天武隊


イ47潜 イ36潜

昭和20年4月20、22日出撃

>> 当時の日本の状況



イ47潜



左より・前列:横田二飛曹、古川上曹、柿崎中尉、佐々木参謀長、折田艦長、長井長官、前田中尉、山口一曹、新海二飛曹
後列:三谷大尉、不詳、有近参謀、揚田司令、不詳、板倉参謀、是枝少佐



桜を手に
左より:横田二飛曹、古川上曹、柿崎中尉、前田中尉、山口一曹、新海二飛曹



左より:佐藤旭兵曹、横田二飛曹、不詳、古川上曹、新海二飛曹、山口一曹



後甲板で出港寸前



回天上で軍刀、桜を振り見送りに応える


四月二十日伊四七潜出撃。沖縄東方海域。五月二日柿崎実中尉(海兵72)、古川七郎上曹(小金田小)、山口重雄一曹、発進戦死
五月七日前田肇中尉(福岡第二師範)、発進戦死
回天二基故障のため発進不能(生還者、横田寛二飛曹、新海菊雄二飛曹)五月十二日帰還



柿崎  実



妹・幸子さん宛

幸ちゃん、長い間いろいろありがとう。

とうとうお別れの時が来ました。もとより君国に捧げた命だもの、惜しいことは少しもない。

この手紙が届く頃は、私はもうこの世には居ない事と思います。思えば二十年の一生も夢のようです。たのしかった事、かなしかった事と、今はもう皆たのしい思い出として私の頭の中に浮かんで来ます。

兵学校の夏休暇で、幸ちゃんと一緒に海に行った事もあったなあ。あの時は真黒になって、本当に気の毒だった。さぞあとで困ったろうと思うと、今でもおかしくなる。

こうして静かに種々の事を考えると、俺は本当に幸福だ。本当に静かな気持ちで、この大壮挙を決行することが出来る。

空には星が銀の砂を撒いたように光って居る。秋の満月が澄みきって輝いている。幸ちゃんもこの空を、この月をながめているだろうか。

とにかく、人間に最も大切なのは、純真な気持ちだ。人が生まれた時の気持ち、自然の心、それが欲のために次第に濁ったものになったのだ。だから、まず欲をなくすことだな。この試練に打ち勝ってこそ、自然の心、不動心、即ち純真さが得られるのだ。・・(中略)

生死観とは、死を考えるから起きる考えだよ。考えなければこんな事は問題ではない。人間は日常茶飯事とおなじ自然の一現象に過ぎない。死をどうしてそれだけ大きな問題に考えるのか。之も欲のためだ。即ち愛の欠乏した人間の考える事だ。臣として君の愛を感じ、子として親の愛を感じ、人としては神の愛を感じ、妻としては夫の愛を感ずる人にとっては、死ぬということは考えられない事だ。

幸福とは満足することではないかな。

如何なる苦境にあっても之に満足し、之を開拓し、之を進めるべく努力する事。之が幸福なのだ。苦境にあわてて之に負ける人は、幸福を自分で捨てる人だよ。

あくまで神を信じ、人を信じ、自分を信じて、苦境の中に突入してこそ、真の幸福を得る事が出来るのだ。

幸ちゃんも一日も早く、そして長く、子として、親として、妻として、母として幸福な生活を送って下さい。私は死んでも、いつまでもあなた方をお守りしています。

強く正しく優しく元気でおる事を

遥かあの世で祈るぞ

さらば元気で暮せ

さようなら

菊水の友



*参考資料「柿崎隊長、山口兵曹の出撃」*



光人社・『ああ回天特攻隊』より/
横田寛(当時回天二飛曹搭乗員)

翌二日のことだった。潜航後三時間ぐらいしたころ、艦内が急にざわついてきた。聴音室の報告を聞きもらしたかなと思っていると、「総員配置につけ!」の号令がかかった。

「隊長!いよいよはじまりそうですね」

「ようし、いっちょうやるか」

ニタッと白い歯を見せて笑う柿崎中尉のそばでは、前田中尉が、さあ、いつでもこい、といった態度で、はち巻きをしめ直している。不思議にみんな落ちつき払っている。死を直前にひかえているなどとは、とても思えない。まったく不思議だと思う。と、いきなり、

「回天戦用意!」

「搭乗員乗艇!」

やつぎばやに号令がかかった。

毎朝かかる乗艇訓練の要領どおり、回天の真下に行き、手をのばして筒内電灯をつけるや、艇内におどりこんだ。そくざに電話をとり、レシーバーを耳にかける。

「敵は何か?」

「大型輸送船が一隻、駆逐艦が一隻。方位角、右六十度、距離六千、敵速十四ノット、敵針二七〇度。一号(柿崎)艇と四号(山口)艇を出す。他の艇は待機せよ」

「なにィ!三号(横田)艇は出さんのか!」

・・と、その時だ。

「一号艇、発動!」と、一号艇への連絡の声が、私の電話にかすかにはいってくる。思わず特眼鏡をあげて、接眼部にピタリと目をつける。

海の中は青空のように、コバルト色に澄みきっていた。その中で、約十メートルぐらいはなれた前方の一号(柿崎)艇が、突然、ガガガ・・・ガガと軽快な熱走音を出し、スクリューが猛烈な勢いで回転をはじめた。まっ白い気泡が、煙のように見える。唇をかみしめながら、なおも見ていると、ガタンガタンと音がして、ワイヤーバンドがはずれ、甲板にくずれ落ちた。と思うまもなく、ガーッと熱走音の余韻を残して、見るまに遠ざかっていった。

「隊長!」

心の中で叫びとめる。

ついで、息つく間もなく隣の(山口)艇がものすごい熱走音を発し、ガタンガタンとバンドがはずれた。

「ああ、ふたりとも行ってしまった!」

ついさっきまで、私の前でほがらかに談笑し、観的訓練をしていた柿崎中尉と山口兵曹、ふたりの笑顔が、目の前に大きな幻となって現われてくる。・・しばらくは、司令塔との連絡も忘れ、亜然としていると、何分ぐらいたったときだろうか、突然、ドッカーンというものすごい爆発音が伝わってきた。

しばらくすると、ふたたび前にも増したような大音響が伝わってきた。

・・・。

柿崎隊長はその遺品の中に、『海底日記』と題した大学ノートをのこし、そのなかにひっそりと辞世をしたためてあった。

「共に死にゆくこの人形は
どこのどなたの贈り物」

隊長はいつも、御両親の写真を胸におさめていた。この写真とこの人形と、ふたつをしっかりとだいて、二十有余歳の柿崎隊長は海に沈んだ。

この夜、『海底新聞』の主筆の佐丸幹男中尉が、『柿崎隊長を偲ぶ』という詩をつくった。序詩には、「この日、柿崎中尉体当り敢行、感きわまりてこの一編を捧ぐ」とある。


*柿崎隊長を偲ぶ*

佐丸幹男・元ハ号206潜機関長/
(海機53期・柿崎中尉と同期生)


一、弱冠二十有余才 内に包める花の香の

香りもゆかし軍神(いくさかがみ) 身は肉(ししむら)の弾丸(たま)となし

ただ一筋のみちのため 顧りみもせず征きにけり

柿崎中尉、征きにけり

二、はるけき並路踏みこえて 来にし苦労もさりながら

いま沖縄の決戦場 男(お)の子の血潮沸きて立ち

回天、動地、震海の 道の極みを遂げにけり

柿崎中尉、遂げにけり

三、幽明(ゆうめい)、境(さかい)、異にして 神人(じんしん)の境(きょう)、垣あれど

通う心に魂(たま)の声 なぜに隔てのあるべきや

誓しことば、そのままに永遠に皇国(すめくに)護るらん

柿崎中尉、護るらん




イ36潜



左より・前列:松田二飛曹、海老原二飛曹、八木中尉、菅昌艦長、長井司令官、久家少尉、野村二飛曹、安部二飛曹
後列:宮田大尉、浜口整備長、揚田司令、不詳、内田参謀、板倉参謀、是枝少佐、三谷大尉



桜と共に
左より:松田二飛曹、海老原二飛曹、久家少尉、八木中尉、野村二飛曹、阿部二飛曹



八木中尉を送る兵73期とコレス(海機の同期)
左より・前列:峰中尉、坪根中尉、八木中尉、西山中尉、東島中尉
後列:池本中尉、那知中尉、井上中尉



短刀を受ける阿部二飛曹


四月二十二日伊三六潜出撃。沖縄東方海域。四月二十七日八木悌二中尉(海機54)、阿部英雄二飛曹(小樽商業)、松田光雄二飛曹(県立古河商業)、海老原清三郎二飛曹(府立実科工業)、発進戦死。
回天二基故障のため発進不能(生還者、久家稔少尉、野村栄造二飛曹、)四月三十日帰還。




*参考資料・伊三十六潜*

同上・『ああ回天特攻隊』より


花を持ち別れを告げる伊三十六潜の回天搭乗員
・・回天搭乗員は、隊長が機関学校出身の八木悌二中尉。彼は熊本の済々黄中学四年在学時から、機関学校に進んだ秀才であり、そのうえ、早生まれときているので、中尉ではあるが満二十歳にもなっていなかった。若いだけにハリキリぶりもすさまじく、大津島時代は、われわれなどもすれちがうたびに、ビクビクしていたものである。

次席搭乗員は、大阪商大出身の予備士官、これまた童顔かれんな久家稔少尉。下士官搭乗員は四名で、その名は、安部英雄二飛曹、松田光雄二飛曹、海老原清三郎二飛曹、野村栄造二飛曹であった。
この四名は、私とは土空いらいの同僚であったが、よくもまあ、これだけあばれん坊ばかりそろえた、と思うような顔ぶれであった。棒倒しのときなど、海老原などは小柄なのに、くらいついたら離さない。殴られようがけられようが、とにかくダニのようにしがみついて離れない。すごいファイトの持ち主なのである。・・


八木悌二




大正十五年二月二十七日、熊本県阿蘇郡役太原生れ。(父親は阿蘇郡黒川村役太原小学校長)
黒髪小学校六年のとき剣道、相撲ともに主将。
昭和十三年四月五日、熊本県一の名門校済々黄に入学。同校でも頭角をあらわし、文武両道に秀で、四年生のとき生徒長をつとめ学業成績は一番。
視力やや不足のため兵学校をあきらめ、機関学校と陸軍士官学校を四年在学中に受験(旧制中学は五年制)、両方とも合格。
昭和十六年十二月一日、機関学校五十四期生として入校。(その一週間後、大東亜戦争勃発)


出撃直前に弟にあてた手紙


逸郎さん、元気で学校に通っていますか。兄さんは、この前の休暇の時逸郎さんの元気な顔を見て、毎日安心して訓練しています。兄さんが戦死したら逸郎さんです。兄さんは誰にも負けないような手柄をきっとたてます。

逸郎さんは兄さんよりさらに立派な人になって、お国のためにはたらいて下さい。兄さんの最後のおねがいはそれだけです。幼い時から逸郎さんがすきだった兄さんは、きっと戦死したあとも、草葉のかげから見守ることでしょう。では、おばあさん、お父さん、お母さん、お姉さんの言われることをよくきいて、なまけた時は、兄さんの最後のお願いを思い出し、きっとお役に立つ人になって兄さんをよろこばして下さい。

兄より

逸郎さんへ

 

松田光雄



回天で発進前夜の手記


出撃前、ちょっとでも家で母に会えたならと念じたるは我が真の心なりき。しかれども我が子、祖国のため散り行くを喜ぶ我が母あれば、子は安心して御奉公出来るなり。母よ、ああお母ちゃん、光雄は護国の鬼となり、母さんに面会に家に帰りますと、特眼鏡に映じたる水平線に祈りたり


身はたとえ 米鬼と共に沈むとも
笑顔で帰らん 母の夢路に