Cursed Mail





 深夜1時半。
 「さ・て・と。。。とりあえず、逆アセンブルかな。」
 そうつぶやくと、Rは軽やかにパソコンのキーを叩いた。
 蒸し暑い部屋のなか、エアコンの音に混じって、かすかに
ハードディスクがうなる。

 Rはエアコンの音が嫌いだ。
 不快な音に悩まされるぐらいなら、エアコンなんかいらない。
と、普段、友人達に豪語しているRであったが、今夜は
どうやら熱帯夜になりそうで、さすがのRもエアコンに
頼らざるを得なかった。
 キーを叩くRの手にも、じわじわと汗が滲んできている。

 ”新型ウィルス”

 友人から送られてきたメールの説明には、そういう
言葉が使われていた。
 最近ネット上で、メールなどを介して、ひそかに
広がってきているものだという。
 添付されていたファイルは、"tetpon.exe"という名で、
実行すると、いわゆる落ちものゲームが始まるらしい。

 勿論、Rはいきなり実行したりはしない。
 それでは、ウィルスに感染してしまうだけだ。

 ゲーム自体はグラフィックも鮮やかで結構はまるように
作られているらしい。知らない人は単に、面白いゲームを
もらった、としか思わない。
 そして、友達にも遊ばせてあげようと、メールに添付して
送ってしまうのだ。

 無論。それがウィルスの作者の狙いだ。

 面白いゲームという仮面の裏で、ウィルスは静かに
時を待ち、その時が来るといきなり発病する。
 そこまでは、よくあるパターンのウィルスだ。
 コンピュータ・ウィルスというのも、だいたいが
パターンが決まっている。時折、独創的なウィルスが
発見されることはあるが、たいていは前に誰かが
作ったものの改造版、あるいは、改造とも言えない
程度の小変更にとどまるものも少なくない。
 だが、このウィルスは今までにあった、どのウィルスとも
アルゴリズムが違うのだという。
 しかも、発病しても、その時々によって、様々に異なる害を
生み出すのだ。、キー入力を受け付けなくしたり、、ひそかに
ダイヤルQ2を使ったアダルトサイトへ接続したり、いきなり
画面がフラッシュしたり、パソコンがハングアップしたり、
最悪ハードディスクをすべてフォーマットして、すべての
データを消し去ったり。
 ネット上で報告されている弊害は、これがただ一つの
ウィルスが起こしたものとは思われないぐらいに様々だ。
 よほど、複雑でトリッキーなプログラムに違いない。

 そこに魅かれた。

 Rは、ネット上で顔の広い友人に頼んで、そのウィルスを
探してもらった。
 そして、ようやく今日、ウィルスの実物を手に入れることが
出来たのだ。

 ん?
 逆アセンブルしたリストをプリントアウトして眺めていた
Rは、首をひねった。
 「おかしいな。。。」
 リストはすでに、赤と青のペンで、ゲーム部分とそれ以外の
(つまりウィルス本体と思われる)部分とに、色分けされて
いる。
 赤くふち取られたウィルス部分のプログラムがどうも
変だった。
 今までのどんなウィルスとも、似ても似つかない。それは、
間違いない。
 しかし。。。

 「なんだ。こりゃ?」
 複雑なプログラムを期待していたRにとっては、肩透かしを
くらわされた感じだった。
 そこにあるのは、知的パズル、巧妙な罠、などとは隔絶した
あまりにも単純なプログラムだった。無論、時限式ウィルス
なので日付により発病する仕組みにはなっている。

 が、それだけだ。

 悪さをすると思われるウィルス本体部分の仕組みは、ほとんど
悩むこともなく見抜けた。
 あまりにも、簡単すぎるので、逆に不安になって、なんども
アルゴリズムを追い直したぐらいだ。
 しかし、何度見ても、あっけないほどに簡単なプログラムだ。

 いや、それだけではない。
 こんなプログラムが、悪さを起こすなんて、Rにはとても
思えなかった。

 そのウィルスは、時が来ると単に、ウィルス自体に圧縮して
格納されているデータを、解凍してヌル・デバイスに送るだけ
なのだ。
 「、、、意味がない。」
 ヌル・デバイスに、どんなデータを送ったところで無意味だ。
言ってみれば、ヌル・デバイスとは不要なメッセージなどを
捨てるごみ捨て場のようなところだからだ。
 どんなデータを送ったところで、何も起こるはずがない。

 だが、実際に色々な害が出てるのだ。
 何もないはずはないのだ。。。

 Rはさらに、リストを見直してみる。
 何度見ても同じだが、気になる点がないわけでもない。
 圧縮されたデータを解凍するルーチンは、ゲームのほうでも
使われていて、どうやら音声データを解凍するルーチンらしい
のだ。

 ということは、このデータも音声なのだろうか?

 どんな音声なのだろう?
 ほかに手だてもないので、とりあえずそのデータを解凍した
状態でディスクに保存してみた。解凍自体は、ウィルスに
含まれているルーチンをそのまま借用する。
 「再生してみるか。。。」
 念のため、テープに録音する用意もした。
 単なるノイズの可能性もあるので、スピーカの音量を
最低限に絞って、ディスクに落としたデータを再生してみる。

 最初はやはりノイズだった。
 落胆と同時に、自分はいったい何を期待していたのだろう、
と思うと笑いたくなった。
 何もあるはずはないのだ。

 ”、、、○×、、、オン、、、サダ、、、ぎゃぁ、、、”
 その時、切れ切れながらも、スピーカから何かが聞こえてきた。
 Rは耳を澄ませた。
 ”、、、ヌゥ、、、ジン、、”
 はっきりと聞き取れない。
 だが、何やらお経のようにも聞こえる。

 バチッ!
 いきなり、部屋の電気が切れた。
 エアコンも止まり、勿論、パソコンの電源も落ちた。

 ドンドンドンドンッ!
 風が雨戸を叩いているのだろうか?
 窓の外で、大きな音がした。普通、夏の夜には風など
吹かないことが多い。今夜も、さっきまでは、風の音など
聞こえなかったのだ。

 ガタガタガタッ!
 激しく雨戸の揺れる音がする。

 ぶ〜ん。
 電気は切れたときと同じく、いきなり元に戻った。
 だが、パソコンもエアコンも電源はきれたままだ。そういうふうに
出来ているからだ。

 では、この音はなんなのだ?
 Rは戦慄した。
 ”、、、の、、、あれ、、、”
 さきほどの、お経のような声がまだ聞こえてくるのだ。
 しかも、だんだん声が大きくなってきている。

 スピーカの電源ランプは消えている。
 では、どこから聞こえてくるんだ?

 ダンダンダンダン!
 部屋のドアを思いっきり叩く音がする。
 ガンガンガンガン!
 雨戸を激しく打ち付ける音がする。

 ”、、呪い、、。の、、、れ、、、”
 声がますますはっきりと聞こえるようになってきた。

 「だ、駄目、、だ。これは、、、俺の扱う範囲じゃない!」
 自称ハッカー気取りでいたRだったが、こんなものは
自分の理解出来る範囲を超えていた。

 「た、助けてくれ!」
 大声で叫ぶと、玄関へと逃げ出した。

 だが、ロックをはずしてノブを回しても、ドアが開かない。
 ドアの外からは、不気味なつぶやきが聞こえてくる。

 覚悟を決めて、勢いよくドアを蹴飛ばす。
 が、開かない。

 そうしている間にも、不気味な声はどんどん、どんどん
大きくなってくる。
 しかも、だんだんとRのほうへと近づいて来ている気が
する。

 何かが背中のすぐうしろに、、、。

 苦しげな息づかいが、耳の後ろで聞こえた。
 Rは思わず両耳を両手でふさぐ。
 やめてくれ〜!!
 大声でさけぶ。

 その時。
 Rの声をも越える大きな声で、
 ”呪いあれ!!!”
 頭の中で炸裂する。

 呪いあれ。呪いあれ。呪いあれ。呪いあれ。。。
 Rの心のなかでエコーがかかり、延々と呪いの言葉を
繰り返す。

 Rは意識を失って倒れた。

 。。。。。。。。。
 。。。。。。。。。

 やがて、Rはベッドの上で目を覚ました。
 夢?
 いや、そんなはずはない。
 夢にしては、あまりにもリアルな記憶が残っている。
 耳に残る呪いの言葉と息づかいを思い出して、身体を
抱えて震えた。

 玄関で倒れたはずなのに、なぜベッドに?
 おそるおそる玄関を見に行くと、ロックがはずれていた。
やはり、あれは現実だったのだとRは思う。
 部屋に戻り、あたりを見回すとエアコンもパソコンも
止まっている。
 試しにパソコンの電源をいれると、強制終了したときに
いつもでる例のメッセージが出て、ディスクスキャンが
始まった。
 やはり。。。

 時計を見ると、深夜2時半。
 ほとんど、時間は進んでいなかった。

 その時になって、Rは気づいた。
 エアコンが止まっているのに、なんだ? この部屋の
寒さは。。。
 部屋のなかには、異様な冷気が漂っていた。
 真冬の寒さとも、エアコンの冷気とも、またひと味違った
背中を凍らせるような寒さだった。

 「とりあえず、これは俺にはどうしようも出来ないな。。。」
 疲れ切った顔でRはつぶやいた。


 数日後。
 ウィルスを手にいれてくれた友人が死亡したことを、また
別の友人から耳にした。
 例の友人は、1週間前に自宅の玄関で冷たくなっているのを
上京してきた両親に発見されたのだと言う。
 死因は不明。
 しかし、おかしいことがあるものだ。
 友人は、Rにウィルスを添付したメールを送る前にすでに
死んでいたということになる。
 では、誰がRにあのウィルスを送ってきたのだろう。。。?