ヤァ、今きみのお財布に、五千円札は入っているかい?いや、本当は3780円でいいんだ。もし、これ引くと家賃が…っていうなら、まあしょうがない。いずれまた。それ以下しか無くても…くじけちゃダメだ。だけど昼メシが喰えないって位だったら、ドぉりャ〜、ガマンせい!(笑)。だってこんだけで、『SF万国博覧会』と『思考する物語』の2冊が読めるんだよ。税込みだからポッキリ安心、買いに走らにゃソンするぜ!
この両書の共通点は、どちらも当時から話題を蒔いた〈SFマガジン〉連載の、待望の単行本化だということ。こういった仕事がまとまることは、素直に喜ばしい。
『SF万国博覧会』(北原尚彦著、寺子屋ブックス11、青弓社2000年)は、「空想科学小説叢書列伝」(1994年2月号〜1995年12月号、95年1月号は休載)と「バベルの塔から世界を眺めて」(1997年1月号〜1999年12月号)両連載に、加筆訂正を加えた2部構成からなる。
「叢書列伝」はその名の通り、翻訳SFシリーズを巡る解説&ウラ話なんだけど、考えてみれば、海外SFの安定した供給源としては、いまじゃハヤカワ文庫SFと創元SF文庫の両老舗ぐらいなもの。あとは各社文庫から、まるで編集者が会社をダマしたかのように(笑)たまに出るのを待つばかり。いやもちろん、ハードカバーの早川書房〈海外SFノヴェルズ〉は出版され続けているし、アスキー/アスペクトやソニー・マガジンズなど、意欲を見せる出版社も存在する。が、残念なことに、今のところそれらはあくまで単発に過ぎない。〈海外SFノヴェルズ〉だって統一装幀をやめてから、シリーズとしての意味合いは弱い。
しかし『スター・ウォーズ』フィーバーに象徴される、“SFブーム”に沸き立った1970年代後半〜80年代前半は、数々のSF叢書が妍を競う群雄割拠の時代であった!
その、時代を彩ったSF叢書を追ったのが、第1章「空想科学小説叢書列伝」であり、世界の翻訳SFを順に紹介したのが、第2章「バベルの塔から世界を眺めて」である。こちらは“英米以外の翻訳SF”というコンセプトで、古くは明治元年(1868年)に訳されたジヲス・コリデス『新未来記』や、明治16年(1883年)のアルベール・ロビダー『第二十世紀未来誌』から始まり(古すぎるっちゅうねん!笑)、時間軸も縦横に多彩な作品を取り上げている労作。
特筆すべきは、ジュヴナイルにも目配りが行き届いていること。正直な話、これが無けりゃ本書の魅力は半減だ、とさえ思えるほどである。言うなれば、過去に例を見ない、画期的な本なのであ〜る。
それだけに、リストや索引が装備されていないことは、惜しんでも惜しんでも惜しみ切れない位、実に残念で惜しいことである(しつこい)。だって、いざ“使う”段になったら、該当ページを探さなくちゃいけなくて不便なんだよね。ともあれ、SF求めて古本の大海原にまで乗り出す/出した諸氏にとって、必携の羅針盤となろう。
お次は『思考する物語』(森下一仁著、キイ・ライブラリー、東京創元社2000年)の登場だ。めるへんめーかーの表紙にダマされてはいけない。〈SFマガジン〉連載時(1995年5月号〜1997年1月号)の、吾妻ひでおのイラストにもだ。
ジャンルを語ることが困難なこの時代に、森下一仁は「SF」に真っ向から勝負を挑む。あるいは不器用と言い換えてもいいその姿勢に、ぼくは驚きと喜びと、ある種の目眩を感じる。このSF論は骨太だ。
本書における一貫した探求テーマは、「SFとはなにか?」という根源的な命題である。繰り広げられる作業は、気の遠くなるようなものだ。「センス・オブ・ワンダー」の考察からスタートすると聞けば、頷いて戴けるだろう。
これまでのSF論は、程度の差こそあれ、論旨に見合わない作品に目をつぶってしまうことで、理論の整合性を補強してきた点があったと思う。『乱れ殺法SF控‐SFという暴力‐』(水鏡子著、青心社文庫SFシリーズ1991年)に共感したのは、それらの矛盾を「いいかげんさ」に託し、全てを許容してみせた所が新鮮だったから。しかし森下一仁は、それらをひとつひとつ丹念に掬い出し、多数の引用を織り交ぜ検証する。ここが目眩の源だ。その生真面目さは、執筆の動機が、なにより「自らを納得させるSF論をまとめよう」という、妥協の許されない目的にあったからではないかと思われる。
その分、理論のアクロバティックな斬新さとは、若干の距離がある。「ワイドスクリーン・バロックこそ、十億年の宴のクライマックスだ」とか、「SFの上にSFが築かれる」や「探求すべきは内宇宙だ」といった、派手なアジテーションは存在しないからである。そこにあるのは、「SFとはセンス・オブ・ワンダーの文学である」という確信であり、長年の疑問に答えるための地道な歩みなのだ。
「一SFファンとしては、距離をおいて波(註.ニュー・ウェーヴ)が通り過ぎるのを観測している、という立場もあっただろう。だが、私の場合、運の悪い(?)ことに、すぐそばにニュー・ウェーヴに巻き込まれて(飛び込んで?)悪戦苦闘している人がいた。学生時代、毎週のようにその人と会い、話をするという生活をしていると、いやでも自分の身と引き比べざるを得ない。SFが生き方であることを、身をもって教えられたわけだ(その人――伊藤典夫は、当時からの課題であったサミュエル・R・ディレイニーの『アインシュタイン交点』を二十数年かけて翻訳した)。/おそらくそれが決定的影響となった。」(235ページ)
森下一仁は、作家的資質と評論家的資質を併せ持つ才能である。連載と同時進行した社会情勢(オウム事件)をヴィヴィッドに反映しつつ、評論家″森下一仁により結実昇華されたSF観の集大成が、『思考する物語』として目の前にある。その活動に、完成は無いかもしれない。でも読者は知っている。森下一仁が第2期〈奇想天外〉1979年6月号(39号)以来、20年以上に渡る最長不倒レビュアーであり、SFへの静かなる情熱が限りなくアツイことを…。圧倒的蓄積による超ド級書評集、『現代SF最前線』(双葉社1998年)でさえ捉えきれない未踏の歩みを進める著者は、これからもSFに正面から向き合い続けると信頼させる。
胸に迫るSFへの真摯な姿勢、継続する行動力において、森下一仁もまた「SFが生き方である」ことを、身をもって教えているに違いない。そしてぼくは、思わず自分の身と引き比べて…、アァ!
しかし不思議でならないのは、ナゼ早川書房は自社で単行本化しないんだろ?ということだ。『SF万国博覧会』は、北原さんの本が過去に青弓社から出ていた関係ってコトで、何とか分かる。評論の器もキイ・ライブラリーしか無いしな。いやそれにしたって…と思っていた矢先、やっぱり〈SFマガジン〉に連載された科学エッセイ『われ思うゆえに思考実験あり』(橋元淳一郎著)が、早川書房から単行本化されたので驚いた。さらに続けて、唐沢俊一の『とても変なまんが』も出るじゃない。
ならばナゼ手放した、早川書房よ!とでも言っておきたいところだけど、ここはむしろ、連載のみで埋もれてしまいかねない作品を、他社からこうやって見出すシステムと余裕が、今のSF界に出てきた事実を噛み締めるべきであろう。
エドガー・ライス・バローズがアメリカの国民的作家である(なんたってディズニーだ!)ことは、作品の内容からして良く分かる。じゃあ、異国ニッポンでもズバ抜けた人気を誇ったのは何ゆえ?
恐らく皆さんは、そのワケを既に知っている。そう、アナタもやはり、かの洗礼を受けし者ならば!
今回は、ひとりの“カリスマ”にスポットを当ててみたい。その名は武部本一郎(1914‐1980)。 1999年3月号の「作家とイラスト」では意図的に触れなかったが、エドガー・ライス・バローズと、彼の《火星》シリーズ以下ほとんどの作品を飾った武部本一郎コンビこそ、日本のSF界が世界に誇るスーパー・ユニットである。
その実力、比類無し!未だ日本SFアート第一人者のひとりとの評価、小揺るぎもせず。その絶大な支持と人気を獲得した画伯が、SFファンの前に本格的な姿を現したのは、東京創元社の『火星のプリンセス』刊行によってであった。
そもそも、大人向けのものとしては初のカラー口絵+挿絵入り文庫であり、それ自体がエポック・メイキングなチャレンジと言えた。そこに満を持して登場した武部画伯の、艶やかで豊かな色彩に満ちた、絢爛でありながらどこか憂いを含んだ作品は、抽象画主流の銀背などを見慣れた当時のSFファンに、強くアピールする。
なんせSFアートなど皆無に近かった黎明期である。画家の選定は難航し、武部画伯に白羽の矢が立つまでには、当時の編集者厚木淳は随分と児童書などを渉猟したようである。早くから活躍していたその分野における代表作としては、『ガラスのうさぎ』や『かわいそうなぞう』が有名どころ。《火星》シリーズの依頼をその場で快諾なさったというが、画伯にとってそれは、SFなどという未知なるジャンルへ足を踏み入れる始まりであり、結果的に、そのSFファンから最も愛されたのであった。
その流麗な画風を表現する言葉を、残念ながらぼくは知らない。ただ、これだけは言えよう。読者の目を否応なしに惹きつけて止まないその“絵”から、背後に横たわる広大な物語世界が垣間見える。言葉が呼び起こすイメージを、より活き活きと増幅する深みがあるのである。その魔力は登場人物の姿を、他の画家ではどうしようもなく違和感を感じるまでに刷り込んでしまうが、読者はむしろ幸福である。武部ヒーロー・ヒロインが冒険を繰り広げる存在しない挿絵さえ、読者の頭の中でシーンごとに浮かぶのだ。“絵が物語る”とは、何より絵が生きている証拠であろう。これはもう、復刊という豊饒に恵まれたからには、是非とも皆さん自身の目でご確認頂きたい。
そして、見落としてはならない。復刊と共に生き残る絵というのが、実は稀有な存在だということを。いかな名作・ベストセラーであろうとも、10年20年のスパンで見れば、掘起しが必要になってくる。『SFハンドブック』(ハヤカワ文庫SF1990年)のオールタイム・ベストが掲載された口絵ページを見よ! 題字デザイン変更のマイナーチェンジからフルモデルチェンジまで、そのほとんどが化粧直しを行っているし、これはSFに限った話でもない。ましてや一度店頭から姿を消していた作品だ。秋の恒例東京創元社復刊フェアへ、多くが新装幀で登場することから分かるように、中身が良くても以前のままのパッケージングでは再び世に問えないのである。その中でデザインのリニューアルを受けつつも、変わらぬ新鮮さでまたもやぼくらを魅了する、武部画伯の不変の輝きは特筆に価する。
“甦った伝説”武部本一郎は、そう、とにかくバローズファンを熱狂させた! 野田大元帥が海外のマニアからの熱い要請に応え、せっせと日本版を送ってあげたのは有名な話だし、〈紙魚の手帖〉6号(1983年10月)の創元推理文庫SFマーク20周年特集には、「イコール武部本一郎」と題した(!)熱烈な讃辞を中島梓が寄せている。
武部画伯の代表的な作品は、3点5冊の画集に纏められている。刊行順にまずは岩崎書店《武部本一郎SFアート傑作集》1『火星の美女たち』、2『月下の魔女たち』、3『宇宙の騎士たち』の3冊(共に1981年)。それにとても大部な2冊、早川書房『武部本一郎画集』(82年限定600部)と、東京創元社『武部本一郎画集』(86年限定600部)の計5冊である。早川版と創元版は、共に二重函付と大変立派なもの。早川版はさらに、本体にカバーが巻かれている。でもその分、創元版は函に、しかも背中まで絵が印刷されていて、負けてはいないのだ。
創元版『武部本一郎画集』は、全102点(内カラー70点)を収録。同社文庫を飾った作品の鮮明な画像に加え、『ガリバー旅行記』など児童文学の仕事の側面も伝える。巻頭には栗本薫、加藤直之、野田昌宏が、巻末には厚木淳がそれぞれ寄稿している。どれもが印象的な、実に良い一文である。
早川版『武部本一郎画集』は、全112点(内カラー53点、二色刷3点)を収録。巻頭は野田昌宏、巻末には生前親交のあった中山知子の文章を収めている。内容はハヤカワ文庫等を飾った作品を中心に、他社のSF作品や児童書からも渉猟しているが、編集に関して若干不満が残る。モノクロページではデッサンも収録し、創作の過程を知る上でも興味深い。また武部画伯自ら、父と伯父の残した不思議な写生帖について記した画文、「洞人挽歌」が異色である。この2冊の限定版に重複は一切無く、どちらも武部ファン必携であろう。
最も早く纏められたのが、岩崎書店《武部本一郎SFアート傑作集》である。画伯の没後間もなく企画出版された画集だけに、追悼としての意味合いが色濃く表れている。最大の特徴は、全店カラー作品のみにて構成されていること。その他には長文の解説が挙げられよう。ことに第1・2集は、付された作品ごとにコメントを加えるという詳細なものである。
第1集『火星の美女たち』は全46点収録。創元文庫版《火星》《金星》《ペルシダー》の三大シリーズ表紙・口絵から成り、解説は野田昌宏。第2集『月下の魔女たち』は全39点収録。同じく創元文庫を中心に、久保書店や岩崎書店の表紙も含む。解説は厚木淳が担当。第3集『宇宙の騎士たち』は全34点収録。創元文庫に岩崎書店のSFジュヴナイル、それと実業之日本社の児童書などで構成されている。加藤直之が解説を担当。巻末に特別収録された、武部夫人・鈴江さんの「絵のほかのこと」には、何度読んでも熱いものが込み上げてくるのを禁じ得ない。
この岩崎書店版は、羨まし/悔しがられるだろう、幸運な巡り会わせの贈物である。ふと思い立って、当の岩崎書店に電話してみたのだ。応対したのが、この画集を覚えているくらいベテランの方だったことも味方した。「う〜ん、無いと思いますけど、一応確認してみますよ」との有難いお言葉。たとえ無くとも素晴らしい親切さに感謝しつつ、はやる気持ちに宣告が。ハレルヤ! 在庫あったぁ!!
オッと、もう遅いゼ諸君。なにしろ社内在庫最後の一組(!)だったんだから。これ、98年夏のお話。
この際、驚くべきことを告げられる。
「3冊を納めるケースが有るのですけど、カドの所が擦れていたりして、ちょっと見栄え悪いんですよ。付けない方が良いですか?
いかがなさ「いえ、付けてください!」
即答、実に早かった(笑)。
そもそも、セット函が存在するなど全然知らんかった。それは欲しい。よくある完結後のセット販売用なのだろう。畏るべし、児童書出版社! それにぼくの仕事柄よく解る。運搬のため大きなダンボール箱に詰められた本が、まして画集のような定形外のサイズなら尚更、いかに傷付いてしまう危険性を孕んでいるかを。なにしろ最後の一組だ。万に一つであっても、危ない橋を渡りたくないではないか…とか、モロモロが0.021秒(公式記録)で駆け巡った結果の発言であった(笑)。
私見を述べれば「SFアート」と銘打っているだけあり、岩崎版が最も充実していて断然のオススメ! 限定の創元版や早川版より見掛けない気がするが、チャンスがあれば即決するべし。ちなみに岩崎版は創元版と多少被るが、早川版との重複はありません。
ひとつオマケでご紹介。『アポロ月へいく』は武部本一郎の手掛けた、いわゆる“飛び出す絵本”。打ち上げから帰還までを追ったページごとに、浮き上がった画の矢印を動かすと…と楽しさ満点! ださこん2のオークションで入手したんだけど、いやあ、いい買い物させていただきました。おお、これも岩崎書店ですな。
武部画の本を集めてる人って、密かに多いのでは? 1000点を越すと言われるそれらの本のうち、せめてSFの文庫くらいあってもいいな、なんてぼくも思ってみたりする。険しくも素敵な道程…。
画集を鑑賞し証言を読むと、少しだけ、今まで知らなかった武部画伯の姿が見えてくる気がした。バラがお好きで、熱心に栽培なさったという。コンテストで賞を受けるほどに。自分の一度完成した作品も、ためらわずに手を入れる方だったらしい。少しでも良かれと思って。そういった作品を、鈴江さんに見せる姿が思い浮かぶ。
若かりし頃、京都新聞社賞かなにかを受賞したことがあった。とはいえ名誉は得たが芸術家の常で金に苦労し、新しいカンバスが買えない。しかし激しく燃え盛る創作の意欲押さえ難く、とうとう栄えある受賞作を削り取り、そこに描いて渇を癒した…。これは厚木淳が直接伺った忘れ得ぬ話として伝えるエピソードだが、その時画伯は、今にして思えば惜しいことをした、と長嘆息なさったという。あなたは、画家武部本一郎に、どんな感慨を抱くのでしょうか。
あれよあれよと2000年。ぼくらはSFの時代にいるんだね。アァ、長生きは三文のトク>違います。あいも変わらずまだまだ続く、出たトコ勝負を今年もヨロシクゥ!!
何事も最初が肝心と言うけれど、イキナリ前号の積み残しだ(笑)。
バローズを中心とする、創元推理文庫の大攻勢に応戦するため(!?)設立されたハヤカワSF文庫だが、そこでもメインはやっぱりバローズ! その紹介のハイペース振りを前回チェックしたが、長田秀樹さんから頂いたご指摘(感謝!)により、見落としていた事実が判明した。通巻101番からスタートするハヤカワSF文庫特別版《TARZAN BOOKS》(後のハヤカワ文庫特別版SF)だが、実際の刊行開始時期は、本筋のSF文庫がまだ35冊の時点だったというのだ! すっかり忘却の彼方になってたけど、そういえば…。早速、確認だ。
ハヤカワSF文庫の創刊が最初に読者に予告されたのは、〈SFマガジン〉1970年7月号(135号)である(以下全て同誌より。なお実際の発売月は表記と異なるので注意)。
二代目編集長、森優(南山宏)による「日本最大のSF専門出版社を自負する当社が贈る新しいシリーズ」との巻頭言に後押しされ、7月発刊予定のそれは姿を現した。翌8月号では「7月下旬よりいよいよ発刊」と、第一回配本5作品のラインナップも公表。同号には大伴昌司「SFファンのための万国博ガイド」(大阪万博)や、「国際SFシンポジウム趣意書」も掲載されている。つまりはそういったアツい夏であり、森優の編集者生命を賭けた新企画が、ものの見事に呼応したのだった。
9月号の時点で「8月中旬より」と若干の遅れが見られたが、無事に発刊、大反響を巻き起こす…。
《TARZAN BOOKS》発刊の告知は、1971年5月号(146号)を皮切りに、これぞ真打ち登場!と思わせる派手な姿で読者の前に現れた。「それはSF編集部が総力をあげて、全SFファン、冒険小説ファン、バロウズ・ファンにおくる本年度最大の企画!」「それは世界大衆冒険小説史上、永遠不滅の光に輝く最高最大の遺産として、全世界を熱狂させつづけてきたヒーロー中のヒーロー!」と大変な鼻息で、自ら「壮挙」と評す程。ぼくが前号で書いた「鳴り物入り」というのは、嘘じゃないのだョ。
この5月号では「7月より毎月一冊刊行」だったのが、8月号(149号)から「8月より毎月一冊」となり、最終的には隔月刊行へと推移していく。が、なにはともあれハヤカワSF文庫特別版101、《TARZAN BOOKS》第1回配本『類猿人ターザン』は、ハヤカワSF文庫35『栄光のペルシダー』(これまたバローズだ)に続いて世に出たのであった。
さて、そうなると文庫の通巻番号から読み取れる情報より、バローズ紹介の集中度に関しては、事実の方が遥かに凌駕していたことになろう。これはもはや尋常ではない。日本の翻訳出版史上、かような怒涛の勢いで紹介が進んだ作家は、空前にして絶後なのではあるまいか? しかも遠く1950年に没した作家、つまりは全てが旧作だというのに。バローズ・バブルとでも表現する以外になさそうである。
実は1960年代後半〜70年代にかけて、東京創元社、早川書房の二大SF専門出版社のほかにも、児童書も含めればそれこそ各社から、バローズの特定作品が繰り返し刊行されていた。残念ながらぼくの今の力ではとても全貌が掴めないが、代表作のみに片寄らない紹介を続けた点が“専門”たる所以だし、今また復活を遂げている点で、決して内実の伴わないバブルじゃなかったとだけは言えよう。って、前振りのつもりが…以下次号にて。