『スパイ査問問題意見書』第6部
第三章 4つの誤りの性質
第四章 私の意見・提案 〔資料〕
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第三章 4つの誤りの性質
第四章 私の意見・提案
〔資料〕 2つの事実問題関連抜粋資料
〔他目次〕
はじめに 『意見書』の立場
第一章 袴田・宮本陳述相違点の解決内容、方法
第二章 相違点の解決内容、方法の4つの誤り
第1の誤り 事実問題
1、第1の事実問題=器物の用意・搬入・存在の真相
分析(1) 袴田陳述
分析(2) 宮本陳述
分析(3) 木島到着時刻と「小林論文」のウソ
分析(4) 器物の用意・搬入・存在の真相
2、第2の事実問題=暴行行為の項目・程度・性質の真相
分析(1) 袴田陳述
分析(2) 関係者6人の陳述
分析(3) 宮本陳述
分析(4) 暴行行為の項目・程度・性質の真相
3、デッチ上げ部分と事実部分との区別
区別(1) デッチ上げ部分「解剖検査記録」「古畑鑑定書」の見方考え方
区別(2) 事実部分
第2の誤り 詭弁的論理使用
詭弁(1)
袴田陳述の虚偽規定と、「すりかえ三段論法」の虚偽
詭弁(2)
架空の“新事実”挿入による虚偽
詭弁(3)
証拠能力の恣意的評価で、暴行『無』にする虚偽
詭弁(4)
虚偽規定の袴田陳述発生の原因分析の虚偽
第3の誤り 宮本個人崇拝
現象(1)
宮本陳述内容の事実性の唯一絶対化
現象(2)
宮本闘争方法の正当性の唯一絶対化
現象(3)
闘争での役割・成果の不公平な過大評価
現象(4)
闘争記録の不公平・一方的な出版・宣伝
第4の誤り 対応政策・方法
1、有権者反応への政治判断
2、対応政策
3、反撃・論争方法
4、総選挙統括(13中総)
〔関連ファイル〕
(1)、『スパイ査問事件と袴田除名事件 袴田政治的殺人事件の推理劇的考察』
(2)、『スパイ査問事件の個人的体験』(宮地個人通信第十号)
(3)、『作家森村誠一氏と「スパイ査問事件」』(添付)森村氏手紙、下里正樹氏手紙
(4)、袴田自己批判・批判の共産党側資料、「3論文」と「党史」
(5)、立花隆『日本共産党の研究』関係
「『年表』一部」、「加藤哲郎『書評』他」
(6)、浩二 『袴田里美予審尋問調書、公判調書』全文
(7)、れんだいこ 宮本顕治論・スパイ査問事件
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袴田・宮本陳述相違点の解決内容・方法における上記4つの誤りは、たんにそれが誤りというだけでなく、党にとってどのような政治的性質をもつかを検討する必要がある。
〔第1の誤り〕の性質
2つの事実問題が、袴田陳述内容の基本的事実性、宮本陳述内容の上記否認部分の基本的非事実性であっても、当時において刑法上有罪となるものでもない。スパイ挑発との闘争、スパイ査問問題の全体としての正当性を基本的にそこなうものではない。それは、全体における一部分の問題である。しかし、これは国民、有権者にたいして2つの事実問題で虚偽・ウソの回答をし、歴史の偽造・歪曲の回答をした点できわめて重大な誤りである。現情勢では、党がこのようなウソをつく必要はどこにもない。
〔第2の誤り〕の性質
問題は、虚偽・ウソ回答、歴史偽造・歪曲回答が『真実・真相』であることを論証しようとして、党が様々な詭弁的論理を使用し、それにたいして、党内からなんの批判も出されず、党内・党外にそのような詭弁的論理とその使用が通用することの政治的性質である。
1、事実問題でのウソ・虚偽を『真実・真相』とする以上、それは必然的に様々な詭弁的論理を必要とする。第1〜第4の詭弁的論理でのべたように、とりわけ袴田予審陳述内容の事実性を全面否定するということから上記詭弁が使用されたが、これは弁証法的論理学からの根本的逸脱という誤りにとどまらず、党に論理的退廃をもたらす。
2、それにたいして、38万党員、600万党支持者から、その論理上の誤りについてなんの批判も出されず、反共謀略を相手にする場合に限ってはどんな詭弁使用も許される、正当化されるということになれば、それは、科学的社会主義からの逸脱となり、非科学的・盲信的な政治結社になる。われわれは論理の科学性で結集しているのであって、党防衛という目的のためにはいかなる手段の使用、詭弁使用も正当化されるという誤りを放置すべきではない。
3、反共謀略側は、戦前・戦後を通じて“デッチ上げ”という典型的な詭弁的論理をつねに使用している。相手の詭弁にたいして、党側も詭弁を対抗的に使用することは、現情勢・条件の下では正当化されるものではない。その論理の詭弁性を徹底的に暴露し、弁証法的論理学の優位性を政治・社会の場において確立していくことこそ、科学的社会主義政党としての党の任務である。その党が、自党の都合の悪いことになると詭弁を使用し、政治・社会にそれをおしつけ、通用させようとすることは、党内・党外にわたる論理的退廃をもたらす重大な性質の誤りである。
〔第3の誤り〕の性質
党の歴史において、どの時期であろうとも、その事実部分について偽造・歪曲し、歴史的役割・成果について、個人崇拝現象をつくり出すことは、過去のいくつかの社会主義国における個人崇拝現象による様々な結果から見ても、党に重大な損害を与える。
1、党史そのものを、歴史学の一分野としての党史としてよりも、政治的配慮を優先させた政治文書に変質させる。
2、さらに、ある歴史的時期での役割・成果の評価において、現最高指導者への個人崇拝現象を発生させれば、それ自体として誤りであるとともに、それは、その他の歴史的時期での歴史的役割・成果の評価での個人崇拝現象、さらにもっと普遍的な個人崇拝現象へと発展する。最高指導者への普遍的個人崇拝現象が党および社会にたいしてどのような損害を与えたか、与えるかはいちいちいうまでもない。
3、それは、党内での民主集中制の正常な運営にたいする完全な対立物に発展し、結果的には党を政治的・道義的な退廃におとし入れる。
〔第4の誤り〕の性質
今後とも反共攻撃、反共謀略はくり返し、手をかえ品をかえ現われるであろうし、党が前進すればするだけ反共攻撃、反共包囲網が強まることは党がくり返し強調している通りである。
1、その対応政策、論争方法上の誤りが発生した場合でも、それをなんの総括もせず、逆に正当化する体質をつくる。党中央は対応政策上、論争方法上の適否・正否をなんら党内から問われず、その政策効果についても党内からなんら責任を追及されないという非民主的システムとなる。フィードバックシステムが党内になくなる。党の政策・論争方法の適否・正否が選挙での国民の審判によって明確になり、その都度是正されていくという保障はなくなり、政党と有権者との選挙を通じての有機的なフィードバック関係を党の側から放棄し、党を停滞・減退させる。
2、政策、論争方法上の誤りによって、反共攻撃への反撃が不成功となった場合に、その誤りについて政治責任の追求がされず、党中央自らも政治責任での総括を回避し、逆に下部、党全体の『活動不足・不充分』に責任転化するやり方は、一時的には通用しても、長期的にみれば、文字通り、それを原因として党員の活動意欲を減退させ、党全体の活動力を全面的に低下させる。
〔この第1〜第4の誤り全体〕の性質
1、この4つの誤りは、スパイ査問問題がもつ反共攻撃の有力武器としての生命力を、42年後の現情勢下でも喪失させることができず、その生命力を持続させる。4つの誤りへの国民・有権者の素朴な疑問・疑惑を存続させる。袴田陳述資料(警察、予審、第1審、確定判決)と宮本陳述資料の両者を読み比べた者にたいしては、現在の党の2つの事実問題での“全面否定”政策は、論理的説得力を基本的にもたない。政策的優位性を基本的にもたない。
2、国民・有権者の総選挙投票行動による党への審判を、反共謀略側は、スパイ査問問題〔第1効果〕〔第2効果〕を上げたものとして評価した。今後の国政選挙、その他において、内容・方法は色々変化するとしても、反共勢力によってくり返し使用される危険性を残した。
3、上記1、2を原因とする党員の活動意欲・活動力の全般的低下の引き金になる。2つの事実問題での党の対応政策には明白なウソ・虚偽があるということが、一連の資料を読む党員の中で疑問・疑惑として出てくれば、それは党全体の活動意欲・活動力に重大な否定的影響も与える。そして上記袴田資料は党以外から出版・販売されている中で党員から隠す訳にはいかない。
政策転換・改善を必要とする5つの部分についてのみのべる。スパイ査問問題において、2つの事実問題以外の基本部分は当然正しい。
意見・提案(1)
2つの事実問題において、上記にのべた事実部分を是認する。
1)現在の党の対応政策の一部を政策転換する。宮本陳述内容の一部の非事実性を認める。
2) 袴田陳述内容の基本的事実性を認める。その部分的問題点、部分的不正確さは当然指摘する。
意見・提案(2)
特高・検察の4種類のデッチ上げを分類し、その性質に応じた全面反撃の対応政策をとる。
1)2つの事実問題で、『すべて事実無根のデッチ上げ』説をやめ、事実無根のデッチ上げ、事実程度誇張歪曲のデッチ上げ、事実の性質すりかえのデッチ上げのそれぞれにたいして、それにふさわしい否認・是認方法を採用する。
2)デッチ上げ部分と事実部分とを区別し、事実部分については当時でも刑法上無罪であるのは当然であるが、一定の道義的政治的問題点をもつ上記7項目の事実については、その存在を認める。
3)上記を通じて、事実問題での政策的優位性を全面的に確立し、それにもとづいて「解剖検査記録」の45個外傷・出血部分の解剖所見が基本的(=90%以上)にデッチ上げであることを論証する。現在の党のその点での論証方法は基本的に説得力をもっていない。その論証方法を上記にのべたように転換する。「中田医師論文」も合わせて、小畑死因は「外傷性ショック死」ではなく、「一次性ショック死あるいは急性心臓死」であることを全面的に論証し、「古畑鑑定書」死因鑑定、確定判決死因認定は誤りであることを法医学的に証明する。
意見・提案(3)
上記4つの誤りを是正し、政策転換する。
1)〔第1の誤り〕是正…2つの事実問題での事実部分をも“全面否認”するという誤りを是正し、党自ら、その事実部分について解明する。
2)〔第2の誤り〕是正…袴田予審陳述内容の基本的事実性否定のためにつくり出した4つの詭弁的論理使用を直ちにやめる。いかなる理由があろうとも、党はこのような詭弁使用をすべきではない。
3)〔第3の誤り〕是正…4つの宮本個人崇拝現象を中止させる。宮本、袴田、秋笹中央委員3人の果たした役割と成果について公平・公正な評価をする。秋笹中央委員は、分離公判途中で転向したとはいえ、スパイ査問問題について迎合的陳述をしていず、真相解明に一定の役割を果たした。この誤りを放置することは党に重大な損害をもたらす。
4)〔第4の誤り〕是正…反共謀略側や党批判者への政策上・論争方法上の誤りをきちんと総括・是正し、国民・有権者の広汎な支持をえられるよう、説得力をもった政策・論争方法に転換する。論争方法上の上記にのべた3つの誤りの国民・有権者への政治的効果については国民感情・感覚にてらして、もっと明確な認識をする必要がある。
意見・提案(4)
4つの誤りの機関責任の所在、個人責任の所在を明確にし、一定の政治責任をとる。
1)機関責任の所在…全体は党中央委員会として行なわれているが、この4つの誤り発生責任は、中央委員会常任幹部会にある。中央委員会の日常の職務を行う執行機関としての常任幹部会が直接に全面的指導した結果である。
2)個人責任の所在…機関責任のみでなく、文芸春秋新年号以来の経過、平野謙著書による袴田予審調書・第1審公判調書の出版を前後とした「3論文」発表の経過からいって、またスパイ査問問題での反共謀略との党内での理論政策上の実務担当責任からいって、3人にこの4つの誤りを発生させた個人責任が明白に存在している。
・宮本幹部会委員長 スパイ査問事件の直接的関係者の1人
・袴田幹部会副委員長 スパイ査問事件の直接的関係者の1人、「袴田論文」執筆
・小林中央委員、党理論政策委員長代理、「小林論文」執筆
この3人の同志は反共謀略にたいする闘争の大部分においては正しい対応策をとり、指導したが、その中で、4つの誤りを発生させる誤りを犯し、党全体に一定の否定的影響を与えた。その誤りの発生にたいして個人責任を明確にする必要がある。
3)機関責任、個人責任のとり方…常任幹部会としての自己批判を党内外へ発表する。3人の同志による自己批判を党内外へ発表する。3人の同志は、反共謀略との闘争の中で、無意識的にこの誤りを犯したのではなく、意識的・意図的であった。それが、たとえ現情勢の下では政治的に党にとって有利・有効であるという政治判断に立っていたとしても、誤りとして一定の自己批判を表明する必要がある。
意見・提案(5)
4つの誤りの是正・政策転換時期
この政策転換がもたらす党内外への政治的影響度から見て、その時期設定は慎重に行う必要がある。政策転換によるプラス側面とマイナス側面とが当然発生する。長期的に見ればプラス側面の方が上廻ることはまちがいないが、一定の期間においては、それへの反共謀略側の再攻撃、国民有権者の反応から見て、マイナス側面の方が、+−の差引として上廻ることは充分予想される。それらを慎重に総合的に検討した上で、その是正、政策転換の時期設定を行う。
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〔小目次〕
資料(1)=第1の事実問題の資料
〔1〕、袴田陳述(警察、予審、第1審公判)
1)警察聴取書
第9回聴取書
『我々ノ意志ヲ曲解スル夫等人々ハ、或ハ、大泉・小畑ノ査問ヲ完了スルニ当ツテ予メ細ビキ、包丁、斧、ピストル等ヲ用意シタ事ハ彼等ヲ殺害スル計画ヲ裏書キスルモノテハナイカ、ト云フデアロウ。併シ乍ラ我々カ夫等ノ器具ヲ用意シタ事ハ前ニモ述ベテ置イタ通リ、夫等ノ器具ニヨツテモ先ツ彼等ニ恐怖心ヲ与エ腕力的反抗ヲ断念セシメタ後、出来得ル限リ静粛裡ニ然モ短時間内ニ質問ヲ終了スル為テアリマシタ』 (朝日ジャーナル 2.20号 P.37)
2)予審尋問調書
第9回尋問調書(1938.3.2.予審)
『私ハ此の決定ニ基キ警備隊ノ動員ヲ引受ケテ居タ問題上昭和八年十二月中旬小石川区大塚辻町ノ某喫茶店テ木島隆明ト連絡シタ時同人ニ対シ警備隊ノ責任者タルコトヲ命シタルトコロ即時ニ之ヲ承認シタノテ大泉、小畑両名ニ対スル警備一切ヲ任シタノテアリマス』『ソシテ同人ニ対シ査問ノ為メニ被疑者ヲ縛ル針金、細引キ、威嚇ノ為メノ斧、出刃包丁等必要ナ物件ノ、仕度ヲ命シタノテアリマス』『私ハ宮本カラ彼カ借入レヲ約束シテ来タト云フ代々木山家ノ家及其ノ付近ノ図面ヲ書イテ貰ヒ又木島ト連絡シテ警備ノ準備ニ関スル打合セヲ受ケ査問日トシテ予定シテアッタ当日午前右査問アヂトトシテ定メテアツタ家ノ付近ニ行キマシタ、其時木島ハ既ニ高橋某外二三名ヲ連レテ其ノ付近ニ来テ居リマシタノテ木島ト現場付近ノ警備員ノ配置連絡等ヲ打合セテ居ル処ヘ家屋ノ借入レヲ交渉シテ呉レタ某カ来テ家主ノ都合テ借入レカ出来ナイコトカ判明シマシタ』(平野謙著書−資料P.223〜224)
第10回尋問調書(1938.3.3 予定)
『一問、 前回ニ引続キ大泉・小畑ニ対スル査問開始前後の模様ヲ述ヘヨ、
答、 昭和八年十二月二十三日朝八時頃、木島隆明トノ連絡ノ為メ牛込区高田老松町付近ヘ行キ同人ト出会ヒ 大泉・小畑両名ニ対スル査問ノ場所ニ関スル地理等ヲ報告警備に関スル手伝ヲ打合セタ上、同人ニ査問場所ニ先ニ行ツテ居ル様ニ言ヒ付ケテ別レ夫レカラ又何処カテ宮本トモ連絡シタ様ニモ思ヒマスカ判然シタ記憶ハアリマセヌ。同日午前九時頃私ハ秋笹ノ用意シテ置イタ前述ノ査問アヂトニ行ツタ様に思ヒマス其ノ時間ハ判然シマセヌカ宮本カ小畑ヲ連行スル一時間位前ノコトテアツタト覚エテ居リマス。私ハ右アヂトヘ着イテ直ク二階八畳ノ間ヘ通リマシタ。其処ニハ秋笹カ居リマシタ。其ノ時ニハ木島モ既ニ同所ニ来テ居テ警備外部トノ連絡ノ都合上階下ニ居リマシタ……(中略)……其ノ部屋ニハ木島ノ用意シタ斧二挺、出刃包丁二挺、硫酸一瓶、細引キ、針金等査問ノ器具カ三尺ノ押入レ脇ノ壁ノ前方ニ置カレテアリ、部屋ノ真中位ノ所ニ瀬戸ノ火鉢一個、床ノ前ニ謄写版等カ置カレテアリマシタ
二問、其ノ部屋ノ模様及ヒ前述ノ品物ノ配置ノ模様等ハ此ノ通リヤ此時予定判事ハ事件記録第134丁表ノ図面ヲ示シタリ
答、其ノ通リテアツタト記憶シテ居リマス……』(P.225)
第13回尋問調書(1938.3.11.予審)
『八問、被告人等カ調査場ニピストル、出刃包丁等ノ凶器ヲ備ヘ付ケタ訳ハ。
答、ピストルハ大泉・大畑両名ニ対スル威嚇ノ為メトアヂトカ警察ニ襲撃サレタ場合ノアヂト並ニ同表ノ防衛ノ為ニ用意シ、出刃包丁等ハ右両名ニ対スル威嚇ノ為テシタ。
九問、硫酸ヲ用意シタノハ何ウ云フ訳カ
答 硫酸ノ壜カ一壜アヂトノ場所ニ用意シテアツタノハ事実テアリマスカ 之ハ私カ命シテ備付ケタモノテハアリマセン
一○問、コロロホルムモ用意シテアツタテハナイカ
答、昭和八年十二月半頃、最初ノ査問計画ノ時ニハ保安隊ノ誰カカ代々木山谷ヲアヂトトシテ借リ様トシテ失敗シタ家ノ付近ニ持参シタコトハ事実テスカ 同月十三日カラノ査問場ニハ持ツテ来テ居リマセン』(P.242)
3)第1審公判調書
第2回公判調書(1939.7.27 公判)
『問 査問会ヲ開ク時ニナッタトキ、査問ノ結果両人カ簡単ニスパイノ事実ヲ自白スルト思ツタカ。
答、例ヘハ警察署ニ於テ我々共産党員ヲ検挙スルト先ツ我々ヲ徹底的ニ叩キツケ精神的ニモ肉体的ニモ押へ付ケテシマツテカラ取調ヘニナルノテス。之カ警視庁ヤ警察署ノテロノ方法テアリマス。処カ我々ハ左様ナ事カ出来マセヌノテテロノ代リニ実際吾々カヤツタ様ニ我々ノ脅カシ道具ヲ並ヘテ査問ニ取カカツタノテスカ、先ツ我等ニ対シスパイノ嫌疑テ査問スル旨ヲ宣言スルト、小畑ハ蒼白ナ顔色ニナリ何テモ訊イテ呉レト云ツテヘタバツテシマヒ、大泉ハ手荒ナ事タケハシナイテ呉レト云ツテ神妙ニナツテ了ツタ位テスカラ、我々ハ最初カラ、少シ拷問テモスレハスパイノ事実ヲ自白スルモノト思ツテ居リマシタ。
問、怎ンナ種類ノ道具ヲ揃ヘルカニ付、予メ話合ハアツタノカ。
答、別ニ協議ハ致シマセヌカ 私カ木島トノ連絡ノ際、同人ニ一任シテ取揃ヘサセテアリマス』(P.305)
『問 此ノ木島トノ連絡ノ際査問ニ使用スヘキ凶器類ノ取扱イヲ命シタノカ
答 私ハ包丁、斧ノ様ナモノカアレハ良イタラウト云ツタノテアリマス。錐、硫酸等モ実際査問ノ現場等ニアッタノテアリマスカソレハ私カ木島ニ命シテ取揃ヘタノテハアリマセヌ。
問 細引、針金等ハ如何。
答 愈々査問スル直前ニナッテ必要ヲ感シテ取揃ヘタト思イマスカ私カ命シタカ否カ判リマセヌ。』(P.305)
『問 然ラハ昭和八年十二月二十三日市ヶ谷ノ査問アヂトニ於ケル大泉、小畑ニ対スル査問ノ状況ニ付述ヘヨ。
答 此ノ日私ハ朝八時頃木島ト連絡シ此日ノ査問ニツキ打合セヲシ、同人ニ先ニアヂトヘ行ク様ニ命シ、私ハソレカラ約一時間カ一時間半バカリ経ツテアヂトヘ行キ二階ヘ上リマスト其処ニハ秋笹カ居リマシタ』(P.308)
『問 話ハ少シ前ニ戻ルカ二十三日ノ朝、被告人カ査問アヂトヘ行ツタ時二階ノ部屋ニハ秋笹一人シカ居ナカツタト云ウノタネ。
答 左様テス。
問 其ノ時部屋ノ模様ニ付被告人ハ警察官ノ取調ヘノ際斯様ナ略図ヲ書イテ示シテ居ルカ此ノ通リノ状況テアツタカ。
此時、被告人ニ対スル司法警察官ノ第七回聴取書中、本件記録第一冊第一三四丁表ノ図面ヲ示シタリ。
答 私カ部屋ヘ入ツタ時ハ此ノ通リテアリマシタカ大泉、小泉両人カ来ル前、査問ノ場所ヲ広クスル為メ火鉢ハ床ノ間ノ方ヘ片付ケ、又部屋ニ入ルト斧ヤ包丁カスグ彼等ノ目ニツキテロノ目的ヲ達シ得ル様ニ並ヘ直シタノテス』(P.311)
第4回公判調書(1944.9.2)
『従ツテ使用スヘキ器具ニ関スル事ナト今ノ問題ニハナラナカツタ。唯暴レルカモ知レヌカラ紐位ハ用意シタ方カヨイト云フ位テアツタカ威嚇用ノ器具ノコトナトハ全然問題ニナラナカツタ』(「宮本顕治公判記録」P.175〜176)
第9回公判調書(1944.10.14)
(秋笹の陳述に関して)『大泉等査問ノ準備ニ関シテモ組織的協議サレ、何等個人的ノ策動カナカツタコト、危害ヲ加ヘルコトノ論議ノナカツタコト、暴力行使予定ノ下ニ器具ノ準備等ヲスル協議ノナカツタコト。宮本ハヤリ過キタ様ナコトハナカツタコト等ヲ第二十四回公判等テ明ニ述ヘテ居ル』(P.223〜224)
(袴田陳述に関して)『査問ノ準備ニ当リ威嚇用ノ器具ヲ用意スル事ニハ協議ノナカツタコトヲ一審公判テ述ヘテ居ル』(P.226)
(予審終結決定の検討)『両名ヲ制縛シ目隠シヲシタ事ハ誤リナイカ麻縄ヤ針金ヲ使ツタカ否カハ私ハヨク分ラナイ』(P.233)
第10回公判調書(1944.10.24)
(他被告の確定判決の事実認定について)『第五ハ、査問ノ準備状況ニ関シ違ツタ不当ナ判断推定カアルコト、即チ威嚇用ノ兇器トシテ出刃包丁トカ薪割ヲ共謀ノ上用意シタト云フ点テアル。夫レ等ノ兇器ヲ用意シタ事モナク従ツテ共謀シタト云フ様ナ事ハ全然ナイ事ハ従来述ヘタ通リテアル』(P.243)
第11回公判調書(1944.10.31)
『同押号ノ内八四乃至八七号ヲ示シタルニ、オ示シノ斧、出刃包丁ハ存シマセヌ。其様ナ物カ査問アヂトニアツタカ否判然シマセヌ』(P.260)
第14回公判調書(1944.11.25)
『査問ノ準備ニ関シテモ暴力ヲ行使スル相談ノナカツタコトヲ証明シタ。』(P.280)
1)、「袴田論文」=『スパイ挑発との闘争と私の態度』(1976.6.10.赤旗)
〔第1の事実問題〕にはふれていない。
2)、「小林論文」=『スパイの問題をめぐる平野謙の「政治と文学」』(「文化評論」9月号、1976)
『袴田同志の予審調書によると「威嚇器具」として出刃包丁や薪割り用の斧などが用意されされたことになっており、あたかも査問委員会が「威嚇器具」の準備を共謀したかのようにもうけとれる記述になっている。しかし、「威嚇器具」の準備など査問委員会で協議されたことはなく、袴田同志自身、一審公判でそんな協議はなかったとのべ、他の査問委員も皆、そういう協議はなかったと陳述している。
予審で、袴田同志は、「威嚇器具」が査問第一日の朝から査問会場の指定宅二階にあって、木島がもちこんだようにのべているが、他の査問委員はそれらの器具が取り揃えてあったようなことはのべておらず、当の木島は、査問開始後にはじめて秋笹宅の玄関にくるのであり、二階に上るのは査問第一日の夕方である。
それらの「威嚇器具」を大泉や小畑にたいして他人が使ったという陳述はあるがそれらも公判ではほとんど消えてしまう』(「文化評論」9月、P.52)(新日本新書「歴史の事実に立って」P.67)
『結局、「兇器」なるものについては、その搬入についても、使用についても証明はなく、査問会場にあったかどうかさえ確認されていない。こんなことで国民を「有罪」にすることは決して許されない』(「文化評論」9月、P.53、新書P.69)
3)「解説論文」=『正義の闘争の光は話せない−袴田調書を悪用する策謀にたいして−』(1976.9.24、赤旗)
〔第1の事実問題〕にはふれていない。
〔1〕、袴田陳述(査察、予審、第1審公判)
1)警察聴取書
第8回聴取書(1935.7.2)
(24日の査問状況について=2日目)『…この時は午前10時頃になっていたと思います。さっそく座敷に出されていました小畑達夫から開始し、次に大泉兼蔵を押入れから引出して査問をするというふうに交互に一回一時間くらいづつ相方二回位づつ査問しました。この間における査問の手段、方法の詳細についても述べられません。』
『…前述の全員で大泉、小畑を交互に査問する頃から二人共座敷へ出したままになっていたのですから、この時も小畑は座敷の中央寄りに手足を細引と針金でしばり、頭からオーバーをかぶせて、その上をしばったまま座らせてあったのです。大泉はシャツ一枚に洋袴をはいていたと思います。足首と両手を後で同様に細引と針金でしばり、大泉がきていた紺だったか黒だったか背広上着を頭からかぶせ、その上を紐かなんかでぐるぐるしばっておりました。この時の位置は略図に示しますと次の様になります。(この時被疑者の説明により略図を作成す。)』(朝日ジャーナル、2.20日号、P.35〜36)
2)、予審訊問調書
第11回訊問調書(1938.3.8予審)
『此ノ大泉ノ査問ノ途中、木島カ二階ニ上ツテ来テ、査問ヲ聞イタ居リマシカ時偶大泉カ返答ニ窮シタ時ニハ此ノ野郎ト云ツテ大泉ヲ殴ツタリ側カラ口ヲ出シタリシテ居リマシタ』『…ソシテ大泉、小畑両名ヲ更ニ細引、針金等テ縛リ直シ、猿轡、目隠シヲ施シ…』(平野謙著書 資料、P.231〜232)
第12回訊問調書(1938.3.9予審)
(24日の午後の査問再開時の状況)『此ノ時モ小畑ハ座敷ノ中央部当リノ所ニ手足ヲ細引ト針金テ縛ラレ頭カラオーバーヲ着セ其上ヲ何カテ縛ツタ儘座ハラセテアリマシタ。大泉ハ襯衣一枚ニズボンヲ穿イテ居タト思ヒマス。ソシテ足首ト両手トヲ後テ前回同様細引ト針金テ縛ハリ同人カ着テ居タ背広ノ上衣ヲ頭カラ被セ其ノ上ヲ紐カ何カテグル巻ニ縛ツテアリマシタ』(P.238)
第13回訊問調書(1938.3.11予審)
『五問 被告人等ハ大泉、小畑ヲ査問中ピストルヲ擬シテ右両名ヲ嚇シタ事ハナイカ。
答 私ノ記憶シテ居ル処テハ最初小畑ヲ査問ノアヂトヘ連レテ来タ際同人ヲ縛ル時ニ確カ私カ片手ニピストルヲ持ツテ小畑ヲ脅シタ事カアリマシタ。大泉ヲ査問場ヘ連レテ来タ時モ多分同様ニシテ脅シタト思イマス。』(P.242)
第14回訊問調書(1938.3.14予審)
『四問 被告人等ハ昭和八年十二月二十三日、二十四日ニ亙ル小畑、大泉等ニ対スル査問中同人等ニ暴行脅迫ヲ加ヘテ所謂拷問シテ調ヘタ事ハナイカ。
答 大泉等ニ対シテ査問中暴行脅迫ヲ加ヘタ事ハ間違ヒアリマセン。査問第一日目ハ大泉ニ対シテモ亦小畑ニ対シテモ余リ非道ナ事ハセス、脅カシタリ、頭、顔、胸等ヲ査問委員ノ者カ平手或ハ拳ヲ以テ殴ツタリ又ハ足テ蹴ツタリシマシタ。木島モ時々脅シ文句ヲ言ツタリシテゴツンゴツン大泉、小畑ヲ殴ツタリシテオリマシタ。
査問第二日目ノ取調ヘニ当ツテハ前日ヨリモ厳シク追及シ従ツテ夫レカ為メニ暴行脅迫ノ程度モ前日ニ増シテ居リマシタ。
例ヘハ査問中秋笹カ用意シテアッタ斧ノ背中テ大泉ノ頭ヲゴツント殴ルト同人ノ頭カラ血カ出タ事ヲ見受ケマシタ。又、秋笹ハ小畑ノ足ノ甲アタリニ火鉢ノ火ヲ持ツテ来テクツツケマシタ。スルト小畑ハ熱イ熱イト云ツテ足ヲ蹴上ケマシタ。夫レカ為メタドンカ畳ノ上ニ散ツテ処々ニ焼跡ヲ与え拵ヘマシタ。
其ノ時私カ薬鑵ノ水ヲ之ハ硫酸ト云ツテ脅シ乍ラ小畑ノ頭ノ上ニ振リカケマスト同人ハ本当ノ硫酸ヲカケラレタト感シテ手テ水ヲ除ケ様トシマシタ。其ノ動作カ余リ滑稽テアツタノテ夫レニ暗示ヲ得テ多分木島テアツタト思ヒマスカ真物ノ硫酸ヲ持ツテ来テ小畑ノ腹ノ上ニカケマシタ。スルト腹ニ硫酸カ滲ミ込ンテ来ルト見ヘテ痛ツテ居リマシタ。又誰カカ錐ノ先テ大泉ノ腹ノ上ノ方ヲコヅキマシタラ大泉ハ痛イト云ツテ悲鳴ヲ挙ケテオリマシタ。
以上ノ様ナ事カ暴行トシテハ著ルシイ例テ吾々ノ査問ノ態度カ真剣テ具体的事実ニ就イテノ取調ヘカ極メモ峻烈テアツタノテ大泉、小畑等ハ相当ナ恐怖ヲ感シ生命ノ危険ヲ感シタカモ知レマセン。
五問 熊沢光子ハ昭和八年十二月二十四日ノ査問ノ模様ニ付此ノ様ニ申立テテ居ルカ如何。
此時、予審判事ハ熊沢光子ニ対スル治安維持法違反銃砲火薬取締法施行規則違反被告事件記録中同人ニ対スル司法警察官作製ノ第二回聴取書中ノBト題スル部分ヲ読聞ケタリ。
答 見違ヒヤ間違ヒハ幾ラカアル様ニ思ヒマスカ当日ノ査問ノ経緯ハ大体其ノ通リテシタ。
六問 被告人等ハ各査問中、大泉、小畑両名ニ食事ヲ与ヘタノカ。
答 与ヘナカツタ様ニ思ヒマス。
第18回訊問調書(1938.3.23予審)
『四問 大泉兼蔵ハ昭和八年十二月二十三日、二十四日ニ亙ル査問ノ経緯ニ就キ此ノ様ニ申シテ居ルカ如何。
此時予審判事ハ被告人大泉兼蔵ニ対スル第十六回予審訊問調書中第二問答ヲ読聞ケタリ。
答 其ノ査問会ノ模様ハ既ニ私カ申上ケタ通リテアリマス。
大泉ハ査問アヂトノ二階ヘ上ルヤ木島、秋笹、袴田ノ三名カ飛ヒ掛ツテ来テ各ピストルヤドスヲ突キ付ケテ私ヲ取リ巻キ之カラ貴様ヲ査問スル云々ト述ヘテ居リマスカ、第一其時木島ハ二階ニハ居リマセンテシタ。其ノ時、私カ誰カ手ニピストルヲ持ツテ脅シタコトハ間違ヒアリマセンカ。ドスヲ突キ付ケタモノハアリマセン。又大泉ハ私カ声ヲ出スト殺スト脅カシタト申シテ居リマス。私ハ騒クトドウナルカ判ラナイゾト脅シタ様ニ思ヒマスカ、殺ス等ト云フ言葉ヲ使ツタコトハアリマセン…(中略)…
又、大泉ハ其ノ日自分カ査問サレル時誰テアツタカ其ノ口ノ辺リヲ斧ノ峰テ打ツタ為メニ前歯一本、奥歯一本折レタ云々ト申シテ居リマスカ、其ノ日ハ口ノ辺ヲ殴ツタコトハナク従ツテ歯カ折レタナンカト云フ事ハアリマセン。既ニ申上ケタ様ニ秋笹カ二十四日ノ査問ノ際斧ノ峰テ頭ヲ殴ツタコトハ事実テスカ、二十三日ハ手テ殴ツタコトハアリマスカ斧ヲ使ツテ殴ツタコトハアリマセン。
又其ノ日、殴ラレタリ蹴ラレタリ手荒イ事モサレタ為メニ意識ヲ失ツタトカ包丁テ腹ヲ切ラレタトカ申シテ居リマスカ、ソレナンカハ全クノ出鱈目テアリマス。』(P.266)
3)、第1審公判調書
第2回公判調書(1939.7.27公判)
(23日の査問状況)『問 大泉、小畑ヲ右ノ如ク査問スル際テロヲ加ヘタノテハナイカ。
答 其様ニシテ両人ノ査問ハ午後四時頃終ツタノテアリマスカ此ノ間一同カ平手或ハ拳固テ数回両人ヲ殴リ付ケタ事ハ事実テスカ器物テ殴ツタ様ナコトハ一回モアリマセヌ。』(P.310)
(24日朝の査問再開前の状況)『問 被告人ハ翌二十四日査問アヂトヘ行ツタ様タガ其ノ模様ニ付イテ述ヘヨ。
答 …(中略)…私ハ今シカタ木島カラ小畑カスパイダッタト云フ事ヲ聞イタリスル故、部屋ニ入ルナリ同人ニ近寄リ拳固テ同人ノ頭部ヲ殴リツケテヤリマシタ。』(P.314〜315)
『問 小畑ハ左様ナスパイタル事実ヲ自白シタト云フ事タツタノカ。
答 左様デス…(中略)…夫レカラ間モナク逸見カヤツテ来タノテス。又一同テ査問ヲ始メルコトニナツタノテスカ其ノ前逸見カ大泉ヲ拳固テ殴リツケテ居ツタノヲ見マシタ』(P.316)
(24日午前中の査問状況)『問 午前中ノ査問ニ際シテモ相当テロヲ用ヒタラシイネ。
答 手テ殴ルトカ足テ蹴ル等ノテロヲ加ヘタ事ハ事実テスカ。出刃包丁ナトハ誰モ使ハス器物ヲ使ツタノハ秋笹カ斧ノ峰テコラ本当ノ事ヲ云ハヌカト云ツテ大泉ノ頭ヲ小突イタコトカアルタケテス。
問 其ノ為メ大泉ノ頭カラ血カ出タト云フテハナイカ
答 頭ヘ二三滴血カ流レマシタ。
問 被告人ハ小畑ノ頭ヲ斧テ殴ツタコトモアルテハナイカ。
答 アリマセヌ。夫レハ大泉ノ間違ヒト思ヒマス。然シ私カ同人ヲ殴ツタトハ云ヘ大泉カ云フ如ク其ノ為メ同人ノ奥歯カ折レタト云フ様ナ事ハ生理学的ニモアリ得ヘカラサル事テス。
問 他ニ誰カ器物テ殴ツタ者ハナイカ。
答 ハッキリ記憶シテオリマセヌ。
問 大泉ノ腹部ヲ錐テ突イタ者ハナカツタカ。
答 私ハ左様ナコトハ知リマセヌ。
問 錐カ部屋ニアツタコトハトウカ。
答 秋笹カ赤旗ノ原稿ヲ原紙ニ書イテ居リマシタノテ其ノタメニ使フ鉄筆カ紙ヲ綴ル錐カアツタノカモ知レマセヌ。
問 小畑ノ腹ニ誰カ硫酸ヲカケタ者カアツタノテハナイカ。
答 小畑ヲ査問中私カ側ニアツタ薬鑵ヲ取リ、ソラ硫酸ヲツケルゾト云ツテ中ノ水ヲ二三滴垂シマスト小畑ハ大変狼狽シテ居リマシタカ、其ノ中木島カ真物ノ硫酸ヲ瓶ノ蓋ニツケテ小畑ノ腹部ヘツケタノテス』(P.316〜317)
第4回公判調書(1944.9.2)
『此ノ間ノ状況ヲ予審終結決定テハ大変誇張シテ表現シテ居ルカ左様ナ事実ハ更ニナイ…(中略)…唯、小畑カ逃ケ様トシテ暴レタ時一寸騒イタ位テアル。従ツテ決定書ニ書イテアル様ナ事ハ出来ル訳カナイ。此ノ点ニ関スル逸見ノ供述ハ相違シテ居ル。逸見、木島ノ陳述ハ迎合的テアル。硫酸ヲカケタリ、炭ヲ押シツケタリシタ事ハナイ。自分ハ静ニ訊問シタ丈テアル。』
第5回公判調書(1944.9.14)
『暴行脅迫ヲシタ事モナイカラソレニ基ツク精神的苦痛モナイ。…(中略)…査問ハ静粛ニ行ヒ暴力ノ使用ヘ極力注意シタ。手足ヲ縛ツタ儘テ彼等ヲ押入レカラ出入シタカラ若干ノ影響ハ手足ニ残ツタカモ知レヌカ特ニ傷ラシイモノハ見テ居ナイシ又予審終結決定ニ記載シテアル様ナ暴行ハ加ヘテ居ナイ。従ツテ外傷ヲ加ヘラレタ暴行ト云フ確定ハ妥当テナイ。』(P.193)
第8回公判調書(1944.10.5)
(大泉、木島、逸見の陳述について)『三名ノ陳述ハ大体此ノ事件カ公判ヘ廻ルマテノ判断ノ基礎トナツタ傾カアル。大泉ハスパイテアリ逸見、木島両名ハ当時ノ反撥的感情ト党ノ全体的方針ニ関スル理解カ不充分テアツタ為本件ノ観察ヲ歪メタト思フ。逸見、木島等ハ査問当時ハ真面目テアツタカ其ノ後ノ陳述ヲ観ルト事件ノ観察ヲ歪メ我々カラ云ヘハ結局右両名ノ陳述ハ大泉ノスパイトシテノ陳述ト異ルトコロナシト云フヘキテアル。結局、大泉、逸見、木島三名ノ陳述内容ハ同一テアルト云ハサルヲ得ナイ。』
(大泉の陳述について)『…即チ、木島カ査問開始当時居タトカ、誰カニ斧テ頭ヲ殴ラレテ気絶シタトカ、宮本カ斧テコツコツ殴リ乍ラ査問シタノカ。歯カ抜ケタトカ、応答シテモ発言ノ機会ヲ与ヘナカツタトカ実ニ出鱈目ノ事ハカリ並ヘテ居ル。』(P.209)
(木島の陳述について)『…ソレニモ拘ラス木島ハアヂラレタカラヤツタト云フ風ニ述ヘテ居ルノハ間違ヒテアル…(中略)…又、宮本カ薪割テ小畑ノ顔ヲツツイタトカ云フカ左様ナ事ハ更ニナイ。…其ノ他、逸見カタドンヲツケタトカ、木島カ人工呼吸ヲ施シタトカ死ヲ発見シタ時ノ私対秋笹間ニ交サレタ対話等全部相違シテ居ル』(P.213〜214)
(逸見の陳述について)『逸見自身威嚇用器具ノ準備ヤテロニ付イテノ協議ナンカ全然ナカツタト公判テ述ヘテ居ルノテモ明テアル。…(中略)…木島カ硫酸ヲ付ケタト云フ事モ絶対ナイ。又、逸見カ誰カトウシタカトカ一々記憶シナイト云イツツ、彼ヲ余リ宮本等カ散々殴ツタリ蹴ツタリシタト云フノモ自己ヲ穏健テアツタト強調セントスル同一策法テアル。私ハ特ニ周囲ヘノ顧慮ヲ念頭ニ置イテ居リ斯カル混乱ヲ導ク行動ハ取ラナカツタ』(P.219)
第9回公判調書(1944.10.14)
(秋笹の陳述について)『…宮本ハヤリ過キタ様ナコトハナカツタコト等ヲ予審第二十四回公判等テ明ニ述ヘテ居ル』(P.223)
(袴田の陳述について)『彼ノ陳述ハ当時ノ新聞報道ヤ木島等ノ陳述ニ対シ反撥的役割ヲ果スモノテアツテ当時ノ諸種ノ情勢並ニ党ノ方針等ニ付スル理解ハ一番客観的テアリ妥当ナモノト推察サレ得ルカ全体的ニ言ヘバ尚補足ヲ要スル箇所カアル。即チ党ノスパイ容疑者ニ対スル方針ヲ党史的立場カラ推察スルコト。昭和八、九年以来機関紙等テ公表シタ党ノ方針ト結ヒツケテ推察スルコトノ二ツテアル。之ハ従来私カ系統的ニ並ヘタ通リテアル。査問状況ニ関シテハ不正確ナ陳述カアル。上告審マテノ間二可成訂正ノ跡ハ見エルカ尚根本的ニ是正サレテ居ナイ。当時小畑ノ死因カ脳震盪テアルトノ予断カ広ク一般的ニ支配シテ居タ外、木島、逸見等ノ迎合法誇張的ナ陳述カアツタ為ソウシタ雰囲気ノ下テ不正確ナ陳述カ生シタモノト思フ…(中略)…査問ノ状況ニ関シ、木島カ硫酸ヲツケタト述ヘタカ後ニ取消シテ居ル。又二審ノ公判テ宮本テアツタカ誰テアツタカ大泉ヲ錐テツイタト云ツテ居ルカ左様ナ事ハナイ』(P.225〜226)
(予審終結状況の査問の状況について)『両名ヲ制縛シ目隠シヲシタ事ハ誤リナイカ、麻縄ヤ針金ヲ使ツタカ否カハ私ハヨク分ラナイ』(P.233)『又調書ニハ拳銃出刃包丁等ヲ突付ケ白状スレハ助ケテ遣ルト脅迫シタリトアルカ左様ナ事ヲシタコトハ更ニナイ。…(中略)…私等ハ器具ヲ手ニシタコトハナイ。白状スレハ助ケテ遣ル等トソンナ芝居シミタ事ヲ云ツタノテハナイ。総テ従来明ニシタ通リテアル。…(中略)…小畑ノ陳述モ基意ニ満タサル為、頭部ヲ投打シ腹部ニ炭火ヲ打当テ硫酸ヲ注イタト云フ記載ニ付イテハ、従来述ヘタ通リテ全然事実ニ反スル。総テ木島、逸見ノ歪曲誇張シタ陳述ニ依リ左様ナ認定ニナツタノテアル。』(P.235)
第10回公判調書(1944.10.24)
(他被告の確定判定の事実認定について)『…妥当テナイ推定ヲ若干拾ツテ見ルト…(中略)…更ニ五人テ殴ル蹴ル等ノ行為ニ出タトカ炭火ヤ硫酸ヲツケタ云々ノ記載カアルカ、大局的ニ云ツテ石黒等参考人三名カアヂトハ極メテ静カテアツタト一致シテ述ヘテ居ルコト。再鑑定ニ依ルモ損傷自体ハ極メテ軽微テアルトサレテ居ルコト。又損傷ノ原因ハ鈍体トサレテ居ルニ過キナイコトカラ観テモソウ云フ暴虐云々ノ騒キカ演シラレナカツタコトカ判明スル。ソウ云フ記載ノ為ニ引証サレテ居ル各人ノ陳述ヲ総合的ニ観ルト一様ニ特ニ予審ニ於テカ歪曲誇張ノ弊ニ陥ツテ居ルカ、之ハ脳震盪トノ予断ノ下ニ審理サレタコト。小畑ノ暴レタ際ノ姿勢等ニ付テノ陳述ニ例証サレル如ク誤レル付和雷同性ニモ基因スルト考ヘラレル。例ヘハ袴田ハ予審ヲ宮本カ斯ク斯ク記載ノ如キ行為ニ出タトハ一言モ述ヘテ居ナイ。一同テ云々ト述ヘテ居ルモ之ハ何等責任アル表現テハナイ。而モ控訴審ノ最後テハ彼自身トシテハ小突ク位ノ事カ四、五回程度アツタモ知レナイ位ノモノト述ヘテ居ル。処カ予審ノ供述テハトウシテソンナ騒キカ近所ヘ知レナカツタラウカト思ヘル様ナ陳述ヲシテ居ル。』(P.243)
(確定判決の引証部分の秋笹予審陳述について)『彼モ宮本カ記載ノ如キ斯ク斯クノ挙ニ出タトハ何事述ヘテ居ナイ。宮本カ誰カ硫酸ノ壜ヲ振回シテツケルソト嚇シタト述ヘテ居ル点ハ不実ノ事テアリ彼モ流石ニ公判テ取消シテ居ル。大体目隠シサレテ居ル者ニ見エテ居ルコトヲ前提トスル様ナ発言ハアリ得ス又ソモソモ硫酸瓶ノ存在ナルモノカ後述ノ如ク根拠ノナイモノテアル。』(P.244)
(確定判決の引証部分の逸見予審陳述について)『…又歪曲ノ著ルシイ点ハ二十四日ノ午前小畑ヲ酷ク詰問シ爾後ハ最モ酷イ査問カ行ナハレタ等ト述ヘテ居ルモ彼ノ云フ如キ拷問ラシイ事態ハ何等行ハレテ居ナイ…(中略)…午後ノ査問ナルモノニ付イテハ大体当日ハ私ハ前夜殆ント徹夜タツタノテ当日ハ可成一休ミノ形ヲ特ニ午後ハ炬焼テ眠ツタ…(中略)…従ツテ其ノ午後ノ査問テ宮本カ肩ヲ押ヘタトカ木島カ硫酸ヲツケタト云フ様ナ事モ全然ナイ。小畑カ騒キ初メタ時テモ逸見ノ陳述カ不実タカラ宮本カ大泉ノ査問中テアツタトノ歪曲モ生シルノテアル。大体硫酸カアツタトノ推定カ根拠ノナイ事テ謄写版用ノ薬瓶カ一ツアツタ様タカ誰モ確実ニ硫酸トシテ断定シ得ル根拠モナク又誰一人硫酸ハツケタト白状モシテ居ラス法医学的ニモ証明サレテ居ナイノニ既存事実ノ如ク頭カラ硫酸云々ノ陳述記載トナツテ居ルノハ減ニ失当テアル。』(P.244)
(確定判決の引証部分の大泉陳述について)『既ニ検討シタ点ノ外、大泉ハ公判テ彼ハ一々器具テ殴ラレタノテアツテ平手ナンカテ殴ラレタ事ハナイト云フ捏造的誇張ヲヤツテ居ルカ事実誰一人彼ヲ一々器具テ殴ツタ者ハナク、ソウ云フ点カラ行ケハ彼カ予審テ云フカ如キイロイロ殴ラレタト述ヘテ居ル事モ嘘タト云フコトニナル』(P.245)
(確定判決の事実認定行為の宮本目撃問題と行為者の特定事実認定問題について)『査問状況ニ付イテノ認定ノ基礎トシテアル各人ノ供述ハ以上ノ如クタカ私ハ之等記載ノ如キ行為ハ他人ニ就イテモ何レモ目撃シテ居ナイカ、強イタ自ラ其ノ者ノ行為トシテ述ヘテ居ル者カアルノナラ判決モ少クトモ其ノ当人ノ行為ノ範囲内ニ限定シテ認定スルニ止ムヘキテ漠然ト曖昧ナ推定ノ儘テ一同ノ行為トシテ記載スルカ如キハ甚タ失当テアル』(P.245)
第13回公判調書(1944.11.21)
(木島、逸見の陳述の証拠的意義について)『一、木島ハナント云ハウト一警備員テアツテ同人ノ供述ハ本質的判断ノ根拠ニナラナイ。二、同人ノ陳述ハ矛盾混乱歪曲極マルコトハ皆ノ認メル所テ彼ノ弁護人スラ誇張ノアルコトヲ承認シテ居ル…(中略)。次ニ逸見ノ陳述ニ関シテモ…査問ノ状況ニ関シテモ他人ノ行動ニ関スル限リ針小棒大ニ述ヘ結果ニ於テハ大泉ト同シ役割ヲ果シテ居ルモノテアルカ…』(P.272)
第14回公判調書(1944.11.25)
『本件ノ判断ハ本公判ニ於ケル私ノ陳述ヲ基礎トシテ初メテ十分ナ結論ヲ導キ得ルモノテアル。公正ナ判断ハ冷静客観的ニ行ツテコソ出来得ルノテアツテ警察ヤ予審ノ如ク閉ササレタ手続ノ下ニ於テ行ナハレタ結果ニ依ツテハ到底出来ナイノテアル。故ニ本公判ニ於ケル私ノ陳述ニ依ツテノミ本件ヲ明白ナラシメルコトヲ得ルノテアル。』(P.279)
『査問ノ状況ニ関シテハ従来幾多ノ歪曲ノアツタコトヲ明ニシ殊ニ判決書テ引用シタ予審ノ調書ハ脳震盪ノ予断ノ下ニ作ラレタ不正確ナ所カアルノテ之ヲ明ニシタ。又査問ノ進行ニ付テハ訊問予定方針表ニ依ツテ行ヒ其ノ過程ニ於テ真相ヲ捉ヘ様トシ査問ハ波瀾ヲ起サヌ様円満ニ進行スルコトヲ期シタコト等ヲ明ニシタ。私ハ査問ノ行ナハレテ居タ間常ニ其ノ現場ニ居タ訳テハナイカ少クトモ私カ居タ間ニハ予審終結決定書記載ノ様ナ状況ハ全然ナカツタコトヲ明確ニシタ。又各被告人カ自分ノ行動トシテ述ヘテ居ル部分ハ極些少ノモノ故ニ之ヲ取立ツヘキテナイコトモ屡々述ヘタ通リテアル』(P.280)
1)、「袴田論文」(1976.6.10.赤旗)
『二、そこでは私は、共産主義と日本共産党の正しさ、それを治安維持法で弾圧することの不当さなどを主張するとともに、一九三三年の大泉、小畑の査問を「党内派閥の指導権争いによるリンチ殺人」に仕立てようとする特高警察の筋書きにたいしても、当然断固としてたたかっている。同時に、査問状況についての警察や予審での私の陳述記録にはいろいろ不正確な点があり、一審や控訴審の公判陳述でかなり訂正もしたが、根本的な是正にまではいたらなかっにことも否定できない。』
『三、 私が検挙された一九三五年三月四日までにはスパイ調査問題の関係者はすべて検挙され、警察での取調べの手続きも終わり、起訴されて予審が開始されていた。特高警察は、スパイの大泉の報告をもとに「党内派閥の指導権争いによるリンチ殺人」というデマをねつ出して大々的に宣伝し、検事もその線で起訴していた。小畑の死因についても、警察べったりの裁判所医務嘱託の宮永学而らによって、頭部に斧などで強力な打撃をくわえにための脳震盪による即死だという、「殺害」なるものを裏付けるかのような、でたらめな鑑定が出されていた。さらに、宮本同志は完全黙秘でたたかっていたが、関係被告の多くは転向して、特高警察の創作した筋書きに迎合する陳述をおこなっていた。転向者の陳述は大泉や小畑へのスパイ容疑の根拠が薄弱だったかのようにのべたり、宮本や袴田には殺意があったかもしれぬというようなまったく荒唐無稽のことをのべるなど、自分らは非転向の宮本同志や私の意見に追随しただけであるかのように印象づけようとする傾向を多分にもつものだった。
こうした状況だったので、私は自己の主張をのべるべく、取調べに応じた。私は、共産主義と日本共産党の正しさへの確信が微動だにしない態度を明確にして転向に毅然として反対した。同時に、スパイ調査問題については、当時の状況のもとで、私の陳述の力点は、いきおい、スパイ挑発にたいするわが党の闘争を根本的にゆがめる「指導権争い」とか「殺害を共謀」とかいう特高警察の作った虚構に反論することにおかれた。どうしても、これらの点だけは特高警察の虚構を打破しようという意図であった。同時に、その結果、「暴行」うんぬんといった式の特高の主張については、それをいちいち反論してただすという点はきわめて不十分となった。』
『四、査問状況にかんする私の不正確な陳述は、警察の取調べや予審という密室の審理のもとで生まれたものである。転向者への反発や、「指導権争い」とか「殺意」なるものの否定ということに主な力点をおいた陳述が、取調べ側の構想による問答の流れのなかで、結局、系統的は「暴行」なるものを自認するかのよう陳述になった。そして、公判での陳述も、以前の陳述をかなり訂正はしにものの、密室のなかでの予審調書による制約をまぬがれなかった。』
『四、私は、転向に反対し、スパイや転向者の供述をもとに特高警察が作りあげた「指導権争い」 「殺人」といった主張に反論する意図から、警察の取調べや予審に応じたのだったが、不正確な陳述を必然的にともなう密室の審理に応じたことは誤りであり、私はその教訓を明確かつ厳正にうけとめている。』
2)、「小林論文」
((2)袴田調書の問題点の事例)
『「殺害を共謀」とか「指導権争い」とかいう特高の主張を否認しつつも、一定の系統的、意図的「暴行」なるものを自認しているかのような袴田調書の記述は平野謙の議論にとっては、それを裏づけるもののように見えたのだろう。しかし、その査問状況についての袴田調書の記述こそ、袴田陳述の最大の問題点なのである。ここでは、その主なるものの若干にふれるにとどめる。
…(中略)…それらの「威嚇器具」を大泉や小畑にたいして他人が使ったという陳述はあるがそれらも公判ではほとんど消えてしまう。平野の新著の帯にも引用されている袴田予審調書の一節では秋笹が斧で大泉を殴ったとか、誰かが錐で大泉の腹をこづいたとか、秋笹が小畑の足の甲にタドン火をつけたとか。木島が小畑の腹に硫酸をつけたとか、書いてあり、他の調書で同様の趣旨をのべた者もある。しかしその行為をしたと云われた本人はいずれも否定している。袴田同志自身も、一審や控訴審の公判で器物で殴った者はいないことや、硫酸うんぬん錐うんぬん等が確認されたものでないことなどを含め、系統的な「暴行」などという事実でなかったことを主張している。小畑については特高べったりの裁判所医務嘱託による解剖検査記録でも薬品の作用とか火傷とかの痕跡は全然ない。』(「文化評論」9月号P.52、「新日本新書」P.67〜68)
『袴田予審調書にあるような「生命の危険を感じ」させたかも知れぬほどの「暴力脅迫」があれば2人の婦人の陳述も当然それらを反映したものとなったろうし、両隣りの人びとにも聞こえたにちがいないのに。特高さえそういう“証言”をひきだすことはできなかったのである。袴田予審調書の書くごとき「暴行脅迫」があったなどとは、到底みることができないものである。
査問状況について事実と合致しないそのような袴田調書がなぜ生まれたかは、袴田同志が「スパイ挑発との闘争と私の態度」(赤旗6月10日付)で書いている。』(「文化評論」P.53、「新日本新書」P.70)
『平野謙はまた、同じ「解説」のなかで、「広津和郎の裁判批判の方法として、「あたりまえの人間生活の理解を前提にしそこから、調書、供述書、録取書などのリアリテイの有無を検証し」ていることを指摘している。「兇器」なるものの存在や使用といったことは一九三三年当時の共産党員をふくむ市民にとってもきわめて特別の体験であるのに、それについての記憶がはっきりせず、各人の陳述の不一致が大きすぎるというのは、まことに奇妙である。それはごく日常的な体験についての陳述が取調官の誘導によってあまりにも一致しすぎる場合と同様に、実際には「兇器」の使用などなかったのに特高が勝手につくりあげたことの反映ではないか。秋笹宅の両隣りの主婦の証言と「暴行脅迫」なるものについての袴田陳述とでは、その矛盾はあまりにも大きすぎる。たとえばこういう問題を批判的に検討することが「広津和郎の裁判批判の方法」に感心する平野謙のなすべきことだろうが、平野はそういうことは全然していない。
これらの点では、密室の審理を拒否し、現件の憲法と刑事訴訟法を先取りしたといってよい公判闘争をした宮本同志の陳述こそ、事実究明の基礎となるものである。』(「文化評論」9月P.55、「新日本新書」P.74〜75)
3)、「解説論文」(1976.9.24.赤旗)
基本的に上記の「袴田論文」「小林論文」と内容は同じ。
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1977年4月13日提出
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〔関連ファイル〕
(1)、『スパイ査問事件と袴田除名事件 袴田政治的殺人事件の推理劇的考察』
(2)、『スパイ査問事件の個人的体験』(宮地個人通信第十号)
(3)、『作家森村誠一氏と「スパイ査問事件」』(添付)森村氏手紙、下里正樹氏手紙
(4)、袴田自己批判・批判の共産党側資料、「3論文」と「党史」
(5)、立花隆『日本共産党の研究』関係
「『年表』一部」、「加藤哲郎『書評』他」
(6)、浩二 『袴田里美予審尋問調書、公判調書』全文
(7)、れんだいこ 宮本顕治論・スパイ査問事件