過去の雑記 99年 1月上

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1月 1日
なんとなくだらだらしているうちに元旦を迎えてしまった。「われめでポン」を見ている間に出た初日の出なんて見ても、何も感動がないぞ。そんなこんなで、だらだらテレビをかけっぱなしにして明日の対戦用デックを組んでいるうちに1日が終ってしまう。今年もロクな年にはならないんじゃなかろうか。


1月 2日
というわけで、中野君を下宿に迎えてのモン・コレ。今日のメインの予定だった、「聖都の決闘者」は5分で放棄することとなった。
とりあえず、デフォルトデックを使ってのフリー対戦をやってみたのだが、なんせ双方のデックの中身が完全に分かっているので一旦攻め込まれると対策がほとんど無い。とくに、リコル側をプレイした中野君が次に出現するカードを考えながらプレイしていたので、まともな対策カードがデック後半にならないと出てこないカッシェでは勝ち目が無かった。双方、プレイしたという感慨もわかないうちに、敗退。先日の浅井R(10)との対戦では、カード順をランダムにしてプレイしていたので、もう少しゲームになったのだが…。とりあえず、すでに6桁の金額を注ぎ込み、バブリーなカードに慣れてしまった我々にはプレイでき無い物であるとして放棄することになった。

気を取り直して、作成デックでの対戦を行う。
緒戦は、中野君が対儀式デック用に作成してきた大型生物デックに、ほとんど対大型生物専用と言ってもいい対抗ポリモルフデックをぶつけて勝利。相手が強力な一体を軸とする場合に無類の強さを発揮する対抗瞬殺系デックを、相手のデックを見極めてから使うというのは詐欺としか言いようが無い。

つづいて、いつもの儀式デック対いつものウィニーデックの一戦。さきほどの戦いの罰が当ったのか、攻撃系儀式呪文が一枚も来ずに完敗。儀式詠唱補助カード9枚、儀式呪文24枚が入ったデックとは思えない負け方だ。
とりあえず、再戦を挑むと今度は夢のようなカードの回りかたで圧勝。続く戦いも勝利し、この組み合わせでは2勝1敗となった。とりあえず、相手の対儀式のキーカード「宙に祈るもの」がほとんど役に立たなかったというのが大きい。あまつさえ、相手は致命的なところで同時攻撃を出し続けるし。ついているときの儀式デックは無敵だな。

さすがに、この組み合わせも飽きたので、おまけで作ったスペルデックとドワーフ道デックで戦う。相手のドワーフ道デックは、ドワーフデックの防御力と道デックの攻撃力をうまく取り合わせた強力なデックなのだが、今回はあまりについていなかった。僕のデックでは唯一まともな戦力と呼べる「フェニックス」と「ユグドラシル」が早々と揃ってしまったので、有効な戦場を構築する間もなく敗退していった。スペルが20枚以上ある死ぬほど重いデックなんだからまともに戦ったら勝てるわけが無かったんだが。

最後は儀式デックと冒頭の大型生物デックで勝負。対儀式として組んできただけあってそれなりに戦闘力は高かったが、残念ながらうちの新戦力「リヴァイアサン」への対策が少なすぎた。儀式呪文に戦力を潰されているうちに本陣に隙が出たところを「リヴァイアサン」に殴り込まれて終了。運も無かったが、このデックはもう少し練り込みが必要だろう。

まあ、そんなこんなで今日は5勝2敗。儀式のおかげでかなり勝率は5分に近づいている。問題は日々押されてきていることだな。


1月 3日
結局風邪が治まらず、一日ボーっとして過ごす。冬休みの作業計画は何一つ手付かずのまま残ることになってしまった。まあ、予想通りといえば予想通りではある。


1月 4日
とりあえず、会社に行ってみる。とりあえず、会社に行ってみたという過ごし方に終る。

SFオンライン12月末号のなんでもベスト3を見てびっくり。去年ちゃんと読んでなかったけど、こんなにくだらない企画だっけ?
もともと年間ベスト選びなんて選ぶ側に回らなければさして面白いもんでもないわけで、それが何らかの価値を持つためには、選ぶ過程が公開されているか(読んで面白い)、選択に何らかの客観性がある(読書ガイドに使える)必要があるだろう。いくら多くのジャンルをフォローしましたなんて言われても、一人が選んだ結果が並んでいるだけじゃあなんの役に立つのか。知らないジャンルについては信用できないという思いが残るだけだし、多少とも知ってるジャンルでは反感を持たつだけだろう。
SFマガジンのように、多人数が選んできたベストの併記という形なら、反感は人数の中に埋没するし、不信は誰か一人は信用できるだろうということで払拭される。結果として示されるベストは、統計という作業により見せかけの客観性を得ているため一応の価値を持つことになる。
また、座談会の結果として示されるベストならば選ぶ過程が楽しめるぶん、結果には反感を感じにくい。この場合、どのような作品が考慮の対象となったのかが明示されるため、不信感はかなり和らぐ。
あるいは、本の雑誌の鏡明ベストのように、ライター一人一人が長いスペースで紹介するベストであれば、それ自体が読み物として成立するし、「ライターのベスト」という性格が強くなるため、「そんなことあるかい」と思っても、批判の矛先はライターに向かい雑誌の方には向かなくなる。
ところが。
SFオンラインの形式では、個人が選んだ主観的リスト1個だけなのでガイドとして信用する気にならないし、各項目毎のスペースが小さく、選考理由を読む楽しみも無い。そのうえ、1ファイルにベタ書きなので担当者の意見というよりは「雑誌」の意見であるかのように見えてしまい、リストに対する反感の矛先がSFオンライン自体に向いてしまう。とてもじゃないが、有意義なベストとは思えない。

と、ここまで罵倒するのは「短編SF」の項目に違和感を感じまくったのが大きい。
今年の「短編SF」で、「夜明けのテロリスト」が入るか?っていうラインナップに対する疑問もさる事ながら、「沈黙のフライバイ」に対するコメントがいくらなんでもそれは無いんじゃないかという。
「ほんものの名酒は、コーラの瓶に入っていてもやっぱりほんものの味がするのだ。」って、そりゃあんた酒にもコーラにも失礼だよ。コーラの瓶に入れるなら一流のコーラにすべきだし、ほんものの名酒ならちゃんとそれらしい瓶に入れて欲しいね。酒がコーラの瓶に入る必要があったことが明示されているならともかく。


1月 5日
ゲルハルト・ケップフ『ふくろうの眼』(国書刊行会)読了。「不眠の郵便局員が、封筒の中身を見透す眼によって知った秘密を眠れぬままに紡ぎだした24の物語」という惹句に期待しすぎたのが良くなかったのか、今一つ楽しめなかった。短文中心でリズムの良い語りは気に入ったのだが、いかんせん語られていることがわかりにくくて。
同一段落で視点が変わるのはいいのだが、一人称でそれをやられると誰が語っているのかが非常にわかりにくい。あまつさえ、時制が変わったり騙りだったりも平気でするし。軽く楽しめることを期待して読むのは止めた方が良さそう。
語られているエピソードと語り口は気に入ったんだがなあ

まあ、何はともあれ第1期<文学の冒険>をまた1冊読み終わったので、次を購入。とはいえ『重力の虹』だからなあ。いつ読み終わることやら。


1月 6日
藤澤さん(7)からお誘いがあったので、仕事が退けてから中野武蔵野ホールへ「アクアリウム」を見に行く。参加者は亀山さん(6)、藤澤さん、僕の3名。中野の会社に通い始めてからもう2年にもなるというのに、この映画館には初めて入ることであるなあ。
映画はまあ、こんな物かという感じ。水族館の映像はまあまあ美しいとか、お母さん役と叔母さん役の役者はなかなか良かったとか美点はあるものの、脚本がマンガそのままなので、期待して見にいくには苦しかろうなあという仕上がりであった。ヒロインもがんばって演じてるとは思うけど、須藤真澄の透明感を出せるほどではなかったしね。
ただ、マンガに忠実という点に関しては本当に感心するほど。さすがに細かいギャグは再現されていないけど、ストーリーは完璧に同じだし、たかだか1時間の映画で原作の章ごとに「ACT. #」というテロップが出るなど、おもわず椅子からずり落ちそうになる場面もいくつか。メディアが違うんだからそうまで忠実にならんでも。
深夜にTVで偶然見るか、中古のセルビデオで買って、夜中に見るとも無しに見るのが吉。

夕食後帰宅すると、「TORANU TあNUKI」の最新号が届いていた。英樹さん、ありがとうございます。
発刊ペースこそ落ちたとはいえ、連載の安定度はさすがの一言。20年近く同一のスタッフが編集しているという歴史の重みを感じる。ファン活動というものはかくありたいものだ、とサイト解説わずか1年弱で雑記の更新もままならなくなりつつある我が身を省みて反省しきりの今日このごろであることよ。


1月 7日
ヴィスコチル/カリンティ『そうはいっても飛ぶのはやさしい』(国書刊行会)読了。奇妙な味の短編集と言ってしまうと、「奇妙な味」がかわいそうだというくらい変。特にヴィスコチルは、あからさまに共産主義体制を批判している「アルベルト・ウルクの信じがたい昇進」なんて例もあるにはあるけど、飛ぶ夢を最近見ないから中古の飛ぶ夢を買いに行ったら、そいつが昔人間に虐待された夢だったので心を開かせるのに苦労するという話(「飛ぶ夢、アルベルト・キシュカについての短いお話」)や、赤の他人のおじさんの街頭のポケットの中におっこちてしまう話(「ズビンダおじさんの<冬外套>」)など変な話がいっぱい。
ランドルフィの『カフカの父親』を読んだときにも感じたけど、非英語圏の短編の「変さ」は並じゃないね。

帰りにイダタツヒコ『HeRaLD』とNumberの連載をまとめた永谷脩『決断』を購入。クラフト・エヴィング商會の『クラウドコレクター』は見つからなかった。
代わりに大槻教授の『文科系が国を滅ぼす』という本も見つけ、買おうかどうかしばし悩む。冒頭を読んでみると、予想通り理科系に比べ文科系エリートの待遇が良いことに対する怨みつらみをぶつけたものらしい。どこまで下らないことが書いてあるか興味はあったのだが、頭の悪い本に無駄金を投じることができるほど、金があるわけでもない。とりあえず、見送ることにする。
帰りの電車で『決断』(文藝春秋)を読了。今年始めの段階で権藤博と東尾修の記事を連載することを決断したのは凄いとは思うが、内容はややキレイ事にすぎるか。横浜・西武ファンでもなければ読む必要無し。


1月 8日
イダタツヒコ『HeRaLD』(講談社)を読了。
「おぶさりさんよ おぶさりさん
真っ赤に熟れたら福がくる
吹かれて落ちたら鬼がくる
誰の背中で唄おうか」
典型的な童謡殺人として始まった物語は、サイコホラーを経て真のホラーとして終結する。イダタツヒコの恐らく初めて「ちゃんと終った」長編コミックだ。彼に注意を向けたのは『秘密結社α』以来だが、あるいは打ち切りで、あるいは雑誌の消滅で、彼の連載は満足に終ることができなかった。傑作『BLADE』が不幸な終りかたをしてしまっただけに、今回の作品は気になっていたのだが、見事にまとめることが出来たようだ。
各回のサブタイトルを名作ホラー(「闇に囁くもの」「なにかが道をやってくる」など)から借りてくるというネタも、各回のストーリーをちゃんとあわせているからただの遊びに終っていない。正直、ここまでの完成度の作品になるとは思っていなかった。これでブレイクして年2作ペースで本が出るマンガ家になってくれることを期待しよう。


1月 9日
「2000年、21世紀開始説」にのっとった企画は各地で進行中らしい。まあ、前回も同じ間違いは多かったらしいので別に取りたてていうほどのことではないが、国連の機関(WHO)まで間違えるというのはいかがなものか。2000年1月1日午前0時に生まれた子供を「世紀の赤ん坊」と認定って…。

いっそのこと、世紀の定義を00年から99年までに変えた方が良いんじゃないか?
#1世紀が99年間しかなくなるけど。


1月10日
藤澤さん(7)と新宿紀伊國屋でやっているクラフト・エヴィング商會の展覧会を見に行く。展覧会という言葉から、ある程度の規模のものを予想していたのだが、実際は非常にこじんまりとしたものだったので少々戸惑った。確かに、紀伊國屋のスペースを考えれば、このサイズであることは予測できたともいえるが。
展示されていたのは、昨年末の新刊『クラウド・コレクター』と『すぐそこの遠い場所』のために作成された品々だが、これがまた何の説明書きも付けられていないため、事前に本を読んでおかないと、何が何だかわからないということになる可能性が高い。
#少なくとも、僕はそうなった。
とりあえず行動範囲内の書店で見つからなかった『クラウド・コレクター』を購入し勉強(笑)することにして、15分くらいで退場。
新宿で時間が空いたので試しに寄ってみようという位の気分で行くのがいいかな。タダだし。

一緒に行く予定だった松野さん(9)に会えなかった上に、展覧会観賞が予定より早く終ってしまったので、夕食までかなり時間が余ってしまった。とりあえず、Yellow Submarine東口を覗いたり、西口でカードホルダーを買ったり、藤澤さんがPop'n Musicをプレイするのを邪魔したり、カラオケに行ったりして時間を潰す。ゼニスはX2000の一部の曲が歌えないらしい。「君はス・テ・キ」が歌えないというのはかなり悔しいぞ。

夕食は藤澤さんと新宿にいる時の定番となってしまったカレー。しかし、東口のカラオケ屋にいたのに飯を食うためだけに西口に行くというのは間抜けだったかも知れない。

藤澤さんが堕落の一途をたどるのを見届けた後、帰宅。帰りの電車の中でティム・バートン『オイスター・ボーイの憂鬱な死』(アップリンク)を読み終える。なんかどうしようもなくいつものバートンなので嬉しくなってしまう。
両目に釘がささった男の子
アルミの木を飾ってる
とても奇妙な出来上がり
なにしろ何にも見えないから

The Boy with Nails in His Eyes
バートン以外の何物でもないよな。


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