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2001年11月20日

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 ◆今週の記事

◆新世紀に「死海文書」

 どちらかというと世間ではあまり相手にされないマイナーなものに深く首を突っ込みたがる傾向がある僕だが、あのアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」にはその最盛期に世間並みにハマったものだ(放映終了後のことだけどね)。終盤に向けてグチャグチャになっていった観のあるこのアニメだが、確かに観る人をハマらせるさまざまな要素(絵、キャラ、演出、脚本といったアニメとしての要素から心理学・哲学をも含む衒学的趣味の要素まで)を贅沢に散りばめた作品には違いない。そうした要素の中に「キリスト教」「聖書」がらみの設定が作品のあちこちに紛れ込んでいたことも話題を呼んだ。あの謎だらけのアニメの謎を解こうと聖書研究にハマっちゃった人も結構いるんじゃなかろうか。いや、僕も「リリス」なんてのは知りませんでしたよ、あれを観るまでは。
 その聖書がらみの設定の中でひときわ目を引いたのが「死海文書」というアイテムだった。この文書はこのアニメの物語全体に大きな影を落としているのだが、それへの言及はここでは避けるとして、僕などは「ほう、あれをそう使うのか」などと変に感心していた。この「死海文書」というのは実際に存在するもので、聖書研究では超有名な文献なのだ。

 いわゆる「聖書」のうち「旧約聖書」はほんらいヘブライ人(=ユダヤ人)の持っていたさまざまな神話・伝説・賛歌などを収録したものでユダヤ教の聖典とされているが、このユダヤ教を受け継いだ形のキリスト教徒にも同様に聖典として扱われている。この旧約聖書が現在の形にまとめられたのはいつのことなのか、またどういう過程で成立していったのかについてはいろいろと議論があった。
 1947年、中東は死海の北西岸クムランの地である羊飼いが羊を追ううちに偶然洞窟の中から大量の古文書がつまった壺を発見した。これらの古文書は羊皮紙(羊の皮をなめしたもの)やパピルス紙にヘブライ語やアラム(古代西アジアで内陸貿易に従事したアラム人の言語でこの地方の共通語みたいになっていた)で文章が記されていたのだが、その内容は「旧約聖書」と重なる内容を含んでおり、しかも2000年以上前に書かれたもの、つまりイエス・キリストが誕生する以前の時代のものだった(紀元前250〜紀元後60までの文書と言われる)。その後1960年代にかけて他の洞窟からも古文書が次々と発見され、合計15000点以上にのぼるこれらの古文書を総称して「死海文書」と呼ぶようになったのだった。なんでこんなものが死海のほとりの洞窟にあったのかについては、厳格なユダヤ教徒の一派がローマ帝国の支配を避けてこの地に逃れ、洞窟に隠したものではないかと言われている。

 「20世紀最大の発見」とも呼ばれるこの「死海文書」だが、キリスト教・ユダヤ教の聖典の「原型」ともいえる内容を含むだけに、その扱いは慎重なものだった。「死海文書」の研究はたった10人の学者の管理下に置かれて進められ、その詳細な内容は極秘とされてしまった。当然ながらなかなか研究も公表も進まず、宗教界・信者からは「なにか教義上まずいことでも書いてあったんじゃないのか」との憶測も呼んでいた(「エヴァンゲリオン」の設定もこの憶測にルーツがある)。10年前からようやくヘブライ大学のエマヌエル=トブ教授のもとで100人のスタッフが集められて編集作業のピッチを上げ、ようやく先ごろ編集作業の完了がトブ教授から発表された。最初の発見から54年も経った「新世紀」の元年のことだった。

 編集作業を終えた「死海文書」はオックスフォード大学出版局から「ジュデア砂漠の発見」というタイトルの37巻の書籍にまとめられて刊行されるとのこと。憶測を呼んだ「教義に関わる記述」の有無についてだが、トブ教授は「ユダヤ教、キリスト教徒もに宗教の基盤を揺るがすような記述はなかった」と会見で明らかにしている。
 「いや、編集作業でカットされたに違いない!」と言い立てる人が絶対出てくるな(笑)。



◆センセイの走る季節

 まもなく「師走」ということでこのタイトルであるが、ここでいう「センセイ」とは日本国の政治家の方々のことである。どうも年末になるといろいろと慌しくなるような気がするな。「加藤の乱」もちょうど一年ぐらい前のことだし。

 11月13日、国会内で自民党の各派閥から集まった20人ばかりの議員が、ある勉強会の設立準備会合を開いていた。この段階での勉強会の名は「日本の危機を救い、真の改革を実現する議員連盟」という妙に長ったらしいもので、マスコミにより「救国議連」などという怪しげな略称が報じられていた。この準備会合を受けて16日に開かれた実際の結成総会では「日本の危機を救い真の改革を実現し、明るい未来を創造する議員連盟」とさらに長くなって(思わず爆笑)略称も「未来創造議連」などというさらに怪しげな略称に変化していた。出席した議員は合計53名。その内訳は江藤・亀井派16人、橋本派13人、山崎、堀内派各2人、森、高村派各1人だったと報じられている。まぁまんべんなく各派閥から横断的に参加者が出ていることが分かる。

 この「未来創造議連」なる勉強会の趣旨であるが、小泉首相が推し進める「構造改革」路線への抵抗運動がついに形になって現れた、との見方が一般的。代表幹事になった松岡利勝衆院議員は「小泉改革に反対しようとは思っていない」としているが、「開かれた議論を通じて、国民が合意できる改革を実現しよう」と、遠まわしに改革路線を進める小泉首相の方針を「独裁的」と批判している。このところ、特に住宅公庫・道路公団をはじめとする特殊法人改革や道路整備の見直し問題などで自民党内の「族議員」らによる激しい反発が小泉首相に向けられているが、その中でたびたび出てくるのがこの「小泉首相のやり方は独裁的」というフレーズなのだ。同じ日に連立与党を組む保守党の二階幹事長もTV番組で「小泉首相の国民的人気は高いかもしれないが、国民から直接選ばれた大統領ではない。与党の意見に耳を傾けてやるべきだ」と発言しており、こうした動きと呼応する姿勢をチラッと見せている。選挙のときはさんざん「小泉大明神」でやってたくせに… まぁ予想された事態ではあるんだけどね。

 この「未来創造議連」であるが、特殊法人改革については小泉内閣とは別の案をまとめて提出し、「国債発行額30兆円枠」を厳守しようとする小泉内閣に対して景気対策のための政策転換をよびかけていく方針だとのこと。相変わらず支持率の高い小泉首相に遠慮して大人しめな表現にしているように見えちゃうんですけどね。この動きには自民党内の暴れん坊(?)亀井静香氏の影がチラチラしていて、「亀井氏による『反小泉包囲網』の策謀では」という憶測も広がっている。なんか年末に向けて橋本派や保守・公明両党を巻き込んで小泉内閣に激しい揺さぶりがかけられるんじゃないかという空気も感じる。
 当の小泉首相だが、「自民党が変わらなければならないのに、もう選挙を忘れたのか」とこの動きに当然ながら不快感を見せている。「自民党は『自由』なんだから反対・抵抗は大いに結構」と余裕ともとれるコメントも語っていたそうだが。また、同じ日に自民党総務部会で郵政事業改革に対する強い反発が噴出していたことを聞いて首相は「私は自民党を変えるということで総裁になった。何のために私を無競争で(総裁に)再選したのか。古い自民党でいいという状況じゃないことをもっと分かってもらいたい」と怒ったという(日経新聞の記事より)
 なんで小泉さんを総裁に無選挙で選んだか、それは小泉首相が相変わらず驚異的な高さの国民の支持を集めているからにほかならない。しかしこの支持率についてもやや下降傾向なのは否めず(それでも70%前後あるんだが)先日訪問先の鹿児島で小泉首相は「だんだん支持率は下がってくると思いますが、やるべき改革はしないといけない」と強気なんだか弱気なんだか良く分からない発言もしている。

 ところでその自民党だが、党員数が前年比でなんと4割も激減する恐れがあるのだそうだ。確か朝日新聞のサイトでみかけた記事だが、自民党の党員数は91年に過去最高の547万人に達したが、政権の座からすべりおちた93年には250万人に一気に半減。政権をとりかえしてから300万人台に持ち直したが、前々回の参院選挙が終わった翌年の1999年に230万人に減少。昨年は236万人だったが、今年はこのままいくと100万人台に落ちるのではないかと言われているそうで(集計は年末に行われる)
 自民党の党員数というやつはかなり実体が怪しげなものである。なんせ選挙があると増加し、それが終わると一気に減るんだもん。原因の一つは比例代表選挙の方式にある。比例代表選挙では政党の得票率にあわせて議席が配分されるが、誰が議員になるかは各政党で作る「比例名簿」の順番で決まることになっている。だから候補者としては当選したければ比例名簿のなるべく上位に配置してもらうことが必須になる。で、比例名簿の上位に載せてもらえるかどうかの判断はその候補者の「党への貢献度」にかかっており、分かりやすいところで「党員をどれだけ獲得したか」があったりするのだ。したがって各候補者は選挙の前に必死になって「党員獲得」に走ることになる。これによって起きた悲喜劇に最近だと「KSD事件」があり、本人に断り無く自民党員にしちゃっていたケースや「徳川家康」だの「石川五右衛門」といった架空党員作りまで行われていたことが話題になっていたものだ。
 そんなわけで「選挙があると党員が増える」法則があったのだが、今年の参院選挙ではKSD事件の直後だったこともあり目にあまる「党員獲得」は差し控えられたし、今回から導入された「非拘束名簿方式」で個人名で投票可能になったことから党員獲得の意味が薄れてしまった(その代わりこの選挙はタレント候補乱立や、郵政族の高祖元議員に見られたような露骨な集票活動が起きた)。そんなこんなで気がついたら党員が一気に激減して大慌て、ということになってしまったのだ。っていうか、それが本来の党員数だという見方もできるわけだが… 。
 党員が減ると困るのは直接的には党の財政に響いてくる。自民党員は年間党費を4000円納める義務があるので党員が4割減ると35億円の減収になるそうで、党の経理部は頭を抱えているとか書かれていたが、あれだけ企業から政治献金集めといて、などと思うところもあるのだが(これもまた不景気で減少らしいが)
 とりあえず自民党執行部は「小泉首相が党員募集を呼びかけているポスター・チラシ」を大量に制作して党員獲得運動をやる方針だそうな。ここではまだまだ「困ったときの小泉大明神」らしい。

 さてここまで一応書き上げて「史点」のアップをズルズル遅らせているうちに、小泉首相がらみで面白いニュースが入ってきた。11月19日の毎日新聞のサイトに夜遅くになってアップされた記事が元ネタ。
 この19日、小泉首相は保岡興治元法相ら自民党国家戦略本部メンバーと会食していた。この際、小泉首相が「政治改革が必要だ。決定は内閣に一元化するのが正しい方向なので検討してほしい」と発言、内閣からの法案提出にあたって与党の事前承認を得る現在の慣習をやめて、法案提出権を内閣に一元化したいという意思を示したのだ。
 中学校の公民でも習うと思うが、法律を成立させるのは国会で、その元となる法案を提出するのは行政を担当する内閣となっている(国会議員による法案提出もあるけど数は少ない)。しかし内閣から法案を出してもその内閣の母体となっている与党がその法案に反発した場合、その法案は成立どころか審議に入れるかどうかも怪しくなる。そんなわけでこれまで内閣が法案を作る場合、国会への提出前に与党の事前審査・承認を得ることが事実上制度化していた(1970年代からのことだそうだ)。しかし法的には何の根拠も無い「慣習法」であるに過ぎない。
 首相がこの日こんなことを言い出したのは、この日に「新しい日本をつくる国民会議」なる学者やジャーナリストで構成された研究会から「与党による法案の事前承認制の廃止」を訴える意見書が提出されていたからだった。この意見書によりこの制度が法的根拠の無い慣行にすぎないと知った小泉首相は自分の方針に意を強くしたようなのだ。小泉内閣が掲げる「改革断行」は「事前審査」で自民党の激しい抵抗を受けるのは必至だから、この際その制度を廃止してよりトップダウン式に首相の意思を通す方式にしたいというわけだ。それこそ「独裁だ!」と騒がれることでしょうな。これから見もの。



◆世界中から小ネタ特集

 前回分で出そうか出すまいか迷っていた小ネタをここで大放出(笑)。

 11月14日、上海の新聞が伝えたところによると、中国・西安郊外の「秦の始皇帝陵」の副葬坑から2羽の「青銅製のツル」を含む14個の青銅製の鳥類像が発見されたという。ツルは「ツルは先年、カメは万年」というぐらいで長寿を象徴することから、始皇帝が強烈に不老長寿を追い求めていたとする『史記』の記述を裏付けるものでは、と専門家がコメントを寄せている。ツルが見つかった程度でそれを不老不死追求の話と即結びつけちゃって良いのか疑問も感じるが… 。

 日本の栃木県・栃木市では五年に一度の「とちぎ秋まつり」が開かれ、中心市街をさまざまな山車(だし)が練り歩く。「東京新聞」の記事で見かけたのだが、祭り二日目の17日、日本人にも大人気の「三国志」の三英傑、劉備関羽張飛をかたどった山車が勢ぞろいしたそうで。日本の地方の祭で「三国志」なんてミーハーな、などと思っていたら、なんとこの「三国志山車」は108年前に一度作られ、それ以来の「再登場」だったというから驚いた。108年前といえば1893年のこと。この翌年1894年に日清戦争が勃発、三国志の山車は「敵国のもの」という意見でお蔵入りになり、以後財政上の問題もあってそのまんまになっていたのだそうで。
 なお、他の山車には「仁徳天皇」やら「天照大神」やら少なくとも三国志の連中より実在性の怪しい人達が採用されている。

 東南アジアのミャンマーからは「白い象」が捕獲されたという話題。ミャンマーの国営放送や新聞によれば、ミャンマー北部の密林で体高1.8m、推定8歳のオスの白い象が捕獲されたという。「白い象」はミャンマーでは「国家に平和と安定、繁栄をもたらし、災厄を遠ざけ、豊作を約束する」と信じられているのだそうで、この発見にミャンマーの政府は大喜びで、ただちに首都ヤンゴンに運ばせるとのこと。ミャンマーといえば純然たる軍事政権が続いていることで有名だが、軍事政権としてもこの「吉兆」を大いに政治利用しようと言う思惑があるのだろう。元ネタのCNNサイトの記事によると、近代以前には出現した「白い象」をめぐって権力者同士が争奪戦を行ったなんて歴史もあるそうな。
 「ジャングル大帝」のレオに見られる様に(笑)動物には時折「アルビノ」と呼ばれる色素の欠落した白い個体が生まれることがある。珍しいし「白」というのはたいてい良いイメージなので世界中どこでも「吉兆」としてありがたがる傾向があるらしい(先日日本で白いツキノワグマの出現が報じられていたが、あれは個体の減少による近親交配の結果ではないかと言われあまり有り難くない事態らしい)。ミャンマーでは1961年に今回と同様の「白い象」が出現して「吉兆」と騒がれたそうだが、その翌年に軍人ネ=ウィンがクーデターを起こして政権を握り、四半世紀にわたる独裁を開始することになったりしてるんだよな。

 最近映画化もされていた1962年の「キューバ危機」の秘話が一つ明らかになっている。「キューバ危機」とは社会主義国になったキューバにソ連がミサイル基地を建設、ミサイルの搬入をアメリカ側が阻止しようとして核戦争一歩手前まで行ってしまったという冷戦の一つのピークをなす事件だ。この舞台裏でソ連の国家保安員会(KGB)の将校でありながらアメリカ・イギリスにも情報を流す二重スパイをやっていたオレグ=ペンコフスキーという人物がいる。先日ロシアの公共テレビがこの人物に関するドキュメンタリーを放送し、その中で彼にまつわるかなり危なっかしい秘話が紹介された。
 1962年10月、ペンコフスキーはCIAから渡されていた緊急連絡用装置のボタンを押した。この装置は「ソ連が核による先制攻撃を開始した」ことを急報するためのもので、連絡を受けたCIAは「すわ」と(英語で)驚いた。ただちにケネディ大統領に報告するかどうか検討されたが、結局報告は行われなかった。なぜならどうもこの通報がペンコフスキーの「自暴自棄」であるらしいことが判明したからである。このボタンを押したとき、ペンコフスキーは二重スパイをしていたことがばれ、逮捕が目前に迫っていた。「もはやこれまで」と思ったペンコフスキーがヤケクソで核戦争を起こしてやろうと偽情報を流した… とCIAは判断し、通報を黙殺したのだった。結局ペンコフスキーは逮捕され1963年に銃殺刑に処されている。
 「ホントかよ」と言いたくなる秘話であるが、キューバ危機ってのは実際かなりきわどい形で人類の戦争が回避された事件だった。冷戦期のこの時代、誰か一人のつまらない判断ミスや狂気が全人類を存亡の危機に陥れたかもしれない(このテーマはキューブリックの映画「博士の異常な愛情」で痛烈に描かれてますね)。いや、それは今もなお続いていることなんだけど。

 アフリカ南部のスワジランド王国からはこんな牧歌的(?)話題が。
 AFP通信などが伝えたところによると。スワジランドのムスワティ国王は去る9月、エイズ対策として国内の10代後半の女性たちに「純潔を守るふさ」をつけさせ、5年間性行為を禁じる誓いを立てさせていた。ところが先日、この国王が17歳の女性と婚約していたことが発覚、11月11日に激怒した若い女性300人が王宮に押し寄せ、「純潔のふさ」を脱ぎ捨てて国王の背信行為に抗議した。国王は自らの非を認め、謝罪のしるしとして牛一頭を抗議に押しかけた女性たちに差し出した。牛は肉として村々に持ち帰られバーベキューとしてふるまわれたそうな。
 なお、このムスワティ国王にはすでに7人の妻と1人の婚約者がいるそうで… (汗)。



◆まだまだまだまだまだまだまだまだ続く余波

 もう「テロ事件の余波」というよりも「アフガニスタン新情勢」って印象が強いのだが、まだこのタイトルで続けさせてもらおう。

 わずか一週間でアフガニスタンの情勢は急展開してしまった。その直前までそんな気配すら見せてなかった印象があるんですけどねぇ… 多くの「専門家」もまるで予想しない事態だったみたい。
 前回でも書いたがアフガニスタン情勢の急転は11月10日に北部の要衝都市マザリシャリフを「北部同盟」が奪回したことから始まった。ここの陥落は時間の問題と言われながらなかなか陥落せず、「北部同盟弱兵説」がマスコミなどで横行していたものだったが、このマザリシャリフを落としてからは目を見張るばかりの急展開になってしまった。まさか三日で首都カブールが陥落するとは恐らく誰も予測できなかったんじゃないか。
 マザリシャリフを陥落させ、真っ先にここを確保したのは、もともとこの都市を拠点に勢力を築いていたドスタム将軍の一派だった。マザリシャリフはウズベク人の多い地域でドスタム将軍も含めてこの一派はウズベク人、北の隣国ウズベキスタンとの関係が深いといわれる。このドスタム将軍、かつてラバニ大統領の政権下で軍事クーデターを起こして内戦を引き起こし、結果的にタリバンによるアフガン全土の掌握を許してしまい、やむなくラバニ大統領らと「北部同盟」を結成しているという経緯がある、まぁなかなかの曲者であるらしい。
 なお、このマザリシャリフ陥落に際して、100人以上のタリバン少年兵が北部同盟軍により「処刑」されたとの報道がある。

 マザリシャリフを陥落させたことでそれまで2州しか支配していなかった「北部同盟」は一気に7州を支配下におさめ、「次は首都カブール!」と意気あがった。しかしアメリカおよびパキスタン、そして国連も「カブールにいきなり入るのは控えてくれ」と北部同盟に要請していた。カブールが一方的に北部同盟の手に落ちてしまっては、「タリバン後」の政権がアフガン国内の少数民族の集まりともいえる「北部同盟」だけを中心にしたものになりかねないからだ。アメリカなどは「アフガニスタンの諸勢力を広く受け入れる政権を」と構想しており、北部同盟側もいちおうそうした要請を受け入れる姿勢を見せていた。
 しかし、事態は思わぬ方向へ進んでしまった。マザリシャリフが落ちたとたんにタリバンはカブールから自主的に撤退していってしまったのだ。空っぽになった首都に「北部同盟」の軍は大慌てで飛び込んでいったように見える。かくして13日にカブールが陥落、アフガニスタンの首都は5年間のタリバン支配から「解放」された。TVにはあごひげを剃る男性、ブルカを脱ぐ女性、ゲームボーイを遊ぶ子供たち(笑)、大混雑の映画館、ラジオ・テレビ放送の開始など「自由を謳歌するカブール市民」の映像があふれた。もちろん実際にタリバンの極端な宗教政策は鬱陶しく思っていた人も多かったろうし、タリバンがいなくなったことでカブールが戦火を免れたという安堵感もあるだろう。だが、どうもへそ曲がりな僕などは、見ていてアメリカなどタリバン潰しに躍起になっている側にとって都合の良い映像ばかり強調して流されているようにも感じちゃうんだよな。あれ見ていると「やっぱり空爆してよかった」ってことになっちゃうもん。空爆で家族を殺された市民の嘆きもポツポツとは報じられていたが… そしてここでも捕虜となったタリバン兵士が処刑・虐殺されているとの報道が聞こえてくる。

 11月17日、「北部同盟」の一派の指導者でアフガニスタンの一応公式の大統領であるラバニ氏(国連代表権もこの人がもっている)が突然カブール入りした。1996年にタリバン勢力に都を終われて以来、5年ぶりの「都入り」である。なんだか足利義昭みたいですな、ちょっと違うか(笑)。まぁ今のアフガニスタンっていろんな意味で南北朝とか戦国時代の日本を見ているようなところがある。
 それにしてもラバニ「大統領」のカブール入りはかなり「抜け駆け」の性格が強い。なんせその日の午前中に北部同盟のスポークスマンが「政権構想が固まるまで少なくとも3ヶ月間、ラバニ氏はカブールの外にとどまる」と表明していたばかりだったのだから呆れる。3ヶ月どころか3時間で慌てて飛び込んだ印象がある。「タリバン後政権」における自派のポジションを確保しておこうとしての行動と見られてもしかたないだろう。ラバニ氏はタジク系民族の出身で、ウズベクなど他の民族で構成された北部同盟各派と勢力争いをしているところがある(だいたい内戦になり彼が都を追われた原因がそれだ)。カブール市民もかつてのような「内戦」がまた起きるんじゃないかと不安になっているという。現に一部では派閥間のドンパチがもう始まっているとの報道もある。
 こうした内戦再発を防いでタリバン後のアフガニスタンをまとめる手がかりとして注目されているのが亡命中の元国王ザヒル=シャー。こういうところで「元国王」が登場するのはカンボジアのシアヌーク国王の前例があるが、タリバンはおろか「北部同盟」内でもこの国王への不信感は強いところがあるようだ。「大統領」であるラバニ氏などは「元国王は一介の市民としてなら帰国可能だ」インタビューで発言しており、この国王に政治的主導権は与えないぞという姿勢を示している。
 「元国王」のことだけではない。「北部同盟」の中にはアメリカやイギリスなど外国勢力が入り込んできてなにかとちょっかい出すのを鬱陶しく思っている勢力も多いようだ。報じられるところによると、アフガン北部に入ったイギリスの特殊部隊100人が、北部同盟から「人道援助以外の人員は要らない」として追い返されそうになり、イギリス側をかなり怒らせている。
 新政権の枠組み作りについてはヨーロッパの方で会合を開くことになるらしいが(一時日本でやるって話もあったような)、いろんな勢力の思惑が入り乱れて実にややこしいことになりそう。こういう状況になってくると国連主導による「多国籍軍」を多少強引でも派遣したほうがいいような気がしますね、僕などは。ほっといたら目も当てられないことになりそうだし。

 カブールを失ったタリバン政権だが、その直後はまだ意気軒昂な印象があった。カブール撤退も自分から引いていったようなもんだし(「撤退」ではなく「転進」ってやつですか(笑))、どこか勢力の温存と集結を図っているようにも感じられた。タリバンは本来の拠点であった南部の都市カンダハルに勢力を集め、11月13日に最高指導者オマル師を初めとする幹部会議でカンダハルを「新首都」に決め、ゲリラ戦による徹底抗戦を図っている模様、と一時報じられた。なんだか吉野に逃げた後醍醐天皇を連想してしまったのは南北朝マニアの僕だけだろうか(笑)。
 しかしカブール失陥後のタリバンはその勢力を一気に縮小、弱体化させてしまった。それまでタリバンの味方について下支えをしていたパシュトゥン人の各部族が次々と「寝返り」を打ち始めたのだ。こうなってみて初めて見えてきたが、アフガニスタンって多数の部族(パシュトゥン人だけで100以上の部族がいるとか)がひしめきあって構成されている社会なんですね。部族ごとに様子を見ていて、タリバンが勝てば一気にタリバンにつき、負ければ一気に見放してゆく、案外そんなもんかもしれない。至上命題は自分の勢力の維持であるわけで。ますます南北朝・戦国と似てくるな。
 気がつくとアフガニスタン南部にもパシュトゥン人系のさまざまな武装勢力が割拠してしまっている情勢。タリバンも本来の一勢力に戻ってしまった形で、現在カンダハルの維持すら怪しいのではないかとも報じられている。もっともこの辺も情報が錯綜していて実像がよく分からないところなのであるが…
 ワシントン・ポスト紙は18日の紙面で、先日も炭疽菌関係の記事で登場したボブ=ウッドワード記者による記事の中でCIAが一年半前からアフガニスタン南部のパシュトゥン人部族に工作を仕掛けていたと報じているそうだ。周到なことで、と思う一方、それであの大規模テロが未然に防げなかったのかという思いも強い。変な工作だけは妙に得意らしいんだけどね。

 さてアフガニスタンに関してはこの辺にして、一方の当事者であるアメリカの話を。
 映画ファンの僕には気になる動きがある。去る11月11日、ホワイトハウスのローブ大統領上級顧問がハリウッドの映画・TV・劇場関係者と「対テロ戦争におけるハリウッドの貢献」について協議を行っていた。協議後の記者会見によれば上級顧問からは「この軍事行動はあくま対テロの戦争であってイスラム教徒を敵にしたものではない」「米兵の家族に対する配慮をすること」「子供を守り安心感を与える必要がある」などといった要請が含まれていたという。「あくまで決定権はハリウッド側にある」「プロパガンダ作品の製作を強要しているわけではない」と述べていたが、こうした協議をおおっぴらに行うことじたい「戦争政策に沿った作品を作ってくれ」という姿勢を見せたに等しい。いまこの時期に「反戦映画」とか「アメリカの欺瞞を暴く映画」なんかとても作れる空気ではない。これは政策だけでなく国民世論による規制もあるけど。

 16日にはアメリカ財務省が第二次世界大戦以来の「戦時国債」を発行することが明らかになった。その名も「パトリオット・ボンド(愛国者国債)」と言い、12月に発行とのこと。利回りは通常の市場の五年債の利回りの90%におさえて設定されており、国家が低利で資金を集めることが出来るという仕掛け。あれだけ戦争をやたらにやっている国が第二次大戦以来発行してなかったってのはかなり意外な気もしたが、初の「本土攻撃」をくらって愛国心を高揚させている今ならかなり売れるんじゃないかと考えてのことらしい。最低で50ドルから購入でき、「子供でも買えます」というのがウリらしい。
 第一次大戦の時もチャップリンなどハリウッド俳優が戦時国債キャンペーンに利用されていたもんだよなぁ… 。歴史は繰り返すのか。

 時間が前後するが13日、ブッシュ大統領は外国人のテロリストを裁く「特別軍事法廷」の設置を国務長官に認める大統領令に署名した。設置されればこれまた第二次世界大戦以来のこととなる。対象はいちおうオサマ=ビンラディンらを初めとするテロ組織「アル・カーイダ」のメンバー、および「米国民や米国の国益を標的にした国際テロを計画・実行・準備を行った者、テロリストをかくまった者ら外国人」となっている。大統領令では「米国と米国民を守り、テロ攻撃の防止と効果的な軍事行動遂行のために必要」としているそうな。
 相手はテロリストという犯罪者だが、現在やってるのはそれに対する「戦争」だから、とっつかまえたら軍事法廷にかけることができる、ということらしい。それにしてもその対象が「アメリカ国民およびアメリカの国益を標的にした国際テロ」であるのがかなりひっかかる。アメリカ以外に対するテロは対象外なのか。裁く裁判官はアメリカだけなのか。盛んに今回の事件を「文明社会全体に対する犯罪」とアピールしていたような気がするんだが、まさに「俺が法律だ」って態度だよな、これって。
 一時タリバンは「イスラム教徒による裁判ならビンラディンを引き渡す」という姿勢を見せていたことがある。「それじゃダメ、俺が裁く」と言って軍事行動を開始したのがアメリカだ。このテロが文明社会、人類全体に対する犯罪なら文明社会全体による形の「裁き」が必要になると思うのだが、アメリカってそうした構想を含む国連による国際刑事裁判所の設置に一番反対している国なんだよな。理由は「世界中に派兵しているわが国の国民が裁判にかけられる可能性が高いから」って得手勝手な理由だ。
 もともとブッシュ政権は「一国独走主義」が目立つ政権だった。テロ事件が起きて以後、「国際協調路線」を示しつつあったが、どうもここに来てまたぞろ「一国主義」の動きが目立ち始めている。パレスチナ問題はなんとかせにゃならんと思ったらしく「パレスチナ国家」実現に前向きになってきた程度の進歩はあるけど、その他のことについてはなんだか元の状態に戻りつつあるような気配を感じる。アフガニスタンが(アメリカの視点で)一段落したらまた妙な動きを始めるんじゃないかという危惧もある。
 なんか一時聞かなくなっていた「イラクも攻撃」論がまたチラチラしてきてるんだよなぁ… 。


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