時事放弾5連発
九条 快晴
『無私の心を今一度』
年明け早々に徳山沖の大津島や大和五條を訪問して来ました。どちらも晴天に恵まれ平和でした。しかし、この地はかつて日本の未曾有の危機に立ち向かった若者達が訪れた地であることを知る人は意外に少ない。
大津島には先の大戦末期に登場した、人間魚雷回天の訓練基地が在った。また大和五條は幕末に明治維新の魁となった皇軍御先鋒(俗に言う天誅組)が武装蜂起した地です。
この二つの歴史には約80年の開きがあります、その時を経ても若者の国を憂う気持ちは【無私】という点で受け継がれていました。
ところが、それより短い(戦後)60年の今はどうでしょうか。無私は無視と代わりました。自国の歴史を誇りを捨て亡国の一途です。昔の教育は悪かったと言う人が居ますが、天誅組も回天搭乗員も当時のレベルから可成りの知識人や高学歴者が沢山居られます。
国の事、自らの事は現代人より遙かに考える人々でした。次の60年後に国は無いかも。
『右翼教科書とは』
京都市で開かれていたアジア欧州会議外相会合の機会を捉えて日中外相会合が持たれた。予想通り今回も圧倒的な判定負けの感じだった。
全ての項目において、当方は下出に徹しているような聴き方であり、相手も子供扱いだ。挙げ句の果てが日本の教科書を「右翼の教科書」発言。ソコまで言われて何故「どの部分が右翼なのか」と聞き返さないのか。せめて「ではお宅は独裁左翼の偏向教科書ですね」と一言くらいは。
独裁国家の末路というのは決まっているが、自分のことをいつまで棚に上げておれるのやら。我が国は、その棚が崩れたときの事も考えて外交に目覚めて欲しい。アジア欧州会議と言うならアジア応酬会議になっても良く、本音で戦わないと国家は成り立たない。
本来は台湾が常任理事国である事を考えると今の国連自体を神聖視する必要は全くなく、プロ野球ではないが国際連帯とか国際共栄という新リーグ構想を持ち出しみるのも新手の外交戦略かも知れない。
『共に歴史を作るという考え』
奈良県五條市といえば「明治維新発祥の地」と呼ばれています。幕末に天誅(忠)組が天領だったこの地の代官所を襲ったことがその後の各地での討幕運動を加速させ維新を迎えた事に起因しています。ここでは、毎秋の天誅組イベントをはじめ、義挙140年を記念してアレンジされた「新調天誅音頭」という歌とこれに合わせた踊りが季節に関わらず周辺各地の催事を盛り上げています。
しかし、この地の方々やここを訪れる天誅組ファンは、決して襲われて犠牲になった代官所の方々のことも忘れてはいません。共に激動期の犠牲者として捉えているのです。
市内の極楽寺墓地にある代官所の方々のお墓にも多くの人がお参りされています。
昨今外交問題にまで成っているA級戦犯や靖国参拝問題ですが、この様に本来日本人には死者を差別する風習は無いと思います。名ばかりの裁判の実情も知らないで反対を唱える前に、冷静にご一考願いたいところです。
『もっとプライドを』
中国の副首相が靖国問題を避けて会談を一方的にキャンセルした一件で、私たち国民は戦後60年の外交音痴、屈辱的内政干渉を考える機会を頂いたと解釈したい。
そもそも我が国の首相はインド訪問時にパール判事の事を持ち出したり、先の答弁で内政干渉に不快感を表すならば、公約通り8月15日に参拝すべきであった。郵政民営化では頑固なまでに自分の信念を通されている。この強気の心構えと参拝日の微妙な調整ぶりがどうしても私たちには重ならない。どちらも公言して来られた事なのにだ。先の13日参拝には大いに失望したものだ。
ここに付け入る先を与え、反日デモの破壊行為にでも何等謝罪無く、逆に東シナ海、沖の鳥島とやりたい放題の道を開いた。
映画『亡国のイージス』もいいが、以前東京裁判を描いた『プライド』という映画があった。今こそ国民全員が東京裁判というものを知る必要があると思うのですが。
『ローレライ』の意義
潜水艦映画『ローレライ』が人気を博した。戦後60年を機会に戦艦大和の最後を描いた映画も作られる。呉には大和ミュージアムもオープンし、人間魚雷回天や特殊潜航艇海龍なども並ぶ。個人的に今の異常な平和ボケに呆れている私としては刺激剤としての効果を期待して止まない。が、その一方で教科書や領土で近隣諸国から内政干渉である抗議をを食らっているのに全く具体的な対抗行動を取らない国会議員にも呆れてしまう。
ライブドア問題ではないが、こちらは国が乗っ取られる事態なのに悠長なものだ。映画では愛する祖国・国家のために犠牲になるという当時の時代背景を鑑賞者が知ることになるが、既に祖国・国家という認識が欠落している国民に理解できるのか不安もある。
戦後行われてきた非現実的な理想的平和愛好教育の失敗のツケが、今大きく利子を増やして私たちに襲いかかって来た。
親が子を守る様に自分の国も自らで護ろう。
同人誌「新・邂逅」通巻41号より
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