所在地     千葉県佐倉市城内町117番地
TEL     043-486-0123
入場料     420円
休館日         月曜日(但し、休日に当たる場合は開館し、翌日休館)、年末年始(12/27-1/4)
交通手段    京成佐倉駅から徒歩15分、JR佐倉駅からバス15分
        東関東自動車道 四街道ICまたは佐倉ICから約10分。案内標識有り
備考            http://WWW.rekihaku.ac.jp

博物館の中で一番多いのは、なんと言っても歴史と民俗を扱うものだろう。数で言えば圧倒的だろう。その中の頂点、とも言えるのが、ここ”国立歴史民俗博物館”だろう。広さや展示品の数や質、展示の工夫などはずば抜けている。そして、こまめに更新されている。ちょっと間をおいてゆくと、見慣れない展示があちこちに増えている。何回も来ているから初めのところはさらりと・・・なんて思っていると思いがけない展示に時間がとられてしまう。

前置きが長くなった。ここの展示室は5室ある。その1室だけでも普通の博物館以上の広さがある、といえば全体の大きさが想像できるだろう。普通の博物館同様、歴史から始まる。縄文、弥生と古い時代から新しい時代へと展示が進む。縄文土器、石器、稲作の始まり、高床式倉庫・・・。歴史の教科書そのままの展示が続く。展示品を列挙すると、他の歴史を扱う博物館と似たようなものになってしまうのだが、展示品の質そして量。これは段違いである。たとえば縄文時代の展示。これだけでちょっとした博物館の歴史展示と同じだけの広さがある。そして、あつこちに足を止めたくなるような面白い展示がある。だからつい時間が掛かってしまう。また、比較的最近見つかったものの展示が多いのも特徴だろう。それだけ展示の入れ替えが多いということだろう。
さて、ここでの展示の特徴の一つは模型が多いことである。縄文や弥生の集落、古墳、平安の街並み・・・。これらが比較的大きな模型で展示されている。中でも感心したのは箸墓古墳の模型である。普通の人は古墳、というと現在の様子から木の茂った姿を思い浮かべてしまう。しかし、作られたときは表面に石を積み上げた人工的な姿であった。これが、模型で展示されている。ユニークなのは、古墳の右半分が現在の姿、左半分が完成時の姿。現在の古墳から当時の姿を思い浮かべるのに大いに参考になる。このほかには、羅城門(平城京)の復元模型、京の街並み、江戸橋広小路など、さまざまな復元模型がある。模型、とはいえ、質が高く、比較的大きいため、当時の様子が手に取りように分かる。復元した街並みには及ばないが、それに近い効果がある、といえるだろう。
このほかに興味深いところでは、沖の島の展示がある。ここは、古くから神の島として信仰の対象になっていた。4〜10世紀の祭祀遺跡が模型も交えて展示されている。現地の岩の様子と出土品の様子が大きな模型で展示されている。現地で見ているような気持ちになる。簡単に行けない場所だけに、このような詳しい展示はとてもうれしい。
また、王朝文化として、平安の貴族の装束などが部屋と合わせて復元、展示されている。衣装だけならよく見かけるのだが、日常の道具といっしょに展示されている効果は高い。絵巻物などで見られる世界ではあるが、実際に部屋に入り込んだように感じられる。

さて、近世までの歴史展示だけで展示室は3つ分。ゆっくりしているとこれだけでも半日になるかもしれない。各展示室は連続してはいるものの、途中でも出入りしやすくなっているので、疲れたところで一度外に出るのもいいかもしれない。博物館自体、その日ならば再入場可能なので、一度外に出て食事をすることも出来る。館内にもレストランはある。メニューは限られるものの、食事だけなら十分である。

第4展示室は民俗展示が主になる。都市や村、山里や海浜、それぞれの生活の場での祭りや信仰の展示が中心となる。祭り、というのは日常生活とは違った場面ではあるが、そこには生活の基盤となる考え方が大きく現れている。同じ日本ではあるが、生活の場が違うと大きく変わる・・・。実に興味深い。私は農村に生まれ育ったため、やはり村の世界が懐かしく感じられる。と同時に、他の世界での考え方などは新鮮であり、興味深くもある。生活の基盤の違い、これが実感できる。
ここの展示では、祭りに関するものが数多く展示されている。なかでも一番目立つのは、鹿島様だろう。これは、秋田県湯沢市の祭礼で使われるもので、藁で作られた巨大な人形、と言った感じである。そして、祭礼の場が家ごと展示されていたりするのも大きな特徴である。祭りはそれ自体で成り立つものではなく、生活の一部であることが実感できる。そして、精神の支えとなっていることを感じることが出来る。
続いて南島の世界となる。南島とは、沖縄や宮古、八重島あるいは屋久島、種子島などを指す。ここは南方からの文化の通り道であった。また、本土からの影響もある。そういった環境下での独自の文化が形成されている。ここでも模型展示が有効に使われている。小集落をそのまま模型とした展示。生活と信仰の関係が説明されている。南島は、位置的な関係で簡単には行けないだけに、ちょっと異国風の展示が新鮮である。
第4展示室の最後は”再生の世界”である。人は必ず死を迎える。その一方で、子供が新しく生まれる。日本人は古来、現世と他界とのつながりを大切にしてきた。死者や祖先を祀り、現世での安全と幸福を願う。これは、実際に見える現実の世界だけではなく、心で感じる世界を大切にすることでもある。そして、この心の世界が祭りなどの民族を生み出したと言える。
初めてここの展示をみたとき、宗教的な意味合いを強く感じ、博物館として展示することに抵抗も感じたりしたのだが、この他界の考え方こそが民俗の基盤となり、祭りを初めとする行事を生み出したのである。そして、これが”文化”を生み出してるといえる。根本を知らずに表面的なことを見ただけではなんにもならない。やはり一番奥の世界まで踏み込まねばならない。できれば、ここで一度第4展示室の初めまで戻ることをお勧めする。きっと最初は気付かなかった何かを感じ取ることが出来ると思う。

最後の第5展示室は再び歴史展示となる。とはいえ、幕末から明治以降の展示であり、産業や娯楽といった展示もあり、歴史の意味あいは薄くなる。黒船や文明開化、殖産興業・・・。でも、華やかな裏にある女工たちを初めとする苦労。そんな一面の展示してある。また、北海道での開拓。この裏にもアイヌ民族への同化の強制といった一面もある。そして、被差別民。そんな、負の一面も展示されている。また、関東大震災の展示でも、民族差別に基づく流言が広まり、多くの人が殺害された。これらは、奥に隠したくなるような歴史ではある。しかし、決して目を背けてはいけない一面である。こういう展示が出来るのは、今が最後のチャンスかもしれない。この意味でも非常に貴重であり、意味深い展示である。
さて、ここの展示ももう一つは大衆文化でもある。都市の時代を支えたサラリーマンたち。”中流”と言った言葉の元に、消費生活や映画などの大衆娯楽が生み出された。そんな現代に通じる社会の展示である。ここまでくると昭和中期であもり、歴史とは言いにくくなるのかもしれないが、この時代があってこその現代なのだ。

この博物館は、歴史と民俗に関しては日本最大のものだろう。歴史と民俗、どちらにしても多くのことを学ぶことが出来、別の世界への入り口と感じることさえできる。
ここは何度も訪れたくなる博物館の一つである。そして、そのたびに心が広くなるように感じる。一番大切にしたい博物館の一つだろう。

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