弁論再開の申立書平成13年9月14日と共に提出した本多先生の追加意見書



私的鑑定意見書(追加)



2000年9月10日 

栃木県黒磯市・那須野が原菅間病院 
 顧問 本多憲児 

    



甲第43号証で私的鑑定意見書を提出した、本多憲児です。

私は、裁判所においても進んでご意見を申し上げるつもりでしたが、この度、裁判が結審され、判決までに私が法廷で証言できる機会をもたれないとのことですので、相手方から提出されている平成13年7月9日準備書面 及び平成13年7月5日意見書を検討した上で、再び、意見を述べさせていただきます。

この裁判には「論点のずれ」を感じています。

裁判官殿がしっかり把握されているか心配でなりません
。 
 



 
甲) 被控訴人大阪回生病院側主張の矛盾 




被控訴人大阪回生病院側の主張は、「ターミナルにおける緩和医療を・・」とありますが、この問題は、「患者を東京に連れて帰る」という契約を無視していると言うことです。


被控訴人大阪回生病院と海野氏との間のこの入院の契約は、いかにターミナルでも、『できる限り体力を付け、東京に連れて帰れるだけの状態にすること』が、患者と医師の契約であり、その為に患者は医師、病院に金銭を支払っているのです。

この前提を、弁護士も医師も忘れて論じている感じがします。

緩和療法は、世界保健機関(WHO)が、「治癒を目的とした治療に反応しなくなった患者に対する積極的で全人的なケアで、痛みや他の症状のコントロール、精神的、社会的、霊的な問題の解決がもっとも重要」と、定義しています。

被控訴人が、提出してきたという乙第15号証の淀川キリスト教病院ホスピス長柏木哲夫医師の意見書は、我が国のホスピス医療の実施基準ではありますが、この文献を利用し、論点が完全にすり替わってしまっています。

例えば、当時では新薬だったホルモン療法剤のアフェマを転院前日まで投与しておきながら、緩和療法、ホスピスの治療と同様だと言い張り、これまで、全く検査をやっていないことを正当化しているようですが、こんな緩和医療はあり得ません。

患者さんの痛みや苦しみは、一人一人違います。「末期を見た目で、判断する」、「検査は百害あって一利なく」や「検査は有益無害」などという主張は言語道断です。
確かに、積極的な治療を目的とする検査は無意味ですが、緩和療法とは、例えどの癌のステージにおいても、つらい症状を我慢させることなく、検査や処置が施されものです。




また、乙第一九号証として被控訴人の大阪回生病院から提出された小田徹也博士の意見書は、残念ながら、医学のことを何も分かっていない者が作成したものに、サインさせられたのではないか、と疑われるほどの部分がありました。

癌ターミナルの低ナトリウム血症の補正や検査の是非の設問の部分で、6ページの8行目には、「私の経験例でも100Emg/l程度にまで低下しても何の症状も呈さなかったが」という記載には唖然とさせられます。

低Na血症は135mEq/l以下となれば完全な低ナトリウム血症で、125mEq/l以下になれば、緊急処置を行うことになっていることは医師の常識です。

また、乙第一九号証の5ページ目の18行目には、『2、そこで、本件について検討すると、カルテの看護記録をフォローすれば、日によって変動があるとはいえ』と8月20日頃までの患者の食事量 をあげていますが、藤村医師のカルテは、半年間に二度か一度、拙い単語で書かれたのみであります。

(8月のカルテは、8月3日、7日、10日に書かれたのみ)

『カルテの看護記録』ではなく、恐らく看護婦記載の温度版をフォローされたと思われる。

裁判官殿は、こういう医師の庇いあいに注目すべきです。




乙) 「がんの告知」、「医療契約」、「末期がん医療決定権」の問題



医療の技術面については医師それぞれの考えがあり、多少の議論の相違はやむを得えません。しかし、問題は「癌の告知」と「契約の不履行」及び「末期医療の決定権の所属」です。

1) 「がんの告知」の問題

「がんの告知」については今日では「告知」は通常のこととなっています。これは、初めて癌が発見されたときのことです。
問題は「再発癌患者に告知するか否か」です。
本件においては、被控訴人藤村医師は身元引受人である長女との話合いで、「再発癌」を告知せず、適宜対応していた。

2) 患者と医師間の「契約」の問題。

控訴人海野氏は被控訴人藤村医師と「(1)抗癌剤などの強い薬剤を用いると東京に連れて帰れなくなるとして抗癌剤使用を拒否。(2)健康状態の良いときに東京に連れて帰る」という2項目の契約を最初に行った。

(1)については、 患者は癌性胸水による呼吸困難により緊急的に胸水排出を行った。この時シスプラチン使用、後に、ピシバニール使用、熱発はあったが、やがておさまった。この時被控訴人藤村は「取り敢えず、胸水が貯留しないように抗癌剤を多少使用しました」と海野氏に報告して、今後の進み方、転院の時期などについて相談すべきであったのです。しかし、被控訴人にはそのような暖かい心は持っていなかったようです。

医師は学問などより、基本的には暖かい心を持つことが重要なのです。鬼手仏心は外科医の基礎であるが残念ながら被控訴人は鬼手のみは発達していたのだろうが、仏心は皆無ということです。

(2)については、、ピシバニール使用後は熱はあったが、発熱も治まった。この当時は患者は食欲もあり、転院間際までリハビリも行っていた。したがって、発熱も治まった、東京に連れ帰るには最適の時であると考えられた。

しかるに、被控訴人藤村は東京に連れ帰ることなど忘れたのか、無関心であったのか、鉄剤であるフェロミア投与やフィジオゾール3号輸液の漫然投与など荏苒日を過ごし、癌末期の最後のステージまで放置した。

このことは「契約違反」の最たるものです。

もし被控訴人藤村が転院のことが頭にあるなら、カルテに病状を記載、病状の移り変わりを観察、記録し、転院の最適期を選ぶべきであった。
(答弁書や調書を見たところ、海野氏の転院の希望については認めている)しかるに、被控訴人藤村は病状の変化をほぼ半年間わずか数行記載したのみで、なんとか状態を良くして転院させたいという人間的感情が少しも感じられない診療態度であった。

医師は患者と「契約」をし、その契約をいかに患者及び家族の希望に答えられるかと努力するのが医師の勤めであるはずです。
この点、被控訴人藤村医師は医師の風上にも置けぬ悪徳医師と称してはばからないと思われた。

3) 「末期治療の決定権の所属」の問題。

被控訴人藤村は「末期医療の決定権は患者自身にある」と称した。

現在、癌末期患者の化学療法については、悪徳医師が「この薬は最近アメリカで発見され、まだ厚生省の許可はでていないが、非常によく効く薬であるから使ってみませんか」と誘い、高額の料金を取る者も現実に存在しています。これは癌患者の藁をも掴む心理を悪用する不届きものです。

被控訴人藤村医師はそんなみみっちい考えははないことは当然です。

ただ患者に医療の決定権があるとこのようなことに編されることがあると考えられた。

このようなことがあるから、末期患者の治療は患者本人の意識はしっかりしていても、必ず患者家族に相談することは重要であると思う。

しかるに、被控訴人藤村は、家族に何ら相談せず、勝手に未期治療を行った。被控訴人藤村は家族に相談するなどと言う繊細な心の待ち主でなかったことが残念だった。



丙) 結論

以上、本件では被控訴人藤村医師の医師としての暖かい心の不在が大きな原因であり、人間を動物か、物質と考え、しかも契約不履行の罪は大なるものと思考する。

かかる医師に対しては充分なる厳罰を与えることが現今の医道の乱れに歯止めをかける道であると思う。



裁判官殿!

白衣は免罪符ではありません。
裁判宮殿の良識を期待して、私的鑑定意見書(追加)をさせていただきました。

以上

 

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