先月号の新本格座談会の席上にて、なんと、ラヴクラフト読者が二人もいることが判明。資料も知識も無いまま、いきなりの特集である。
H・P・ラヴクラフトはホラー小説界の大御所、47歳の早過ぎる死から60年以上経過してなお様々の影響を及ぼし続ける、文字通りのカルト作家である。と言うのがウソでない事は、栗本薫、菊地秀行を始め、ラヴクラフトの創始した《クトゥルー神話》に手を染める作家が後を絶たないことからも分かるだろう。コリン・ウィルスンやスティーヴン・キング、ボルヘスまでもが書いている。ワオ!
ここまで読んで「な〜んだ、SFじゃなくてホラーか」と、がっかりされる方も非常に多いと思うが(いるのか?笑)、SFとホラーは作家・読者層はもちろんのこと、その特性というか固有の感触≠ノも共通項の多いジャンルなのである。端的な例を挙げると、ホラーのアンソロジーがSF作家抜きでは成り立たなかったほど。この状況は80年代以降キング、クーンツを代表とするモダン・ホラーが、SFを凌ぐ一大ジャンルを形成するまで続くのである。
ぼく自身はというと、ラヴクラフトの主な発表舞台となった伝説的な怪奇幻想小説誌〈ウィアード・テールズ〉がSFもよく掲載していたので、逆にそっちの方からラヴクラフトを認識している(〈ウィアード・テールズ〉は1923年創刊。世界初のSF誌〈アメージング・ストーリーズ〉より3年早い)。ぼくの偏愛するE・ハミルトンのデビュー、及び「SFマガジンオールタイム・ベスト」短篇部門堂々6位「フェッセンデンの宇宙」が発表されたのも同誌だし、新人作家R・ブラッドベリをほぼ毎号掲載した時期もあった。
だからぼくなんかは、SFも載っけてたパルプ・マガジンのエライ人、位にしかラヴクラフトについて知らないので、みんな自分で読んでみてちょーだい。国書刊行会版全集及び神話体系集はもはや全巻揃わないが、創元推理文庫の『ラヴクラフト全集』全六巻は順調に重版してるし、他の作家も含めたクトゥルー物作品集として青心社文庫の『クトゥルー』シリーズが現在11巻まで刊行されている。
それではなぜ《クトゥルー神話》が世界各国の作家を巻き込む進行形のオープン・シリーズに発展したのだろうか。それは世界設定が魅力的であったのはもちろん、禁断の知識を記した「魔道書」や奇怪な「邪神」、「アーカム」を始めとする架空の地名等の基本アイテムを抑えれば、比較的容易に作品を物することが出来るからと指摘される。その点ではRPGのシリーズとあんまり変わらない。
あと、やはりラヴクラフト自身が、同輩・新人作家達へ神話の使用をむしろ積極的に承諾したことも見逃せない。ラヴクラフトは人望も厚く、〈ウィアード・テールズ〉に才能が集結したのは、彼を中心とした作家同士の交流があったからだとも言われる。
で、みんなで寄ってたかってセッセと書き継いだおかげで、《クトゥルー神話》は詳細を極め、実に強固な世界像を形成している。例えば数多い研究書のひとつ、『クトゥルー神話事典』(東雅夫編 学研ホラーノベルズ95年)を見てると、どこまでがフィクションかと疑いたくなってしまう。
ラヴクラフトの本邦初紹介は〈宝石〉1955年11月号「エーリッヒ・ツァンの音楽」。クトー物では翌年の「ダニッチの怪」が最も早い。だがクトゥルー・ムーヴメントは、初めて全体像を垣間見せた〈SFマガジン〉72年9月臨増164号や、名雑誌〈幻想と怪奇〉73年11月4号から始まった!
諸君、この文書は極秘事項である。秘密は守れるかね?…よろしい。これは5月3日都内某所で行われた「SFセミナー」への諜報員Dの潜入レポートだ!ってイヤ、ちゃんと参加費払ってるけどね。
がしかし、ここでその全貌を明らかにすることは不可能であるので、覆面作家恩田陸の11本に及ぶ新作プロット公開の爆笑の行方や、月刊SFウェブマガジン〈SFオンライン〉と「電子書店パピレス」の実演付ネット社会の前線紹介、歯ごたえのある内容ながら豊富な研究成果を機関銃のように繰り出し堪能させた中村融・長山靖生の「SFと優生学」、廣済堂文庫の書下ろしアンソロジー《異形コレクション》シリーズが驀進中の監修者井上雅彦と日本SFの知識で現在双璧をなす星敬・日下三蔵による「オリジナル・アンソロジーの可能性」などの企画についての詳細は、各参加者のホームページを参照されたい。実際、二百人前後の参加者中、ページ開設者が五人や十人では効かない事からも分かるように、それらの報告を見れば参加者よりも詳しくなれるゾ。
それでは、ぼくが今回のセミナーの目玉と位置付けているパネルを紹介しよう。講師は皆さんご存知、野田昌宏。いや知らないとは言わせない。SF作家・翻訳家という表の顔のその裏に、番組製作会社日本テレワーク社長という副業(?)を持つ人物だ。しかし何と言っても、野田さんが独立前フジテレビのディレクター時代に手掛けたひとつが「ポンキッキ」と聞けば、直接その名を知らずとも、いかに深い影響下にあるかを知るだろう。そう、野田さんはガチャピン達の産みの親なのである。
野田さんはぼくが初めて買った文庫の翻訳者であり、初めてジャンルとしての「SF」を意識させた名著『SF英雄群像』(ハヤカワ文庫JA79年/単行本69年)の著者でもある。野田節≠ニ呼ばれる名調子の翻訳、事実上「スペース・オペラ」というサブジャンルを日本に確立させた『SF英雄群像』によってSF入門をしたぼくは幸せ者である。もちろん「SF英雄群像」の雑誌連載第一回〈SFマガジン〉63年9月47号(写真)などに、サインを頂いたのだった。
その野田さんがNHK人間大学に7月から登場!題して「宇宙を空想してきた人々(仮)」。セミナーでは全12回分のレジュメが配布されたが、なんとまあ、あきれる位「SF」してるんだな、これが。
しかし話そのものは縦横無尽に脱線しまくりで、多チャンネル放送時代にどれ程ソフトが不足し、地上波に較べどれ程安く製作できるか、SF専門局など夢でも何でもない、このチャンスを成功させる為あえてシーラカンスに徹し、先端の各論ではなく総論的な構成にした、そこでキミたちは「あんなヤツにやらせる位なら誰某、またはこのオレがもっといいのをやってやる」という批評を局にアピールして、再放送→続編→シリーズ化させるんだ、と野望をアジッていました(しかもえらく現実的)。
やがて日が暮れ、怒涛の合宿へ。そう、合宿行かなきゃ始まらない!
今〈銀河通信〉がおもしろい!
いやぁ何が面白いかって、そりゃあもう「出たトコ勝負」がたまらなく…というのは誠にオメデタイ話であって、実際のところは皆サマの協力と、何と言っても安田ママが(三万年の眠りから)目覚め(て東京湾から上陸し)てしまい「うきー、もっと書きたいーっ」と叫びながら(迎え撃つ自衛隊に)猛攻撃を開始したからである。早くも誌面拡大の効果が現れてきましたね、編集長殿。
でもぼくは、そーゆー努力をしないで、これからもアナタのお役には一生立たない(かもしれない)内容を提供していこうと思います。
それでは諸君、前号(3月号)を御用意願います。まず安田ママが「長かった!」というカードの『消えた少年たち』。恐れるな、君には短篇版がついている。巽孝之編『この不思議な地球で』(紀伊國屋書店96年)収録版は、たったの40ページ!作者はSF界有数のストーリーテラーである。それから梶尾真治『地球はプレイン・ヨーグルト』の書影は旧バージョン。新版は横山えいじの絵だったかな。
が、しかし、ここまでは前振りに過ぎない。〈小説新潮〉3月号の筒井康隆による星新一追悼文を読んで「あ…、それはマズイっすよ」と思った人は多い。問題の箇所はここだ。『SFの本家アメリカでは、フレドリック・ブラウンがショートショートの祖と言われているが、ブラウンの本領はむしろ「火星人ゴーホーム」や「発狂した宇宙」などの長篇サタイア、または「わが赴くは星の群」といった長篇ロマンに向いていたのではなかっただろうか。』どこがマズイって?なぜなら、『わが赴くは星の群』は違う人の作品だから…!
では誰か、というと、実はアルフレッド・ベスター。えっ、ベスターにそんな作品あった?と思われるかもしれないが、これはあの名作中の名作『虎よ、虎よ!』のことである。現在ハヤカワ文庫SFに収録されている『虎よ、虎よ!』(“TIGER!TIGER!”56年)は、アメリカの〈ギャラクシイ〉連載時のタイトルを『わが赴くは星の群』(“THE STARS
MY DESTINATON”)といったのだ。いや、いったもなにも、その題名で講談社S・F・シリーズの一冊として、早くも2年後の58年に早川版と同じ中田耕治訳で初紹介されているのである。
それではブラウンのどの作品と間違えたのか。これはもう、確実に『天の光はすべて星』(ハヤカワ文庫SF82年、“ THE LIGHTS IN THE SKY ARE STARS”53年)である。
どちらも詩的な響きが印象的な、良い題名である。そういえば、たった6冊で終了した講談社S・F・シリーズに、ブラウンのこの小説も『星に憑かれた男』として刊行されているのは奇妙な偶然である。