生死のこと




出撃壮行式で神酒を拝受する小灘中尉



 生物の持つ本能のうちで、何にもまして強烈なものは個体保存の本能である。意識するにしろ、しないにしろ、誰だって命が一番惜しい。一つしかないのだ。

 漠然と考える死は易い。しかし死の恐怖は死に直面したもののみぞ知る。それを敢えて自ら死を選び、死ぬための技量を練磨し、静かに死んでいったのは、彼等に死に勝る明確な動機があったからである。

 回天は脱出装置も通信装置もなく、機関は一度発動したら停止再起動が効かない。母艦を離れたら、事の成否に拘らず、生きては還れない。クラス(海兵72)の隊員は、奔放な石川のほかは一般に温厚寡黙であったが、同室に起居していても、ついぞ生死について語り合った記憶はない。死地に赴くとき平然、敵めがけて発進の直前故障し帰投するに至っても、常と変わりなかった。散る桜、残る桜も散る桜。黙っていても、クラス同士ならば気持ちはよく通じていた。

 当時を想起し、あるいは他の人と違っていたかも知れぬが、小生の心理的な経過を記してみる・・。


八丈島進出
左より:桜井、佐藤、鈴木各一飛曹、小灘中尉、高橋中尉、斉藤、山田、永田各一飛曹

 大津島に着任し、これより一ヶ月後に総員敵艦隊に突入すると告げられたとき、改めて心身の粛然として引締まるのを覚え、必ずや自らの死をもって最大の敵を倒さんと決意した。そのために、この回天の性能を如何に生かすかを発見し、体得せねばならぬとまず考えた。そして心が落ち着いたとき、あたかも走馬灯の如く、過去のあらゆる事象がたえまなく、とりとめもなく脳裏を去来した。そして自らの死の意義を間違いなく見極め、体系づけようとした。

 大津島の丘に立って、薄霞に包まれて和やかに連なる本州の山々を遥かに望見したとき、「このうるわしき山河、そこに住むうるわしき民族を、滅亡から防ぐためならば死ねる。敵の進攻を食い止めるのに役立つならば、この身を弾丸に代えても惜しくはない」と納得した。

 実感があった。それからは、死はもう気にならなかった。
食事は一つ一つ味わって食べた。飯とはこんなに旨いものだったのかと思った。


八丈島底土にて
左より鈴木、桜井各一飛曹、小灘中尉、佐藤一飛曹

 多数の兵士が「天皇陛下の御為に」死んだ。しかしそれだけで、死の間際に何の疑いもないであろうか。陛下を通して、それに連なる同胞への、父母への、弟妹への限りない愛情のために死ねたと小生は解釈する。もとより小生は陛下を崇拝していたし、今も何にもまして敬愛する一人である。が、手のとどかぬ抽象的なものでは土壇場で自らを納得させる力は弱いと思う。

 予科練の方は、年も若く純粋な雰囲気にあった故か、まったく生死を問題にしていなかったが、出撃中ふと疑問を感じたとき、日本の清らかな乙女達を護るためなら死ねると思ったそうである。


底土基地:回天用スリップ横にて


『回天と我がクラス』(海兵72期会報) より