- 9月11日
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星新一を偲ぶ会「ホシヅルの日」に参加するため竹橋へ。そこから真西に向かえば会場だったのだが、気がつくと北に向かっていたりする。恐るべきは神保町である。
しかしまず寄ったのはYellow Submarineお茶の水店。前回立ち寄ったときにも思ったのだが、見事にトレカ&RPGの専門店になってしまって(個人的視点では成り下がって)いる。SPI/TSRやWEG、3Wあたりのゲームがぶいぶい言わしていたのはいつの日か。栄枯盛衰は世の習いとはいえ、目の当たりにすると寂しいものだ。
まあ、それはともかくとしてモン・コレ「黄金樹の守護者」を1箱買う。って結局買うのはトレカだったり。
せっかく靖国通りを渡ったので、ついでにブックパワーワンダーRBへ。なんだかSFMの丸背が急に増えていたが、欲しいところは見事なまでに躱されていた。ちなみに探しているのは創刊号、2号、4号(60年2、3、5月号)、20号(61年9月増刊号)、The SF Comics(87年1月増刊号)、小説ハヤカワHi!なんでお心当たりの方はご一報を(笑)。
少し気落ちして棚の隅をみると、なんと日本SF年鑑の84年が!これは、僕がここ5年ほど探していた日本SF年鑑の最後(厳密には海外SF研究会の日本SF年鑑1981年度も未入手だが、あれはファンジンだし)の1冊ではないですか。喜び勇んで手にとろうとすると、うまく手に取れない。あれ?よくみると、一緒に並んでいた82年、83年とともにビニールパックされているのであった……。まあ、いいや。いらない分は誰かに売り飛ばせばいいんだ。多少割高でも気にすることはあるまいと、まとめて手にとって値段を見てみると、そこには18000という文字が。……いちまんはっせんえん……。84年版が1冊6000円なら一時の気の迷いで買わないとも限らないが、3冊18000円となるとさすがに躊躇してしまう。82年、83年が各6000円で処分できる可能性は無いに等しいからなあ。とりあえず見なかったことにして棚に戻す。
ちょっと呆然としながらふと手に取ったNW-SFの目次を見ると、バリントン・J・ベイリーの文字が。冒頭を読むといきなり「エルフ」とか書いてあるし、明らかに未読の作品だ。諦めて買うことにする。まあ、年鑑に比べれば遥かに安い買い物だ。
ついでに奇想天外を数冊買った後、靖国通りを再び渡って、九段下から会場へ。途中、藤元直樹さんにお会いする。いや、しかし8月末に申し込んだ藤元さんの整理番号が200番台なんですか。そうですか。定員400人のイベントのはずなんだが、みんなそんなに星新一が嫌いか。
しかし、定刻ぎりぎりに会場に着いてみると思いのほか席は埋まっている。星新一もまだまだ忘れられてはいないらしい。喜ばしいことである。隣接する空席が見当たらなかったので、藤元さんと別れて適当に座ることに。運良く、視界内にいた志村弘之さんの横の席が空いていたので、そこに座らせて頂いた。しかし、いきなりホシヅルを折ってくるとは、さすが志村さんである。
イベント自体は、「まあこんなもんか」という印象。初見の興味深い画もあったが、全体を繋ぎあわせるフィルムが「驚き桃の木20世紀」の映像を中心に作られていたため実際以上の既視感を感じてしまった。あとから思い返してみると興味深い発言(山田正紀が再三語った「後進への助力を惜しまない人だった」という事実など)もあっただけに、この点やや惜しまれる。
また、本来目玉の一つであるはずのパネル企画については不満が多い。出演者が4〜7人とかなり多いのに、15分〜20分程度の時間しか無いんじゃ駄目だろう。司会が出演者に二周り話を聴くと時間一杯というのでは盛り上がるものも盛り上がらない。「第一世代作家・星新一」をとるか、「育成者・星新一」をとるかどちらかに決めてパネルを一つに絞った方が、良かったのではないだろうか。
まあでも、他の点はほぼ満足。特に、錚々たるメンバーによる「ホシヅルイラスト展」はすばらしかった。永井豪、加藤直之、江口寿史、高田明美、開田裕治、e.t.c.これだけのメンバーが参加するとは、星新一の人徳というものであろうか。いや、一部は小松左京→とり・みきの流れだと思うんですが。
ラス前の星ショートショートベスト3の結果もなかなか興味深い。400票弱で、トップが26票という事実は、いかに星作品の全体レベルが高いか(あるいは傑出したものを持たないか)を表しているのでは。そんな中のトップが「おーい でてこーい」だというのはやや残念。もっと渋い線を狙えないものか、みんな。でもまあ、3位が「午後の恐竜」、4位が「鍵」と「処刑」だったというのは喜ばしい。できれば星新一のニヒリズムが強く現れた「殉教」あたりも欲しかったところですね。
そんなこんなのうちに2時間がたちイベントは終了。小浜徹也さん、浅暮三文さん、福井健太さん、代島正樹さん、藤元直樹さん、志村弘之さん、山本和人さん(開場前にロビーで挨拶された際、髪形が記憶と違ったので誰だかわからなかったというのは心の内に秘めておこう)、SF人妻さん(順不同)とともに竹橋のビール屋でしばし歓談する。えーと、自分の露出度を正確に認識するという話や、飽きてくれば変わっていく話が自分のこととして考える必要のある話題かな。閉店とともに追い出されたので、そこで解散。
解散後、新宿に向かい、名大SF研OB-MLのオフ(違う)。飲み会には間に合わなかったし、連絡もうまく取れなかったのでとりあえずYellow Submarine新宿西口店へ行く。2階全体を埋め尽くさんばかりのボードゲームを見た時にはしばし涙してしまいましたね。ああ、まだある処にはあるんだ。感動。
また、社会思想社のゲーム関連文庫が並んでいたのも感涙もの。『送り雛は瑠璃色の』『タイタン』『モンスターの逆襲』『オーバーキル城』『運命の森』……。あまりに懐かしいタイトルが並ぶその棚は、ほとんど凶器に近いものがあった。買わずに済ますためには恐ろしいまでの努力が必要であったことだよ。
Yellow Submarineを出たあと、無事名大SF研勢と合流。新宿パセラに移動し、午後9時過ぎから午前7時前まで4ヶ月ぶり(多分)のカラオケを堪能した。勇者シリーズ全作とエルドランシリーズ全作を歌いきるのはかなり根気が要りますね。
- 9月12日
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目が覚めると夕方なのはもちろんのこと、何のやる気も起こらない。とりあえず、黄金樹をもう一箱買ったりして無駄に時を過ごす。なんかすごく駄目な感じだ。
このままではいかんと自分に喝を入れるため、昔作ったリストだのハードSF研のSF雑誌データベースだのを眺めているうちに、ふとSFM掲載の星新一作品にチェックし損ねていた作品集未収録作品があるらしいことに気づく。「らしい」としか言えないのは、『ショートショート1001』を読み返して、SFマガジンと見比べたわけではないから。もちろん、タイトルレベルではチェックしたが、初出時と作品集収録時でタイトルが違う例も少なくないので絶対とは言えないのだ。読んだ記憶が全く無いところからすると、未収録の可能性が高いのだが。とりあえず、ショートショート1001作確定のためには有益な情報、かも。
- 9月14日
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「明日は休日」といろいろやるべきことを数え上げていたのだが、夕食後ふと気がつくと寝てしまっていたり。明け方一瞬目が覚めたのだが、つい油断して「割れ目でポン」を見てしまっていたり、どうしようもなく駄目だったので、何かすることは諦めて寝てしまう。ぐう。
- 9月15日
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目が覚めたらまだ朝だったのは驚きだ。とりあえず、早起き記念に黄金樹の3箱目を買ってみる。失敗。
超レア相当が2枚重なったのは仕方が無いとしても、レアが6枚欠けのうち1枚しか埋まらないというのはなんとも。この復讐は必ず、と思わず天に誓ってしまった。もちろん、今月、復讐を果たす経済力は、すでに残されていないのだが。
昼過ぎにメールをチェックしていると名古屋の方で謎の計画が発動したという通知が来たので久しぶりに本気でデータベース入力をする。もちろん、「名古屋の謎の計画」とは何の関係も無いデータである。世の中で、無目的なデータベースの構築ほど心安らぐ作業はないと改めて痛感した。
SFマガジン10月号を読了。かなり久しぶりに草上仁の短篇を面白いとおもってしまった。疲れてるのかも。 < おい
しかしあれですね。「アルジャーノンに捧げる物語」なんて、アルジャーノン文庫化に合わせたとしか思えない企画なのに、誌面に「アルジャーノン文庫化」の文字が一切無いのは謎ですね。
# ハードカバー版を売り切るためにわざと伏せてるんだったりして。
- 9月17日
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サラ・ゼッテル『大いなる復活のとき』(ハヤカワ文庫SF)を読了。統一派(人類の子孫)、シセル異族(異形の異星人)、ドリアス(感情と自意識を持つAI)、ルドラント・ヴィタイ属(異様な社会構造を持つ人類の子孫)、施界人(人造物?)とさまざまな知性体を登場させ、「人間とは何か」を問うたのが本当にテーマだとすれば、有効に機能していたとは言い難い。テーマは謎解きとアクションに見事にかき消されてしまっている。しかし、謎解きとアクションにこそ主眼があったとするなら、それは十分に成功しているようだ。上巻は、あまりの読みにくさになんどか投げ出しそうになったが、下巻はアクションに次ぐアクションで終盤まで一気に読み進むことができた。物語を進めるもう一つの牽引力である謎解きの方も立派なもの。帝国派のやりたかったことだけはよくわからなかったが、その他は実にきれいに解き明かされている。また、謎解きとアクションの器となる世界の方も良くできている。特に、官僚主義と契約社会の権化のようなルドラント・ヴィタイ属の設定は素晴らしい。確かに、敵役としては個々人の頭が悪すぎるといううらみはあるのだが、官僚なんだからそんなもの(偏見)だと思えば許せる範囲だ。読みづらいという大きな欠点にさえ目をつむれば、アシモフ型SFとしては十分な出来と言える。いや、その読みづらさが致命的でもあるんだが。
ところで、この小説。主人公の施界人達はみなやたら即物的な名をいくつも持っているのだが、一点気になったところがある。主人公の一人、エリク・ボーンは海刃の領主ハンド(ロード・ハンド・オン・ザ・シーブレード)という名を持っているのだが、彼は海刃一族の領主ではないのだ。彼の義兄が海刃の心臓(ハート・オブ・ザ・シーブレード)であることからすれば、「ロード」+「ハンド・オン・ザ・シーブレード」と分解して「<海刃を握る手>卿」とでも訳す方が自然なんじゃ。
- 9月18日
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夕方から高田馬場へ出てお買い物。新宿書店で「黄金樹の守護者」を1BOX(今月はもう買えないと言ってのはどこのどいつだ)、芳林堂で、唐澤『二十一世紀科學小僧』、いしい『COMICAL MYSTERY TOUR』2巻、ゆうき『じゃじゃ馬 グルーミンUp!』20巻を購入。そこまでは良いとして、YUJINの懐ロボシリーズ(ガシャポン)を回してしまったというのはさすがに不覚。いや、ほらガルビオン、グロイザーX、ってあまりに欲しくないタイトルが並んでいたんで、つい。しかし、それで出てきたのがアオシマがデザインしたアニメにもなっていないロボットというのは、喜ぶべきか悲しむべきか。あまりに欲しくないラインナップであるという理由で回して、一番いらないものが出たんだからまさに意図通りなんだけど。
自分の感情をもてあましつつユタへ。例会の参加者は、大森望、小浜徹也、雑破業、志村弘之、添野知生、高橋良平、林、藤元直樹、三村美衣、宮崎恵彦(あいうえお順、敬称略)。プレステ2や昨今スポーツ放送事情、翻訳の向き不向きなどの話題もあったが、個人的に一番興味深かったのはやはり書誌/リスト関係の話題。正式な書誌では、例え奥付けが間違っていてもその情報をそのまま記載し必要なら注釈を入れる、という話には驚きましたね。もう一つの実用リストのあるべき姿の話の方は耳に痛い話ばかり。確かに、あいうえお順リストって必要な場面は限られるんだよなぁ。
帰宅後、「黄金樹の守護者」を開封。店を変えたのが良かったか、超レアが残り3枚、レアが残り2枚となった。そろそろデック構成を考えるべき段階に入ってきたようだ。でも先にやるべきことがあるから勝負はもう少し待ってね。> 思い当たる人
唐澤なをき『二十一世紀科學小僧(モダンサイエンスバウイ)』(文藝春秋)を読了。天才科學者1太郎少年の大活躍を描く昔懐かしい児童漫画。田河水泡先生もかくやという色使いの素晴らしさには感服することしきり。
ここで「いや、この本の主眼はそんなところには無いだろうという」と突っ込んだ人は底が浅い。この本の価値は、「昔懐かしい児童漫画の体裁で、唐澤流の身も蓋もない物語を展開すること」ではなく(それなら、過去に例がある)、「唐澤流の身も蓋もない物語であるにもかかわらず、徹底的に細部まで昔懐かしい児童漫画を再現すること」なのだ。この違いは、BINGO掲載時には見えにくかったが、単行本化によりはっきりと見えるようになった。かな遣いを変え、正字を使い、専用の広告ページを用意し、表紙をクロス装にまでする執念は、そうとでも考えなければ理解出来まい。
もちろん、この本の最大の魅力はそういった偏執性にあるのではなく、そうまでしておきながら、ぬけぬけと「歴史的仮名遣いをもとにした唐澤流仮名遣いを使用」してしまう絶妙の力の抜き具合にこそあるのだが。
- 9月19日
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NW-SF14号で、バーリントン・J・ベイリー「災厄の船」を読む。科学批判も交えているあたりは時代を感じさせて微笑ましいが、全体は古代種族の黄昏と新興勢力(人類)の覇権の予感を描くバリバリのファンタジーなんでさすがに驚く。こんな芸風の作家だとは思ってなかったぞ。また、これが本邦初紹介というのも驚き。ベイリーって78年まで邦訳無かったわけ?
……ここで京都大学SF研究会『中間子』復刊3号をチェック。
いや、本当にそうらしい。同誌掲載のbibliographyを信用すると、NW-SFのこの邦訳も結局埋もれてしまい、本格的紹介は80年の安田均の紹介を待たなければならなかったようだ。これは、海外SF紹介者の大いなる怠慢と言わねばなるまい。主要なSF作家を一人だけであればR・A・ラファティの名が挙がるのは論を待たないところだが、5人挙げよということなら、まず間違いなく挙がるはずのバリントン・ベイリー。彼ほどの作家がデビュー後20年以上にも渡って無視されていたとは。これを怠慢と言わずして何と言おう。SFの退潮はこれが原因なのではないか、そんなことさえ考えさせられる衝撃の事実であった。
# 2%くらい本気。
- 9月20日
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ニュースステーションでオリンピック参加プロ選手のインタビューをみる。プロ選手が、とまどいながらも日本代表の一員となっていく姿を活写していて割と良かったが、人選が初芝と小池というのは幾らなんでも渋すぎ。個人的には、チーム間の足並みの揃わなかったセントラルの選手、特に野村の意見を聞いてみたかった。
しかし、日本代表の試合をちゃんと観戦した人物に「セントラルって古田だけでしょ?」と言われてしまう野村はあまりにもかわいそうである。プロからの参加八選手の中で最も目立ってないんじゃ。井出や川越、松中あたりよりは遥かに高給取りなのに。