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2002年7月29日

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 ◆今週の記事



◆中東戦線異常だらけ

 「異常だらけ」と書いたが、異常な状態が正常と思えてしまうところがパレスチナ問題の恐ろしいところだ。

 相変わらず過激派組織の幹部暗殺作戦に狂奔するイスラエル軍だが、去る7月22日深夜には過激派組織「ハマス」の幹部サラハ=シャハダ 氏(50)のガザ地区の自宅を攻撃、その家族もろとも殺害してしまった。ただそのやり方の荒っぽさは過去に例を見ないもので、F16戦闘機から1トン爆弾を市街地に落っことすというものだった。シャハダ氏当人の3人の子供など児童8人を含む15人の死亡者を出し、付近の住民など150人以上の負傷者を出している。そりゃまぁシャハダ氏本人を殺害するという目的は完璧に達せられる作戦ではあるのだろうが、そのために関係ない人間を巻き添えにしてかまわないというのでは無差別テロと何ら変わるところは無い。昨年来この手の一般人巻き添え暗殺作戦は続行されているのだが、今回はあまりの荒っぽいやり方に国際世論のイスラエルに対する風当たりがかなり強かった。特に一蓮托生の仲とも言えるアメリカまでが苦言を呈したのが異例だった。

 今回殺害されたシャハダ氏というのは過激なテロ活動で知られる「ハマス」の軍事部門「イザディン・アルカッサム」の創始者かつ司令官だったと言われ、以前からテロの首謀者としてイスラエル軍が追いかけていたと言う(今までそういう人をずいぶん殺してきたような気がするが、一向にテロは止んでないような…)。イスラエル政府は直後の23日朝にこの作戦がシャハダ氏暗殺を狙って実行したものであることを認めたが、民間人が巻き添えで死亡したことについては「この近隣には民間人はいないはずだった」とか「テロリスト達は人間の盾という卑怯な作戦を取ったのだ」などと言い訳していたが、あんな住宅地に1トン爆弾落としておいてよくもまぁヌケヌケと、と誰もが思うところ。パレスチナ自治政府のアラファト議長が激しく非難したのは当然だが、EU、ロシア、国連などでもイスラエルの行動を非難する声が相次いだ(日本については未確認。以前日本が援助した施設がイスラエル軍に破壊された時は非難していたが)。そしてアメリカ政府も「イスラエルはアメリカの親友であり、自衛権はある」と断りをつけた上でではあったが「今回の攻撃は民間人に犠牲が伴うことを知ったうえでの攻撃であり、大統領ははこの過酷な行為が和平に貢献するとは考えていない」との声明でイスラエルを(アメリカにしては)強く批判した。また今回の攻撃で、アメリカがイスラエルに供与した兵器であるF16戦闘機が使用されたことについても、アメリカの武器輸出は自衛目的に限るとする「武器輸出管理法」に違反する可能性があるとの指摘もアメリカのメディアの中から上がっている。
 一応イスラエル政府は民間人の犠牲は「間違い」であり「遺憾」と表明したが、空爆作戦そのものは正当なものであるとして譲っていない。アメリカに批判されたのを意識してか、国家元首であるカツァブ大統領が軍の放送で「民間人に囲まれていても、平気でビンラディンを攻撃する国だってある。我々はそのような行動をとらない」などと発言していたという報道には思わず苦笑してしまったものだが。

 今回イスラエルが非難されるもう一つの要素が、あくまで推測の域を出ないものではあるものの、民間人殺傷以外にもあった。実はこの爆撃、単にテロ首謀者を抹殺するだけでなく、パレスチナとの間に少し芽生え始めていた和解の動きをブチ壊す狙いでわざとやったのではないかとの疑惑があるのだ。この直前の22日にパレスチナ自治政府とハマスの間で「自爆テロ放棄の共同声明」を出すことでほとんど合意にこぎつけていたのである。自治政府の国際協力相でハマスとの会談を進めていたシャース氏は空爆の知らせを聞いて「タイミングが最悪だ。イスラエルは我々の合意をつぶそうとしているのではないか」と側近に語ったと伝えられる。当然ハマスは激怒し、報復テロの実行にとりかかえることを明言している(その直後にやはりテロは起きた)
 アメリカやイスラエルがアラファト議長のパレスチナ政権を認めない際にふたこと目に言うのが「テロ撲滅の努力をしてない」という批判なのだが、こうやって努力していると過激派がそうはさせじとテロを起こし、またイスラエル側も話をまとめまいとしてテロを起こしているという構図がある。前にも「イスラエル軍と過激派が示し合わせてやってるんじゃないの?」と半分冗談で書いたこともあるが、ここまで来ると「4分の1冗談」ぐらいの話であるようにも思えてくる。

 今回イスラエルに苦言を呈したアメリカだが、国連安保理でアラブ諸国からイスラエル非難決議案が出ると、案のじょう反対に回ってこれをつぶした(パレスチナ側のテロも非難する文を入れれば話に乗る、という姿勢らしい)。中間選挙も近い今、国内のユダヤ系票を逃すわけにはいかないという共和党政権の思惑もあるようだが、本音のところブッシュ政権はパレスチナ問題については頭を痛めているところだと思う。イラク攻撃・フセイン打倒という父ブッシュ大統領の仇討ちみたいな方針をあからさまに打ち出している子ブッシュ大統領だが、パレスチナを現状のままにしてイラク攻撃戦争を開始することの危険性は感じていると思う(本人はどうか知らんけど、ブレーンはさすがに感じてるだろう、たぶん)
 だから独自のパレスチナ国家建設案など打ち出したりしているのだが、一方で来年行われるパレスチナ自治政府の議長選挙でアラファト議長が再選されることには露骨に拒絶反応を示している。例によって「テロを取り締まらない政権であるから」だと言うのだが、ライス大統領補佐官の「パレスチナ民衆の指導者をアメリカが選ぶつもりはないが、選択によってもたらされる結果というものがあると言っているのだ」(要するにパレスチナの指導者をアメリカが選ぶと言っているのだ)などという言葉を聞くとかなり鼻白む思いがする。
 イラク攻撃について先月あたりやたらにリーク情報が流れたが、ブッシュ政権の支持率低下もあって戦争開始が早まると言う見方も強くなってきている。その一方で国防省内の非制服組を中心にイラク攻撃に批判的あるいは慎重な声も上がってきているとの報道もあり、どうなるかはなんとも言えない。いずれにせよ国内の事情だけで世界政策を進めるっちゅうのは勘弁して欲しいところだが。



◆人類史の遠い旅

 人類の起源をめぐる論争、発見のネタはほんとに最近相次いで飛び込んでくる。この「史点」でも周期的にこの手の話題を取り扱ってきたように思う。先月の休載期間中も含めていろいろ話題が入ってきたのでそれらをまとめてみよう。

 7月5日発行のアメリカの科学雑誌「サイエンス」誌上で発表されたことだが、旧ソ連のグルジア共和国(確かスターリンはここの出身だったような) から180万年前の原人の頭骨化石が発見され、その容積が600ccと従来の原人の頭の3分の2ほどしかなく、原人の前の猿人の段階に近い特徴を持っていることが明らかとなり、人類史のいわゆる「出アフリカ説」に一石を投じることになった。「出アフリカ説」とは、猿人からスタートした人類が、原人、旧人(ネアンデルタール人)、新人(ホモ・サピエンス・サピエンスすなわち現人類) といずれもアフリカで進化・発生し、それぞれの段階でアフリカを出て世界に散らばっていったとする考え方を言う。原人ではアジアの北京原人、ジャワ原人が有名だが、これらももともとはアフリカから拡散したもので、なおかつその地で絶滅し、あとからアフリカを出た人類に取って代わられたという見解だ。
 近年ますます有力視されているこの説だが、細かいところではまだまだ未解明の部分が多い。今回発見されたグルジアの原人化石は、原人がまだ進化の初期の段階でアフリカを出て拡散していたことを示すと考えられ、原人がかなり進化して脳が大きくなり知識を得たために「出アフリカ」が可能になったとする従来の見解に修正を求めるものとなっている。

 「出アフリカ説」では古い人類化石のほとんどがいずれも東アフリカ、「大地溝帯」の東側で見つかることから、人類発祥の地は東アフリカと考えてきた。ところがこの定説を覆しかねない発見があったという報道があった。これはイギリスの科学雑誌「ネイチャー」にフランス・ポワティエ大学のブルネ教授らの国際研究チームが発表したもので、なんとアフリカ西部のサハラ砂漠にあるチャド共和国から、これまでの最古記録を大きく破る700万年前の猿人化石が見つかっちゃったというのだ。
 化石が見つかったのは昨年7月のことで、地元の大学生が砂漠の中から頭骨を発見したのがキッカケだったという。その後歯やあごの骨が見つかり、少なくとも5体のものと見られているとのこと。年代特定は一緒に出土した象やカバの化石の分析および年代が特定されている東アフリカの地層との比較で「600万年以上700万年前近く」と判断されたという。火山灰の地層が少なかったため放射年代測定法は使用できなかったとのこと。
 発見された頭骨は容積350ccでだいたいチンパンジー並み。骨の特徴はチンパンジーなど類人猿に似るもののヒトに近い特徴もあり、研究チームは「人類とチンパンジーの共通の先祖にかなり近い最古の人類」と判断しているそうで。

 最古の人類化石はこのところ記録更新が著しく、この「史点」でもケニアで発見された600万年前の「ミレニアム・アンセスター」(2000年発見を記念した命名。愛称は「オロリン」)やらエチオピアで発見された550万年前のラミダス原人の亜種「カダバ」などえらく古い発見が相次いでいる。今回の発見はこれをさらに大幅に抜くものとなりそうだが、これらいずれも年代判断が正しいのかどうか疑問の声があるのも事実。ま、いずれにせよ慎重に研究してもらいたいもんである。
 なお、今回チャドで見つかった猿人にはサハラ砂漠南部の「サヘル地帯」で発見されたことにちなんで学名「サヘラントロプス・チャデンシス」、愛称は現地で乾期直前に生まれた子につけられる「トゥーマイ」と決定したそうである。



◆お茶とプリンでチャップリン

 くだらねぇタイトルつけんな、と思われるでしょうが、これ、その昔「おしゃべり人物伝」って番組でもやってた古典ギャグですぜ(笑)。

 いきなりチャップリンである。最近ではチャプリンと書く向きも多いが、なんか僕はしっくりこないのでチャップリンとさせていただく。というかMS−IMEだと「チャップリン」で一発変換してくれる。マイクロソフト公認だな(笑)。言うまでも無く映画史上の巨人である。無声映画からトーキーへ移っていく映画産業勃興期に登場し、主演・監督・音楽など一人何役もこなして数々の名作を作り上げた。基本的に全て喜劇映画であるが、その独特のユーモアと、底流にある社会性と、思わずホロリとさせられてしまう人情味などで一回はまると抜け出せなくなるのがチャップリン映画。だいたい「映画の魅力は全てチャップリンに尽きる」と今なお言われてしまっているぐらいだ。

 アメリカの映画の都ハリウッドで活躍したチャップリンであるが、もともとイギリスの貧しい芸人の家の生まれである。そうした少年時代の苦労が彼の作品に社会派の側面があることに影響を及ぼしているのかもしれない。第一次大戦のときには戦争国債キャンペーン映画を作ってアメリカ政府のお先棒かつぎをした彼でもあるが、代表作「モダン・タイムス」は機械化と労働者の対立を題材にしたドタバタコメディーとも言えるし、「独裁者」はヒットラーがまだ現役のドイツ指導者でありアメリカ始め各国がまだ敵対視していない段階でそのファシズムの脅威を警告する、かなり思い切った政治的題材の映画だった。そして「殺人狂時代」には独占資本に対する批判の目が含まれている。今でこそ名作と絶賛されるこれらの作品の社会性・政治性が一部のアメリカ右派政治家ににらまれたのも事実である。
 第二次大戦が終わり、ソ連との「冷戦」にアメリカが突入していった1950年代、ハリウッドにはいわゆるマッカーシズム、「赤狩り」の嵐が吹き荒れた(どうでもいいが「真っ赤シズム」と書くとまるっきり意味が逆になるな)。共産主義反対、ならまだしも、少しでも「リベラル」とみなされる言動をする人物は軒並み「容共的」「反米的」とみなされ攻撃・監視を受けることになってしまった。数年前にエリヤ=カザン監督がアカデミー名誉賞を受賞した際、それに反発する映画人たちが起立・拍手をせず腕組みをしている映像が世界に流れたが、これはカザン氏が「赤狩り」の際にまず彼自身が共産主義者と疑われ(「革命児サパタ」なんかには確かにその傾向を感じなくは無い)それを逃れるために仲間の映画人を「赤」として密告したという過去があったからだ。カザン自身には同情すべき点も無くは無いが、アメリカ人って「仲間を売る」って行為に激しい嫌悪感を持つんだよね。
 話をチャップリンに戻すが、チャップリンもやはり作品の内容から「共産主義的」と疑われ、また中国の周恩来やソ連のブルガーニンなど東側の要人と面会したりしていたことから当局の監視を受けるようになった。さらに彼自身の女性問題(16歳の少女と次々と関係を持ち結婚離婚を繰り返した)も攻撃材料にされて彼は次第にハリウッドでの映画制作が不可能になっていく。1952年に休暇でイギリスに一時帰国したチャップリンに対し、当時のトルーマン大統領は彼のアメリカへの再入国を認めず、事実上「国外追放」という措置をとったのである。「赤狩り」の犠牲者は数多く存在しているが(西部劇の傑作「真昼の決闘」の脚本家なんかもいるな。あれ、良く見ると「赤狩り」当時の状況がにおわされている)、その最大の大物は国外追放されたチャップリンであっただろう。とにかく「自由の国」を標榜するアメリカにもこういう怖い時代があったというお話。ロバート=デニーロ主演の映画「真実の瞬間」なんかも参考になりますね。

 で、ようやくニュースネタになる。
 7月21日、チャップリンの母国イギリスで、ある封印されていた秘密文書が公開された。それはチャップリンがアメリカを追われて数年後の1956年にイギリス政府がチャップリンに「ナイト」の爵位を授与しようかと検討したが、アメリカににらまれるのを恐れるイギリス外務省の意見でお流れになっていたという事実を明かすものだった。「ナイト」の爵位はイギリス出身でちょっとした功績のある有名人はたいがいもらっているんじゃないかという、日本の国民栄誉賞よりは軽く出る印象のある功労賞みたいなものだが、世界的映画人として揺るぎの無い名声を誇るチャップリンが候補に挙がるのはまぁ自然な成り行きではあっただろう。しかし外務省の役人達は、「赤狩り」でアメリカを追われた形のチャップリンへの叙爵がアメリカの機嫌を損ねることになるのではないかと極度に警戒していたのだ。
 今回公表された文書によるとイギリス外務省が提出した覚書には「チャップリン氏は非常に物議をかもしている人物で、ナイトにするには、これらの批判を女王陛下が無視なさる必要がある。しかし、陛下にはそのおつもりはないはず。政治的問題点はともかく、道義的問題点を陛下が見過ごされるとは思えない」(CNN日本語サイトの訳を拝借)などとあったという。「道義的問題点」とはチャップリンの女性問題の事を指していると思われるが、ワシントン駐在外交官が「チャプリン氏は中国の周恩来首相やソ連のブルガーニン首相ら共産陣営の要人と会食するなど、アメリカの神経を逆なでしている」などと覚書に書いているところを見ると、やはりアメリカに対する政治的配慮から叙爵に反対していたとみるべきだろう。当時、イギリスはそれまで支配してきたスエズ運河をエジプト大統領ナセルが国有化することを宣言したのがきっかけで始まった「スエズ戦争」を戦っており、アメリカの協力を必要としていた(エジプト側にはソ連がついた)。そんな緊迫した国際情勢がこの配慮の背景にあったようだ。

 その後、チャップリンへの爵位授与は1969年、1971年にも持ち上がったが、「赤狩り」が完全に過去のものとなったこの時期でもまだイギリス政府は授与をためらった。結局「追放」から20年後の1972年にアメリカ映画界がアカデミー名誉賞を授与するためチャップリンを大歓迎で迎え入れたのを受けて、ようやく1975年にイギリス政府は彼に「ナイト」爵位を授与したのだった。チャップリンがこの世を去ったのはそれから2年後のことである。



◆最近のこぼれネタ特集その3

では、前回、前々回に引き続き、休載の間も含めたこぼれネタ特集を。

◆「王冠をかけた恋」の裏にスパイ大作戦!?
 イギリスのガーディアン紙が6月29日付で伝えたネタでどこまで信用できるんだか怪しい気もするんだけど。イギリス史で「王冠をかけた恋」といえば
エドワード8世(現女王エリザベス世のおじ。在位1936年1月〜12月)がアメリカ人女性シンプスン夫人と結婚するため退位した事件を指す。シンプスン夫人に離婚歴があったため当時のイギリス政府が彼女を王妃に迎えることは認められないと反対したためエドワード8世は王冠を捨てて彼女との結婚を選んだわけだが、このたびこの一件についてFBIの資料から新事実が判明したとガーディアン紙は報じている。

 新事実とは何かというと、 このシンプスン夫人はナチス・ドイツのリッベンドロップ外相と彼が駐英大使だった時に愛人関係にあり、ドイツ側に情報を流していた可能性があったというのである。イギリス政府もこの関係を把握しておりそれで夫人との結婚に反対したと言うのだ(だったらそれを教えてやれば、とも思うのだが)。彼女はエドワードとの結婚後もリッベンドロップとの関係を続け、連合国の情報をナチスに漏らしていた可能性もあるといい、1941年にエドワードと彼女が夫婦で訪米した際もルーズベルト大統領がFBIに彼女の監視を命じたという話も書かれているとのこと。

◆こちらでも「脱ダム」問題!?
 
もちろん長野県の知事の話題ではない。なんとアメリカの攻撃も取りざたされているイラク政府の話である。イギリスのサンデー・タイムスが報じた話題で、イラク政府がチグリス峡谷に水源確保のためのダムを建設しようとしているのだが、これが建設されると古代アッシリア帝国(紀元前7世紀に全オリエントを統一した史上初の「帝国」)の首都アッシュールが水没し、人類史上の貴重な遺跡が失われてしまうと歴史学者たちが訴えていると言うのだ。干ばつに悩むイラク側は何も無理に作るつもりは無いとして「水源確保のために他の方法を考えて欲しい」と呼びかけ、また「上流のトルコが水を供給してくれない」と文句も言っているという。もっとも一部では「ダム問題にかこつけて国際的孤立を免れようという意図では」との見方もあるとか。

◆「大列車強盗」続報
 昨年の5月に「史点」で「大列車強盗の帰郷」という話題をとりあげたことがある。1963年にイギリスで起こった大列車強盗のボス・ロナルド=ビッグズがその後逃亡先のブラジルで悠々自適の生活をし、ついに70を過ぎた昨年になって望郷の念にかられ、「死ぬ前にイギリスのビールが飲みたい」と帰国したがっているという話題だった。その後結局帰国して即刑務所送り(禁固30年)になったのだが、いきなりビックリするような「続報」が入ってきた。

 なんとビッグズ受刑者、「獄中結婚」しちゃったのである!相手はスイス在住の元ダンサー、ライムンダ=ローセンさん(54)だが、実は彼女はビッグズ受刑者の30年前の愛人で子供も一人いるって聞けばまぁ納得するところもあるが。ローセンさんが刑務所に彼を訪問したところ、ビッグズ受刑者の方からプロポーズしてきたのだという。なんでもビッグズさん、「家族の結びつきこそ、人生で最も大切なものだ」との考えから正式な結婚を思い立ったそうだが、さすがにローセンさんも悩んだ。4度目のプロポーズでようやくOKが出てめでたく獄中結婚式。

 昨年五月の記事を読み返してみたら、彼は逃亡先のブラジルでも現地女性と結婚して子供つくってるんだよな。人生波乱万丈である。

◆「毛沢東」を盗用するな!?
 ネパールといえば昨年あの「王室皆殺しの銃乱射事件」って大事件があったりしたものだが、その後入ってくる話題といえば、いわゆる「毛沢東主義派」による反政府ゲリラ活動に関するニュースばかりである。やれどこが襲撃されて何人死んだ、やれ警察や軍が「毛派」を攻撃して何人殺したという話題が続いているが(大学を毛派が襲ってサンスクリット語の文献を焼いたってのもあったな)、かなり根っこの深い組織であるらしく、簡単には撲滅できないでいるようだ。

 この「毛沢東主義派」という言葉だが、英語で言うところの「マオイスト」、特に「文化大革命」の際の毛沢東を神様のように崇める過激な革命運動組織を指す。このマオイストは南米の左翼ゲリラなんかにも結構しぶとく残っていたりするのだが、中国とは隣国でもあるこのネパールでのそれはかなり活発な活動を続けている。「文革」を歴史的な誤りとして否定している現在の中国ではあるが、毛沢東は同時に「建国の父」でもあるわけで、隣国で暴れている「毛派」にはイヤな思いをしているんじゃないかな、とは以前から思っていた。

 そしたら案のじょうである。7月11日、中国外交部の劉建超副報道官がネパールの「毛派」について「中国人民の領袖・毛沢東の名を盗用している。彼らと中国とはいかなる関係も無い」とのコメントを出したのである。前日にネパールのギャネンドラ国王(例の事件で疑惑の目が向けられているヒトでもあるな)が訪中して江沢民主席と会談しており、その席で江沢民主席の方からネパール政府の反政府武装勢力と戦う努力を支持し、一切の暴力テロを非難する」発言している。これに絡めて「毛派」という名称が中国とその組織が関係があるかと誤解をうけることを避けるために外交部としてコメントが出されたもののようだ。

 いっそのことどっかの狂言師みたいに「毛沢東」って名前を商標登録するってのはどうでしょう(笑)。


2002/7/29の記事

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