'98 京都SFフェスティヴァル

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 98年の京都SFフェスティヴァルは普段よりやや遅い12月5日、芝蘭会館にて行われた。先本会のため朝が辛かったことなど、個人的なできごとについては雑記の方に記しておくことにして、こちらでは何が語られたか/行われたかを中心にまとめてみたいと思う。ただ、僕もすべてに参加したわけではないので、全般的なレポートを望まれる方はSF Onlineの12月末更新の号を参考にしていただきたい。

本会

さらば架空戦記ヤマト愛の戦士たち

講演者/喜多哲士 聞き手/不観樹露生


 内容については、講演者本人によるレジュメがここに掲載されているので、そちらを参照していただきたい。僕なりにまとめると、 そのうちなんとかします

SF/アニメを天文する・ライヴ

講演者/福江純


 タイトル通りの企画であった。
 講演者のウェブページにある内容ほぼそのまま(著作権の問題で公開版には添付できない画像が付加されてはいたが)だったので、残念ながら新鮮味は薄かった。内容そのものより、福江先生のオタクぶりを楽しむ企画だったという気はする。
普通、講演内容とまったく関係ない画像を見せることにあれだけ努力を払うか?

これだけで終わってもいいのだが、いくつかその場で聞けなかった疑問点、感想などを。


関西在住SF作家放談

出演/田中啓文・田中哲弥・小林泰三・牧野修


 いや、まあタイトル通り演芸である。話芸であるのでここで話された内容についてグダグダ書いたりはしない。話芸において最も重要なのは何が語られたかではなく、いかにして語られたかであるからだ。

 さて話芸としての評価だが、残念ながら満点とは言い難い。確かに一般人よりも話芸として成立している部分が大きいとは思うが、初めてのライヴで緊張していたからか、「間」として処理できないほどの沈黙が降りた時間も多かった。話を繋いでいた部分にしても、「こうやって笑いを取るのか」「どうやって落とすの?」などという、メタな部分(本来観客に見せるべきではない部分)で繋いでいる場合も多く、素人がぶっつけ本番で漫談をすることの難しさを感じさせられた。
 そんな中、格の違いを見せ付けていたのが牧野修と田中啓文である。相手のどんなボケをも更なるボケで返す牧野の柔のボケと、鋭い切っ先で相手のミスにつけ込んで豪快なボケを喰らわせる田中(啓)の剛のボケは見事の一言。図らずも司会役になってしまった、小林泰三がもっといいかげんな進行をしていたら、より面白くなっていたのではないだろうか。
 まあ、話はまったく進まなくなっただろうけど。



アメリカSF史再考

出演/大森望・山岸真・大野万紀・水鏡子


そのうちなんとかします


合宿



オープニング


 いつものさわやで例によって若干遅れ気味に始まったオープニングは例年に無い超満員。かなりつらい状況ではあった。普通のイベントなら、定員の制限を徹底するなり、より広い会場を探すなりするところであろうが、京フェスというイベントの性格を考えるとそれも難しいだろう。今後の対応が注目されるところである。
 中身の方は、2年ぶりにオープニング・クイズが復活するなど、比較的イベント性の高い楽しめるものとなっていた。特に、最終ステージの「京フェス参加者100人くらいに聞きました」などは、かなりの好企画だったように思う。ただ、会場の人数が多すぎることと、司会進行が拡声器を用いずに行われたことがネックとなり、周縁部ではまったく別の会話が交わされているケースも多々あった。これもまた、上記「器と人数の乖離」問題のあらわれだろう。
 成功の中にも、今後数年間に対する課題をはらんだオープニングだったといえる。

企画


 で、このあとちゃんと企画があったのだが、今年はついに一つも参加しなかったので、書くことがない。大広間の98年新作アニメOP/EDビデオ上映は半分見てたけど、レポートをまとめるとかどうとかいうものではないし。ってーわけで、あとはウダウダしているうちにエンディングを迎えてしまったのであった。うーむ。SFセミナーのときに反省したのになあ。とりあえず、どんな企画があったかについてはここ参照。京フェスだから、企画よりもそこかしこで突発的にかわされる話題の方が盛り上がっていた面もあるけどね。

エンディング


 エンディングだった。エンディングだったという以外どんな表現ができるだろう。


最後に


 今年も1日(半)楽しく過ごせました。京大のみなさんありがとう。でも、来年もあるなら先合宿の方が良いなあ。

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