『薔薇の木 枇杷の木 檸檬の木』☆☆☆☆1/2 江國香織 集英社

 またまた集英社のAさんからゲラを送っていただいた。いつもありがとうございます。

 この小説はオトナのための小説だ。正直いって私が未婚のときに読んでいたら、果たしてこれほど心に響いただろうか。おそらく、半分も理解できなかったに違いない。いや、それどころか登場人物たちを悪人よばわりしていたかもしれない。まあ無理もない、人は実際自分の身になってみないと、本当の気持ちはわからないものだ。今なら彼らの気持ちがいやというほどわかる。結婚生活という名の現実。それは決して甘くない。薔薇のようにトゲがあり、枇杷のようにえぐ味があり、檸檬のようにすっぱいのだ。

 これは陶子という女性(水沼という夫がいる)を中心にして、さまざまな夫婦、または未婚の男女たちを描いた小説だ。彼らは微妙にかかわりあって相関図を作っている。語りの人間が入れかわり立ちかわりして、それぞれの視点からの思いを述べ、それがやがて大きなひとつの物語を奏でてゆく。

 たとえば、ある妻から見るとどうしようもないぐうたら亭主。が、別の女性から見ると彼は実に魅力的な男に写る。たとえば、一見なんの問題もない夫婦。が、ある日突然、妻が離婚を切り出す。彼女は自由を手にしたはずなのに、望みがかなったはずなのに、彼の不在ががまんならない。たとえば、実にうまくいっている夫婦。が、ふとしたことで出会った男になぜか惹かれてしまう妻。たとえば、理想の女性と結婚しながら、浮気を重ねてしまう夫。

 どうしてひとは、今ここにある愛に満足することができないのだろう?まるでシルヴァスタインの絵本『ぼくを探しに』のように、欠けたピースを探しつづけなければいけないのだろうか?どうしてひとは、いつまでも同じ気持ちのままでいられないのだろう?それは花が蕾をつけ、咲き、やがて枯れてゆくように、移り変わるのがむしろ自然なことなのだろうか?この小説では、彼らは川の流れにそのまま身を任せ、皆行き着くべきところに流されていっている。静かにゆっくりと、孤独と哀しみの淵に。そして彼ら自身、流されながらも本当はどこに行き着くのかを心の奥ではわかっているのだ。

 著者の目は、あくまでも冷静で淡々としていて、だからこそひどく残酷だ。あくまでも架空の物語なのに、そのくせすぐ隣で起こっていることのように、ぞっとするほど生々しい。それは、登場人物たちの複雑で微妙な感情が、実に繊細に描写されているからだ。結婚している男女の(または未婚の女の)内面と現実をここまでリアルに書いた小説は、そうないのではなかろうか。

 結局、ひとは結婚しててもしてなくても、恋という感情に一生振り回され続けるのだろうか?それは抗うことのできない、人間の業なのだろうか?この本を読んでいると、ついそんな思いに駆られてしまう。危険な小説。

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『魔法飛行』☆☆☆☆1/2 加納朋子 創元推理文庫(00.2月刊)

 しょっぱなからおわび。正直いって私にはこの本の面白さ、素晴らしさを伝える自信がない。どんな言葉もうまく私の感情を表現できないだろう。とにかく面白かった!ああ、なんて陳腐な言い回し。でも本当に感動すると、ひとは言葉を失うのではないか。そんな気がする。なにより、この文庫の解説「“論理(ロジック)じゃない、魔法(マジック)だ”」という有栖川有栖の文章があまりに見事にこの小説の良さを表現していて、もはやこれ以上私なんぞの言うことなどない。これを読んでくれれば十分だ。

 これは加納朋子のデビュー作『ななつのこ』の続編というかシリーズ第2作である。登場人物はほとんど同じ。今回は、主人公の女子大生駒子が、小説を書いてみようと思い立ち、その小説がひとつの章を形成している。そしてそれに書かれた謎を瀬尾さんの返信が解いてゆくのだが、今回はさらに仕掛けがもうひとつある。章の切れ目ごとに、意味不明、差出人不明の手紙が挿入されるのだ。最初、「なんだこれは?」と思っていた。が、これが後半、重要な意味を帯びてくるのだ。

 そしてラストに向かって、物語は一気に加速する。このラストに驚嘆しない読者はいないのではなかろうか。ここまできて、今まで物語のあちこちにさりげなくちりばめられ、ほっぽかれていたジグゾーパズルのピースが、あっと驚くしかけでカチンカチンカチン、とはまってゆくのだ。この伏線の見事さ!読んでて思わず「おおお〜!」と声をあげてしまった。著者の頭のよさにひたすら平伏、脱帽。

 随所にロマンティックな味付けもされていて、そこももちろん好みなのだが、それより何より、私はこの物語のミステリとしての巧みさにまいった。甘さに惑わされるなかれ。これは純正ミステリだ。ミステリの醍醐味―謎が解けていくときのあの驚きと喜び―に酔いしれていただきたい。加納朋子がここまでテクニシャンだったとは思わなかった。お見事。

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お母さんは「赤毛のアン」が大好き』☆☆☆☆ 吉野朔実 本の雑誌社(00.1月刊)

 本の雑誌に連載中の、本にまつわるコミックエッセイ。私はこの連載が大好きで、毎月(いや隔月か)非常に楽しみにしている。吉野朔美のコミック(『少年は荒野をめざす』は傑作だ!)の大ファンであるせいもある。が、それより何より、彼女がいかに本に囲まれた生活を送り、本を愛してるかがひしひしと伝わるところがいいのだ。つまり同病者ですな(笑)。しかもいつも視点が非常にいいんだよなあ。もう本好きのツボ突きまくりね。「ああっ、それわかるわかる私も!!」と叫びたくなってしまう。

 どれも全部ツボなんだけど、しいてあげれば「いつも本が入っている。」や「どれもこれもが読みかけ」などですかね。ああ、まるで自分のことのよう(笑)。私も外出の際、何か一冊カバンに本を入れてないと落ち着かないし、読みかけでほっぽってある本も山ほどある。なのにどんどん次を買ってきてしまうんだよなあ。あうう。ビョーキだよね。

 しかし。この本の一番素晴らしい部分は、実はラストの「『招かれた女』―あとがきにかえて」という短いエッセイである。ここを読むためだけに、この本を買ってもじゅうぶん価値があると言ってもいいくらいだ。ネタバレしちゃうのあまりにもったいないので、ぜひともご自分でお読みになってみて欲しい。この気持ち、本読みさんなら誰でも心当たりがあるのではないだろうか。名文ですぞ。吉野さん、エッセイ書いてくれないかしら。向田邦子ばりの、素晴らしい傑作が書けると思うのだが。

 最後にこのあとがきから引用。あまりにも私の気持ちそのままなので。

 読書は自分と本との融合の時間ですが、私は本を、好きな人とキャッチボールすることから始めました。だからでしょうか、今でも面白い本に当たるといろんな人にぶつけたくなるのです。

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新人賞の獲り方おしえます』☆☆☆1/2 久美沙織 徳間文庫(99.11月刊)

 作家久美沙織が、平成3年の秋から翌春にかけて、とあるカルチャースクールにおいて「本の学校『作文術』」という講座の講師をつとめた。この本は、全10回のその講座を、受講生がまとめたものである。はっきり言って、これは小説家になるための登竜門“新人賞”を獲るための、いってみれば予備校の特別講座のライヴみたいなもんである。

 学校の授業はそれはそれで役に立つ。が、入学試験を受けるにあたってはそれなりの、試験にパスするためのコツを把握した実践的な勉強が必要だ。久美沙織の講座は、これにあたる。それも2流の予備校ではなく、おそらくこれ以上はないのではないかと思えるくらいレベルの高い、非常にキビシイ(毎回課題がビシバシ出て、容赦なく添削される)、お役立ち度満点の予備校だ。いやホント、これは作家を目指す方には必読書だね。未読の方がいらしたら、悪いことは言わないからとにかく一度お読みになることをオススメする。実を申せば、この本、ハードカバーもロングセラーとして非常に息長く売れてたのだ。読んでみて納得。これはいい本だよ。続編も2冊あり。

 私は作家になるつもりなど毛頭ないが、それでもこの本、実に面白かった。なぜか?それは、物語を創作する作家の側のことがよくわかるからだ。そう、作家の裏話としても読める本なのだ。小説を書くにあたり、作家が何に気を使い、苦しみ、悩んでいるか。うはー、なるほど、小説家ってそんなとこにまで気をつけてるのか!という目ウロコなことがいっぱい。文章の書き方など、私にも参考になること多し。ありがたく使わせていただきます、久美先生。

 また逆に、私たちが小説を読むにあたり、どこをどう読んでいるのか、ということまであぶり出しにされるのだ、この本は。たとえば手垢のついたエンターテイメントが結局面白いんだ、とかね。そのとおりなんだよな、実は。要するに著者は、読者というものを非常に冷静に分析している。どこをどう突けば、読者を楽しませることができるのか。そこまで彼女は把握してるのだ。さすがプロ。

 小説家って実に大変なお仕事だ。でも彼らは内から溢れ出す何かによって、どんなに苦しくても書かずにはいられないのだろう。そしてそのおかげで私のような一読者は、ただただそれをむさぼり読むという幸福にひたれるのだ。実にありがたいことである。小説家を目指す皆様、どうか頑張っていただきたい。そして、私たち読者を心から楽しませて欲しい。誠に一方的なお願いで恐縮だが、これはすべての本読みのホンネだろう。

 小説家を志す人も、そうでないフツーの本読みの方でも楽しめる一冊。

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『ラモックス−ザ・スタービースト−』☆☆☆1/2 ロバート・A・ハインライン 創元SF文庫(87.11月刊)

 ダイジマンに、「なんかほのぼの系SFでオススメはない?」と聞いて教えてもらった本。いやあ、まさにどんぴしゃ。あったかくて、おっかしくって、かわいくって、おまぬけで、思わずくすくす笑っちゃうSFだった。

 主人公の少年ジョン・トマスのペットは、でかくてのろまな(あまのよしたか画伯のイラストを参照すると、まさに巨大大福もち!ホントにこのイラストは傑作!)、「ラモックス」という異星生物。これは、ジョンの何代も前の先祖が宇宙旅行からこっそり持ち帰った宇宙生物である。彼の家は、このラモックスを代々受け継いで飼っているのだ(寿命が長い生き物らしい)。ある朝、ラモックスはちょっと気が向いて、庭の塀を乗り越えて外に出てみた。たったこれだけのことが後に、地球まで巻き込む大騒ぎにまで発展しようとは!

 とにかくラモックスはでかい。しかも何でも食べる。でも非常におとなしくて臆病な、小動物みたいな心の持ち主なのだ。もちろん、飼い主のジョン・トマスにはよーくわかってる。が、周囲の大人はそんなこと理解してくれなかった。ラモックスは銃で撃たれたことに驚き(驚いただけで、体はなんともない)、逃げ出し、街を破壊する騒ぎになってしまう。大人たちは、ラモックスの処分に悩み、ついに警察、宙務省まで出てくるという大事件に発展してゆく。

 ささいな出来事があっという間に膨大にふくれあがってゆくおかしさ。大人たちが、常識に縛られて肝心なことが見えなくて右往左往するおかしさ。ラモックスと子供たちの純真さと友情。そして何より、ラモックスのかわいさ!(私もラモックス、飼いたいよお!背中に座りたい〜!話したい〜!)ああもうたまんない。セリフもウイットがきいてて実に楽しい。これは訳者の大森望さんの功績だろうか?キャラも立ってて、皆ユニークな人物ばかり。ワタクシ的には、メドゥーサみたいなへび頭のフテイムル博士と、小生意気だけどそこがカワイイ女の子、ベティがツボ(笑)。

 ラモックスは処分されることに決定してしまい(ホントは違うんだけど)、悩みぬいた末、初めて母親に反抗し、ジョン・トマスはラモックスと脱走を計る。といってもあの巨体、隠すのは大変な仕事。が、事態はとんでもなく意外な方向に向かっていたのだった。いや、まさかラモックスの正体が○○だったとは!

 ラストの大団円も、ほのぼのハッピーエンドで実にうれしい。ラモックスとジョン・トマスの固い友情が、地球を救ったのだ。違う星の生き物どうしが、なんの障害もなくすべてを乗り越えて信じあう。おとなには信じられないことだが、「友達」という言葉ただそれだけで、彼らはやすやすと全ての壁を乗り越えてしまうのだ。この子供の純真さには、大人は逆立ちしたってかなわないやね。

 余談だが、訳者あとがきにある、昔大森さんが読んで非常に面白かったという、福島正実抄訳の岩崎書店『宇宙怪獣ラモックス』もぜひ読んでみたいものである。この物語は、まさにはじめてSFを読むという子供にぴったりの話である。子供をSFものに改造するに最適の一冊と思われる(笑)。これ、復刊しないかなあ。

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イーシャの舟』☆☆☆1/2 岩本隆雄 新潮文庫(H3.7月刊)

 著者曰く、あのストレート青春SF『星虫』の姉妹編。両者はもともと、一対の物語だったそう。あちらが太陽なら、こちらは月だそうだ。もちろん、『星虫』を読んでなくとも十分に楽しめる話ではあるのだが。『星虫』はかなりSFしているが、こちらはどちらかというとファンタジーだろうか。ああでも似たようなもんだなあ。こんなジャンルつけになんの意味もないかもしれない。それほど、両者の話はリンクしてるのだ。

 とことんツイてない人生を歩んでいるが、決して運命にめげずに前向きに生きている高校生、年輝がこの物語の主人公。外見はいかつい大男だが、気は優しくて力持ち、というドカベンのような青年である。ある日、ひょんなことから、彼は妖怪だか妖精だか、とにかく正体不明の小さな「天邪鬼」に取り憑かれる羽目になる。面倒見のいい年輝は、おひとよしぶりを発揮して、どんなにこの天邪鬼のためにひどい目にあっても、決して見捨てることなく、かわいがって育てるのだ。

 家庭の暖かさに飢えたものどうしが寄り添う小さなボロ家での、友情、夢、ほのかな恋、いたわり。この物語に流れる感情は、みなどれも暖かく、心がなごむ。年輝のひたむきさには脱帽だ。登場人物たちの若さがまぶしい。

 そして後半、天邪鬼が発見された大きな池から発掘されたものが○○○だったとわかるや、話はいきなりSFになる。ほほー、それで『星虫』にそうつながるとは。『星虫』が現実的な、実際的な宇宙への夢を描いたものなら、『イーシャの舟』はもっとファンタジックな、メンタルな宇宙への夢を描いたものといえるのではないだろうか。「宇宙へ出ること」への夢が前者なら、「その宇宙でめぐりあう異星人」への夢が後者か。

 『星虫』を読んだあとで星空を見上げた時は「ああ、あの星たちにいつか本当に行くことができるかもしれないんだ!」と思ったが、この『イーシャ〜』のあとでは「ああ、あの星たちにもそれぞれ誰かが住んでいるのかもしれないんだ!」と思った。著者の前向きな気持ちに好感。宇宙への夢と、ひとの優しさに包まれる一冊。読み終わってこの本を閉じたとき、あなたの顔にもきっと微笑みが浮かんでいることだろう。

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quarter mo@n』☆☆☆☆1/2 中井拓志 角川ホラー文庫(99.12月刊)

 非常にツボ。これはネット者のあなたにはぜひ読んでほしい一冊。なぜなら、これはあなたと私の小説だから。ネットの怖さをよく表現した、実にいろいろ考えさせられた話であった。

 岡山県久米原市立見台地区。この町では、お役所が実験的に、町じゅうのすべての中・高校生のいる家にコンピュータを支給していた。4000世帯の家庭が、この地域だけの光オンライン・ステーションでつながっていたのだ。この町で、中学生達の謎の自殺が立て続けにおきる。彼らは皆、現場に「わたしのHuckleberry friend」という走り書きを残していた。いったい、彼らの身に何が起こっているのか?楢崎巡査部長と、警察庁から派遣された見原警部補はコンビを組んで、この事件に取り組むことになる。

 捜査を開始してみたものの、この町の中学生達は不気味なくらいに物静かで、ほとんど何も話そうとしない。学生同士でさえ、だ。大人たちには、何がなにやらさっぱりわからない。が、やがて、楢崎達は、中学生達が、彼らだけの秘密のホームページで、チャットにより情報交換をしている事実を突き止める。そして、そこでかつて起きた恐ろしい事実が浮かび上がってくる…。

 私自身、ネットにどっぷり首まで浸かっている身なので(笑)、彼らの気持ちは感覚的にとてもよくわかる。心が、現実よりもネットの中に本拠地をかまえてしまうという感覚。多感な中学生ならなおさらだ。大人が汚く見えて仕方ない年頃だもの。大人の都合で作り上げた現実なんかより、よっぽど楽しいに決まってる。でも、彼らは過ちを犯してしまった。ネットの中で始まったささいな中傷、言葉の暴力。あふれる悪意に満ちた言葉達。それと現実がごっちゃになってしまったのだ。「あいつなんか殺しちゃえ」「あいつはルール違反だ、死ね」などという軽い気持ちの書き込みが、いつしか現実までも侵蝕してゆき、実際に自殺や殺人が起きてしまう。中学生達の心の危うさが、凶器となるのだ。見原たちがネットの中の架空と妄想の世界を「それはウソだよ」といくら語りかけても、「かわりにホンモノをくれる?ホンモノノ棒ヲクレマスカ?」と彼らは問う。この言葉に、大人たちはどうすればいいのだろう?返す言葉があるだろうか?

 ネットの悪意に満ちた言葉は、更なる悪意を呼ぶ。どんどんそれは蔓延してゆく。この怖さは非常にリアルだ。実際に掲示板でのごたごたなんてよく起きているし。ネットというコミュニケーションは、気軽にどんなことでも書けてしまう。だが、同時に言葉だけでコミュニケーションするのは実に難しい。誤解やすれ違いなどの問題にはしょっちゅう直面する。これはネットにおける大きな課題であろう。要するに、これはコミュニケーションのほんの一部である、という認識が必要なのだろう。これが全てではないのだ。あくまでも現実というのは、コンピュータの外にあるのだ。これに気づかなかった(本当は虚しいと気づいてたけれど気づかないふりをしていた)少年少女達は、まさに悲劇である。彼らは、命の重ささえわからなくなってしまっていたのだから。彼らはネットに取り込まれてしまったのだ。このネットに取り込まれる怖さは、あなたならわかっていただけるのではないだろうか。

 ネットの中も現実も虚しいとしか思えない子供達。この彼らの心のどうしようもない空虚感を、著者はよく描いていると思う。ラストも実にこの物語にふさわしい幕切れだった。ときどきひっかかる文章もなきにしもあらずだが、ストーリーとしては実に楽しめた。しかしこれ、『青猫の街』みたいに横書きで読みたかったね。文庫だとやはりつらいだろうか?

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『老人と犬』☆☆☆☆ ジャック・ケッチャム 扶桑社海外文庫(99.6月刊)

 ううん、はっきり言ってかなり好み!いやなんか実にむちゃくちゃな話でツッコミどころ満載なのですが、とにかく面白い!一気読み!世の中に「面白い小説」と「そうでない小説」があるとしたら、間違いなくこれは「面白い小説」であると断言しよう。理屈抜きに物語を楽しみたい人向き。これはある老人の、愛と暴力と復讐の感動ヒーロー小説である。いやあ、人間、トシじゃないねえ!(笑)

 といってもこれは楽しい話ではない。むしろ非常に暗く重い話である。過去に肉親のことで心に深い傷を負った、ひとりの老人。彼はある日、愛犬とともに川のほとりで釣りを楽しんでいた。そこに不良少年が3人現われ、金をせびる。老人がろくに持ってないと知ると、彼らはいきなり、銃で犬の頭を吹き飛ばした。呆然とする老人をよそに、笑いながら去ってゆく少年たち。老人は、このあまりに理不尽な暴力の謝罪を要求するが、少年たちもその親も、事実を否定し、それどころか逆に老人に制裁を加えるありさま。この無慈悲なやり方に、老人はついに怒りを爆発させる…。

 ごくごく誠実に生きてきた老人。家族を愛し、妻を殺されたときに唯一のなぐさめになってくれた犬を愛し、周りの人々を愛し、つつましく暮らしていた彼。この何の罪もない彼に降りかかる災厄は、あまりにヘビーだ。ひどすぎる。なぜ、彼がこんな目にあわなくてはならないのだ?彼の静かで深い周囲への愛情がじんわり心に染みるゆえになおさら、この理不尽な悪意には、激しい怒りを覚えずにはいられない。

 とうとう、彼の怒りは火を噴いた。後半の彼の活躍は、ダイハード老人バージョン、みたいな頑強ぶり(笑)。強すぎるよ、おじいちゃん!かっちょえ〜よ!思わずこぶしを握り締めて「がんばって!」と応援したくなるカッコよさ。そう、これはヒーロー小説なのだ。おじいちゃん、素敵です。惚れます。とある美女にモテるのも納得いきます。ちょっとこのロマンスには驚いたが(彼は67歳)、ヒーローだからモテて当然なのだ。

 ラストには涙を誘われた。結局これは深い愛のために闘った、あるひとりの男の話といっていいだろう。なんというか、ケッチャムってすごすぎます。私はファンですね。この本に限ってはですが。(他のはかなりエグイというウワサなので)

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『あなたが欲しい』☆☆☆ 唯川恵 新潮文庫(99.11月刊)

 題名からして、ベタ甘の恋愛小説かと思っていたら、驚くほどビターな話だった。婚約間近の恋人がいるのに、友人の恋人を好きになってしまい、揺れる女心…みたいなあらすじが裏表紙に書いてあったのだが、実際読んでみたら、登場人物5人のドロドロ!ここまで壮絶な話だったとは!

 しかし、なにかスッキリしない話だ。というのは、登場人物全員が、自分の気持ちに素直じゃないから。どうして皆、自分の気持ちに嘘をついて、本心をねじ曲げた行動をとるのだろう?それはダメだよ。できないよ。いい子ぶりっこしようといっくら蓋をしてみても、忘れようとしても、心ってやつだけは理性による方向修正は不可能だ。それはいけないことだって、嫌というほどわかっていても。

 誰でも、心に暗い部分はある。ライバル心、嫉妬、ねたみ、横恋慕、裏切り。著者は、残酷にも彼ら5人の心の最も醜い部分を白日のもとにさらけ出す。自分の醜さに驚き、戸惑う彼ら。そして、相手に傷つけられたことより、自分自身の罪に傷ついてしまう。そう、もしかしたらこの世でもっとも始末に負えないのは、自分の思うとおりにならない自分の心なのかもしれない。

 人間は、きれいごとだけでは生きていけないのだ。清濁併せ持つ、複雑な生き物なのだ。あなたも、私も。

 これでラストまで思い切ってどん底まで持っていくと山本文緒になるのだが(笑)、唯川恵はわりとさらりとキレイにまとめている。私はどちらかというと、落ちるならとことんまで、という山本文緒路線のほうが好みだが、まあこれは好き好きであろう。

 一見甘くやさしいタッチに見えて、実は人間の弱く醜いところをずばりと書く、唯川恵。おそるべし。

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『夢みる宝石』☆☆☆ シオドア・スタージョン ハヤカワ文庫SF(79.10月刊)

 これは『人間以上』よりははるかに読みやすく、わかりやすい話であった。が、やっぱり奇妙なSF。著者の感覚と発想は、突飛という言葉すらはるかに超越している。いったい、どこからこんな発想、こんな物語が出てくるのだろう?人間の考えた話とは思えない。スタージョン自身が宇宙人、いや水晶人なのではないだろうか?(笑)通常の人間の感覚とはかけ離れてる。全く異質。ものすごい違和感を感じる。

 この話の発想は本当にすごい。ある人間嫌いの男(奇形カーニバルの座長)が、偶然森で奇妙にそっくりな2本の木を発見する。どうやら、その木を作っているのは、不思議な能力を持つ水晶であるらしい。その水晶は、なんと生きており、夢を見る。そして、その夢の産物として、奇形生物を作ってしまうというのだ!…いったい、どうしてこんなとんでもない物語を考えつくわけ?

 そしてその男は、水晶を使って人間すべてに復讐しようとたくらむ。そのためには、水晶とコンタクトをとるための仲介者が必要だ。カーニバルの一員だったジーナは必死で主人公の少年ホーティを守っていたが、ホーティにどうやらその力があるらしいと気がつき、彼を執拗に狙い始める。

 ミステリ・タッチというほどでもないが、先が気になってどんどん読める話。ホーティのことが心配で心配で!この物語も、やはり「愛」と「孤独」がキーワードになっている。ジーナのホーティに対する深く静かな愛情、そして孤独。本当に登場人物すべてが、愛に飢えているのだ。

 温かなラストに、救われる思いがした。読後感がよくて、なんだか心からほっとした。それにしても、実に独特の味わいを持つ作家である。

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『人間以上』☆☆1/2 シオドア・スタージョン ハヤカワ文庫SF(78.10月刊)

 いやはや、この奇妙さをどう説明したらよいのだろう。とにかく、こんなに変わったSFを読んだのは、生まれて初めて。きわめて異質。良く言えば含蓄のある表現、だが悪く言えば、文章が非常にまわりくどくてわかりにくい。直線距離なら5分で着くところを、わざわざ1時間くらい回り道しているかのような表現。これが、スタージョンの味なのだろうか?

 ストーリーは、うーん、超能力者たちの「ブレーメンの音楽隊」かな?(笑)どこか人と違うところがあるため、社会からつまはじきにされていた、登場人物たち。実は、彼らは超能力を持っていのだ。が、ひとりではたいした力ではないが、5人がそれぞれ手、足、頭として機能したとき、それは「人間以上」の大きな恐ろしい力になるのだ…。

 と書けば簡単だが、話はもっと難解で非常に説明しにくい。どうにも表現のしようがない。

 あと、この物語で強く感じるのは、彼ら登場人物たちの「孤独」だ。彼らは人から愛されたことがほとんどない。愛というものがなんだかわからない者さえいる。それがゆえに、3章の「道徳」に出てくるジャニィの献身的な愛情は、優しく読者の心にしみる。砂漠に降る雨が、たちまち乾いた大地を薄緑に変えるように、それまでのどこか寒々しい話を、一気に慈愛に満ちた物語に変える。それはつまり、著者がいかに愛を渇望しているかということの表れなのだろうか。

 何回か読まないと、本当の意味は理解できない、そんな気がするSF。

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『木曜組曲』☆☆☆1/2 恩田陸 徳間書店(99.11月刊)

 恩田陸のミステリ。が、これのほんの少し前に発売された『象と耳鳴り』とはびっくりするほど違う。同じ著者とは思えないほど。あちらは本格推理路線だったが、こちらは心理ミステリである(実は根っこの根っこは似てるところもあるのだが、これは後ほど述べさせていただく)。

 ううむ、これはいかにも女性らしいミステリ。というのは、登場人物(容疑者?)が全員女性で、その5人の腹のさぐり合いで話が進行するのだ。オンナの性格のいやらしさ丸出し(笑)。おおいやだ、自分のいやなとこモロに書かれてるみたい(笑)。でも、それを逆手にとって小説に仕立てることに、著者は見事に成功している。というのは、推理のもとになるものがすべてこの女性たちの告白のみなのである。つまり、その告白が真実だという確証は全くないのだ。彼女はああいったけど、実は嘘かもしれない。でも本当かもしれない。で、真実を求めて皆が皆腹のさぐり合いをしあうわけである。

 耽美派の女流作家、時子は4年前に毒で死んだ。自殺ということで当時はかたがついたが、実はそれはどうも納得いかないものであった。その後毎年、彼女の命日に一番近い木曜日をはさんだ2泊3日、彼女と縁の深い女性たち5人が、時子の住んでいたうぐいす館に集まり、ささやかな宴を催していた。そして今年、その席で、ついに真実の扉が開き始めた…!果たして時子は自殺か他殺か?もし他殺なら犯人はこの5人の中の誰?

 次々と飛び出す意外な告白に、推理は二転三転四転、どんでん返りまくる。謎が明らかになるかと思いきや、ふりだしに戻るの繰り返し。いやはや恩田陸ってまったくどうしてこう人を煙に巻くのがうまいんだろう!ミステリってのはだんだん霧が晴れるように真実が見えてくるものなのに、彼女のミステリは霧が深くなるいっぽうだ!またそこがたまらなくイイのだが。こんな奇妙なミステリ書く人を私はほかに知らない。 

 ラストについての言及は、あなたのためにとっておきましょう。ふふふ。あなたの驚く顔が楽しみです。

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