※注:このリプレイ記事は、このコーナーの文を書くために筆者が初めてこのゲームをまともにプレイしてみた時の記録を元にしております。そのため特に前半ではまだ合戦のコツが分からずヘマをくり返しております。そのことを了解の上でお読み下さい。よくシステムがわかってればもうちょっと楽に勝てたかと思うんですが…
◎序盤から歴史がくつがえる!
「妖霊星がこの地に降る時、あまたの災いを為す。」と、古来より言い伝えられてきた。
時に元弘三年一月十九日、完封吹きすさぶ千早城に、六波羅探題の軍勢が攻め入った―
とまぁ、こんな字幕ナレーションが流れてゲームは始まる。
冒頭、いきなり千早城の合戦である。守るはもちろん
楠木正成。幕府方の総指揮官は六波羅探題の
北条仲時である。
もともと戦闘能力の高い楠木軍、とくに苦労もなく仲時を全滅させる。仲時、千早攻めに失敗して戦死というスタートからして完全に史実にもとりつつ、ゲームはスタートする。
初期状態では全国どの武将も部隊編成していないので、序盤ではみんながせっせと部隊編成にいそしんで動きは見せない。一回のターンで一国しかコマンドが出せないので序盤はとにかく全国的に静謐。
とりあえず南から動いてみるか、となぜか朝廷側に立っている千台城の
島津貞久の軍を動かし、根占城の
桜田師頼を攻撃。こちらが慣れていないせいもあったが桜田の弓軍略の高さの前にあえなく撤退。兵力の建て直しを図ったが千台の石高の少なさのために完全回復ができず、北から攻め込んできた
規矩高政軍の前にあえなく
島津軍全滅。
「あちゃ〜」とか言っているうちに、信濃・深志にいた
長崎円喜の軍勢が上野の
新田義貞に攻めかかってきた。義貞は本拠の反町館にて迎撃するも、プレイヤーがまだ戦いに慣れていないせいもあってか、たちまち兵を打ち減らされ、
義貞あっさり戦死(!)。史実では鎌倉を攻め落とした張本人がゲーム序盤であっさり本拠地で討ち死にである。
「仇は俺がとる!」とばかりに白河から
結城宗広軍が上野に攻め込んだが、これも円喜軍の前に敗北。関東・東北は完全に幕府方の手に落ちてしまうことになった。
このあたりでようやく戦いの反省点が見えてきた。要するに敵の弓隊を速攻でつぶし、自分の弓隊は温存していく、これに尽きるのだと、このゲーム特有の戦法を見つけ出す。
◎
列島各地の大混戦!
朝廷方・幕府方ともに有力武将が集中している畿内&東海地区では大激戦が展開された。
まずは
名越宗教軍の侵攻をなんとか退けた興福寺の
護良親王が、安濃津城にいる
金沢貞顕に特攻をかける。そう、
最初から玉砕覚悟の特攻である。なぜなら護良親王軍が興福寺に控えている限り、強力な楠木正成軍が南畿から一歩も外に出れないからだ(笑)。最初から全滅を前提にした特攻攻撃で護良親王は金沢軍の兵数をそこそこ減らして散って行った。そこへ即座に正成軍が突撃、金沢貞顕を血祭りにあげる。まさに
「俺の屍を超えていけ」の世界である。
近江・草津城にいる
佐々木道誉軍に、この時点では執権であるはずの
赤橋守時軍が襲い掛かった。こちらの用兵がまずかったのか、あれあれと言っているうちに
道誉討ち死に(汗)。道誉を討ち取った赤橋軍は土岐城に戻ったが、そこを足助城から出撃した
足利尊氏軍が急襲。義理の兄弟同士の直接対決は尊氏に軍配が上がり、守時は尊氏と一騎打ちの末討ち死に。ああ、尊氏クン、
あとで嫁さんに怒られるぞ〜(笑)。
などと言っていたら、兵力回復のために足助城に戻った足利軍を
大仏貞直軍が攻撃。川と橋を挟んでの攻防は数に勝る大仏軍が勝利し、
尊氏、天下盗りの夢も空しくこんなところで討ち死にしてしまった。ああああ…かくして足利幕府も出現しないことに(笑)。尊氏の仇は正成がきっちりととってくれたが…。
延暦寺に立てこもっていた
千種忠顕を、北陸から幕府方の
後藤基雄軍が攻撃。しかし琵琶湖の南岸の狭い地形を利用した千種軍が勝利し、後藤は討ち死に。この勝利により北陸方面のルートががら空きとなり、千種軍はこちらから関東を目指すことになった。
中国地方でも戦いが始まった。こちらがうっかり兵力配備を忘れていた出雲・八杉城の
塩冶高貞のところを三次から来た
北条時益が攻撃。慌てて兵力を配備してこれを迎撃、さすがにこちらも「いくさ慣れ」してきたようで、わりあい苦労せずに勝利を得て、北条時益を討ち取った。
この間に九州では幕府軍が大攻勢。長門から九州に上陸してきた
北条時直軍は
少弐貞経が防いだが、
糸田貞義との激戦で兵力を減らしていた
大友貞宗
軍が、北条英時・規矩高政から集中攻撃を受けてしまう。すでに弓隊400しか兵が残っていない大友軍は一か八かで篭城戦を選択。ところがこれが意外に大正解で、弓軍略の高い大友貞宗は弓の撃ち合いになると強い、強い。二度までも幕府軍の侵攻を跳ね返す大善戦を見せてくれた。さすがに三度目の侵攻には力尽きて討ち死にしちゃったけど。
◎
目指すは鎌倉!
気がつくと
残り日数が30日を切っている。あわてて地方は放置して関東征伐を目指す。楠木正成を先頭に、塩冶高貞、
名和長年らに続々と無人の東海道を攻め上らせることに。
赤松円心もこれに加えるつもりだったのだが、背後の尾道から幕府方の
長井貞重が襲い掛かってきた。史実の白旗城攻防戦の再現だ!とばかり抗戦をこころみる円心軍だったが、あにはからんや、
ちっとも守りに有利ではない地形の白旗城(涙)。おまけに円心は史実ほどには能力がなく、さらに長井軍CPUが意外に用兵巧者でこちらの弓隊の罠に乗って来ず、長い戦いの末に赤松軍全滅、
円心無念の討ち死に。そこへ名和長年軍が乱入して長井を討ち取り、一応仇討ちは済ませる。この山陽道の戦闘で日数をかなり消費してしまい、焦る焦る。
一方、千種忠顕軍は北陸の名子城に進撃し、北から鎌倉を目指す。そこへ信濃・深志城に待機していた長崎円喜軍が迎撃してきた。討ち取らねばならない幕府トップ3の一角であり、ここで絶対に勝たねばならない。気合を入れて戦場マップへ移ると…
名子城のマップは日本海とおぼしき大海が北に有り、こちらの城はかなり南に位置していて、千種軍はその一マス下に陣取っている。円喜軍はそこへ南方から侵入してきたため、千種軍のまさに目と鼻の先、2ヘックスだけを隔てて本陣を置くハメになっていた。よく見れば円喜軍の周囲は狭い道で、部隊を配置できるヘックスが事実上一つしかない。
「え〜と。それならこう配置してしまえば…」と、こちらは円喜軍の目の前に長刀部隊を、その1つ後ろに弓隊を配置。つまりどういうことになるかというと…
円喜軍、何も出来ません(爆笑)。こちらは安全圏から矢の雨を浴びせ続けるだけの
一方的虐殺状態。円喜、なすすべなく玉砕してしまいました。
円喜を討ち取った千種軍が信濃に進撃すると、今度は武蔵から敵の総大将であるところの
北条高時が迎撃して来た。騎馬隊が減っていて数ではこちらが劣勢なので弓隊をうまく使うしかあるまいとマップを見てみると…
信濃の国・深志城の戦場マップは通交不能の林がいっぱい。高時が攻め込んできた南側は通行可能部分は完全に一本道である。
「しめた!円喜の二の舞だぜ!」と千種軍はさっさと部隊を最前線に配置、敵のユニットが置ける場所を一個だけにしてしまう。
高時は一部隊しか出陣させることが出きず、その一部隊も2ヘックス先から弓隊で矢を浴びせて順番に全滅させられてしまう。マスが開いたところへこちらの部隊を置いてしまえば、もう高時は何も出来ない
(左図がその状態。中央下にいる青いユニットが高時の旗本部隊である)。こうなっちゃうと撤退しかないはずなのだが、なぜか撤退しないCPU。
やっぱり高時はバカ殿であったのか(笑)。高時は何も出来ぬまま矢の雨を浴びせられ続け、とうとう討ち死に。
このゲームでは武将が討ち死にすると右図のような画面が出る。
「北条高時討死」という文字にはこちらも感慨深いものが…それにしても、幕府首脳のうち二人が義貞でも尊氏でもなく、あの公家サンの
千種忠顕に討たれてしまうという、南北朝マニアには困惑するばかりの展開である(笑)。
円喜、高時を倒す大殊勲をあげた千種忠顕、勢いをかって幕府トップ3全てを倒すハットトリックを狙って幕府の本拠地・鎌倉へ突入。まぁ実のところダメもとである。千種軍が敗北してもそこそこ敵の兵を減らせば、東海道を連続して攻め上ってくる正成、高貞、長年のいずれかが鎌倉を落とせるはずという心積もりである。
しかしさすがは武士の都で天然の要害である鎌倉。武蔵側から攻め込むと「切通し」の再現なのか通れる部分が狭く、
長崎高資ひきいる敵の弓隊の移動を読み違えてあっという間にこちらが兵数を減らしてしまう。「しまった〜」と頭をかきつつ、千種軍は鎌倉から撤退。
千種軍が撤退したところへ、東海道から楠木正成軍が鎌倉へ突入!千種軍の目論見違いのために最初から玉砕覚悟の、
ちょっと早い湊川合戦みたいなもんである(笑)。とにかく鎌倉の幕府軍を可能な限り減らすのが正成軍のつとめである。
地形からすると由比ガ浜あたりと思しき浜辺で両軍の戦闘。正成軍は騎馬隊が少なくなっていたので部隊展開に苦労し、敵軍の弓隊への隣接を許してしまった。しかしやむを得ない。玉砕覚悟で正成軍弓隊は幕府軍弓隊と打ち合いに。さすが最強の弓軍略8の正成隊、敵弓隊をたちまち蹴散らしてしまう。
その正成軍弓隊めがけて幕府軍騎馬隊が突撃、抵抗できない弓隊はあえなくうち減らされるか…と思いきや、相手に打撃こそ与えられないものの、軽微な損害で済んだ。これまで弓隊のもろさをさんざん見てきただけにこれは意外。さすがゲリラの楠木軍である。耐久性が高いのをいいことに浜辺で耐えに耐えながら2ヘックス先の敵部隊に矢の雨を浴びせて次々と部隊を全滅させてゆく。さんざんに幕府軍の兵数を打ち減らして、
正成ついに玉砕。まさに湊川である。
正成玉砕の直後、無傷のまま東海道をさかのぼってきた塩冶高貞軍が弔い合戦とばかりに鎌倉突入、互いに弓隊を狙う展開となり意外に苦戦を強いられるも、数にまさる塩冶軍を見て恐れをなしたか長崎高資は篭城。こちらにとってはむしろ好都合な展開、これがそのまま東勝寺となり
(高時も円喜もいないけど)、弓矢合戦のすえ高資討ち死に。
ここに鎌倉幕府は滅亡、ついにゲームクリアである!残り4日しかなかった。いやぁ危ない、危ない。
で、これがシナリオ1クリアのお祝い画面。
祝着至極…って、あの…
尊氏もう死んでるんですけど(爆)
尊氏だけでなく義貞も正成も護良も道誉も円心も死んじゃっているというこの状態で、南北朝動乱はどうなることやら…と思っていたら、南北朝動乱のシナリオはまったく別個のものでこのデータをひきつぐわけじゃないから問題ないんですね。
この状態からの建武の新政なら有力者が誰もいないから後醍醐さんにとっちゃ好都合なんじゃなかろうか(笑)。