さらば鹿島鉄道鉾田線
2007年1月28日茨城ローカル私鉄の旅

鉾田駅にて

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去る2007年3月31日、茨城県中部を走るローカル私鉄、
鹿島鉄道・鉾田線
がついに廃止となりました。
大正13年(1924)の「鹿島参宮鉄道」開業以来およそ83年の歴史に幕を閉じたわけです。
このローカル私鉄、茨城県人である僕が鉄道マニアを自覚して
最初に「乗る」ためだけの目的で乗りに行った鉄道でもあり、
その「廃止」の報にはやむをえないとは思いつつ惜しむこと大でした。
沿線に特に観光地もなく、淡々と平坦な常陸の国の田舎を走るこの路線。
そのあまりに淡々としたところがディープなローカル線マニアには受けてもいたのですが…
ともあれ、廃止の前に乗り納め、と1月末にひょいと旅してみたわけです。




石岡駅常磐線下りホームから。二つ向こうのホームが鉾田 線の発着ホーム。その向こうの側線の気動車には「83年間ありがとう」の 横文字が。
鹿島鉄道用ホームへの跨線橋の隅には「キハ600系チョ ロQ販売」と同鉄道の名物だった「キハ714号」の運行日の案内が。


側線にはさりげなく年代ものの車両がたむろしておりま す。
石岡駅後方の車庫にはこれまた古〜いディーゼル機関車た ちが。実はこの鉄道、沿線の百里基地への燃料輸送が大きな収入源だったのですな。


この日乗った便には臨時の団体用イ ベント車両として「キハ602」と「キハ714」が連結され た2両編成。こちらがキハ714。「風土記」とあるのは石岡にかつて常陸国国府があり、「玉造」「鉾田」といった沿線の地名がこの地域が古代 において常陸国の中心地であったことをしのばせることに由来します。
我々が乗ったのはキハ714。車内の天井がなんとなく気 になって撮ってみ ました。むき出しの丸蛍光灯がどうしても目を引きます。あと分かりにくいでしょうが、このドア、開けるときは手動なんですよね。


「83年間ありがとう!」の列車を横目に石岡駅出発。
途中の常陸小川駅。地元の学校で作ったらしい「輝け!!かしてつ」のポスターが。


しばらく走ると右側の車窓に面積が日本第二位の湖「霞ヶ 浦」の一部が見えてきます。車窓が風光明媚なのはここらへんぐらいかな。
「八木蒔(やきまき)」駅の時刻表。縦書き・漢数字表記 に注目!


とかなんとかやってるうちに50分程度で終点の鉾田駅に 到着。こちら が団体さん専用になっていたキハ602です。
「キハ714」と「キハ602」の連結部分。その向こう に見えるのは関東鉄道バス。鉾田線はかつて筑波線とともに関東鉄道の一路線だった時代もありました。


鉾田駅のホームの先、線路の末端の車止め。そこはかとな い物悲しさが漂います。
これが鉾田駅発着プラットホーム。片側1線の単純素朴な ホームです。イベント列車の団体さんが記念撮影してました。


これが鉾田駅駅舎。ローカル線の終着駅としては割とあり ふれた造りかと。
「長澤(ながさわ)」ではありません(笑)。しかしいつ から使ってるんだ、これ。


駅舎内部。いたってオーソドックスなのですが…
そば・うどんに加え、たい焼きまで売ってる売店というの は珍しいような。


鉾田駅外観。この不思議な飾り屋根、作った当時はモダン だったのかもしれない。
駅の外の駐車場から最後の名残の一枚。

さて、鹿島鉄道の旅はここまで。
このあと鉾田駅から街中を10分程度歩き、鹿島臨海鉄道の「新鉾田」駅に移動します。
鹿島臨海鉄道・大洗鹿島線は、もともと旧国鉄が鹿島線を水戸まで延長させようと
計画していたものを、1985年から第三セクターが引き受けて開業した形になっています。
「臨海鉄道」と名乗りつつ海はまったくと言っていいほど見えない路線です(笑)。



こちらが新鉾田駅外観。大洗鹿島線は大部分がこうした高 架線になっており、もともと国鉄として建設されたこともあって、ローカル私鉄の割に大きめで近代的な駅が多いです。
鹿島神宮方面から大洗行き列車が新鉾田駅に到着。これに 乗って北上します。1985年開業当時に製造された気動車6000形は20年経った今見てもなかなか斬新なデザインです。


途中ですれ違った下り列車。茨城暴走族を思わせるド派手 な「鹿島神宮」の飾りが目を奪います(笑)。
大洗で水戸行きの車両に乗り換え。


後方運転席から後方を望む。この路線、こんな感じで田園 地帯の上に延々と高架線が続く場面が多い。新幹線みたいなローカル線であります。
終点の水戸到着…に見せかけた写真で、ホントは我々の 乗った列車が発車していく様子です。まぁTVの旅番組もこんな感じの捏造はよくやってますよ(笑)。


水戸駅名物、特急「フレッシュひたち」の車両を模した売 店。こういう遊び心は楽しいです。
チラッと見えてるのはJR水郡線の列車。知らんうちにな かなかカッコいい新車になってたんですな。なお、水郡線で使用される「滑り止めの砂」が、シーズンということもあり受験生用(爆)に駅で売られてました。


 ◆おわりに◆

 僕が鉾田線に初めて乗ったのは、20ウン年も前のことなんですが、その当時からほとんど変わってないというのがまた驚異でありました。こ の鉄道も沿線にはとくに観光地もなく、沿線住民はもっぱら車で移動するため利用するのは高校生ぐらいという状況だったので、廃止もやむをえんとことではあ りました。逆によくこれまでもったなぁとも思うのですが、それはやはり百里基地への燃料輸送が大きかったみたい。それが自動車輸送に変更されたためとどめ をさされた形のようです。
 茨城県内って、意外にローカル私鉄が豊富だったのですが、1987年に筑波鉄道が、2005年に日立電鉄が廃止され、2007年の鹿島鉄道の廃止と続 き、次は茨城交通湊線(勝田ー阿字ヶ浦)が危ないとささやかれております。県南の通勤圏を走る関東鉄道の常総線(取手―下館)および竜ヶ崎線(佐貫―竜ヶ 崎)も、磐石とは言えず部分的に廃止の可能性がささやかれ出しました。とくに常総線を危機に追い込んでいるのが県内の新鉄道である「つくばエクスプレス (TX)」の開業であるというのが複雑な気分にさせられるところ。
 時代の流れだからしょうがない、とはいえますが…どうもこのコーナーも廃止路線の乗り収めとか閉館前の見納めとかの記事ばっかりになってますね(笑)


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