轟隊
イ361潜 イ363潜 イ36潜 イ165潜
昭和20年5月24日〜6月15日出撃
>> 当時の日本の状況
イ361潜
イ361潜出撃記念
左より・前列:金井一飛曹、岩崎一飛曹、小林中尉、佐々木先任参謀、松浦艦長、長井司令官、田辺一飛曹、斉藤一飛曹
後列:三谷大尉、是枝少佐、末広艦隊主計長、有近参謀、揚田司令、鳥巣参謀、板倉参謀
左より:金井一飛曹、田辺一飛曹、小林中尉、岩崎一飛曹、斉藤一飛曹
鯉のぼりを高々と壮途に
五月二十四日イ361潜出撃。沖縄東南方海域。出撃後消息不明。(米記録五月三十日撃沈)
戦死、搭乗員:小林富三雄中尉(海機54)、金井行雄一飛曹、斉藤達雄一飛曹(中央航空研究所)、田辺晋一飛曹、岩崎静也一飛曹。
潜水艦乗組員(整備員):艦長松浦正治大尉以下81名。
*資料・回天特別攻撃隊潜水艦戦死者名簿/伊号第361潜*
イ363潜
イ363潜出撃記念
左より・前列:久保一飛曹、石橋一飛曹、上山中尉、醍醐長官、木原艦長、和田少尉、西沢一飛曹
後列:板倉参謀、不詳、足羽艦隊軍医長、揚田司令、長司令官、是枝少佐、浜口大尉、三谷大尉
花を手に桟橋へ向う
五月二十八日イ363潜出撃。沖縄、ウルシー線上に向うも攻撃の機を得ず六月二十八日帰還。
イ36潜
イ36潜出撃記念
左より・前列:柳谷一飛曹、横田一飛曹、園田少尉、菅昌艦長、醍醐長官、池渕中尉、久家少尉、野村一飛曹
後列:板倉参謀、末広艦隊主計長、揚田司令、長井司令官、有近参謀、鳥巣参謀、是枝少佐
花を手に殉職戦友の遺骨を胸に
左より・横田一飛曹、野村一飛曹、柳谷一飛曹、久家少尉、園田少尉、池渕中尉
六月四日、イ36潜出撃。マリアナ東方海域。
六月二十八日池渕信夫中尉(大阪日大・理学部)、久家稔少尉(大阪商大)、柳谷秀正一飛曹(小樽水産)、発進戦死。
回天三基故障のため発進不能(生還者:園田一郎、野村栄造、横田寛)。七月九日帰還。
イ165潜
イ165潜水出撃記念・市民から贈られた花を手に最後の晴れ姿
左より・恵美須二曹(整備員)、阿部一曹(整備員)、北村一飛曹、水知少尉
短刀を受領整列する隊員
(搭乗員二人目、北村一飛曹が掛けているのは訓練中殉職した同郷の矢崎二飛曹の遺骨)
花を手に内火艇で潜水艦に向う
壮途に就くイ165潜
六月十五日、イ165潜出撃。マリアナ東方海域に向うも消息不明。(米記録、六月二十七日撃沈)。
戦死、搭乗員:水知創一少尉(早大)、北村十二郎一飛曹(台湾新竹州立新竹中)。
潜水艦乗組員(整備員):艦長大野保四少佐以下106名。
*資料・回天特別攻撃隊潜水艦戦死者名簿/伊号第165潜*
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