古本を探していると、時に驚くような代物にブチ当たることがある。そして数年前のあの日は、最高に研ぎ澄まされていた。唯一の問題は、いつまでたってもその時の引きの強さを越えられない、というただ一点にある(泣)。いや、せめてコンスタントに…、ねえ!?
閑話休題。その日のぼくは、以前に一度だけ行ったことのある古本屋さんに、何かに誘われるかのように、フラリと出向いたのある。最初の時もなかなかの買物をしていたが、店内に入って仰天した。すぐのカウンターには、まさか日本でお目にかかることがあろうとは、我が目を疑う背表紙が! いやいや落ち着け。こういった場合、ぼくは直ぐには飛び付かず、まず店内を一通り見てまわる習性がある。もちろん店内に誰もいないことは確認済みだ(笑)。
ここでぼくが何を発見したかは、実は本題ではない。タネを明かせば、ぼくが最も欲していたパルプ・マガジンだ。しかし、大漁を約束され書棚を撫でる、静かなる興奮に裏打ちされた“鷹揚な”気分がなければ、きっと見落としていた「SF裏面史」がそこにあった!
棚奥から拾い出したのは、ビニールパックされた3冊のペラペラな小冊子。その名は〈悪魔運動〉。明らかにSFファンジンじゃない怪しげな表紙と、結構なお値段。こんな鷹揚な気分でなければ、誰がわざわざお店の人に頼んで内容を確かめようか。
とは言え、なぜか確信にも近い予感はあった。第1号(1961年12月1日、本文24ページ)。フム、映画小特集ですか。翻訳も載ってるじゃん。お次は第2号(62年3月20日、本文43ページ)。広い意味での芸術系評論主体の雑誌みたいだな…。っとと! やっぱりあったゾ、案の定。狙い的中、「S・F論序」ってのが掲載されている!!急いで第3号(62年9月1日、本文54ページ)を開けば、ナカグロ取れて「SF論序(その2)」という連載になっているではないか!
全貌は「序」の頭の部分だけなので判然としないが、見る限り普通のニューウェーヴSF論である。それだけなら、どうってことないんだけど、しかし著者の名前が興味を惹いた。その名は小堀生。
はっきり言って誰かは知らんが、小堀という名のSF関係者はひとりしかいない。こりゃ、新発見かもよ!? な〜んて、ほくそ笑んで帰路につく。ぼくがニラんだのは、〈星雲〉(森の道社、1954年)に掲載されている「エヴァリスト・ガロア」の執筆者が「小堀」だったので、もしかしたらもしかするかも…と思ったのでした。でもこっちの小堀は小堀憲で、筆名かもしれないけど、同一人物ではなさそうな感じ。あんまり研ぎ澄まされてもないや(笑)。残念、むー。
…という話を去年のSFセミナー99合宿企画、初参戦の「ほんとひみつ」でしようと思い、改めて〈悪魔運動〉を見直していたら、ふとあることに気が付いた。「S・F論序」掲載の第2号が62年3月発行。この時点でのニューウェーヴSF論というのは、非常に早い。いや、むしろ異常に早い。
本家のイギリスは〈ニュー・ワールズ〉にて、運動としての「ニューウェーヴ」がスタートしたのは、一般にマイクル・ムアコックが編集長に就任した64年からとされる。ニューウェーヴの先端を疾走し続けた“預言者”、J・G・バラードの作家宣言「内宇宙への道はどちらか?」(伊藤典夫訳、〈SFマガジン〉97年3月489号収録。〈季刊NW‐SF〉70年7月創刊号掲載の「内宇宙への道はどれか?」改題・新訳)が〈ニュー・ワールズ〉誌上に発表されたのが、62年5月号でのこと。つまり、いわゆるニューウェーヴ運動が勃興する直前に、SF黎明期を迎えたばかりの極東の日本で、独自に「SF=スペキュレーティヴ・フィクション」と断言する論を展開した、謎の人物がいたのである!!
もちろん、ニューウェーヴ派が標榜した「スペキュレイティヴ・フィクション」(思索小説/思弁小説)という用語自体は、数年前の50年代末に、とりあえず発明(?)されてはいる。皮肉にも、同じく〈季刊NW‐SF〉創刊号で、主宰者山野浩一が「とにかく、SF大家の思考水準の低さを知る上で、一読の価値のある作品といえよう。」(『異星の客』評)と酷評したように、仮想敵のオールドウェーヴ代表格と目される、ロバート・A・ハインラインによって。
これらを踏まえると、小堀生の主張は興味深いものである。「…このばあいSFは、サイエンス・フィクションと言うよりは、むしろアメリカのSF大御所ロバート・ハインラインが唱えるように、スペキュレイティヴ・フィクションの略だと考えたい。しかし、彼が自分の小説をその模範と考えているとすれば、いささか同意しかねる。というのは、彼の小説でえがかれた人物や社会はほとんどすべて陳腐な観念にまとわれていて、ほとんど人間精神のあののりを越えた姿を我々に見せてくれないからである。」と第2号を締め括り、第3号では「(1)S=スペキュレーション・思わく」「(2)F=フィクション・つくりごと」「(3)SF=スペキュレーティヴ・フィクション」という、3つの章題でSF論を展開する。
ぼくが当初「普通の」ニューウェーヴSF論としか思わなかったのは、現在の歴史的観点から見ても、大筋の論旨において違和感が少なかったからにほかならない。ただし、時代を考えると話は別だ。
いわゆる黄金時代SFの翻訳紹介が急務だった当時に「スペキュレイティヴ・フィクション」という言葉/概念に共鳴し、しかし当のハインラインさえ十分な紹介が進む以前に、彼の作品は違うと喝破した小堀生。具体的な書名を俎上に乗せていないゆえ、果たして彼の求めるSF作品がどのようなものかは、確かめるすべも無い。いやそれとも、彼の構築する、独自のSF観に合致した作品が未だ存在しないイラ立ちを、この小論に著してみたのだろうか。
そして何より…。地球の対極でデジャヴのように、同時発生的にニューウェーヴを指向した小堀生は、のちにSFを“スウィング”したそれらの果実をどう味わい、結果としてお気に召したのだろうか?
〈悪魔運動〉が何号まで刊行されたか判らず、連載は次号に続いている。探索は手詰まりであるが、ここまででもSF界の片隅に記憶されるべき史実であろう。皆さんの、更なる情報を求む!
さて、以上が99年のセミナーで話した全容である。そして今年のセミナーで、遂に謎は解けた! 以下次号「解決編」、括目して待て!
2000年代最初の、20世紀最後の、スタートから21年目の、ぼくにとって6番目の、そしてスタッフになって2回目の、ゴールデンな季節がやってきた。会場一新パワーアップ、SFセミナー2000の幕が開く!
これまでの全逓会館にも色々と個人的に思い入れはあるが、御茶の水は全電通労働会館ホールにて、新たなSFセミナー史が築かれる。なにより、ロビーとか控室が広くて良いやネ。ホールの座席も可動式だから、アイデア次第で企画の幅も拡がり、面白いことができるかも。ま、来年以降ですが。
当日の朝集合してから、椅子とか移動させて会場設置。配布するプログラムブックやらチラシを挟み込む作業をしたのち、大量の古本+新刊販売の準備をする。今日扱う新刊は、本会企画にもある『ブックハンターの冒険』(牧眞司著、学陽書房)と、『日本SF論争史』(巽孝之編、勁草書房)がメイン。
しかも『ブックハンターの冒険』は、私家版限定不定期報を特別付録として配布。ボリューム制限により本文から削られた、ヴェルヌの章の一部原稿を再現し、「Q 古本さがしをやめる日はくるでしょうか?/A くるでしょう。」という、理解にもだえ苦しむ謎の発言(笑)で終わるインタビュー「ブックハンターができるまで」も収録されて盛り沢山。今後、牧眞司関係著作物の出版に合わせ、発行する予定とのこと。次は訳書の『SF雑誌の歴史』(マイク・アシュレー著、東京創元社近刊)だね。牧さんには、是非とも「月報」と呼べるくらい(おおっ)、バリバリ新刊を出して頂きたいものである。発行者は牧紀子さん。
『日本SF論争史』は、他に先駆けての先行販売。セミナーに間に合ってよかったよかった。しかし1割引きながら、本体5000円の高額書籍が早い段階で売り切れたのは、セミナーに集うコアな客層を推し量る一例と言えよう。昨年の、やはり先行販売であった『グッドラック 戦闘妖精・雪風』と比較しても、全く遜色がない。
さて、今年のセミナーでぼくが企画・担当したのは、「角川春樹的日本SF出版史」(出演/角川春樹、聞き手/大森望)である。伏線は、昨年担当した「文庫SF出版あれやこれや」にあった。この時はハルキ文庫編集者の村松剛さんにご出演頂きましたが、その流れで「春樹社長を呼んだら面白いぞ」と大森さんが言っていたと伝え聞き、「ひえ〜、そりゃオモシロイけど、ちょっとなあ」と、尻込み(笑)してたのだった。
ところが転機が訪れた。「角川春樹事務所、「小松左京賞」を創設」「SF小説の可能性追求」という、力の入った新聞記事(99年10月7日付日本工業新聞)を目撃したのである。瞬間、ぼくの目はキラリと光った!「…やはりお呼びするしかない…」オッと、ここで気がついた。日本工業!? 果たせるかな、ウラを取ったらタニグチリウイチさんの記事でした(ニヤリ)。
早めに控室に到着した角川春樹さんは、強烈なカリスマ性とオーラを放ちつつ、気さくさも感じさせる懐の深い方でありました。かような傑物が、「これからはSFの時代だ!」と宣言し、事実、出版活動に自ら邁進されているのを見るにつけ、実に心強く頼もしい。
資料持参の大森望さんもすぐに到着。「強盗角川」時代のSF関連文庫、及びハルキ文庫を抜き出した一覧なのだが、角川文庫の方は千点を優に越える膨大さで度肝を抜かれる。そこでまだ1枚に収まるハルキ文庫の方だけ、配布用のコピーに走る。あれよあれよと野田大元帥らも加わり、なにやらスゴイ空間を遠巻きに拝見する。しかもお弁当食べながら(笑)。
頃合を見計らってスタンバイお願いして、さあぼくも客席からじっくり見物…と思ったけど、実はそうもいかなかったり。次のコマには「ブックハンターの冒険」が控えているのだ。だから、春樹社長の数々の名言や、大森さんとの丁々発止の掛け合い(!?)を直接見ていないという、担当者にあるまじき所業は我ながら不憫である。
しかし、福島正実さんから積極的に作家を紹介してもらった、という新証言を始め、興味深い事この上ない。一歩間違えば大言壮語としか受け取られかねないヴィジョンも、常に時代を見据えて出版活動を行ってきた、いや、自らの精力的なプロモートで、ことごとく「第一直観」を現実のものとさせた人間だけに可能な、奇妙な説得力でもってぼくたちを期待させる。
個人的には、打合せもなにもない状態でアオリ気味にしたためた企画紹介文の内容が、遥かに上回る形で全てが成し遂げられた点に、スタッフとしての喜びを噛み締めている。将来SFファンの間で、西暦2000年とは「セミナーに角川春樹が来た年」として長く記憶されることは間違いないであろう。
さて、問題は「ブックハンターの冒険」なのである。そもそも牧眞司さんの同名著書発売がきっかけの企画であり、〈SFオンライン〉4月25日号「書鬼の居留地」、および〈本の雑誌〉6月号(5月10日発売)での古本特集予告などが追い風になった。それはいいのだが…。まさか、このぼくが、セミナーの壇上に上がる日が来ようとは、ノストラダムスも予言していないし、ハリ・セルダンさえ予見不可能だろう>絶対しません。
思えば急な話だった。打合せの帰り、「人前で話すのは京フェスとかで場慣れしてるから全然平気なんだけど…でも、巽さんだよ!」と、「日本SF論争史」パネルで巽孝之さん御指名″の森太郎さんが言うのを聞き、前に出る人は大変だなあ、と感じたぼくは、まるで他人事でした(ペコリ)。その日が、ぼくが顔を出せた最後の打合せ。ほぼ固まった本会4コマに古本企画を加えて5つにしよう、という話が持ち上がったのが、その次の日のこと。いろいろな事情が重なって進展を見せず、結局今回の形(出演/牧眞司、聞き手/ぼく)になったのが、ナント1週間前。ぼくが正式に出演を知ったのは、公式ページにアップされ、事前申し込み者への受付ハガキが作成された後(笑)なのだった!
そんなワケで牧さんとお話するのが、このコマしかない。いくつかのお聞きしたいテーマを伝えておいたので、もう牧さんの準備はバッチリ。なんとなくの流れを決めただけで、あとは牧さんが本の逸話をとうとうと話し続ける。いやもう止まらない(笑)。この時点で、ぼくはあくまで「聞き手」に徹すればいいんだ、と妙に気が楽になり、壇上でも全く緊張しませんでした。それがいいことかは判らないけどね。去年の合宿「ほんとひみつ」で、あんなラフな中でちょこっと話をしただけでも、あきれる程キンチョーしたことを考えると、そりゃもう驚くべき進歩である。っていうか、牧さんスゴイ。
古本極道な話には持っていかなかったから、そっちを期待された方には食い足りなかったかも。でも、牧さんの次回作以降に期待が膨らむ内容も聞けて、よかったと思う。途中で牧さん中学生時代の、天才少年伊藤典夫さんを彷彿とさせるエピソードを伺ったのは、客席に柴野拓美さんの姿を拝見してこらえ切れなくなったから(笑)。
終了後の控室で、「牧さんも司会とかじゃなくて、自分がメインでしゃべることって実はあんまりないけど、やっぱエンターティナーだね。や、結構面白かったよ」との感想を寄せられたのは、山岸真さん。牧さんに伝えたら、「うーん、イイこと言うなあ(笑)。彼はボクの理解者だなあ(笑)」と申しておりましたよ>山岸さん)。
その後の各企画、「日本SF論争史」(出演/巽孝之、牧眞司、森太郎)、「新世紀の日本SFに向けて―新人作家パネル」(出演/藤崎慎吾、三雲岳斗、森青花、司会/柏崎玲央奈)、「妖しのセンス・オブ・ワンダーへようこそ―小中千昭インタビュー」(出演/小中千昭、聞き手/井上博明)は出きる限り観に行くようにして、それ以外の時間は書籍売り場にいたり、いろいろと。実は、ついうっかりひいてしまったカゼのせいで、体調があまり優れないのだった。
会場整理してから、小雨の散らつく中、合宿のふたき旅館に向かう。オープニング恒例、有名人・企画紹介@小浜徹也さんに続いて、1コマ目は企画部屋にいくつか顔を出しただけで、大広間に居着いてしまう。というのも、また販売用の本を出したりばたばたしたこともあるし、水鏡子+三村美衣+堺三保という強力メンバーが田中香織にレクチャーする、それぞれのファンダム観を拝聴するためでもあった。こりゃ難しいね。個人的にも側にいらした高橋良平さんに、矢野徹さんの古い話を伺ったり。
その田中さんがメインの企画である(ウソ、のはず)「田中香織のなぜなにファンジン」は、まず時間がいくらあっても納まらない。分かったことは、各人より前の時代が楽しそうに見えるってことかな。多かれ少なかれ、先人の活動に憧れてファン活動を開始するのだから、それらが輝いて見えるのも道理というもの。いくらでも面白い話が飛び出しそうな好企画で、出演陣も話し足りなくて欲求不満だろう。シリーズ化決定? そうそう、企画紹介時に「もう賞は要りません!」と言った田中さんは、ぼくはてぃぷとりーみたいでかっこいいとおもいました(まる)
続いては、ホントに最後とはまずもって信じられない「ほんとひみつ―これでおしまい編」だ。大学教授と学生メンバーで作ったらしい『宙航レース1999』という本を北原尚彦さんが紹介し終えた途端、絶妙のタイミングで、「その表紙、僕が描きました」と関係者が名乗りを挙げ、場内を空前絶後の驚きの渦に巻き込んだ。トンデモ本っぽいのがいくら紹介されても、星敬さんが大抵持っていて、あまつさえ読んでいたりするのには、驚き呆れ…じゃなくて(笑)、感動と尊敬の念を禁じ得ない。ぼくはこの頃カゼのピークでキツかった。
「ほんとひみつ」5年の歴史を振り返ってみれば、ひとえに日下三蔵さんによる「日下古本思想大系」の啓蒙と浸透のためにあった、と言っても過言ではなかろう>オイ。貨幣のみに依存しない「本・本位制」の提唱を始め、その思想はもはや(この部屋の中では)広く認知され、当初異端視された収集衝動に対しても、反動派急先鋒の面々さえもが感化され、同じ轍を踏んでいることを告白、軍門に下った。これにより日下思想の完全勝利宣言が誇らしげに成されたことを、歴史に記さねばなるまい。まさに、たゆまぬ意識改革の賜物である。
ラストを締め括るは、「今世紀最後の大オークション&大即売会」。牧さん始め、名だたる出品者が揃うため、いい本が一杯出てくるのがうれしいところ。ぼくも点数こそ多くはないけど、満足の成果を挙げることができました。
仮眠してからエンディング。後片付けして、ふたき旅館を後にする。近くの喫茶店で会計作業。なんでも牧さんと紀子さんは、巽さん、小谷真理さんと待ち合わせがあるらしく、先を急いで席を辞す。見送るスタッフ一同、姿が見えなくなったのを確認して、「さて、行きますか」とおもむろに行動開始。向かうは新宿。これから牧さんだけ″が知らないサプライズ・パーティー、「遅れて来た新人を祝う会」が行われるのだ。巽&小谷さんは共謀者、黒幕は紀子さんだ!
会場の何割かは、セミナーでご一緒した方たちでヘンな感じ(笑)。でも、セミナーや大会ではお目にかかる機会の少ない方も多く、キョロキョロしながら牧さんの幅広い交友関係と人望に思いを馳せる。
ほどなく何も知らない牧さんと一行は、無事に企みが露見することなく到着する。驚く牧さん! いやあ、実に良いものであるなあ。
関係者の各スピーチも、それぞれの側面が伺えて興味深かった。中でも、石川喬司さんや竹上昭(野村芳夫)さんらと牧さんの異色の顔合せ(と感じた)、「時間論」という集まりの存在に興味を引かれた。小浜さんの「解説を頼む時、真っ先に頭に浮かぶ3本指のひとりが牧眞司。あ、これホント」という発言は、率直な感想だけに、最大級の賛辞でしょう。
記念ファンジンも出たこの会のクライマックスは、柴野さん自らウクレレ弾いての、まきしんじ替え歌シーンに尽きる。「牧さんには本当に世話になってるなあ」という、大先輩柴野拓美さんの話を先日伺ったことがあるだけに、そのつっかえつっかえの演奏に秘められたものに圧倒され、万感の思いで我知らず目頭が熱くなるのを禁じ得なかった。この瞬間に立ち合えたことを感謝し、誇りにしたい。
会は大盛況の内に終了。桐山芳男さんから、前日のオークションでぼくが落とした〈ポパイ〉SF特集号(78年4月25日号、平凡出版)掲載記事のウラ話を聞いたりしてて、田中光さんとの3人が最後のメンツになってしまう。いやそればかりか、イキオイで主賓の牧さん、会場の受付をしていた魔界三人娘″含む巽さん御一行様とのお茶にまでおじゃましてしまった。
セミナー昼夜パーティー3本立、SF黄金週間2000はこれにて終了。皆様、また来年お会いしましょう!
卯月の一日、4月バカ。ダマすは己れの、懐具合。目指すは大阪、日本橋。ついてゆきます、どこまでも。有言実行、なんとかなるさ。かくしてださこん、西へ行く!
いや、行ったはいいけど、オープニングにちょい遅れ。道頓堀のほとり、讃岐屋へ辿り着くに至る間に、ぼくを襲った驚愕の事態ゆえだが、畏るべし、魔境オオサカ。
案内された地下の大広間では、参加者紹介の真最中。おお、いるいる。あちこちに見知ったださこにすとの面々が。しかし初の関西巡業だけあって、イメージされる程ださこん参加者は固定されていない。血は循環しているのだ。
さっそく始まった昭和37年(1962年)対談バトルロワイアルは、喜多哲士、冬樹蛉、北野勇作、我孫子武丸という、同年生まれ四氏による世代論漫談(?)。発端は週刊誌の「最近の犯罪者に昭和37年生まれが多い」という記事に対する、「そりゃあんまりや」という反論…、そう、反論から始まったハズであった。しかし、おのおのが“万博”や“テレビ”に代表される、各種キーワードを散りばめた昔語りをすればする程、「あの世代には、やはり何かがある!」というイメージアップ(笑)に成功していた事実は、確信犯・愉快犯にこそ成せる業と言えよう。
いや、もうひとつの興味であった、「ジャンルの担い手が60年代前半生まれに集中している」という命題にしても、クリエイターになるべくしてなったこの世代特有の時代背景というものが、おぼろげながら見えたのは気のせいか?
終了後は、もう雑談。これは休憩時間ではないのだ。聞けば次の企画までそーとー余裕があるから、みんなでサイン会タイム。そう、ださこん3は、これまで以上に作家さんの参加が多かったのだ。注目を集めたのはやっぱり、ファンの前に姿を見せるのが20年振り位になる山尾悠子さん。プロの方々がまるっきりファンに戻って挨拶してましたが、20年と考えればそりゃそうだ。ご本人はまわりに騒がれるのが苦手の様子でしたが、これもしかり。といっても、決してファンサービスに応えない訳ではなく、「SF界の吉永小百合」(©大森望)という表現にハタと膝を打つ御方でした。言い得て妙。牧野修さんのサインは、カワイくて個性的。イメージと違ったかも(笑)。そして、大チョンボしちゃったぼくに助け船を出してくださった風野ドクター、ありがとう!
あとは話の輪に、ちょっとづつ顔ツッコんだり。プレス塩澤快浩SFマガジン編集長さんに、SF本の売れ行きを尋問されたり(笑)、溝口さんも交えて、ハヤカワ文庫30周年(復刊)フェアの話題とか。坪井研二さんは、とても大変な事態のなか参加していたらしいぞ。
林哲矢さんには、約束の早川書房/東京創元社文庫解説目録を数冊献上したのだが、その際確認のためページを繰る林さんの手付き鋭く、ただ残像のみがあったことを報告しておきたい。やはり目録落ち研究の第一人者だけあると、改めて感心させられた。すぐさまヒラノマドカさん経由で、ダサシールを進呈させて頂いたことは言うまでもあるまい。
あと、ジョニィたかはしさん相手になにやら熱弁を振う、茅原友貴さんを見物してみる(笑)。彼女の所属するS研(えすけん)が、ファンジン企画のひとつとして行ったという野田大元帥インタビューから得たものを、反省含めてアツく語っていたのでした。早い段階からファンとしての経験値を積み重ね、それを自らの血肉として吸収しているちはらさんの、更なる活躍を期待させるに十分であった。
そうこうしてたら、ダサコン文化セミナー「第4回○○と××ほどちがう」のはじまりはじまり。講師はもちろん、家元冬樹蛉。よく思い付いたなあと奇想に感動するものから、よく送ったなあと勇気に感動するものまで(笑)、ヴァラエティ豊かな作品群が集結。味わい深い講評とあいまって善き哉。
さあ、オークションに突入だ! 今回のぼくの出品は、判形揃えて銀背のみ。これまでは、必ず雑誌を混ぜたりして変化をつけるよう心掛けてきたけど、なかなかそうもいかなくてねぇ。さ〜て、次回からどうしよう? とりあえず、函にこだわってみたのでヨシとしよう。
語るべきエピソードには事欠かないけれど、あらゆる点でスケールの違いを見せ付けた鉄人kashibaさんの活躍が、皆に強い印象を与えたことは想像に難くない。
予想以上の大接戦を演じてしまい、ぼくが競り落としたのは『光世紀の世界』(石原藤夫著、早川書房1986年)のみ一点買い。なんと定価1万6千円の超ド級天体データ集であり、ダサ史上最高値を記録するのも頷ける逸品である。
後はひたすら自由時間。ホラーかるたの解らなさ振りを楽しもうと参加して、思う存分堪能したり(笑)。ホラーは田舎がよく似合う。ふと見ると、なにやら古本の人達が集まっている。そこでは、溝口哲郎さんが羽鳥一紀さんに対し、「あれは持っているか?これは持っているか!?」と、火花散る熾烈な戦いを繰り広げていた(誇張含む)。オークションの時点で早くも異彩を放っていた羽鳥さんは、あの溝口さん相手に一歩も引かず、年齢差を考慮すれば互角ともいえる戦果を上げていた。おそろしい人材が登場したものである。でもkashibaさんも、さすがに強かった。
話に花を咲かせる作家さんたちを切り崩す隙無くサインを断念したりするうち、中央で恒例の、SF年の差会(?)がスタートする。戦歴あまねく知られるちはらさんと、京大SF研の新鋭しおざきまりこさんという、京フェスでブレイクした若手コンビが再結成。対するは、森太郎さんが席を外していたのは残念だが、大森望さん、野田令子さん、林さんと、その黒さ申し分無しの布陣。この中でのびのびと実力を発揮し、あまつさえ逆襲を計る二人の活躍は清々しい。
しおしお版SF年齢マップでは、小松左京発言、山岸真発言など、実り多い収穫が得られた。そこで、ぼくは31歳に決定。続くミステリ界の若き刺客、松本楽志さんは、過去にストックされたデータから導き出すという、さすがの論法で対処したが、データに登録されていない人物の外見判断に難ありとの指摘もなんのその、ぼくは35歳になることができた。D2のちはら世界では、事前に実年齢を知られていたばっかりに、SOWを味わい損ねていたが、今回の判定はナカナカ満足のいくものであり喜ばしい。あ、みらい子さんはまたショックを受けていました(笑)。
極簡略版日本SF史観を述べてみたり、野田さんから指圧を受けて、kawa.mさんからあやうくヒールホールドを決められそうになったり(笑)したハズだけど、ほどよくリラックスしたダサモード中だったので、前後関係五里霧中。
そして朝来てエンディング。本のPOPコンテスト「サン・ジョルディの日をめざして」の結果発表。ぼくは、副賞の「銀河通信賞」に選ばれた(選んだ)『どすこい(仮)』の安田ママ講評を述べる。第3回ださこん大将には、ちはらさんを押さえ、しおざきさんが実力で勝ち取ったのだった。
外に出ると、お店を探す集団をそそくさと離れ、kashibaさんと古本屋を目指す! ふたりして、キャリアーをガラガラ引いているのが、いかにもアヤシイ(笑)。コインロッカーに荷物を預け身軽になったのはいいが、kashibaさんの大きなカラのバッグを見ての、「ああ、それがパンパンになる位、本買っちゃうんですね!?」という冗談のつもりの一言が、恐ろしいまでに的確な予言として機能しようとは、その時知る由もなかった…。
限られた時間の中、kashibaさんの案内よろしく効率良くまわれたので、じっくりと物色させていただきました。と、あるお店で、ぼく的超大物を釣り上げる! これはいずれ機会を見てご紹介します。
そしたらkashibaさん、「いやあ、イイ買いっぷりだなあ、う〜ん、よーし…、買うぞ!」と、前々から目を付けていたというお店へ(銀行へ寄ってから!)突入開始。それって、背中を押してくれるきっかけが欲しかっただけでは(笑)。
泣く子も黙るそのブツは っとと、ぼくまでダマってしまった!とても口には出来ません。すごいよkashibaさん!かっちょいい!!
ただし、オトナの買いっぷりを目撃して、ぼくは将来どうなるんだろう、まだ引き返せるんだろうか? と、思わず重ね合わせてしまう自分がそこにいた(気がする)。
かくしてD3は成功した。底流を貫く「ダサコンだから」の精神は正しく貴重だが、そのマジックワードに頼り過ぎるのは、魅力と裏腹なあやうさになりかねない。愛するがゆえ、申し添えておきたい。