甚兵衛坂 (つばや坂)


金沢にはどんな坂があるか?
比較的有名な、名前のついているような坂。これはいろんなところで紹介されていたりするから簡単にわかる。だが、そうでない坂となると、なかなか見つけにくい。一覧があるわけではないし、狭くて歩行者だけ利用可能な坂となると、近所の人でさえ知らなかったりする。しかし、そのような坂の中にも風情あるところが少なくない。というよりも、無名の坂の方が魅力があったりする。だからこそ、なるべく多くを探し出したいと思う。

無名の坂を見つける方法、ひとつは現地を歩いてみることである。崖の位置はわかっている。だから、その上あるいは下、崖の方向に沿って進む道を歩いてみる。そして、崖の方向に向かう道を見つけ、確かめる。この方法でほとんどの坂道を見つけることは出来る。

ところが、それでも見逃してしまうことがある。その理由の一つは、家と家との間の狭い道だったり、個人宅への入口と紛らわしかったりするからである。狭い道、家などで陰になりやすく、道を見逃してしまうこともある。
そのような坂を見つける方法の一つが地図である。地図とはいっても、国土地理院の2万5千分の一では役に立たない。1万分の一なら使えるかもしれないが、それでもまだ足りない。なにしろ、現地に行っても見落とすような坂、入り口は家と家との間の1mにも満たないような狭い道なのだから。ここまで載っているのは、家1軒1軒がわかるような住宅地図レベルの地図である。とはいえ、住宅地図は高価である。それに、家の名前が必要なわけではないから、ちょっと勿体ない。(実は、金沢は3分冊で合計3万円以上〜) ということで、私が使っているのは、いわゆる電子地図である。情報は細かく、家一軒まで識別できる。最大縮尺は千分の一近くまで。これを細かく見れば狭い坂道もほとんどは探し出すことが出来る。とはいえ、等高線は省略されているところが多いので、家が並んでいると見逃しがちであるが・・・。

さて、そうして地図で見つけたのがこの坂である。位置としては、新桜坂と蛤坂の間である。坂の上、下、いずれも狭い道なので現地を歩いていても見落としてしまったのである。また、坂自体も木の陰などになっていて、川沿いの道から崖を見上げてもわかりにくい坂道だった。それだけに、地図で見つけたときには、”こんなところに隠れ坂が”と驚いたものである。最初に見つけたときは名前はわからなかったのだが、のちに甚兵衛坂という名があることがわかった。この名前、その資料には由来は書いてなかったのだが、この近くにある料亭、つば甚。ここは鍔屋の3代目甚兵衛がいとなんだつば屋が始まりといわれている。その甚兵衛から来た名前かもしれない。
実際、甚兵衛坂の歴史は古く、江戸時代後期の地図には既に書かれている。

甚兵衛坂、実際に歩いてみるとやはりわかりにくい。寺町通り側、降り口側の入口は、家と家との狭い道である。舗装もなく、どうみても個人宅の裏口に行くような道である。ここを進むと、崖に突き当たり、視界が急に開ける。犀川に小立野台地の木々、そして町並み・・・。 ここまでの道が狭いだけに、開放感は大きい。
肝心の坂道は、途中何度も折り返す階段である。坂自体はコンクリートだが、横には石垣も有り、坂としては古そうだ。そして、木々の間にあるからか、苔むしている。注意しないと滑りそうな感じもする。木々の間を何度も折り返す様子は石伐坂(W坂)と似たところもある。が、折り返し回数はWには1回足りない。ということで、N坂、と呼びたくなる坂である。

この坂、場所が場所だけに多くの人が利用しているとはとても思えない。木々で昼でも暗い坂なので、街灯はあるのだが、夜の利用は危ないかもしれない。それでも、坂を利用している人はいるようだ。丁度歩くところだけ、苔が切れている。雨上がりに行ったので、土には新しい足跡もあった。少ないながらも、人の行き来はあるようだ。
ほとんど知られていない隠れ坂。それだけにちょっと通ってみたい坂である。



補足: サカロジーでは、作者のつけた名前として、”つばや坂”として紹介されている。下記の、甚兵衛坂その後も参照のこと。

細い道の先に坂がある。
坂の降り口での見晴らしは良い。
坂は、何度も折り返している
段は苔むし、木々に覆われている。ちょっと湿っぽい感じもする。
段には苔もあるが、歩くところは擦り切れたようになっている。注意して歩けば滑ることはない。
冬の様子。
うっすらと積もった坂に足跡が並ぶ。思ったより歩く人は多そうだ。

甚兵衛坂その後


甚兵衛坂、この名称は、ガイドブック的な地図に記載されていることを確認している。しかし、多くの地図などには記載されていない。サカロジーでもこの坂が紹介されているのだが、著者が個人的な呼び方として”つばや坂”と記載していた。
この坂、松月寺の桜の写真を撮ったあと、久しぶりに通った。寺町の通りから坂までの道、道幅は変わりないのだが、降り口の家が改築されて塀がなくなったため、とても広く感じた。そして、桜がほぼ満開で春の日差しの中、非常に明るい坂と感じた。以前通ったときは階段には苔が多かったのだか、それも痕跡程度になってしまっている。坂の印象、時期によって天候によって非常に違うのだな、と感じた。
坂降りた後再び登ったところで近所の人に出会ったので坂の名称を聞いて見たところ、”つばや坂”と言われた。前に書いたとおり、サカロジーで命名された名前である。サカロジー、元は金沢の情報誌に連載されていた記事なので、ある程度知られているのだろう。これから”つばや坂”の方が通りがよくなるかもしれない。


坂の降り口
塀がなくなって広く明るく感じる。

桜に加え、春の陽ざしのためか非常に明るく感じる

甚兵衛坂その後の写真撮影: 2009年4月


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