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大津島で見た昭和の天忠志士たち
天忠組青木精一郎の短冊
草莽義挙再探求会代表 草村克彦(会社員)
回天との出会いは約四十年前に遡る。小学校の通学路には映画館の
看板が掛かっていた。そこに『回天特別攻撃隊』だったかのチラシが貼られた。
「ああ」という字がタイトルに付いていたかも知れないが、とても印象に残った。
以来、現在の幕末維新史探求を趣味として続けて来た中でも、維新回天
という言葉を見聞きするたびに、当時の記憶が甦る。
幕末維新史の中でも天忠(誅)組志士の純粋性に惹かれる私は、同様に
純粋な回天烈士にも惹かれるものがあるのです。
今回、加藤氏のHPをきっかけに念願であった大津島への旅を決意しました。
幸いにも晴天に恵まれ、思い出多き訪島に出来ました。今回、その記録を紹介
いただける機会までお与えいただき嬉しく思います。
尚、今回の写真説明に関しましてはお忙しい中、岩本館員に質問をさせていただき、
小川宣館長様作成のパンフも参考にさせていただきました。
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1.平成17年1月21日。「回天の島」という大きな看板に迎えられ、桟橋から発射訓練場跡へと向かった。
途中、眼下に心洗われるように澄んだ美しい海が現れ、今の平和に感謝した。
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2.回天が運ばれたトンネル横から沖に突き出た訓練場跡を眺めた。
足元に水仙や菜の花が咲き乱れ、当時も隊員達が目にしたのだろうかと思うと小さな花にさえ感謝したくなった。
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今、この地に立ち、この同じ海を見た私は平和の有り難さを感じずに居られない。
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5.記念館前に置かれた回天の実物大模型だ。
先には穏やかな瀬戸内海が広がっている。そして、この
海の水は遠く南太平洋まで繋がっているのだ。
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7.館内には貴重な生き証言のVTRはじめ、沢山の烈士方々の遺品、遺影が展示されています。
正に所狭しです。余裕を持って訪館されるよう切に願います。
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8.創始者の一人である仁科関夫烈士の遺品コーナー。
ご本人は亡くなられても歴史の真実をこれら遺品が語り継ぎます。今後とも守り続けて頂きたい。
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9.大型潜水艦が日に日に失われていく中で、回天の運搬にこのような輸送艦が使われ始めました。
制海権や制空権を無くした中での輸送には大変な困難が待ち受けていました。
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10.海軍旗とイ58号潜水艦模型。
イ58潜は全長108.7mで回天を4基(改造後は6基)搭載し、4度(金剛・神武・多々良・多聞)の回天作戦に出撃したそうです。さすがに隊名は建武の中興・楠公に由来しているのですね。
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11.訪館の記念に記帳をと思ったのですが、烈士の皆様の言葉の重みに押されて、上手く書けませんでした。
物書きを趣味にする我が身が恥ずかしくもあり・・・。次回は上手く。
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12.回天記念館の岩本紀之館員と。寄贈した幕末烈士伝『維新残影』(吉備人出版)と『新・邂逅』17号を持っていますが、『維新残影』の著者である守田正明氏は岡山県新見市で化学会社を営まれている一方で空手道場もされています。正に平成の憂国志士であり、同書の第一章は「天誅落日」という天誅組に割かれております。写真の豊富さは他の追随を許さず、有り難くも私は寄稿させて頂いております。機会あれば是非。(写真撮影:草村千茶)
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13.「平和祈念の鐘」というそうです。1974年に徳山東ライオンズクラブが寄贈されたもの。高さ160cm、口径90cm、重さ850kgで、その内100kgは戦艦「陸奥」の40cm主砲の三番砲塔にあった砲金製の薬缶(銃でいう薬莢)が含まれているそうです。
いつまでも鐘の音が心に残りました。パラオやウルシーにも届いたでしょうか。
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14.徳山港からこの馬島港までフェリー「新大津島」、旅客船「鼓海」、そして同「回天」があります。
私も「回天」に乗ろうかと事前にダイヤを見たのですが、ちょっと難しいですね。行かれる方はご参考に。
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◆「新・邂逅」第17号・通巻40号 >>目次...
>>歴史観と食感を我流探訪するラムサック舎
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