491・Information
491の通信、パンフレット、レポートの一部
491は活動の中で、さまざまのパンフレットや通信を製作し、
各地の491関係者や学生に配布してきました。
そのどれもが、その時代、その時に、写真を成立させようと真摯に
考えて、アクションを起こそうとしている言葉に満ちています。
マスコミニケーションや放送やそうした、不特定多数の顔の見えない
対象相手でなく、少なくても確実に言葉が届く人々に、地道に
息永く続けてきた道が、これらの文章に、しっかり残されています。
491レポート
Syashin
モアドラフォト、ヒューストンフォトフェスタほかの記事。
資料は、第2号 (1997年ごろ)
491 「基町」特集
第2号
2000年2月22日
この特集号は、新たな「基町」製作に向けての特集です。
基町製作は、1976年〜1978年にかけて、広島の
「原爆スラムといわれた−基町が消えた」を120人を超える全日、491の人たちが
撮影し、出版に向けて取り組んでいましたが、未完のままになっていました。
1994年再び出版製作に向けて取り組み、スライドの形までこぎつけました。
今日は、これにかかわってきた中で感じたこと、考えたことを
話し合ってみたいと思います。
(本通信 冒頭より)
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60年代、70年代にかけて、全日、491が繰り返し取り組んできた
テーマが広島であり、その象徴の1つが、原爆スラムと呼ばれていた
基町の撮影でした。
戦後60年を越えようとする中で、広島でも、メデイアに載せられた
メッセージとは裏腹に、日々の日常の中で、半世紀以上の歳月が
確実に過ぎていました。
そうした中で、あらためて、今の時代においての
広島を、そしてその象徴の1つとして、「基町」を
問い直そうとした、複数の人々の、アノミマスな人々の
内省に富んだドキュメントとなっています。
今の日本の時代において、これらの写真は、何を照らしているのでしょうか。
存在や時代の根源に問いかけてくる写真群となっているのではないでしょうか。
いろいろな考えや想いが複合的に、多面体の結晶のように、安易な言葉を
はじき返すように、存在しています。
60年代、70年代、まだ、日本のいたるところに、基町のように、
日本の物質的には、恵まれていない街が存在し、
戦後の混沌とした時代の面影と伝えていました。
当時こうした写真を見るのは、見たくない自分の隠している
正体を、その一部を見せられるようで、一種の嫌悪に近い感情と
それにもかかわらず、その写真の得体の知れない力に、目を背けることが
できないような、アンビバレンツな感情を抱いていたものでした。
それから、それから、50年、戦後からは70年・・・・・
その後の日本は、世界的にも豊かで安全で清潔な街を、地域を、
エリアを、そして国をひたすら 推し進めてきました。
その成果が、今の日本です。
この国は、最近のインターネット通信の時代において、
昔と比較にならないくらい、世界の地球の情報がダイレクトに
伝わってきます。
そういった評価を考えると、世界でも、珍しいほど、安全と経済的繁栄に
恵まれ、豊かです。
しかし、こうした豊かさの質が、押しつぶしていったものも、確実に存在するのです。
日本が豊かで、公平で、安全な国であることは疑いないことでしょう。
しかし、かといって、そこで暮らしている人が、本当に幸せかといえば、
いろいろな面が出てくることも確かではないかと思います。
こうした写真は、時代の発展の中で、人間の存在がどのように、ありうるのか、
ありえるのか、についての1つの優れた問題提議ではないでしょうか?