多々良隊
イ47潜 イ56潜 イ58潜 イ44潜
昭和20年3月28日〜4月3日出撃
>> 当時の日本の状況
イ47潜
左より横田二飛曹、山口一曹、前田中尉、折田艦長、三輪長官、柿崎中尉、古川上曹、新海二飛曹
短刀拝受
左より折田艦長、柿崎中尉、前田中尉、古川上曹、山口一曹、新海二飛曹、横田二飛曹
三月二十八日出撃。沖縄海域に向かうも、種子島南方にて爆雷攻撃を受け艦体損傷し四月一日帰還。
*資料・爆雷攻撃*
光人社・『ああ回天特攻隊』より/
横田寛(当時回天二飛曹搭乗員)
「艦尾左30度の音源上がった、感四・・感五!」
(イ47潜)艦内の静寂をやぶって、いきなり聴音室からの大変な報告がとんだ。と、同時に、シュルシュルシュル・・異様な音が天井(海面)の方から聞こえてきた。
まったく経験のない私は、はじめは、<なんの音だろうか?>とのんきに考えていたが、ふと古川上曹の目じりをつりあげて下唇をかんでいる、緊張した顔を目の前に見たとたん、「あ、スクリュー音だ!」と気がついた。さすがにギクッっとした。
「取舵いっぱい、水中全速!」間髪を入れず、指令塔からの号令がとぶ。いまここで爆雷を落とされたら百年目である。
・・「直上通過!爆雷!」
聴音手が、レシーバーを耳からはずし、机の上に放りだしながら報告したのである。ついにくるべきものがきた。
「やられる・・」
死ぬ・・といういじらしい恐怖が、すうっと全身を突きぬけていく。もとより捨てた命ではあるが、どう考えても、爆雷なんかで死ぬのはいやだ。私はなんのために、あれだけ猛烈な訓練に耐えてきたのだ。
十秒くらいたったろうか。グワーン、と第一発目がものすごい余韻を発して爆発した。続いてガンガンガンガーン!百雷が、一時に落下したような、すごい衝撃である。立っていた床が、グラグラゆれて、転倒しそうになった。あやうく踏みこたえる。艦全体がミシミシと音をたてたかと思うと、電灯が激しく点滅した。
最後か? 浸水は? 畜生!いちどきに、いろんな感情が頭の中を駈けめぐる。・・前方でグワーン、グワーン、ガンガンと、さらに十数発爆発音が艦をゆさぶった。前のように激しい衝撃はなかったが、艦全体が大きくあおられてぐらっと動いた。・・(中略)
一撃、また一撃をのがれて、ほっと一息ついたところへ、また聴音室からの報告がくる。
「右十九度、感度上がった。感四・・」
スクリュー音こそ聞こえなかったが、またぶきみな緊張のひとときが流れる。しかし、それからは全然、攻撃をしかけてこない。
一時間たった。二時間たった。相変わらずスクリュー音は、感二、三のあたりをうろついているらしいが、いっこうに爆雷攻撃のけはいはない。
艦内温度は、湿度が上がったうえに、すでに三十七度を上回っている。ま夏の直射日光よりはるかに高い温度だ。冷却器が回せないからである。
<このまま致命傷で浮上できず、浸水があってジワジワ沈む運命になったとしたら・・>そんなよけいなことまで考えてみる。多くの帰らぬ潜水艦も、おそらくこうして苦しみながら海底に沈んでいったのだろうか。
肩で息をしながら、まっ黒になったタオルで額の汗をふいていると、スピーカーが鳴った。「深度四十、総員配置についたまま休め!」
どうやら、敵も業を煮やして遠ざかっていったらしい。13:00、戦闘配食で昼食をすませたころ、やっと音源消滅の報告がきた・・。
駆逐艦の共同作戦による爆雷攻撃の猛烈さは、私もあとの出撃(轟隊)でさらに体験したが、海上からみると、海をゆるがして地ひびきのようなものすごい爆発が起こり、それにつれて吹き上がる白い潮のたばのすごさは、まさに形容を絶するものだという。
イ56潜
出撃記念
左より矢代二飛曹、宮崎二飛曹、八木少尉、正田艦長、三輪長官、福島中尉、川浪二飛曹、石直二飛曹
左より石直二飛曹、宮崎二飛曹、福島中尉、八木少尉、川浪二飛曹、矢代二飛曹
桟橋へ向かう出撃員(先頭から六名は整備員)
沖縄海域に向かうも消息不明。米記録4月5日撃沈。
戦死:搭乗員福島誠二(海兵72)、八木寛少尉(関大)、川浪由勝二飛曹、石直新五郎二飛曹、宮崎和夫二飛曹、矢代清二飛曹、艦長正田啓治少佐以下122名
*伊56潜の最期(米軍資料より)*
「四月五日03:45、対空レーダーのピケット艦として哨戒中の米駆逐艦ハドソンが、久米沖でレーダー探知、04:06飛行機が吊光爆弾を投下、千六百ヤードでソナー探知、爆雷攻撃三回、水中爆発音を聞く、更に爆雷攻撃三回、浮遊物多数を発見した。」これにより伊56潜の撃沈を確認。
*資料・回天特別攻撃隊潜水艦戦死者名簿/伊号第56潜*
イ58潜
前列:不詳、入江二飛曹、園田少尉、橋本艦長、三輪長官、池渕中尉、柳谷二飛曹、長井司令官
後列:是枝少佐、末広艦隊主計長、郡島艦隊機関長、井浦参謀、揚田司令、有近参謀、鳥巣参謀、板倉参謀、不詳
沖縄海域に向かうも荒天と敵哨戒厳重のため4月29日帰還。
イ44潜
前列:菅原二飛曹、亥角少尉、増沢艦長、三輪長官、土井中尉、館脇少尉
後列:板倉参謀、坂本参謀、井浦参謀、長井司令官、有近参謀、揚田司令
鉢巻を受領する土井中尉
神酒を拝受する亥角少尉
笑顔で別れを告げる隊員たちと、見送る着任早々の海兵74期士官
沖縄海域に向かうも消息不明。米記録4月17日撃沈。
戦死:搭乗員土井秀夫中尉(海兵72)、亥角泰彦少尉(東大)、館脇孝治少尉(中大)、菅原彦五二飛曹(電通工)、艦長増沢清司少佐以下130名
*資料・伊○○潜の最期(『米国駆逐艦作戦史』より要約)*
米軍上陸部隊艦船と機動部隊は、ニミッツ提督以下の対潜艦艇を総動員し、また航空部隊と協同して沖縄を十重二十重に取り囲んで、日本潜水部隊猛反撃に対する必殺の態勢をととのえた。
敵艦(伊○○潜)はこのうちの海軍中将ラドホードが指揮するヨークタウン部隊に肉薄してきたため、米機動部隊は精鋭駆逐艦のハーマン、ウルマン、マックコード、対潜撃滅隊のメルツ、さらに交代駆逐艦コレットと航空母艦バターンからの爆雷機二機をあて、これを撃沈した。
その経緯。
四月十七日の夜の十一時二十分、駆逐艦ハーマンがレーダーで潜水艦を捕捉。やがてヨークタウン部隊の他の数隻も同様に目標を捕捉。
ハーマンが肉薄していくと、レーダーの目標は消え失せ(潜航回避)、水中戦となる。
ハーマンがソナーで目標をつかむと、これに向首し、11時55分、爆雷を投下。統一指揮官はウルマンにも攻撃を命令。同艦はつぎの45分間に二回の爆雷攻撃を加える。
その後18日の午前1時30分から午前7時43分までの約六時間、ハーマンとマックコードが、いれかわりたちかわり手持ちの爆雷を全部使いはたすまで攻撃を続ける。が、それでも撃沈を確認出来なかったため、以後はソナー触接を持続しつづけ、交代駆逐艦が現場に駆けつけてくる間、伊○○潜を制圧。
交代駆逐艦が到着する前に、空母バダンから発進した爆雷機到来。午前8時51分と57分に爆雷投下。が無効。
その一時間半後、交代駆逐艦のメルツとコレットが現場に到着。
コレットが五回、メルツが一回の爆雷攻撃。そのコレットの五回目の攻撃(攻撃開始より実に12時間を超す)で、どす黒い重油が突然海面に湧き出す。
やがて重油の渦巻く中に、破壊された木片や、人体の断片、いろいろの潜水艦の残骸が浮き出してきたため、当部隊は伊○○潜の撃沈を確認した・・。
*資料・回天特別攻撃隊潜水艦戦死者名簿/伊号第44潜*
( 謹んで亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。)
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