の皇太子が「暴発」したかな、などと感じたものだが…
 さらに詳しい話が流れてくると、そう単純ではないらしいことが分かってくる。皇太子が結婚したいと思っていた(あるいは極秘の内に結婚していた)相手の女性は、ネパールの名家で王族と強い姻戚関係で結ばれている「ラナ家」の人だったのだ。このラナ家ってのは19世紀半ばに国王から実質的に政権を奪って百年以上統治を続けた、日本で言えば藤原氏か徳川氏みたいな家だそうで、皇太子の結婚相手の選択はむしろ伝統にのっとり、かつ現実的なものであったといえる。
 ところがこれに特に王妃(この人自身もラナ家系の出身だそうで)が強く反対していた。この事情についても詳しいことは分からないのだが、何やら怪しげな話は報道されていた。王室付きの占い師達が「皇太子が35才までに結婚したり子供を作ったりすると国王が死ぬ」などと予言したとかで国王夫妻がこの事を非常に気にしていたという話だ。結果的に的中してしまったわけで、なんだか「オイディプス王」とかシェークスピアの「マクベス」みたいな予言話である(ついでに言うと手塚治虫の「ブッダ」中の物語を連想された方も多かったのでは…地域的にも近いし)。ホントかよ、と感じてしまう出来過ぎた話ではある。その後、この占星術師がマスコミの取材を受けていたが、問題の予言を実際にしたか否かについては肯定も否定もしていなかった。

 ともあれその日のうちにこのディベンドラ皇太子が重体ではあるもののまだ死亡していないことが明らかにされ、国王の後継を決める最高評議会は国王の死亡を受けて憲法に基づきこの皇太子が新国王に即位することを決定した。意識不明(すでに脳死状態だったという)のままでの国王即位。「王殺しの犯人をそのまま国王に据えるのか」という声も当然上がったようだが、まだ「真犯人」と決定したわけでもなく、また国王が死んだらただちに新国王が次がねばならぬ以上、手続きとしてはこの意識不明の皇太子がそのまま王位を嗣ぐしか方法はなかった。親殺しの国王は歴史上数多くいると思うが、意識不明のまま王位に就いた国王は史上初だろう。そしてこのディベンドラ新国王は意識を回復しないまま6月4日に死去し、たった2日の在位期間を終えてしまった。
 
 このディベンドラ新国王の即位にあたって、殺された前国王の弟・ギャネンドラ殿下が意識不明の新国王の実務を代行する「摂政」の地位に就いた。そしてディベンドラ国王の死去を受けてただちに次の国王に即位することになったわけだ。
 このギャネンドラ新国王だが、宮廷内の惨劇があったときにどこにいたのだろうか。伝えられるところによるとカトマンズ市内にはおらず、事件後に軍のヘリコプターで王宮に駆けつけたという。またギャネンドラ新国王の長男は問題の晩餐会に出席しており、幸いにして無傷だった。これらのことが、ネパール国民でなくても詮索好きな人達に共通した「疑惑」を生じせしめてしまうのは無理のないところ。犯罪推理の第一歩は古今東西「その犯行によって誰が一番利益を得るか」なのだから。
 おまけにこのギャネンドラさんという人があまり国民に評判が良くなかったのだ。ネパールは20世紀になっても絶対君主制を敷いていたという国なのだが(それも1960年に立憲君主制の憲法を停止してだ)、1990年11月に国王を象徴とし主権在民、複数政党制を認めた新体制に移行した(どっかで聞いたような体制だと思ったら実際日本の憲法を参考にしたとも言われる)。これを実行したビレンドラ国王が称賛される一方で、弟のギャネンドラ氏(それにしても似たような名前ばっかだな)がこの民主化に強く反対していたという話で、昨今の混乱気味の政治情勢に不満を持っていたとの噂もある。さらにいえばこのお方、実は1950年から約3ヶ月ほどだけ国王の地位に一度だけ就いたこともある人なのだ。なんでも事情はよく分からなかったのだが当時王族がみんなインドへ亡命していてやむなくこの人を国王に立てたなんて事があったらしい。時にギャネンドラさん3才の時のお話なので記憶されているかどうかとは思うが、再び王位を手にする機会をうかがっていたのでは…という疑いをどうしてももたれてしまうところがある。
 おまけにさきほどもチラッと触れたギャネンドラ新国王の長男のパラス王子というのが今ひとつ国民の間で評判が悪いらしい。飲酒運転によるひき逃げ事件などを起こしたりしているそうで…。しかもこの王子様、問題の晩餐会に出席していたにも関わらず無事だったため国民にさまざまな憶測を呼び起こさせることになってしまった。ギャネンドラ新国王は「首謀者」であり、その息子が「実行犯」ではないのかという疑いが国民の間に広がることになったのだ。

 それでなくても疑念を呼ぶ、こんな状況の中で、ギャネンドラ摂政が3日になってネパール王室として初めての正式のコメントを発表した。その内容が「事件は銃の暴発による事故だった」なんて信じがたいもんだったから疑惑に火がつく形となってしまった。まぁ普通あれだけの事態を「暴発事故」と説明されて納得する人はほとんどいないだろう。この非常に疑わしい発表が「疑惑の人」であるギャネンドラ摂政の口から出たもんだから「謀殺説」はますます濃厚に信じられるようになっていく。日本の報道でもこの手の話にはかなり慎重なNHKまでがこの「謀殺説」に触れていたぐらいだ。
 カトマンズ市民の間では「8人どころか2、30人が殺害された」とか「皇太子の体にこめかみ以外の場所にも銃創があった」といった噂が飛び交い、疑心暗鬼になった市民達が「真相」の究明を求める激しい抗議デモを起こすまでに至った。警備部隊との衝突で死者が出たり、夜間外出禁止令が出るなど一時かなり騒然とした情勢になったようだ。その後ディベンドラ国王の死去、政府による事件調査の約束などがあり、ひとまず騒ぎは沈静化した。

 さてと、ここまでが先週の段階で書けたであろう話だ。このあといくつか新しい展開が出てきている。
 ギャネンドラ新国王が事件の調査委員会を発足させたが、最大野党である「統一共産党」(旗が鎌とカナヅチ、懐かしのソ連国旗のまんまだったな)が「国王の指示で委員会が作られるのは憲法上問題がある」として参加を拒否している。
 6日、イギリスの「タイムズ」やアメリカの「ワシントン・ポスト」などに事件の現場に居合わせた匿名の王族による生々しい証言が載った。それによれば事件直前までディベンドラ皇太子はカクテルなぞ作って王室一同にふるまっており、何ら不審な様子は無かったという。それが突然戦闘服に着替えイスラエル製機関銃を片手に戻ってきて別室にいたビレンドラ国王を射殺、ついで他の部屋や庭で王妃や兄弟を次々と射殺。それから王室が集まっていた広間に戻ってきて「銃をおろせ。もう十分だろう」と呼びかけた叔父にも発砲し(数日後死亡)かばおうとした女性親族にも重傷を負わせ、また庭に出て自殺を図ったとのこと。なんかほとんど「八つ墓村」の世界である。かなり具体的な証言であり、王族でないと分からない描写も多く、信憑性は高いんじゃないかと僕などは感じた。もちろんこの王族も「謀殺説」をうち消すために証言を行ったワケなんだけどね。
 10日にはディベンドラ皇太子(事件の時点での肩書きね)が事件前にコカインをやっていたんじゃないか、なんて話が出てきた。さらに11日には右利きのはずのディベンドラさんの遺体に左から撃った傷があったなんて話も地元紙が書いている。もちろんいずれも半信半疑で聞いてしまうところであるが…そういえば昨日今日にも発表されるはずだった事件調査報告も理由はよくわからんが発表が4日も先送りされたし…発表内容次第ではまた何かひと騒動が起こる可能性も捨てきれない。

(風邪で休んだため二週間ぶんを書いちゃったもんで長くなっちゃいましたね。やれやれ)
 



◆世界に張られた盗聴網!
 
 前々から「噂」だけはずっとあったんだけど、ヨーロッパ連合(EU)の欧州議会の調査委員会がとうとう公式の報告書でその存在を「疑いない」と明記した。何のことかというと、アメリカ、イギリス、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドの英語圏五カ国が参加する世界に張り巡らされた通信傍受網「エシュロン(ECHELON)」の存在だ。

 この「エシュロン」なる世界規模の盗聴網の存在は前々から「疑惑」としてはささやかれているものの、参加しているとされるこの五カ国はいずれもその存在を公式に認めたことはなく、あくまで噂の領域を出ていない(じゃあ「エシュロン」って名前がどっから出て来たのか凄く気になるんだけど)。公的な機関によりその存在が「確認」されたのは今回が初めてなので、以下に書くこともあくまで推測の域を出ないものなのであるが…
 この「エシュロン」はもともと冷戦初期に共産圏の動向をさぐるためにアメリカとイギリスが1947年に秘密裏に作りだしたものと言われている。世界の電話、ファックス(47年当時じゃまだなかったかな?)を盗聴するワケなのだが、世界各地の英米の軍事基地を拠点として各種盗聴が実行されていたようだ。のちに他の3国も参加し、その守備範囲はそれこそ世界規模で広がることになった。
 しかし冷戦も終結したことでこの「エシュロン」もスパイ業界のご多分に漏れず軍事目的からの「転職」を迫られることになった。その結果現在の「エシュロン」は産業スパイまがい(まがいでもないか)の活動が主となっており、参加国の企業向けにさまざまな傍受情報を提供しているとの話である。あくまで話、だけどね。

 EUが「エシュロン」の存在を問題視したのは、この謎の存在による産業スパイ活動の影響がかなり大きいと判断したからだ。欧州議会が正式にこの「エシュロン」の調査委員会を発足させたのは昨年7月のこと。ひと月ほど前には「本場」であると思われるアメリカに乗り込んで各種調査を行った。もちろんアメリカでその存在を認めるような発言や証拠はいっさい出てこなかったけど。
 しかし5月29日に発表された調査報告書は「エシュロン」の存在を「もはや疑いようがない」と断定していた。断言の証拠の一つとして英米の軍事基地内にある直径18m以上の巨大なパラボラアンテナの存在があげられている。この規模のアンテナは軍事目的で使用しているとは考えられず、民間の通信を傍受するためのものとしか思えない、とのこと。こうしたアンテナがある基地が列挙されているが、日本の三沢基地なんかもリストに入っていた。この調査委員会は1996年に日本の通産省のアメリカ自動車輸入交渉の情報が「エシュロン」によって盗聴されていた疑いについても指摘しているという。
 ただし調査報告書は「産業スパイの証拠は発見できなかった」としており、あくまで状況証拠的な「疑惑」を述べるにとどまっているようだ。

 スパイもの映画・小説、というより陰謀史観好みの方々にはえらくアピールしそうな話題ではある。そのうち絶対「エシュロン」ネタのトンデモ陰謀本が出るだろうなぁと思いつつ、僕もその存在自体はあんまり疑っていない。といって万能的に考えもしないけど。
 この報告書ではフランスやロシアも同様の盗聴機関を持つ可能性にも触れているという。いずれも軍事・政治目的というより自国の企業にとって有利な情報を提供する産業スパイみたいなもんらしい。こういうの見ていると「国家機関」なんてのは所詮大企業の片棒担ぎに見えてくるから面白い(まぁ国家が起こす戦争だって多分にそういうところがあるわけだけど)。企業の多国籍化が進む一方でこういう構造もまだまだ生き残るなぁと思ったものだ。



◆ナポレオンはやっぱり毒殺?
 
 これもまた上のネタと同様に、噂だけはむかーしからあるもの。
 ナポレオンについては「史点」でも何度か書いていると思うので省略…と書いてから自分で検索してみたら意外にもナポレオンの話題が「史点」で出たのは出身地であるコルシカ島自治問題と「子供の時のしゃれこうべ」ネタの時ぐらいだった。まぁどっちにしても超有名人だし説明の必要はないでしょ。
 とりあえずネタの説明上その最期についてだけ書こう。ヨーロッパを席巻したナポレオンだったが、ロシア遠征に失敗、それを機に列国が一気に巻き返しナポレオンは敗北して退位を余儀なくされた。そして地中海のエルバ島に島流しとなったのだが、その後のウィーン会議の混乱を知ってエルバ島を脱出、再びパリに入って国王ルイ18世を追い出して皇帝に返り咲いてしまった(これを「百日天下」と最初に呼んだ日本人は誰なんだ)。慌てた列国は会議を中断してフランスに攻め入り、ワーテルローの戦いでナポレオン軍を打ち破る。結局ナポレオンはまたもや退位し今度は脱出不可能な大西洋上の孤島セントヘレナ島に島流しにしてしまった。この島でナポレオンは1821年に死去し、遺体はのちに故国フランスに返された。この過程は「戦争と平和」「會議は踊る」「ワーテルロー」の映画三本を立て続けに見ると頭に入ります(笑)。余談だけどそろそろハリウッドの誰かが「ナポレオン」に手を付けそうな予感もしますな。あれほどスペクタクル向きの素材もないから…。

 さてナポレオンの死因は公式には胃ガンであったとされている。しかし当時から「毒殺されたのでは」という疑惑がささやかれている。何せ一度流刑先の島から脱出した「前科」もあるし、「死んでくれれば助かる」人も多かったことは誰でも予想できる。それと「ナポレオンほどの人が病気で死ぬなんて」という英雄願望みたいな心理もこうした疑惑を生みやすい。この200年近く、何度と無く「ナポレオン謀殺説」は現れては消えていった。
 
 今回はカナダとフランスの病理学者・毒物学者・ナポレオン研究家らによる「毒殺説」だ。正直なところなんら目新しいところはない話のはずなのだが、なぜか世界的に大きなニュースとして流れてしまった。日本の邪馬台国ネタみたいなもんなのか。
 6月1日に発表されたこの研究結果はナポレオンの頭髪から大量の砒素が検出されたというのを最大の「証拠」として挙げている。しかし前にもこの手の話はあったはずなのだが…それと彼らが調べたという頭髪が本当にナポレオンのものなのかどうか、かなり疑いが持たれるのも事実。

 もちろん「毒殺などなかった」と断定するのも難しい。しかし歴史学者なんかは否定的と言うより「どっちでもいいじゃねーか」という態度だろうな(別にそれが判明したところで歴史に重大な変化が起こるわけではないから)。ナポレオンほどの大物ではないけど今度のネパール王族の一件なんかも今後ずっと歴史ミステリマニアの恰好のネタにされていくんだろうなぁ。



◆卑弥呼は古墳時代の人だった?
 
 ってなわけで次は日本では大人気の邪馬台国ネタ。真面目なのからトンデモ系まで含めて毎年毎年実に多くの「邪馬台国本」が出版されている(どっちかというとトンデモ系の方が多いように思えるが)。「邪馬台国の位置が判明」ってタイトルに持ってきた本も佃煮にするほど出ている。謎の大きさ、重大さの割に素材が少なく素人でも即座に参加できる門戸の広さも一因なんだろう。意地悪なことを言うと、容易に「正解」が出ないので何を言っても大丈夫というところが多くの自称研究者を呼んでしまうという側面もあるだろう。

 今回大きな話題を呼んだのは奈良の橿原考古学研究所が5月30日に発表した、勝山古墳(桜井市)から出土したヒノキ材の年代測定の結果データだ。この勝山古墳は全長110mほどの前方後円墳で、そのくびれ部北側の濠から建材十点が出土したのだが、奈良文化財研究所でこれらを「年輪年代測定法」というやつで調べたところ、うち1点が203〜211年の間に伐採されたものであることが判明した。これらの建材は恐らく古墳での埋葬儀礼用の建物に使用されてすぐに捨てられたものだと推測され、それ以前に他の建築物に使用した形跡が無い(紫外線による劣化も見られない)ことから伐採直後に使用されたものだと研究者達は判断した。つまり総合すると、勝山古墳は早くて210年代、3世紀の初めに建造されたものだという推理が成り立つのだ。

 ふんふん、と読んじゃう話だが、この推論は重大な問題提起を引き起こさざるを得ない。西暦210年あたりといえば中国史マニアの人にはいわゆる「三国志」の最も盛り上がる時期だと思い当たるだろう(クライマックスとなる赤壁の戦いが西暦208年ですからね)。それよりちょっと遅いとしても後漢末から三国時代にかけてこの古墳が作られたのだということになる。そしてその三国の最強国・魏に朝貢をしたのが、あの邪馬台国の卑弥呼であるわけ。つまり先の推論が正しいとすれば勝山古墳はまさに卑弥呼の時代あたりに建造されたかなり古い古墳であるということになるのだ。
 卑弥呼の時代にすでに巨大古墳が作られ始めていたのではという話は昨年のホケノ山古墳(やはり桜井市)でも出てきた話だ。ホケノ山古墳は昨年の調査で3世紀中頃の建造という見方が強くなり、今回の勝山古墳の調査で卑弥呼の時代にすでに前方後円墳が作られていたという考えが定着していく可能性が高い。

 これまで卑弥呼、邪馬台国といえば「弥生時代後期・末期」という形で僕らは歴史の授業で習ってきたはず。今回のニュースを受けて各マスコミの見出しでやたら目に付いたのが「卑弥呼の時代は古墳時代!」というようなものだった(あるいは「邪馬台国は古墳時代」といった見出しだった)。なんだか歴史の教科書をひっくり返すような大ニュースにされていたが、そんなにビックリするようなことかいな、というのが僕の正直な感想。変な例えかも知れないが、「徳川慶喜は明治時代の人」とか「昭和天皇は宇宙開発時代の人」とか「徹夜城は前世紀の人間」とかいった類の話だと思うんだが。単に古墳が多く作られていた時期を大雑把に「古墳時代」と後世の人間が勝手にくくっているだけの話なので、卑弥呼さんが弥生時代人だろーが古墳時代の人だろーがあんまり大問題ではないように僕には思うんですけどね(少なくとも本人は自分が生きてるのが何時代なんて考えてもいなかったろうし)。まぁ書いた人も重々承知で見出しを目立たせるためにそれを持ってきたってところでもあるんだろうけど。考古学ネタ、特に邪馬台国絡みはどうもセンセーショナルに書き立てたがるからな、マスコミってのは。それは上に書いたような「需要」があるからでもあるけどね。

 もちろん今回の発見が考古学上重大な問題を含んでいることは事実。「前方後円墳」と言う独特の古墳の形式は大和朝廷の勢力範囲を示すものとする見方がほぼ定説だから、卑弥呼の時代に大和地方で前方後円墳が作られていたとすると、この時代にすでに大和朝廷の原型となるものがこの地方に存在していたことになる。邪馬台国大和説の立場に立てば、邪馬台国こそがその後の大和朝廷の原型であったとスムーズに考えることもできるだろう。

 そしてこれまたもちろんながら、この推論に慎重な、あるいは強く反発する意見も強い。まず根拠となっているのがたった1点の材木に過ぎないこと。伐採した時期が実際に211年頃だったとして本当にすぐに使用されたのかという疑問も起こる。また古墳から出土した土器の形式が従来の土器年代観から言えば3世紀後半以降のものであることが「3世紀前半建造説」への疑念を呼ぶところ。古墳建造開始がこれまで考えられていたよりも早いことは確かかも知れないが、それが即、卑弥呼だ邪馬台国だと結びつくものなのか…ってな話でもありますね。まぁ古墳にしても土器にしても「○○年製造」なんて書いてあるわけじゃないから製作年代の特定ってなかなか難しいもんなんだろうし。



◆外相騒動とミサイルと

 相変わらずトンデモない高支持率を続けている小泉純一郎内閣だが、組閣以来いろんな意味で「台風の目」となっているのが田中真紀子外相だ。小泉内閣の「目玉」としての大抜擢、その後の外務官僚との対立、初仕事となったアジア・ヨーロッパ会議出席のための中国行きなど、とにかく話題は豊富でマスコミも恰好のネタとして追い回した。ワイドショーに政治ネタがやたら多くなったのもこの内閣のもたらした影響の一つだが、主に主婦層が見るワイドショートしては田中外相はうってつけのキャラクターであったらしくかなりの時間を割いて動向を追いかけていたものだ。その一方で就任以来何かとバッシング記事が多いのもこの人の特徴で(特に男性週刊誌系に凄いのが目に付くな)、いまこれほど毀誉褒貶が真っ二つに激しく分かれる政治家も珍しいんじゃないかな。

 で、ここで僕がいちいち書く必要もないぐらい連日のように報じられたのが田中外相の一連の「発言」を巡る騒動だ。先のアジア・ヨーロッパ会議におけるイタリア外相、オーストラリア外相との会談で、アメリカのミサイル防衛構想に疑問を示し、ヨーロッパなど各国でアメリカに計画を止めさせなければならないと言ったとかなんとかという話で、しまいにはブッシュ政権そのものへの批判や日米安保のあり方の再検討の必要まで言及したという話まで出てきた。それらがマスコミに一斉に流れ、あーだこーだと大騒ぎになって「外相罷免」の声まで高らかにあがることになった。もっとも先週の金曜あたりで山は過ぎちゃったように見えるけどね。
 見ていてよく分かったのが、明らかにこの騒動が田中外相を罷免・辞職にもちこみたい勢力がかなり意図的に仕掛けたものであったということ。だってどう考えても田中外相嫌いのマスコミから真っ先に話がスッパ抜かれるだもん。しかも小出しに次々と持ちネタを出して効果を高め、最後に「とどめ!」とばかりに一番大きいネタが披露されている(しかもこの最後のネタはかなり公表部分の「意図的操作」を感じる)。実に心憎い「演出」が随所に見られ、お話作りをしている人間には実に参考になるやり方だった(笑)。それが余りにも見事で見え見えだったもんだから結局「罷免」に持っていけなかったようにも見える(笑)。

 さてこれが外務官僚と外相の抗争だというのは内外マスコミが散々言っちゃってることでもあり、ここで触れてもしょうがないのでやめておく。僕が気になったのは特に「真紀子バッシング側」に見える「外交感覚」なのだ。
 田中外相は現時点では報じられた発言の内容そのものは否定している。だからあくまでそういう発言があったとして、という仮定で話を進めさせてもらうが、ミサイル防衛構想やブッシュ政権、安保に対する一連の発言の内容をとりあげて「外交感覚ゼロ」とか「外相失格」とか果ては「売国行為」とまで騒いだ人達の神経が僕には疑われる。っていうかこの辺がいかにも日本の外交感覚の伝統なのかも知れないなと思っちゃったりもしたが。
 
 とりあえずミサイル防衛構想について。これはアメリカのブッシュ政権が発足以来強力に推し進めている政策なのだが、何なのかと言えば要するに核ミサイルが飛んでくるのを片っ端から撃ち落としてしまう完璧な防御システムを作ってしまおうという構想だ。これが完璧に完成すれば「核の脅威」は永久に消え去るというのが推進派の主張。アメリカ本土を防衛するのが「NMD」で、これを同盟国や外地駐留軍にまで広げるのが「TMD」と呼ばれている。ブッシュ政権は両者を融合させて推進し、日本やNATO諸国など同盟国の理解と協力を得たいと考えているわけだ。
 この構想に激しく反対しているのがロシアと中国。冷戦が終わったとは言え今なおアメリカにとっての「仮想敵国」には違いない。お互い核ミサイルを持っている身でアメリカだけが完璧な防御壁を作ってしまうとなるとアメリカの軍事的優位が高まることになるわけで、ロシアと中国が反対するのは至極当然(?)とも言える。強いて例えると核兵器をアメリカだけが所持していた状態に戻すようなもんだとも言える。それはさらなる軍拡競争を招くぞと言うのがロシア・中国の公式の反対理由だ。
 ではアメリカとの同盟国が多いNATO諸国がこれに賛成しているかというとそうでもない。少なくともアメリカ自国本位な発想とも言えるNMDにはかなり懸念を示しており、TMDに対してだってかなり懐疑的だ。冷戦の終わった今アメリカとは独自の道を進みつつあるEUにとってはアメリカに軍事バランスを崩すようなことをされるのは正直迷惑なところだろう。

 そしてまた当のアメリカ本国内でもミサイル防衛構想に対する反対意見はかなり大きい。ただアメリカの場合は軍事バランスうんぬんよりも「そもそもそんなことが実現可能なのか」「税金の無駄遣いじゃないのか」という声が多いようだ。ミサイル防衛構想って極端に例えれば鉄砲玉を鉄砲玉で撃ち落とすような話だもん。実際のところ発射実験も失敗ばかり。「成功」が報じられたこともあったが実験の設定そのものが甘くなっていて成功率が高くなっていたことが指摘されている。物理学者など多くの科学者達も「反対」というよりは「実現不可能」と主張しており、これを受けて民主党を中心にミサイル防衛への反対、懸念、疑念の意見は政治上でも大きくなってきている。共和党や国防総省の中で強硬にこの構想の推進を図る勢力がいるってのが現実のようだ。先日TVの「CBSドキュメント」でこの問題をとりあげていて、推進派の共和党議員に科学者達の疑念をぶつけてみたら「科学者達はむかしは地球が平らだと主張し、ケネディの月面着陸計画を不可能だと言っていたのだ」などと反論していたなぁ(笑)。
 思い起こせばこの構想は80年代のレーガン大統領時代に始まっていた。例の「スターウォーズ計画」などと呼ばれた「SDI計画」ってやつがルーツだ。アメリカって国は本土の直接侵略を受けたことがないせいか(太平洋戦争の時に日本軍機一機が「空襲」した、あの一件ぐらいじゃないのか)やたらに「被侵略恐怖症」の部分があるようで、こうした突拍子もない壮大な発想が生み出された。結果はと言うと成果はろくすっぽ上がらず、ただ多額の金を軍需産業に流しただけだった。なんだかそっちの方面への公的資金投入ってやつだったんじゃないかと思える節がある。今度のミサイル防衛構想だってたぶんにその匂いがする。選挙中に妙にブチ上げたんだよな〜ブッシュさん。

 さてさて長く書いちゃっているが、「ミサイル防衛構想」って世間全般から見ればこれだけ疑問視されてるものなんですよ、と知っておけば、田中外相の言ったとされる「疑問発言」が問題発言でも何でもない至極普通の感覚の話であると分かるだろう。政府の公式見解とは別に個人的意見としてイタリア外相に話すことは別に問題はないし、計画の中止を迫ることはまわりまわってアメリカのためでもあるとも言える。またブッシュ政権が京都議定書の破棄など外交方針において世界から総スカンを食って国連でものけ者扱いされがちなのも事実。ブッシュ政権に対する「評価」だって僕なんかは同感しただけだもんね(笑)。特に優れた外交感覚とは思わないが、至極普通の感覚で物を言ったと僕は思いますね。言ったとすれば、だけど。安保うんぬんについては逆に日本が積極的に関与していくという風にもとれるのであんまし評価したくないけど。

 真紀子バッシングに走った(見出しだけで虚仮威しってのも多かったね)マスコミの書き方を見ていて思ったのだが、こういう人達にとってはアメリカの政権の政策(それもさして支持はされてない)に追従することが「正しい外交」であるらしい。うーむ、さすがはアメリカに「占領」された国だけのことはある、などと笑ってしまうところだが、奇怪なことに日本の言論人でアメリカ追従外交みたいなことを言う人って、たいていアメリカと戦った「大東亜戦争」を絶賛するんだよな。このあたり物凄いよじれ現象が観察できる。田中外相の言動を「反米親中」とみて父親・田中角栄の影を見る人も多かったが、角栄だってアメリカが日本に何の相談もなく中国と電撃的に国交結んじゃったのを見て、慌てて後追いしたぐらいにしか僕には見えないんだけど(まぁ当時の自民党内ではすったもんだした中、強行はしたらしいが)。あの時のことを見ても日本の外交感覚って変なところで人を信用しすぎたり気を使いすぎたりして現実を直視できず、手痛いしっぺ返しをくらいがちなんだよな。自分に都合の良いようにしか物事を見られなくなっちゃう事が多いような気がする。
 今度の騒動にはそういう日本外交の伝統芸がそこはかとなく見えたところが僕には興味深かったかな。そういう僕も一応「日本人」なのでエラそうなこと言っててどんなもんだか分かりませんけど(笑)。


2001/6/11記

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