平成12年(ネ)第3368号 損害賠償請求控訴事件
控訴人   海  野  祥  子
被控訴人  株 式 会 社 互 恵 会

  控訴人第1準備書面

平成13年3月9日
大阪高等裁判所第9民事部  御 中

第1 被控訴人の平成13年3月1日付け準備書面について


   同準備書面は、分量・内容とも殆ど反論の必要もないとも思料するが、なお以下の点だけ反論しておく。


 1 非告知の方針決定についての、被控訴人藤村の説明の欠如


被控訴人藤村が、控訴人に対し、亡淑子への乳ガン再発についての告知・非告知のそれぞれの利害得失をまったく説明することなく、一方的に控訴人に対し、非告知の方針を誘導したことは紛れもない事実である。


非告知とすることによってその後の治療方法にも当然影響するところ、被控訴人藤村が、亡淑子の心情や気質、その家族の心情や利益を考えつつ、十分に控訴人に説明をなし、まず非告知の方針を打ち出したということなど決してないこということは、同医師のその後の必要な検査の欠如、治療態度の杜撰さからも明らかである。

仮に、控訴人から、「告げないで欲しい」と言われたとしても、専門家たる医師としては、亡淑子の当時の客観的状況を把握の上(なお、控訴理由書で縷々述べたように、被控訴人藤村は、当時の亡淑子の病状を知るために為すべき検査を全くと言ってよいほど行っていない。)、その治療方法に関連して、患者にガンの再発を告知すべきかどうかについての意見を持ち、これを患者の家族に説明すべきは言うまでもないことである。


この点については、被控訴人も上記準備書面において異論を呈するのであるから、控訴人の当公判廷における供述において明らかにしたいと考えている。


2 抗がん剤使用拒否についての、被控訴人藤村のとの合意について

控訴人が、被控訴人藤村に対し、抗がん剤の使用について、これをしないように申し入れていたことは事実である。

控訴人としては、被控訴人藤村の問題性を感じ取って、また、生活・仕事の基盤を東京にもつ控訴人としては、亡淑子に大阪での長期の本格的治療は受けさせられないことから、被控訴人藤村には、抗がん剤の使用については、過去の父・母の苦しそうにしていた様子をかいま見ていたこともあって、これをしないで欲しいと懇願していたのである。

そのことと、控訴人が、大阪の被控訴人藤村の下では、とりあえず亡淑子の痛みだけを取ってもらい、亡淑子を早期に東京に転院させて、場合によっては、転院後、信頼できる医師と相談し、その医師が妥当と考える抗がん剤の使用を含む積極的治療を施したいと考えていたこととは、なんら矛盾しない。

自分の母親の回復、もしそれが不可能であれば、少なくとも充実した人生最期の入院生活をさせることを求めない子供は通常ありえないのであって、控訴人もその例外ではない。

控訴人は、被控訴人藤村の下では、場所的な問題もあって、そのいずれも期待できないことを察していたため、抗がん剤の使用を拒否したのである。

これに対し、被控訴人藤村は、およそ専門家たる医師として、控訴人のその考えの妥当性、客観的に取るべき医療方針、との利害得失等を全く説明することもなく、唯々諾々と控訴人の言うとおりにすることを約束したのである。

さらに、前述もしたとおり、被控訴人藤村は、当時の亡淑子の病状を知るために為すべき検査も全くと言ってよいほど行っていないのである。これが、専門家たる医師の、注意義務違反を構成することは言うまでもな
い。

この点の控訴人が示した意思、また、実際の被控訴人藤村と控訴人のやりとり等については、被控訴人も上記準備書面において異論を呈するのであるから、控訴人の当公判廷における供述において明らかにしたいと考えている。

3 治療行為、検査の不備について

当初必要な検査もなさず、患者の家族である控訴人に十分な説明もなさずに開始された被控訴人藤村のその後の治療行為は、検査の不備・不足と相まって、被控訴人藤村らの作成したカルテ等を見るだけで、ガン治療に携わる医師ならいくつもの問題点を指摘され、患者・家族の同意を得ない、「非積極的な安楽死誘導」とまで現に称されるほどのものである(後出の甲42号証)。

現に、被控訴人は、上記の準備書面においても、検査の不備、カルテ記載の不備、治療行為が最低限の医療水準にも全く届いていない点については、なんらの反論も試みないが、おそらく反論できないのである。

被控訴人藤村が、医師としての良心に基づいて、亡淑子に対し、自ら十分と考え、かつ医療水準を満たした治療と、そのための前後の十分な検査を行ってきたと誇れるのか、その魂に問いたいところである。

4 退院時の注意義務について

(1)被控訴人は、今回の準備書面においても、原判決の、誤った事実認定をによる「被控訴人藤村が、最終の診察を終えた時点において、低ナトリウム血症や呼吸困難により、東京への移動中、亡淑子に心停止などの重大な危険が生じることを予測することは困難であったというべきであ」るという認定(98頁)を「金科玉条」のように繰り返す。

しかしながら、この点については、被控訴人藤村自身、控訴人代理人(橋下)の質問、すなわち、「意識障害といいますか、心停止が起こるような状態でもあったということは、ある程度予測できたんですか。」(被控訴人藤村尋問調書218頁8行目)、「端的に、心停止を起こすということまである程度予測はされましたか。意識障害と心停止が、起こしてもおかしくないだろうなというような予測はありましたか、患者の状態を診て。」(同尋問調書218頁15行目)、「搬送に対する不安ということは、そういうことはある程度、危険性と
いうのは予測していたわけですか。」(同尋問調書219頁5〜7行目)に対し、その危険性を予測していたことを明確に認めているのである(同尋問調書219頁1行目から7行目。特に、最後の質問に対しては、「そうです。」としている)。


(2)また、被控訴人は、今回の準備書面においても、「本人が望んだから」、ないし、医師が同行していたという理由で、退院させることも正当であるとする。

しかしながら、専門家であり、苟もその前日まで主治医であった者が、仮に上記認識までは認定されなくても、なんらの診察も適切な措置も施さず、漫然と退院させることについて、医師としての注意義務違反がなかったと、本当に認識しているのであろうか。

第2 今後の進行についての控訴人の意見


1 本件は、患者を取り違えたとか、薬剤を間違えたとか、というような医療過誤ではない。

それゆえに、比較的単純な事実認定から直ちに結論が導かれるものではなく、医学的な事実についても緻密に事実認定された上、かつ、専門的な判断・鑑定を経て、納得できる筋道が示されるべきであったと言うべきである。

しかしながら、一審判決は、専門家たる医師による緻密な私的鑑定意見書を、厳密には専門分野の医師でないとの理由で重きをおかなかったばかりか、第三者的な立場による鑑定人(医師)の鑑定もされることなく、控訴理由書に縷々述べたとおり、事実誤認および、まったく説得的でない論旨により、判断を下した。


被控訴人藤村の行為は、厳密には専門分野でなくても、良心ある医師であればその問題点を、堂々と顕名の上、論評できるほどの、患者・家族の意思に反する、一般的医療水準にも悖るものだったのである。

いわば、控訴人は、医療に裏切られたあと、さらに司法にも二重に裏切られたものであると言わざるをえない。

2 このままでは、控訴人には全く「納得」の契機がない。

控訴人の医療に対する、あわせて、司法に対する信頼を回復させるためには、控訴審裁判所におかれましては、ガンの専門医により作成された私的鑑定意見書(後出の、甲42号証)を充分に拝読され、万一、これに同調できない点がある場合には、同医師の証人尋問を必ず実施されたい
(同意思は、遠路ながら、証言に赴くことは厭わないとされている)。


さらに、同医師の私的鑑定意見書ないし尋問の内容に万が一にも疑問点がある場合には、裁判所選任にかかる鑑定人による鑑定を必ず実施されたい(一からの網羅的な鑑定が困難とされる場合であっても、少なくとも、原判決およびカルテ(乙2)を参照資料とされた上で、甲42号証の私的鑑定意見書の記載事項につき疑問を感じる点があるか、というような形でよいので、鑑定は実施されるべきである)。


そのような、専門的な見地からも十分に審理された上でなされた判決に対してであれば、控訴人もそれを受け入れうる余地があるものと思われる。
                               
以 上