祝『邂逅通巻四十号』 大津島の回天基地跡を訪ねて

 岡山県 守田正明




回天魚雷発射訓練基地跡の夕陽


 平成十六年十一月八日、予てから望んでいた回天特別攻撃隊が訓練の末、出撃したという山口県周南市の基地跡を訪ねる事ができた。
 午後二時五十五分に徳山港発の大津島巡航の「鼓海」という名の定期船に乗船し、三ヶ所寄港の末、目的地である馬島港へ着いたのは四十五分後の三時四十分頃である。
 この周防灘は穏やかな海だが、なぜか港には殆ど人の姿は見えず、ただ防波堤に数人の釣り人が確認できるだけでした。
 港に着くとすぐ右手の大津島小学校方面に向かい、坂道を暫らく登ると左手に門が見え、中に入ると、この基地から出撃して行った若き烈士達の石碑が両脇に整然と並んでおり、その奥に記念館(展示館)が目に入る。
 綺麗な記念館であるが、閉館時間が近づいている為、見学する方は居ない。
 館内の説明放送が聞こえる中、資料室に入ると、この人間魚雷(特殊潜航艇)を発案した岐阜県出身の黒木博司大尉と滋賀県出身の仁科関夫中尉の経歴やら写真等が展示されており、航空機による神風特別攻撃隊と同じく戦局打開の最後の手段として海中からの戦術として一人で敵艦に体当たりを目的とした兵器が、なぜ製作されたのか、この頃(終戦近く)の状況が細かく説明されてあった。
 そして志願して散った烈士達の遺品や遺書が並び、来館者の涙を誘うのである。
 その中でも、訓練中に殉職した黒木大尉(享年二十四才)の最期には息を呑む。
 昭和十九年九月六日、当日は波が高い為、訓練中止の命令が出たにも関わらず、「これ位の波で使えないなら実戦では役に立たない」と同僚の樋口大尉と共に回天へ乗り込み訓練に出発したのであるが、行方不明となり、翌朝、海底から気泡が出ているのが発見され、潜水夫によりロープを掛け引き上げたが、既に絶命していたのである。
 しかし、驚いた事に黒木大尉は苦しい息や絶望の中で、この事故についての所見(事故報告)を書き残していたのである。
 その後、前庭にて回天の実寸模型を見学する。
 この時、先程お会いして館内を説明していただいた岩本館員さんが出て来られ、全長約十五メートルもある船体の説明を受ける。
 そして、「本日はよくお参り下さった。実は六十年前の今日(十一月八日)はここに駐屯していた回天特別攻撃隊の隊員を、この丘から見える少し先の海に潜水艦が迎えに来て、四隻の回天が搭載され、仁科中尉(享年二十一才)達、四名が乗り込み南方へ菊水隊として黒木大尉の遺影を胸に初めて出撃したのです」と教えて頂いた。
 何と云う事なのか。
 十数年間、いつか必ずお参りしたいとの夢がやっと叶った日が、若き烈士達が身を献じて出撃した日とは・・・。
 平和の為に・・・。
 祖国の為に・・・。
 この偶然はきっと多くの特攻隊員達が何かを告げたかったのではないのだろうかと思わずにはいられなかった。
 そして、その想いを胸に山を降り、反対側に残る回天魚雷発射訓練基地跡へ向かいました。
 そこへ行くには約二五〇メートルのトンネルを通り抜けなければならない。
 そのコンクリート製の洞内に入ると、重さ八屯もの回天を運んだ軌道敷の二本の埋め戻した跡が続いており、多くの兵士が・烈士が・訓練の為に幾度となく必死に歩いたのであろうと思うと熱いものが込み上げてきた。
 間もなく、目の前に海が大きくひらけ、続いたコンクリート製の橋を歩き、少し先の海に突き出た四角い建物に向かった。
 時刻は既に四時半を廻っており、水平線には赤い夕陽が沈みかけ、訓練場の建物が黒い影となり、多くの烈士達が、この感動的な夕陽を見て故郷を偲んだ事であり、目に焼き付けた事であろう。
 暫らく佇んでいると五時十分発のフェリーの出発時間が迫っており、急いで再び、暗くなったトンネルに戻った。
 すると来る時と違い静かな暗闇の洞内で靴音だけが響き渡り、若き兵士達が聞いた音と同じものでは・・・との想いと静かな悲しげな話し声をすぐ近くに感じたのである。
 帰りのフェリー「新大津島」(その他「回天」という定期船もあるらしい)の甲板にて、夕闇の港の風景を楽しんでいると、お世話になった館員さんが帰宅の為、乗り込んで来られ、徳山港迄の僅かな船旅ではありましたが、多くの若き兵士達の話しやら、現在のこの島の生活の様子などをお聞きし、とても有意義な楽しい時間を過ごす事が出来、更には私の背中を夕陽がいつまでも見送ってくれ、その後の新幹線の窓から見える瀬戸内の夜景が忘れ得ぬ思い出となりました。
 今回の偶然な訪問を振り返ると、維新時の大和義挙(天誅組)も然り、いつの時代も、この国を想い、憂い、自らの命を掛けた烈士達を偲ぶとき、平和の尊さを訴えねばならない事と共に、草村克彦様のこの同人誌「邂逅」(現在は「新・邂逅」)も平成の世に企画されながらも、もう既に通巻四十号を迎える旨をお聞きし、これを期に更にもっと多くの方々にこの国が多くの犠牲の上にある事を知らしめる義旗はためく発信基地となる事を希望しています。

平成十六年十一月二十七日


同人誌「新・邂逅」通巻40号より抜粋

>>幕末烈士伝『維新残影』/吉備人出版